第9話 江口孝也(3)
それからドラッグストアを訪れようとしたのは1週間後だった。仕事が忙しかったというのもさることながら、自分の中で気持ちを整理するのに時間を要した。それが本当の理由だった。
今日はあの出来事から翌週の金曜日。裕二に会って次の約束を取り付けるつもりだった。だけどもしも今日裕二の予定が空いていたら、そのままご飯に行けるかな。そんな想像をして、少しだけ頬がゆるむ。
「いやそもそも、今日はシフトじゃないかもしれないからな、期待するな。そうだ。その時は仕事仲間の人に裕二のシフトを聞かなくちゃな」
俺はドラッグストアの前に立ち止まり、深呼吸をした。それから、意を決してあのドラッグストアへと足を踏み入れた。
開いた扉の先で、すぐに見覚えのある店員と目が合った。
「あ、水間さん、こんばんは。今日って裕二いますか? ……あれ、水間さん?」
水間さんは眉間に皺を寄せて、俺の元へと近づいてくる。その眼光は以前会った時とは全く異なっていて、鋭く見えた。
その強い足音から、まるで敵意を向けられているかのようだった。
「……何しました?」
「え?」
「サトさんに何したんですか?」
突然の目の前の男の剣幕に呆気にとられる。
————何をした?
一体、俺が裕二に何をしたというのだろうか。
すると俺の様子を見て水間くんは心当たりがないと察したようだった。先週会った時と同じ人当たりの良い笑顔を浮かべる。先ほどまでの顔が嘘のような、見事な切り替えだった。
今、壁を貼られた。瞬時にそう思った。
「そうですか。別に何もないなら良いんですよ」
「あ、はい。えっと……今日は、裕二はいないのかな」
しかし水間くんは、俺の問いに応えているのか応えていないのか「そうですねえ」と、ニコニコとしている。俺も笑みを浮かべるが、正直この空気をどう取り扱っていいのかわからなくなっていた。
その時、幸か不幸か遠くで女性店員が駆け寄ってくるのが見えた。水間くんはそれを見ると小さく舌打ちをした。見間違いだと思いたい。
「あの! こんにちは! もしかして……佐藤さんですか? 今日はいないですよ。ていうか」
「重野ちゃん」
女性店員の言動を、水間くんが鋭い一声で遮る。
「なんですかー? 水間さん」
「えっと……裕二の奴がどうかした?」
すると水間くんは、今度は俺にも聞こえるように大きくため息を吐いた。それから張り付けた笑顔を一瞬で捨て去ると「まあいいですけど」と急に面倒くさくなったように、ぶっきらぼうに言い放った。
「サトさん、ここの仕事辞めるんですよ。実家に帰るらしいっすよ」
「……え?」
*
気づけば裕二の家の方向へ走り出していた。
————仕事を辞める?
————実家へ帰る?
頭に浮かぶ疑問は、浮かんでは消えて、浮かんではまた消えて。
わかることは、『裕二が再び、俺の前から姿を消そうとしている』、それだけだった。
一週間前に訪れた裕二の自宅の場所は覚えていた。マンションの自動ドアを抜けて、おそるおそる部屋の番号を押す。インターホンの鳴る音だけが、エントランスに反響した。
「どこに行っちゃったんだ……」
それから俺は耐えられなくなって、すぐにマンションを飛び出す。
裕二が行きそうな場所に心当たりは————ない。探す宛なんてないのに、近所を走り回る。今の裕二の事なんて俺は何も知らない。走れば足が空回りそうになって、粗くなった呼吸は白い息を吐いた。息がうまくできなかった。
見つかるはずなんてないのに、それからあちこちを走り回る。俺は近所の公園に入ると、足を少し休めようとベンチへと座った。
ベッドで眠っていた時の裕二の顔が浮かぶ。
————また、会えなくなる?
そうなったら、俺は。
もう後悔したくないんだ。
「孝也……?」
その時、遠くで声が聞こえた気がしたんだ。
真っ白な原稿用紙と君 ウミガメ @umigame_23
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。真っ白な原稿用紙と君の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます