とある男の述懐
――どうして俺の手から離れていくんだ!
タクシーの車輪が高速を駆けていく最中、客の男は拳を作って汗を握った。手には『アイスベリーさいたま新都心』の半券が握られている。もぬけの殻になった妹の部屋で、唯一残っていた物だった。
そんなことはさせない、と、走馬灯のように思いは走り去っていく。
――小学三年生、何人もの男が妹を囲い、俺が助けだした。
――小学五年生、赤組が負けたという戦犯を擦り付けようとしたから、分け入って殴ってやった。
――中学一年生、けらけらと嘲笑った女友達を探し出して脅迫してやった。
――中学三年生、受験生の妹を邪魔しようと画策し、攫われそうになったところをコテンパンにやっつけてやった。
だが、それでも彼女の心は自分から離れていく。いつしか自分のことを頼らなくなっていく。一番近い場所にいるのに、根拠なき不安が押し寄せてくる。離れていくような気がして、肌に
どうして不安に思えるのか?――それは唯一血が繋がった家族だから。
どうして助けたのか?――それはあなたが大事だから。
どうして離れたくないのか?――それは……と気づいたときにはもう、禁断の境界線を跨いでしまっていた。
妹の服は破け、俺のものだという刻印を刻み込んでしまっていた。
それからだ、加速度的に彼女の心がすり抜けるようになったのは。
どうしてあのとき、そんなことをしてしまった?――覚えてない、とは言い切れない。だが、あのとき鼻を擽った臭いは中毒性があって、唯一の家族を穢してしまった罪悪感より背徳感の方が勝ってしまったのは明瞭に把握できた。傷つけた妹を見て、果ててしまっていたのだ。
それからあの日、GPS探知で新たな巣を見つけて彼女の顔を見るに、また暴走してしまったのだ。
――すぐに開く玄関ドア。
――チェーンもしない。一人暮らしなのに警戒しないで暮らしているのか?
――俺が犯罪者だったらどうなってた?
――犯してやる。二度とこんなことが起こらないように。
足を突っ込んで身体をねじ込む。脱がし、叫び声をあげる彼女は別の苗字に助けを求めていた。独占欲を掻き立てられ、服を破いて彼女の下着を口元に突っ込む。押し倒してマーキングした。逃げ出すようにその場を後にすると押し寄せる罪悪感の渦――謝らなければならない。
だからこそ、この車には頑張ってもらわなければ……だが、天罰は待ってくれなかった。
天を切り裂く強烈な音、そしてびりびりと肌を刺激する衝撃波、殺意。窓の向こう側を見た。
「……『蝋燭の塔』だ」
これで八本目だ。前回から三日空けての凶行。それをまざまざと目の当たりにした客。運転手も呆然とする。
先端からきりきりと燃えゆく現実。悪夢に染まりゆく車内。
「またですか。でも今回は大丈夫でしょう。あのタワーは老朽化で三日後に解体されるはずだったんですからね」
まあ、今日がその最終日に当たるわけですが……と付け加え、ハンドルから手を放す。渋滞に絡まり、車の足は完全に止まったのだ。
――間に合わなかった。
あの『蝋燭の塔』と守り続けてきた最愛の人の肢体と重ね合わせ、がくりと頭を下げた。白から赤、そして黒へ……。
ああ、そういうことか。
渋滞に巻き込まれたタクシーを止め、高速道路の上でズボンを掴み、落涙する客はどうしようもない事実に陥落する。
ああ、あの焔が消えゆく時にはもう――あなたのいない世界。≪完≫
ろうそくの塔 ライ月 @laiduki_13475
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