日だまりの雫

白犬狼豺

日だまりの雫

冴樹さきちゃん!」

「え?」


 夜、高校受験を控えた冴樹は二階の寝室で勉強を終えて寝ようとしていた時に母親が叫んだので、慌てて階段を駆け降りようとするが、下で母親がぐったりした飼い猫のサリを抱えているのを見て足が止まってしまった。


不安そうにゆっくりと近寄る。

「ああどうしよう、しばらく見てなかったから、調子悪いのかと思ってたけど、大変なことになってたわ」


 サリは全身の力が抜けて、体温が下がっている。

「どこにいたの?」

「畳の部屋で寝てたの、今日は誰もサリのこと見てなかったよね?」

「うん……」

「体を温めなきゃ」


 それから母親の寝室に2人でサリを連れて行ってサリを温めた。サリは毛布をかけられるのを嫌がって抜け出そうとする。

震える脚で前に這って進もうとする様子が一層冴樹の不安を煽った。

「とりあえず明日、もう今日か。動物病院に連れていくから、今日はもうこのまま暖かくして寝かせようか」


 母親はまだ風呂に入っていなかったので、冴樹は母親が戻るまでサリのそばで見守っていた。

すっかり冷えた体を少しでも温めようと毛布をかけようとしたり、ヒーターの前に寄せたりした。

「あら、見ててくれたの、ありがとうね」


 母親が戻ってきて、冴樹の妹の冴智さちと父親を起さぬように静かな声で言った。それから2人で暫く見守っていだが、そろそろ寝ろと母親が言うので、冴樹はサリを見つめながら部屋を後にした。


 翌朝のこと、


「サリ大丈夫なの?」

 冴智が不安そうに冴樹にたずねた。

「わからない」

「なんでこうなったの?」

「わからないよ……」

「そう、お母さんもそう言ってた」


 冴智は冴樹に対して不安そうな視線をおくった。それからずっとサリのそばにいて、ずっとなでている。

「そろそろ行かないと、学校遅刻するよ」

「お姉ちゃん先行ってて」

「今日お母さんが病院に連れていくから」


 冴樹がそう言って出て行ったあとも冴智は心配してしばらくサリに寄り添っていたが、母親に言われて登校した。


 冴樹が早く家に帰ってきて、母親とサリの帰りを待っていると、玄関が開くと同時にサリの元気な泣き声が聞こえた。

「サリ治った?」

「うーん……点滴して元気にはなったんだけど。肝臓が悪いんだって、寒さのせいじゃなくてね。鳴くようになったけど、治ったわけではないんだって」


 その後で息を切らした冴智が帰ってくる。

「サリ治った!?」

「まだ、元気に鳴いてるけど、治ってはないんだって」

 冴樹がそう言うと、冴智は「ああ、そう」と抑揚のない声で呟いて自分の部屋へ足早に歩いて行った。


 サリは相変わらずうずくまって、時々鳴き声を上げる。歩けなくなってしまったので餌もトイレにもいけなくなってしまった。


 食べることはないが点滴を打っているのでおしっこだけは出る。その日の晩、家族で夕飯を食べている間にサリが激しく鳴きだしたので、冴樹はどうしたものかと思った。


 そしておぼつかない足取りで猫砂のほうへ行こうとするのを母親が「おしっこだ!」と言って、父親が慌ててサリを猫砂の方へ連れて行こうとするが、サリは抱えられたことに驚いたのか、体が持ち上がった拍子に我慢しきれずに床に粗相をした。


 その夜は冴智の希望でサリは冴智と一緒に寝かせた。サリは静かになったかと思うと、突然起きて苦しそうに鳴きだしたので、その度に冴智がなだめた。


 冴樹も鳴き声が聞こえると目が覚めてしまって、その夜はあまりよく眠れなかった。


 翌日、冴智は心配からサリの体をなでて、「治ってね」と声をかけていた。

 

 サリは体に触れられるたびに苦しそうな声を上げるので、冴樹は思わず「そのくらいにしたら?」と言って、「なに?」と、冴智が不快感を隠さずに返事をしたのに冴樹はやや面食らった。

「あんまり触られるの嫌なんじゃない?」

 冴樹にそう言われた冴智はじっとサリを見つめた。

「死んじゃってもいいんだ」

「何でそうなるの?」

「じゃあどうしたらいいの?」

「そっとしといてあげたらいいじゃん」


 サリがニャアと鳴いた。冴智は冴樹に何かを言い返そうとして、怒った顔で冴樹を見たがすぐに部屋を出て行った。


その日の夜、

サリは母親と寝た。サリは鳴いて、母親も「大丈夫?辛いね」と言ってなだめ続けた。


 次の日、冴樹がサリと寝るように頼まれた。昼は冴樹以外みんな出払ってしまうのでサリと冴樹だけになってしまう。


冴樹は、もう目も開かなくなって全く動かなくなってしまい、呼吸の度にお腹だけが動くサリを見つめて、「元気になってね」と呟いた。


 初めてサリがぐったりしていた時、冴樹は死ぬほど心配した。サリの死を覚悟して、悲しまずに送ってやりたかったが、しかしそれでも回復を願わずにはいられなかった。


 自分が本気で介抱すれば治ると思って、可能な限りサリのそばにいようとする冴智の気持ちも、冴樹には痛いほど理解できる。


 夕方、冴樹の父親が一足先に帰ってきた。

「冴樹たちが喧嘩するなんて今に始まったことじゃないんだけど……」と父親は優しく話しかけた。

「冴智はさ」


 冴樹はテレビに集中するふりをして父親の話を聞いていた。

「悪いと思ってるんじゃないかな、サリが苦しそうだけど、どうしたらいいのか分からなくてさ、毛布かけたり、なでたりして、それがサリにとっていいと思ったから、でも冴樹は触らない方がいいと思ったんだよね。僕はどっちがいいのかなんて分からないけど、二人ともサリが心配なのは同じなんだと思う」


 その日の夕方、サリは朝より元気になった。冴智は自分の努めた事が報われたのだと思って喜んだ。

「サリを病院に連れて行くんだけど、冴樹ちゃん一緒に来る?」

「うん……」


 動物病院へ行く途中の車の中で、母親は冴樹に話をした。

「私ね、サリが朝みたいに元気が無かったらもう病院に連れて行くのやめようかと思ってたの。きっと冴智ちゃん嫌がったと思うけど」

「うん、多分ね」

「そうね、でも元気だったしさ、冴智ちゃんが喜んでるの見てると、やめるなんて言えなくって」


 サリは嫌がって、車の中で元気よく暴れた。体はつめたかったが、元気よく動くサリを見ていると冴樹はほんの少しだけ安心できた。

 医者は「決して良くなっているわけではないんですよ」と言っていた。

 点滴が終わるとサリはまた暴れた。帰りの車に乗る時も暴れていた。


 帰る途中の車の中で、サリはおとなしくなった。


 家に着いて、冴樹がサリをキャリーバックから出しても、サリは動かなかった。

「お母さん、サリが……」


 それを聞いて冴智が真っ先に駆け寄ってきてサリに呼びかけた。

「サリ……?」


 冴智は冴樹の方を向いて、何か言おうとしたが、涙があふれて止まらない。冴智の顔がぶさいくにくしゃっとなった。冴樹に抱きついて、その胸元に顔をうずめてすすり泣く。


 サリを段ボール箱にビニール袋を敷いて、その上に眠らせた。

 母親は知り合いに電話をしていた。多分、まだ小さかったサリを譲ってくれた近所のおばちゃんだろうと冴樹は思った。

 所々鼻をすすったり、涙声になったりしたが、母親はそれをおさえて話していた。

 

 冴智は泣きはらして、風呂にも入らずにそのまま寝た。冴樹は必死にこらえて、ただ一滴涙を流しただけだった。


 冴樹と一緒に寝るはずだったサリは、冷たくなってビニール袋の上で寝ている。


 その後、母親が市役所で火葬許可証をもらってきて、冴樹と母親で2人で土曜日に火葬場へ行き、帰りに買ってきた総菜で少しだけ豪勢な夕飯を家族で囲った。


「はい」

「え?」

「カラアゲ、あんた好きだったでしょ?」

「うん、ありがと」


 その日の夜、冴智は冴樹のベッドに来た。

「何しに来たのよ」

「別に、寂しいだろうから一緒に寝てあげようと思って、カラアゲのお礼に」

「はぁ……別にいいけど」


 冴智はベッドに潜り込むと冴樹に抱きついた。

「どうしたの」

「ねえ、やっぱりサリそっとしといた方が良かったのかな」

「それは、分からないけど」

「……もっと生きててくれると思ってた」

「そんなの、私だって……」


 冴樹は涙声で言葉に詰まった。

「お姉ちゃん……?」

「もっとなでてあげればよかった。……もっとちゃんと世話してあげればよかった。もっと……、可愛がってあげればよかった……」


 冴智は黙って冴樹を抱きしめた。冴樹も冴智を抱きしめて鼻をすすった。


 朝、あたたかな光に包まれて目覚めた冴樹は、隣で眠る冴智を起さないように体を起こして、ほほえみながら冴智の頭をなでた。


 どうか、サリが天国で幸せでありますように


 どうか、今ある身近な命を大切になさってください

 それはいつか、きっとお別れをしなければならない命ですから

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