死にたい彼女を死なせずにベッドで寝かしつけようよ

naka-motoo

人に死にたいと思わせる人間を一人ずつ消していけばいずれいじめも自殺も無くなるはずだよ

 14歳だからって侮るなよ。


 僕は哲学なんかで自分の行動を誤魔化したりしないぞ。

 思考だって。


 だから僕が彼女を好きになった理由なんて理路整然と説明できるわけないじゃないか。


 大体これが好きっていう気持ちなのかどうかさえわからない。


 ひとつだけきっかけがあったとしたら、蜂だね。


 彼女、蜂の死骸を拾ったんだ。


 ショウの後に。


「汚い」

「ぷっ。お前の唾じゃねえかよ」

「違うよー。ウチらの口の中にある時は無味無臭なんだよー。こいつのカラダにかかった瞬間にグロくなるんだよー」


 彼女は教室の女子の9割から、男子の2割からぐるっと周囲に円陣を張られて間断無く唾棄されている。


 唾を吐きかけられているんだ。


 彼女がそれを好む性癖などある訳が無いってわかってるけど、囲んでいる人間たちは彼女が異常心理の持ち主であるように嘲笑しながら吐き続けた。


 自分の吐いた唾が放つ独特の異臭に吐き気がしないんだろうかって思ったけど、その自覚はあるようで、ショウが終わった後にきちんと雑巾で拭いていた。


 彼女が。


 彼女が僕の席の横を通り過ぎた時、異臭がした。


 その時までは彼女のことを僕は気持ち悪いって思ってた。


 なんで抵抗しないんだろうって思ってた。


 自己が無いからだろうって思ってた。


 けど、雑巾をバケツの縁にかけたあと、彼女がしわだらけで唾と少し痰すら混じったシミとで汚らしくなっているスカートの裾を揃えてしゃがんだ時、蜂の死骸を拾ったんだ。


 ハンカチで。


 ハンカチだけは彼女のポケットに入っていたから汚れていなくて、そのハンカチで彼女は蜂をくるんだ。


 ミツバチじゃなかった。多分足長バチの一種だと思うその死骸をくるんだ後、教室の後ろの席から出て行った。


 僕は少女としての彼女に興味がある訳じゃなくって、彼女の奇行を目撃していじめられて当然なんだって確認しようとしてたんだと思う。


 廊下をすり抜け職員室の横を唾だらけのカラダで通り過ぎて玄関で靴を履き替えて教室の窓からは死角になっている真っ赤なツツジの花の下にスカートの裾を揃えてしゃがんだ。


 ハンカチを綺麗に開いて、手のひらに蜂の死骸を乗せる。


 そうして、そっと、手のひらを差し引くようにして木の根元の、花びらが落ちている横に、蜂を並べてあげていた。


 僕は彼女を好きになったのかどうかわからないけど、いじめられても仕方のない人間など居ないということを、彼女が僕に思い知らせてくれた。


 次に彼女の後をつけたのは国道でだった。


 中学での一日のいたぶられを終えて徒歩で家に帰る途中だったんだろうか、歩行者信号が赤になっている片側二車線の国道の横断歩道で、彼女がそのまま歩き出した。


 一歩。


 二歩。


 三歩目で僕は彼女の手首を摑んだ。


「死なないで」


 そのまま力を込めて歩道側に引き戻した彼女の背中スレスレをカーキャリアーが無関心に通り過ぎた。


「死にたくない」


 死にたい、じゃなくて、死にたくない、って言ったんだ。


 僕を卑怯者と呼ばないで欲しい。


 僕を臆病者と呼ばないで欲しい。


 僕だって残りの中学の時間をこのままの状態で過ごす権利がある。

 だから、彼女をいたぶっている人間たちに直接働きかけることなんて、僕にはできないんだ。


 不可能って意味での『できない』と、

 やりたくないっていう意味の『できない』の両方なんだ。


 僕はひとりでアーケードを歩いた、夜に。

 僕の母親よりも数歳若いんだろうという手相を見る女性が一人用の机に座っていた。


「あの。自分のことじゃなくても観てもらえますか」

「いいですよ。どなたのことですか?」

「僕の学校の女子です」

「好きなんですか?その人のことが」

「わかりません。でも、自殺をやめさせたいんです」

「その子が死にたがっている?」

「いいえ。『死にたくない』って言いました」

「死にたくないって言ったから死にたいのだと?」

「なんとなく、ですけどそう感じたんです」

「ほんとうは誰も死にたくない」


 女性は僕の人相を観てるみたいだ。


「自殺しようと考える人は、その人のせいじゃない。誰かがその人に『死にたくないけど死ぬしかない』って思わせてる」


 死にたくないけど死ぬしかない。


 ああ、それがほんとうの彼女のココロなんだろうか。


「わたしのは占いじゃないですよ」

「えっ」

「『事実』をただ単純にそのままあなたにお伝えするのみです。『事実』という言葉で分かりにくいならば『原因』をお伝えするのみです」

「いじめの原因ですか・・・?」

「わたしが言うのはその子の性格だとか容姿だとか、そういう浅瀬の原因ではないですよ。ほんとうの原因です」

「あなたは占い師ですよね」

「いいえ。もう一度言います。占いじゃない。事実だ。原因なのだ」


 僕の背中には普通に買い物をするひとたちがアーケードを歩いている。

 会社や学校帰りのひとたちがアーケードを現実の世界として歩いている。


「原因を単にあなたに告げるだけ。もしあなたがその子を死なせたくないのなら、その原因を取り除いてあげることがその子をいじめから即座に救い、そして二度とその原因によってはいじめられることの無いようにするための根本の方法。でもね」

「はい」

「除去できる原因と手の施しようのない原因との二種類があります。もし、後者だったら、あなたはどうするの?」

「なんですか、その二種類って・・・」

「原因を知って、それでもどうすることもできない内容のそれだったら・・・あなたは自分を責めることになりますよ。そして、もしその子が本当に死んでしまったら・・・」

「そのどうすることもできない原因ってなんなんですか?」

「その子が前世で大勢の人をいじめていたとか」


 なんだやっぱり。


 この占い師もその程度か。


「僕を中学生だからって侮らないでください。前世の業とか因果応報なんてものですべてを括ろうとするならば永遠に誰も救われない。好循環の人間は現世でも満足度を高めて悪循環の人間は現世のあらゆることを呪って、また同じことの繰り返しですよ」

「除去できる原因かもしれないですよ」

「・・・・・・・・・・・・どちらでも構いません。聞かせてください」


 僕はいくつかの質問を受けた。


「その子の名前」

「凡その身長」

「骨格」

「目の色」

「生年月日」


 僕は全部答えた。


 生年月日は個人情報だから本来なら知り得ないんだけど、僕は彼女の命日からそれを知った。


 その日、彼女の誕生日はこの世の厄日で命日も同然だと言って彼女をいたぶる女子たちが机に教室の花瓶の花を置いたから。


「手相とか・・・水晶とか何も観ないんですか」

「神様がお出でです」


 それがほんとうだとしたら、僕に見えるわけなどないって思ったんだけど・・・


 見てしまった。


 女性が余りにも無造作に一連の手続きを踏むものだから見落としそうになったけど、女性が焦点を定めずに視線を送る空間が、ほんの少し、本当にほんの少しだけ、空気の層が揺らいだ。


 女性は原因を僕に事務的に伝えた上で、これは占いではないから料金は要らないと言った。


「キミの家に行ってもいいかい」


 僕がそう彼女に訊くと、彼女は、


「いじめたりしない?」


 そう逆に訊き返されて、泣きたくなった。


 彼女の家はマンションの13階だけど、おばあちゃんが亡くなるまで同居していたので、置き場に困るぐらい大きな仏壇があった。


 そして、僕は嫌だったけど、彼女の母親にも話をしないといけなかった。


「お母さん。彼女が中学で毎日どんな風にしてるか知っていますか」

「いいえ。知りません」

「知りたくないんですか」

「知ったとしてわたしにどうできますか」

「知ってるんですね。彼女がいじめに遭っていることを」

「・・・・・・・・」

「彼女が死にたいほど辛いということは?」

「わたしは姑と一緒に暮らして来たのよ?それよりも辛いことなんて無い!」


 仏壇の前に彼女と彼女の母親と僕と3人で座り、僕は母親に向かって言った。


「あなたは亡くなったお姑様の位牌を仏壇の隅に押しやっていますね」


 母親は細い目を悪逆の映画の悪霊のように数倍の大きさに見開いた。


「な、何を・・・」

「もっと言います。阿弥陀如来のお軸の右端の・・・一段低くなった部分です」

「い、今見たんでしょ!」

「ならば。僕はたった今この家に来たばかりです。そして仏壇を見ることはできても仏壇に手は触れていません。そのお経の本の置いてある台の引き出しを開けてください」

「お、お前は!」


 逆上しているこの姿が母親の性根なんだろうね。

 あの女性の言った通りだ。


 だから許さない。


「引き出しを開けて」


 辛いけれど僕は彼女に頼んだ。彼女は何度も母親の鬼面を見ては俯いていたけれども、手首だけで小箱の引き出しを開けた。


 写真が裏返しに入っている。

 僕はマジック・ショウの演出を彼女に指示する。


「誰の写真かも分かってる。僕に表を見せずに書いてあることをココロの中で読んで」


 彼女は読んだ。


 言葉を発しそうになるのを、いつものいじめに耐えるのと同じようにして堪えて飲み込み、見る見る涙目になった。


「言うよ。『地獄に堕ちろ』」


 彼女は、写真を畳に下ろすようにして表面に返す。


 写真は鴨居にかかった姑のそれと同じ笑顔のものだった。


 そして、赤いボールペンで、もちろん母親の筆跡で、書かれてあった。


 地獄に堕ちろ


「きゃあお!」


 母親は女だけど、14歳の僕よりも背が高く、逆上によってアドレナリンが放出されているのだろう、抗えない力で僕の首を絞めにかかった。


「やめて!」


 彼女が叫んで、母親の背中を叩く。


 最初は手のひらで。

 でも僕を絞めることを辞めないので彼女は拳を使った。


 ほんとうは頭を殴れば母親は即座に怯むだろうけど、それができないのだろう。


 おそらく、背中であろうとも彼女が人を殴ったのは人生で母親が初めてだろう。


 最初の殺人が親殺しだったという犯罪者の話は時折聞くが、彼女は母親を殺さずに、拳で背を根気よく叩き続けて、とうとう母親が苦痛に耐え切れずに僕の首を解放した。


「お、えぇぇぇ・・・」


 呻く僕と、そして彼女とに母親が叫んだ。


「お前に何が分かる!お前にも!」


 彼女がカウンターで母親に返す。


「知ってるよ!そんなの知ってる!おばあちゃんは厳しいお姑さんだった。でも、わたしのおばあちゃん!」

「お前はわたしとあの鬼婆のどっちの味方なんだ!」

「どっちの味方でも無いよ!ふたりとも消えてよっ!」

「お母さん」


 今となっては首を絞められた僕しか場を仕切ることができない。

 僕はあの『事実』と『原因』を冷徹に告げた女性の言葉通りに母親に話す。


「二択です。位牌を元の位置に戻して写真を供養するか、そのままにしておいて彼女がいじめ殺されるまで放っておくか」

「わたしは!わたしはどうなる!この子が救われたとしてわたしは!」

「やってみないと分かりません。僕が言えるのはこの明らかすぎるぐらい明らかな事実だけです。後はお母さんがやるかやらないかだけです」

「お母さん」


 彼女は、母親に、慈悲の目を向けた。


「わたしはお母さんに地獄に堕ちて欲しくない。おばあちゃんも・・・もし今地獄にいるのなら、地獄から掬い上げられて欲しい」


 母親は行動した。


 仏壇の中の両手を広げるぐらいの範疇でのたったそれだけの行動が、宇宙に探査機を飛ばすことなどよりも遥かに実効力を持つ。


『公立中学でクラスター発生。唾液の飛沫から集団感染したものと見られる』


 いじめに加担していた誰かが既に根絶されたはずの太古のウイルスの宿主だった。


 浅ましいショウを浅知恵でくだらぬ似非えせエンターテイメントのように繰り返し円陣を組んでいた同級たちの7割が重症化して感染から3日の内に死亡した。


「死にたい気持ちはまだある?」

「ううん。今はないよ」


 彼女が言う『今』が僕は怖い。


 でも、僕を安堵させるためにかこう言ってくれた。


「一度でいいから朝までぐっすり眠ってみたかった」


 おやすみ。












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