Dialog:決戦④

「わざわざ、私の口から説明するとでもお思いですか」

 手を頭の後ろで組んだまま、ササキは言い放った。ジェニーは鼻で笑う。

「おおかた、あの機械に繋がれた連中の具合でも見にきたんだろう。機材のアフターサービスかい?」

 ササキは答えない。ジェニーの顔と、壁に埋まった非常扉を交互に見る。

「ヤクザまがいの会社使って、あの可哀想な連中を集めたのもあんた達だろ?ここにいるのが何よりの証拠だ。法と暴力が社会の両輪か。ご立派なこったな」

「…あなたの望みはなんです」

 苦りきった声で、ササキが言った。

「こんな事をしても一銭の得にもならないでしょう」

「あんたの知ったこっちゃないね」

「仇討ちですか?」

 ジェニーの顔から表情が消えた。

「…聞かないでいてやるつもりだったんだけど」

「チェルシー・ヤナカの仇を討とうというなら、あなたはすでにそれを達していますよ。彼女を殺したのは、そこで伸びているハン君ですから」

 ジェニーは、自分の髪が逆立つのを感じる。引き金にかけた指が震え、それを止めようとグリップを握り込む。

「お察しでしょうが、警察が捕らえたのはただのチンピラですよ。擬似記憶を植え付けましてね。ここで使われている技術の応用です」

 倒れ込んだ自分のボディガードをちらりと見て、続ける。

「このハン君もそうです。情動の抑制と、命令への従順化。素晴らしい技術ですよ。実の父親が提唱した理論で殺されたのですから、親の因果が子に報い、というやつですねえ」

 ジェニーは目を見開く。ササキがわざとらしく、おや、と声を上げた。

「ご存知ありませんでしたか?彼女の父親、コウジ・ヤナカは電脳医療の分野ではそこそこ名が知れている人物ですよ。もっともこの理論は、ながらく封印されていたようですが。調査の詰めが甘かったのではないですか?あれだけの経費を請求しておいて」

 そうだ、とジェニーの頭の中で誰かが囁く。

 チェルシーの調査資料を見たとき、引用していた論文の著者が書かれていなかった事を見落とした。いや、見落とした事にしていた。

 わかっていた。それがチェルシーの『一線』だ。相棒が、愛した女が、最後まで自分に明かそうとしなかった、心の要塞線だ。

「…あたしとしてはさ」

 声が震えるのを何とか隠しながら、ジェニーは言った。

「ここであんたを蜂の巣にしても、一向に構わないんだよね」

「それは困りますね」

 ササキが後ずさった。わずかに腰を落とし、叫ぶ。

「ハン君!」

 横たわっていた大男が、ばね仕掛けのように跳ね起きた。右手に大型の拳銃。ほとんど一挙動で狙いをつけ、発砲する。

 反射的に身をかわすが、一瞬遅れた。弾丸はジェニーのカービンの弾倉を貫く。5.56㎜弾が、砕かれた鉄片と共にばらばらと床に撒き散らされる。

 薬室に残った最後の一発を、大男に向けて撃ち込む。胸に当たり、態勢が崩れる。だが、それだけだ。

 カービンを放り捨て、逃げる。

「殺しなさい!この施設にいる私以外の人間、全員です!」

 ササキの怒号を背中で聞きながら、ジェニーは廊下の角に張り付く。拳銃を引き抜き半身を乗り出して撃ち込んだ。

 大男、ハンはボクサーのように顔の前に腕をかざす。10mm口径弾が巨体を叩くが、わずかによろめくだけでまるで意に介さない。防弾装備だとしても異常な耐久力だ。

「全身(フル)サイボーグかよ…!」

 ジェニーが忌々しげに吐き捨てた。

 脳と脊椎の一部以外を残して、全身を機械化した人間だ。高強度チタンの骨格に、内臓を守る皮下装甲。防弾装備と合わせれば、ライフル弾が止められたのも納得がいく。

 ミラーグラスがこちらを向き、銃口がそれに従う。あわてて顔を引っ込めた所に、大口径の拳銃弾が殺到する。壁が抉られ、破片が飛ぶ。

 ジェニーは奥へ走る。警備兵達が積み上げていたバリケードの陰に飛び込み、身を縮めた。数発の弾丸が障害物を叩き、耳障りな音を立てる。

 連射が止んだ。

 ジェニーは床を転がり、バリケードの下から拳銃を構える。

 ハンは銃の弾倉を交換している。スライドが戻り、今まさに狙いを付け直そうとしている。だがジェニーが一瞬早かった。

 思考トリガー。右目の視界が拡大する。

 マリネロ・ファミリーとの銃撃戦で右目を失った時、直結義眼の無料オプションで付いてきた機能だった。ほとんど使う機会もなく、存在すらも忘れかけていたが、こんな所で思い出すとは。

 伏せ撃ちの態勢で、立て続けにトリガーを引く。狙いは手元、敵の銃だ。

 大型の拳銃が、ハンの指数本と一緒に後方に吹き飛んだ。

 ハンは自分の右手を一瞥する。止血機構が働き、血はすぐに止まる。ミラーグラスでよくわからないが、表情ひとつ変えた様子はない。バリケードに向き直ったかと思うと、猛然と走り込んできた。

 ジェニーはあわてて立ち上がると、背後に銃弾を撃ち込みながら後退する。ハンが凄まじい音とともに、血に染まった腕でバリケードを薙ぎ払った。椅子や机が壁に叩きつけられ、粉砕される。

 全身サイボーグの筋力は、それだけで容易に人体を破壊できる。また強化チタンの骨格、特に頭蓋骨は強靭に作られ、拳銃弾などものともしない。頭を狙って吹き飛ばすというのも不可能だ。眼球に当てれば殺せるが、それを許すような相手ではないだろう。

 手詰まりだ。

 絶望的な気分で最後の角に飛び込む。視線の先に、なにか赤いものが揺れた。

 ケリーがいた。

 端末に繋いだケーブルを引きずりながら、手招きしている。

(死ぬ前に見る幻覚じゃないだろうな)

 そう訝りながら、旧友の元に走る。足元に黒いテープが貼られているのに気づいた。

「なんか策があるんでしょうね!?」

 ジェニーが悲鳴に近い声で尋ねる。ケリーの声も、負けず劣らず切羽詰まっていた。

「あの線で化物の足を止めろ!」

「何秒!?」

「五秒だ!」

 ジェニーは拳銃の弾倉を入れ替える。ハンが角を曲がって現れ、こちらを睨んだ。腕で顔を覆い、駆けてくる。

 床の線をまたぐ直前、ジェニーは膝を狙って撃った。

 浮かせた膝を撃たれ、ハンの巨体がたたらを踏む。そこを狙って、ジェニーは夢中で引き金を引いた。

 見えないボクサーと打ち合うように、ハンの巨体が押し止められる。膝と上体に交互に打ち込まれる弾丸が、動きを封じていた。

 ケリーが端末を操作する。

「弾が切れる!」

 ジェニーが叫ぶ。

 最後の一発が、ハンの左膝を弾いた。皮膚が裂け、血にぬらついたチタンの骨格がわずかに見えている。ぐらついた体を支え直し、ミラーグラスが二人を映した。

「そこまでだ、バケモノ」

 ケリーが低く呟いた。

 突然、頭上で何かが弾ける音がした。

 ハンのちょうど頭上から、巨大な壁が、ギロチンのような勢いで落下した。胸の悪くなるような音とともに、ハンの巨体が押しつぶされる。

 呆気にとられているジェニーの前で、床に押しつぶされた大男はそれでも起き上がろうと、もがくように腕をばたつかせた。だが厚さ二十センチはあろうかという隔壁は、さすがに全身サイボーグの怪力でも跳ね除けることは出来なかった。

「…なにこれ」

「災害時用の防火隔壁」

 首筋のジャックからケーブルを引き抜きながら、ケリーが答えた。

「上の扉を開けたのと同じ要領。上手く行ってよかったよ」

 ジェニーは壁に背中を預け、大きくため息を付いた。しばらく空中を見据えていたが、やがてケリーに手を伸ばした。 予備として持たせていたソウドオフショットガンを受け取る。

「…あんたを許すつもりはまったく無いけど」

 ショットガンのボルトを引いて、ハンの顔に狙いをつける。

 ミラーグラスが砕け、片方の目が覗いていた。顔全体を見ると、想像よりずっと若いようだった。その目には何の表情もない。

「まあ、次はもっとツキがあるといいね」

 至近距離で撃たれたサボ・スラッグが、チタンの頭蓋骨を貫き、砕いた。



 刀とマチェットの切っ先が触れ、火花が弾けた。

 何度目かの打ち合いを経て、二人は再び距離を取る。ルーシーはわずかに呼吸が早くなっているが、マサカドの方に変化はない。

 ルーシーは柄を両手で支え、マチェットを前に突き出すように構える。マサカドは切先を地面近くに下ろした構えだ。そのまま数秒、睨み合う。

 その表情が、急に変わった。

 二人同時に、空を見上げる。こちらに近づいてくる重い音。二つの光点が、急速にこちらに向かって来ていた。

「戦術チームのヘリだね」

「ふむ」

 ルーシーが唐突にマチェットを下ろす。マサカドは怪訝な顔をした。

「あー、悪いんだけどさ」

 ルーシーはバツの悪そうな、申し訳無さそうな顔になる。

「戦術チームが到着するまでここで暴れろ、ってのがあたしの仕事だったんだ。だから…」

 眉をひそめて聞いているマサカドに向かって、ルーシーは肩をすくめた。

「だから、連中が来たってことは、あたしの仕事は終わりなわけ」

「…そうか」

 マサカドは妙な顔でそう言った。まるで友達に、もう帰らなきゃ、と言われた子供のような顔だった。

「そうか」

「連中と顔を合わせると、色々めんどくさいんだ。だからあたしとしては、ここらでお開きにしなきゃいけないんだよ。それに連中が来たってことは、あんたの雇い主もケツに火がついてるところだと思うよ」

 マサカドが構えを解いた。右手に刀をぶら下げ、刻々と近づいていくる空の光点を眺める。

「彼奴らを全員斬れば、続きは出来るか」

「ちょっと勘弁してほしいな。あいつらも、あたしらの計画のうちでね」

 マサカドは空を見上げたまま、そうか、とつぶやいた。

「花に嵐の喩えもあるぞ、か」

 視線を下ろし、うつむくと、大きく息をついた。そのまま優美な動作で、刀を鞘に収める。

 ルーシーの方も、マチェットを肩の鞘に戻した。

「またやれるか」

「都合が合えばね。あんただって、見境なしに人斬りやってる訳じゃないんでしょ」

「まあな」

 マサカドの視線が海の方を向く。つられて、ルーシーもそちらを見る。湾の内側の街明かりが見え、その先は夜空と海が一体となった闇だ。

「あんた、傭兵でもやらない?その腕なら引く手あまただよ」

「…あの不味い飯を出す店が、どうもこの街にしか無いようでな」

「ああ…」

 たしかに、これほどの強化人間を維持できるような特殊栄養剤は、この街でしか流通しないだろう。

 マサカドはしばらく海を眺めていたが、やがて懐からなにか取り出すと、ルーシーに向けてそれを放った。

 銀の煙管と、美しい刺繍が施された煙草入れだった。

「くれてやる。すこしは良いものの味を覚えることだ」

 そう言って弓と矢筒を拾い上げると、突堤の方へ歩いてゆく。ルーシーは無言でそれを見送った。

 海風が変わり、くすぶる煙がマサカドの姿を包む。それが晴れた時、彼の姿はもうどこにもなかった。



 延々と続く階段を、ササキは息を喘がせながら登り続けた。

 ハンに皆殺しを命じたあと、彼は一人で非常階段に飛び込み、扉を締めた。サイボーグのボディガードが、あのイカれた女を八つ裂きにしてくれるだろう。万が一返り討ちにあったとしても構わない。要は、脱出するまでの時間を稼いでくれればそれで良いのだ。

とにかく施設の外に出て、市警のイナモリ長官に保護を求めなければ。警察は彼が抑え込んでくれるだろうが、マスコミ対策も必要だ。SOCはこれまで以上に我々の力を必要とするだろう。忙しくなるぞ…

 ぜいぜいと肩で息をしながら、ササキはそれでも笑った。

 ようやく、頭上に非常階段の終点が見えた。力を振り絞って登りきり、機械式の錠に暗証番号を打ち込む。重い扉を肩で押し開けた。

 だだっ広い空間。等間隔に並んだ高輝度LEDの照明が辺りを照らしている。右手には外部から施設を隔てるシャッター。左手には、大型エレベーターのゲートが屹立している。

しばらく息を整えてから、ササキはまず、ゲートの脇に並べられた警備部隊用の車両に近寄った。

 傭兵企業のロゴがプリントされたバンだ。背広の内ポケットを叩き、社用車のマスタースマートキーが入っているのを確かめる。

 バンまで数歩の距離でドアロックが外れ、ヘッドライトが自動的に点灯した。それを確認して頷くと、今度はシャッターの方を見る。

 バスや重機が搬入可能な巨大なシャッターは、今はしっかりと閉ざされている。エレベーターの制御を奪われていたことからも考えて、おそらくあの女以外にも協力者が、おそらくハッカーがいたのだろう。ササキは苦々しげに顔を歪める。

 どこかに、緊急時用の手動開閉装置があったはずだ。そう思い出して、壁際を調べながら歩きだす。

 足の痛みにうんざりし始めた頃、ササキは向こう側の壁に、それらしい装置を見つけ出した。苛立たしげに息をつき、広大なホールを横切る。

 真ん中少し手前に差し掛かった辺りで、爆発が起きた。

 耳をつんざく、甲高い破裂音。ササキは慌ててしゃがみ込み、飛んできた破片をやりすごした。同様の爆発が、立て続けに二度目、三度目、と響き渡る。

 呆気にとられたササキの目の前で、シャーッターに開いた穴から白い装甲スーツの集団がなだれ込んできた。最初の一人が飛び込んで前転し、周囲にライフルを構えて警戒する。それに守られながら、重い靴音を天井に響かせて、戦術チームは素早く散開した。

 腰を抜かしたまま愕然と目を見開くササキは、あっという間に包囲された。

 装甲スーツの一人が進み出て、フルフェイスのヘッドギアを脱いだ。指揮官らしい浅黒い肌と頬傷の男が、にやにやとこちらを眺めていた。

「すいませぇん。ちょっとお時間よろしいですかあ?」



 部屋を照らし出していた無味乾燥な白色光が、唐突に消えた。

 一瞬の暗闇の後、非常用の赤色灯がおぼつかない明かりを灯す。それに呼応するように、部屋を埋め尽くす黒い拘束椅子から数度の警告音が鳴り、やがて沈黙した。

 もがき苦しみ、あるいはぐったりと椅子に体を預けていた人々が、唐突に訪れた闇と静寂に戸惑い、ヘッドギアに覆われた目を左右にさまよわせた。

 その中のひとり、先程まで狂ったように叫び続けていた男が、息を喘がせながら頭を振った。そして訝しむ。

 止まった。

 先程までの苦痛が、自分の意識を誰かに無理やり操られるような恐怖が、嘘のように過ぎ去っていた。

 しばらく、再び戻ってくるのではないかという恐れに身をすくめていたが、どうやらその気配はない。男はゆっくりと顔を上げ、辺りを見た。拘束されている腕が無意識に動く。

 かちゃり、と音がして、電子錠があっけなく外れた。

 唖然として自分の手を見る。そして、同じ様に足を踏み出す。やはり拘束は外れた。裸足のまま、冷たい床に降りる。

 ヘッドギアに手をやり、首筋のジャックに差し込まれたケーブルを掴む。しばらく躊躇したが、一思いに引き抜いた。

 何も起こらない。

 ケーブルとヘッドギアを床に落とす。

「…おい、聞こえるか?」

 男はかすれ声でつぶやいた。

 周囲の何人かが、うめき声とも取れぬ返事を返す。

 何が起こったのかもわからず呆然としていると、突然、非常用スピーカーからひび割れた声が響き渡った。

『聞こえるか?あんたたちは自由だ』

 全員が、突然の大音量に身をすくませる。どうやら女らしい声の主は、殆ど事務的と言っていい口調で話し続けた。

『ドアから廊下に出て、非常階段を登れば外に出られる。動けない奴は無理しなくていい。すぐ警察が来て保護してくれる。クソッタレの拷問は終わりだ。どこへでも帰れ』

 そこまで言ってから、ケリーはマイクのスイッチを切った。そのまま直結した端末に向き直り、証拠隠滅の作業を続ける。

 薄暗い制御室で、ジェニーは正面の大窓から下を見ている。不安げにあたりを見回す者。衰弱してケーブルを引き抜けずにいる者と、それを助ける者。体力に自信のある何人かが、廊下を走り出ていくのも見えた。警察と関わりたくない事情のある連中だろう。

「すぐ戦術チームが降りてくる。あたしらもさっさと逃げないと」

 ケリーの声に顔を上げて、頷く。

「…なに、その顔。不満でもあるの」

「ん、いや」

 ジェニーは帽子を脱いで、髪をかきあげた。小さく息をつき、ちらりと窓の方を振り返る。

「…もっと気分が晴れるかと思ってたんだけど」

「感傷に浸るのは早いぞ」

 端末からケーブルを引き抜いたケリーがぴしゃりと言う。

「戦術チームと鉢合わせしたら、連中、立場上はあたしらを逮捕しなきゃならん。ダチに面倒かけたくなかったら、早いとこ逃げるんだよ」

「はいはい」

 端末類を放り込んだバッグを揺すり上げ、ケリーは歩きだす。ジェニーもその後に続く。

 ケリーは制御室の脇にある扉を開いた。奥はすぐに下りの階段だ。急ぎ足でそれを降りる。踊り場を六つほど折り返した所で、ふたたび扉。そのまま中に入る。

 潮の香りが鼻をついた。

 コンクリート打ちっぱなしの広い部屋は、半分が水に浸かっていた。小さな船着き場のようになっており、なにか滑らかな灰色をしたものが係留されている。

「イルカ?」

「当たらずとも遠からずだね」

 話しながら、それに近づく。

「レジャー向けの一人用潜水艇。筋駆動で音がしないし、操縦も簡単」

「すごいじゃん。高価そう」

「内地の保養施設の備品ってことで経費が落ちてた。実際の運用は、ご覧の通りってこと」

 ケリーは桟橋から手を伸ばし、灰色の背中に埋め込まれたパネルに触れた。伸縮アンテナのようなものが伸び、先端の蓋が開く。直結ジャックだ。

 ケーブルを繋いだケリーが、しばらく半眼で宙を睨む。空気の漏れるような音がして灰色の背中が開き、高級車を思わせるベージュの操縦席が現れた。

「乗って」

「じゃ、お先に」

 ジェニーが桟橋から恐る恐る足を伸ばす。何らかのスラスター機構があるのか、水に浮かんだイルカの船は思ったより安定していた。

 どうにかシートに腰を落ち着けたところで、もう一艘のハッチが開く音がした。

「オッケー。ハッチは手動で閉じればいいから。潜るよ」

「アイ、アイ」

 開いたハッチの取っ手を掴んで、閉じる。一瞬暗くなったシートが、すぐに全周映像に切り替わる。バイクに良く似たコンソールレバーをつかみ、身体を前に倒す。

 人工筋肉が躍動し、巨大な尾びれが水を掻いた。想像以上の勢いで、船体は水に潜っていく。

「こりゃいいや」

『ルート情報送るから、それに沿って泳いで』

 ケリーの通信が響き、全周映像に光点の線が現れる。それに船首を向けて、速度を上げた。

 施設の水路はすぐに終わり、海に出た。暗闇のはずの水中は、各種センサーの複合視覚で補強され、投棄されたドラム缶や車などが鮮明に見て取れる。大量の人骨、などが見えてしまうのを予期していたが、幸いにもそれらしいものはない。考えてみれば、あの大型破砕機に放り込まれたら肉も骨も区別できはしないだろう。しばらく魚を食べる気はしないな、とジェニーは思う。

 しばらく泳いでから浮上し、潜望鏡を覗いてみた。

 宝石を撒き散らしたような夜景。角度と倍率を調整して、施設の方に視点を動かす。

戦術チームの装甲車とパトカーが、赤いランプを煌々と照らしてひしめき合っていた。煙が見えないところを見ると、ルーシーが焼いた車はもう消火されたらしい。

潜水艇の中は、音までは伝わらない。

しばらくその光景を眺めていたが、ケリーに促されて、ジェニーは再び暗い水底に潜り込んだ。

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