Epilogue

 イルカもどきの潜水艇は速かった。

 陸路の半分ほどの時間で、ベッドのある放棄区画にたどり着いた。岸壁に這い登るのはちょっと骨が折れたが、なんとか海に落ちずに陸地に上がった。

 ケリーを引っ張り上げると、潜水艇は勝手に海に潜っていった。潜水待機モードというのがあるらしい。

「こういうのを買うやつってのは、金持ちか、犯罪者か、金持ちの犯罪者のどれかだからね」

 ケリーがそう説明してくれた。

 潜水艇は頃合いを見計らって売り払う事に決めて、あたしたちは一度ベッドに戻り、ソファとビーチチェアに倒れ込んで眠った。時間としてはほんの少しだったのに、クタクタだった。

 夜明けごろに、ルーシーが戻ってきた。バックパックに酒瓶を差し込み、もう一本を片手に持っていた。見慣れない煙管を口に咥えている。

 ルーシーのことだからあまり心配はしていなかったが、一応、大丈夫だった?と声をかけたら、何が?、という顔をされた。マサカドの話を振ると、

「いい奴だったよ」

 という返事が返ってきて、あたしはケリーと顔を見合わせた。

 ルーシーはすでに相当酒の匂いをさせていたが、外見は普段と全く変わらない。その上でさらに、打ち上げだ、といって酒瓶をどんとテーブルに置いた。他にすることもないので、あたしらはとりあえず飲む事に決めた。



 数日間ベッドに身を隠して、ほとぼりの冷めるのを待つあいだに、街はちょっとした騒ぎになっていた。

 戦術チームの突入はあっけなく終わり、SOCの秘密施設は白日の元にさらされた。百名を超える被害者が救出され、シェルターに隠れていた施設要員も逮捕された。調査が進むにつれ、施設で「処理」された被害者は五十人を超えるだろうということが判明した。

 スキャンダルは、凄まじい勢いで燃え広がった。

 市警がその捜査に利用していた企業が、虐殺と言っていい規模の犯罪に関わっていたという事実は、連日にわたって報道された。

 イナモリ長官の釈明が毎日のようにモニタを流れたが、これを好機とばかりに乗り込んできた検察が長官とSOCの癒着を暴くに至って、ついに辞任ということになった。とりあえず副長官が業務を代行して、事件の究明につとめる、という発表が出た。高齢だが叩き上げの副長官は、市警でも人望の厚い人物だ。署の連中は喜んでるだろう。あたしはふと、サカベさんの事を思い出した。

 市警も戦術チームも、あたしらのことはおくびにも出さなかった。情報を掴んだのはすでに死んだ内部告発者と、その告発を極秘に調査していた担当捜査官の功績、ということになっていた。その担当捜査官がロニとモートンだったのには笑ってしまったが…口を滑らせそうになるモートンと、それを肘でつつくロニの姿をモニタで眺めて、それでもあたしは安心した。

 SOCは崩壊した。警察に封鎖され、マスコミのカメラに包囲された社屋はしばらく沈黙していたが、事件から一週間ほどして、事業の継続が困難になったとして、社の解散を発表した。社長のツェンはまず贈収賄で逮捕され、その後あの施設に関しても責任を問わ れている。

 SOCとナガヤマ&スタンリー法律事務所の関係についても、明らかになった。予想通り、あの法律事務所はSOCの裏稼業を一手に請け負っていた。いくつかの犯罪組織との繋がりが判明し、こちらも事務所は解散。逮捕されなかった連中も散り散りになった。

 ただ、あのササキだけは、本格的な聴取が始まる直前に殺された。留置所から移送される際、車に乗り込むわずかな時間の犯行だった。

 遠距離から放たれた二本の矢が、一本は心臓を貫き、もう一本は眉間に突き刺さったのだという。市警にとってはタナボタのような今回の事件で、これは唯一の汚点になった。

 ルーシーにコメントを求めたが、面倒くさそうにふーん、と言うだけだった。

 ケリーの端末でそんな街の様子を読み取りながら、あたしらはしばらく潜伏生活を続けた。手持ちが怪しくなってきたので、闇マーケットでルーシーのダイヤを換金するハメにもなった。ルーシーは別段惜しいとも思っていないようで、換金したその足で酒とつまみを買い込み上機嫌だった。一応、そのうち返すつもりで借用書を書いた。千切ったメモにボールペンで書いただけだけど。

 ケリーは様子を見ながら、スクールの方に指示を出して復帰に備えた。急な潜伏で色々不都合が出ているらしく、難しい顔で直結していた。まあ、あいつのことだからどうにかするだろう。

 だらけた潜伏生活を続け、そろそろウェスト周りが不安になってきた頃、ドニーが連絡をくれた。

『一杯奢るから、そろそろ出てこい』

 私物の端末に連絡してきたということは、通信を追われる心配も無くなったということだろう。ケリーも「そろそろ大丈夫だと思う」と言っていたことだし、あたしらはようやく、日の当たるところに戻る事にした。



 ドアベルの音を聞きながら店に入ると、見知った顔とピンクの義手が目に入った。

8マイル・モートはそろそろ混み始める時間で、すでに何組かの客がテーブルやカウンターに陣取っていた。あたしはカウンターの奥に空きを見つけて、そこに座る。

 モンドはあたしの顔を見て片眉を上げて見せたが、それ以外は普段と変わらず接してくれた。マイの方はそうはいかず、ひさしぶり、どうしてたの、大変だったって聞いたけど、と質問攻めにされ、あたしは苦笑いで誤魔化すしかなかった。

「ドニーから、面倒ごとだって話は聞いてたが」

マイを優しく諌めるように、モンドが言った。

「まあ、もう済んだなら良かったよ。どうやら五体満足みたいだしな」

「おかげさまで」

 マイはまだ不満そうだったが、他の客に呼ばれて駆けていった。

 一杯目のロックに口をつけると、マイと入れ替わるように、ドニーが店に入ってきた。にやりと頰傷を歪めて、あたしの隣に座る。

「よう」

「ん」

 当然のように出てきたジントニックを呷り、満足げに息をつく。

「お疲れさん。たいした騒ぎだったな、今回は」

「まあね」

「一人か?」

「世の中、すすんで警官に会いに来るような物好きばかりじゃないって事」

 ドニーはさも可笑しそうに笑った。

 ケリーは潜伏期間に溜まった仕事を片付けるのに大わらわだったし、ルーシーはふらりとどこかにいったと思えば、いつの間にかあたしの部屋で寝ていたりと、居場所が一定しなかった。

「会ってみたかったがな」

「冗談。厄介ごとに巻き込まれるよ」

「お前が言うか、それを」

 空にしたグラスをモンドに差し出して、いつもより高い酒を注文する。ドニーは眉を顰めたが、文句は言わなかった。

「…何かわかったか」

 しばらく酒を味わうのに集中していたら、ドニーがちょっと声を落として聞いてきた。

「なんの話?」

「チェルシーの事だよ」

 ああ…と声が出た。そういえば、前来た時にそんな話をしたっけ。

「言いたかないなら、別にいいが」

 そう言ってグラスの氷を揺らす。それを横目に見て、あたしはちょっと考えて、口を開く。

「『自律・連帯・秩序』」

 あたしがそう呟くと、ドニーが間の抜けた顔をした。

「戦術チームのスローガンだよね。詰所の受付にかかってる。ああいうのがあると、やっぱり違うもんなの?」

「…解釈は人によりけりだろうが、価値基準の土台にはなる」

 訝しげな顔をしながらも、ドニーは答えてくれた。

「チームワークが命の仕事じゃ、そこが共通してなきゃ互いに命を預けられん」

「個人的なこと、でもそうだと思う?恋人とか、家族とか」

「なんの話だ?」

 今度はドニーの方が聞く番だった。ちょっと可笑しくて、あたしは笑う。

「自分と似てるから好きになるのか、自分と違うから好きになるのか。どっちだろうね」

 ああ、とドニーが言って、自分の顔に手をやった。最近分かったが、ドニーは何かを考える時、頰傷を撫でる癖がある。

「…それこそ、人によりけりだな」

「そうだね」

 二杯目を受け取ったドニーが、グラスを手に取ったまま続けた。

「なんにせよ、この世に同じ人間なんて居やしないんだ。似てるところや違うところがあるからって失望するのは、身勝手ってもんじゃないか」

「さすが、上に立つ人はいいこと言うね」

 そういってドニーの肩を叩いた。ドニーはあからさまに嫌な顔をする。

「…耳が痛いよ」

 グラスの氷が溶けるのを、なんとなく眺める。しばらくお互い会話が途切れた。モンドがオーダーを捌き、グラスを磨く音。店内のざわめき。

 ドニーが、ジャケットの胸ポケットから何か取り出し、差し出した。小さな紙切れで、住所が書いてある。

「なに?」

「礼だよ。個人的な」

「お礼されるようなことしたっけ?」

 むしろいいように振り回してしまったような気がするのだが。

「ウチの大隊長はイナモリ長官と対立してた。戦術チームの独立性を守るためにも、今回の件は有益だったのさ」

 そういってグラスを傾け、続ける。

「とはいえ、お前さんがたの名前は大っぴらにはできない。だからこれは、俺からの個人的な礼だ」

「それで、なに?住所?」

「チェルシーの墓だよ」

 一瞬、息が詰まるような感じがした。

 墓。そりゃそうだ。あたりまえだ。だけど。

「あいつの事件だったんだろ。だったら報告が必要だ。そうだろ」

 手の中の紙切れをじっと見る。内地の住所だ。遺体を引き取りに来たという義父と母親の菩提だろう。

「そうだね」

 紙片をポケットにねじ込んで、スツールを降りる。

「また来てくれ」

 モンドの言葉にうなずいて、ドアに向かう。心配そうにもう帰るの?と聞いてくるマイには、なんとか笑顔を返せた。

「なあ」

 ドアに手をかけた時に、ドニーが声をかけた。

「お前らはいいコンビだったよ。あいつによろしく言ってくれ」

 あたしは振り返らずに聞いて、店を出た。



 墓参りに行けたのは、結局それから半月ほど経ってからだった。

 事件の後始末は色々と面倒だった。逃走に使ったイルカの潜水艇をヤミで売り払い、路駐で引っ張られたバイクを取り戻すのに罰金を取られ(盗まれなかっただけマシだ)、密輸屋からパクった武器類を海に沈めに行ったりした。

 ようやくそのへんの始末も終わり、日常が戻ってきたというところで、ルーシーがいなくなった。

 いつもどこかをフラフラしていたからさして気にもとめなかったが、ある日あたしが部屋に戻ると、傷だらけのマチェットを重しにして、メモが一枚置いてあった。

『そろそろ仕事に戻る。なんかあったらまた連絡して』

 それだけだった。

 数日後に、一度だけ端末にメールがあった。文章はなく、画像だけ。リゾート地みたいに綺麗な浜辺。だが突き出した桟橋には、機関銃を何丁も積んだ黒塗りのボートが係留されている。海賊の用心棒でもしているのだろうか。手に持ったまま撮ったのか、ぼんやりと写り込んでいるのはあの煙管だろう。

 ルーシーとは、今の所それっきりだ。

 ケリーは仕事に戻った。スクールの方は好調らしく、第二教室を開くという話も出ているそうだ。フリーになってから、顔を合わせる機会は増えた。もっとも、酒を飲むくらいしかしていないけれど。

 そんなこんなで、足を踏み出す機会を逃し続けていたのだけど、ある朝ふと思い立って行くことに決めた。住所の紙はジャケットのポケットに入れっぱなしだった。

 バイクに跨り、北へ向かう。

 ニューアイランズと内地を結ぶ唯一の橋、ミラージュブリッジを走りながら、ふとあの曲を思い出す。休暇。旅行。チェルシーが好きだと言った歌詞。

 スピードを上げる。

 渋滞に捕まることもなかったので、一時間ちょっとで目的地に着いた。海をのぞむ丘の中腹だ。

 白壁の教会が建っているのを見て、少し驚いた。父親が日本人だというから、てっきり寺だと思っていた。両親ともにクリスチャンだったのだろうか。

 白い十字架が立ち並ぶ墓地を、ゆっくりと歩く。所々に花束があり、まれに人とすれ違った。静かで、遠くに波の音が聞こえる。海の向こうには摩天楼が霞んでいる。あの騒々しい混沌の街が、ここからはおぼろげな幻のように見えた。蜃気楼ってのはこんな感じだろうか。

 目的地に着いた。

 二つ並んだ十字架。真新しい方にはChelsea Yanakaの名前。その隣にあるものには、Kouji Yanakaと彫られていた。

 母親の最後の愛情だろうか。それとも、縁を切った義理の娘を同じ墓に入れたくない義父の見栄か。前者であってほしいと思う。

 新しい墓の前に立つ。

 なにか持ってくるべきかとも思ったが、何も思いつかなかった。花も、他のなにかも、ふさわしくないように思えた。結局手ぶらだ。

「…宿題、おわったよ」

 そう口に出した。

「ほんとは、一緒にやりたかった。あんたとだったら、戦争でも何でもやれた。ほんとだよ?」

 波の音。空は曇っている。

「でも、あんたにとっては、あれはそうじゃなかったんだよね。あれはあんただけのものだったんだ。心の要塞」

 神殿だっけ?ケリーが言ってた。

 あたしは何を言ってるんだろう。告白?恨み言?なんでもいい。墓とか神様とか、こういう時のためにあるんだろう。

「あんたの全部がわからなくても、あんたが好きだよ」

 そう言うと、不意に視界が滲んだ。

 自分でも不思議なくらい、涙が止まらなかった。緑の芝生に雫が溢れるのを見ながら、ふと気づく。

(あいつが死んで、それで泣くのは初めてだな)

 他人事みたいにそう思いながら、あたしは泣き続けた。

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アルチェ・サンクタム メランコリー・ディテクティブ 浦河蟋蟀 @Grille

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