ろうそくの塔
ライ月
ろうそくの塔
「クリスマスに何が欲しい?」
少し襟足の長い彼氏が冗談げにいった。呆れた声が返ってくる。
「あのねぇ、シュン。それって、当日に言うこと?」
「冗談だって、ちゃんと用意してるよ。ほら、もう着いた。『新帝都中央タワー』」
ショートカットの彼女は頭上を見上げた。イルミネーションで燦然と輝くその姿は『白のろうそく』のよう。前髪の中の眉を寄せる。
「あー、はいはい、これまた定番だね。夜景を一望できる展望台って……ねぇ、ちゃんとデートプラン考えてきてくれた? 誰かのをそのまま使いまわしてそうだけど」
これでプレゼントがなかったら――という不満が滲んだ目線を送る。
彼氏が恋人つなぎの手を振った。
「定番で悪かったな。嫌ならもう帰っていいぞ。俺一人で行くから」
「むう……いつも通り奢ってくれるんなら、行く。終電近いし」
まだ九時半になったばかりだ。見え透いた照れ隠しに男の口から小言が漏れる。
「――ったく相変わらず素直じゃねぇ奴……わかったわかった、ほら行くぞ」
「ねぇ、ちゃんと聞いたからね――」
彼女をエスコートするように手を繋いで、また若い男女が一階に吸い込まれた。彼らはこれからチケットを買い、地表から二百メートルほど高い場所で笑いあって夜景を鎹に愛情を確かめあう。
そして、余韻なくすぐさま降りてどこかのベッドに直行――夜通し汗をかくのだ。
だが、その微笑ましい光景を、憎しみのほむらを燃やして睨みつける一人の男がいた。
(くだらな……)
男は他の若いカップルとは違い、一人でここに来ていた。
定番のデートスポットといえど、男一人でここを待ち合わせにするには場違いで、それは叶わない夢である。今年も独り身だからだ。
だから彼は独りで、ここへ――それも別の目的で来たのだ。
男はポケットからスマホを取り出し、タワーに
次いで画面をフリックし、左からタイマーを引きずりだした。既に秒数は減っていて、まだ三分ほど残っている。
その間動画アプリを起動し、辺り一面にひしめいた“哀れなる男女の群衆”を写し取った。舌打ちを一回。
もう三十秒経てば午後十時になる。
十時になればタワー中央にあるの電光掲示板に、クリスマス限定のイルミネーション――桜吹雪が付加されるだろう。
目の前に巣くっているカップルたちはそれだけを観に、身体を震わせながら待っていたのだ。
終ぞ秒数はカウントダウン段階となった。十、九、八――と、皆が一斉に声をあげている最中、男はスマホをタワーの方へ向け、コホンと喉の調子を整えてから宣言した。
「燃え上がれ、『
――零。タイマーも零が並んだ。瞬刻、塔は変貌した。
時空を切り裂く爆音とともに、タワーの先端が燃え上がった。展望台付近の高さで、その姿はちょうどマッチ棒で火を灯した蝋燭の先端。
群衆は悲鳴が相次ぐが、歓声の方が圧倒的に上だ。これもまた、壮大な演出なのだと思い込んだのだろう。
だからこそ、男は追い打ちをかける。嗤った。
左側のポケットに忍ばせてあった棒状の何かを掴み、親指を押し込んだ。スイッチを押す。
直後タワーの中腹で爆発が起き、夜空でも判る赤黒い焔が舌を出した。ペロリと塔をひとなめした後、余韻もなくぽっきりと折れた。崩れ落ちるろうそくから逃げるカップルたち――
(これだ! 俺が求めていたのは、これなんだ!)
直後、幸福の地表は混迷の
☆ 2)
……えー、速報です。
また『蝋燭の塔』の餌食になってしまいました。
今日の午前八時頃、埼玉県○○市内にある『さいたまスカイベリー』の展望デッキが燃え上がり、一時騒然としております。三時間後に消し止められましたが、重軽傷が出ています……、出火元は男性トイレの天井裏に仕掛けられた時限爆弾で……
十二月二十六日土曜日朝。点けっぱなしのテレビから彼の業績が垂れ流される。
柿の種を放り込み、彼は思わずほくそ笑んでしまう。
これで『三本目』。連日タワーを燃やしているせいか、マスコミどもはコロナに飽きたように叫び散らかしている。
(これでいい、これでいいんだよ。まだまだ燃やしてやるんだからな)
クリスマスと年末、どちらも自粛が叫ばれる中、それでも外出したい輩に天罰が下りた。ネット世論をエゴサーチすると、付和雷同にそのような称賛の嵐が吹き荒れる。いい気分だ。
それを肴に、冷えたビール瓶を持ってお早い祝杯をしようと冷蔵庫を開けた。リビングに座ろうとした矢先、呼び鈴が鳴った。
「んだよ、空気読めねぇな」
ひとり身なので、当然予定はない。
勧誘か?
新聞か?
警察――ていう可能性もあるか。
どちらにしても追い払うだけだ。
ドアチェーンをして乱雑にドアを開けると隙間越しに黒髪ロングの紺の制服が現れる。見たこともない女性だった。
「安藤さんですよね。わたし、隣に引っ越してきた入野といいます」
若い女性ははっきりと、よろしくお願いします、といって礼儀正しく頭を下げる。反射的に彼も会釈。
このご時世なのにマスクもつけてなく、清純そうな香りのする笑顔を見せてビニール袋を渡してきた。覗くと市販の洗剤ボトル、しかも液体のものだった。
☆ 3)
それからというもの、彼女――入野アイには事あるごとに会うことになった。
五本目を設置し終えた帰り道、電車の中で偶然会った彼女。
男の腰元くらいしかない身長にすらりとした身体に、服装からして高校生だろうか。土地勘のない彼にはよく解らなかったが、手に持った参考書の分厚さから進学に力を入れている学校だと推察する。
六本目の視察に行こうとした朝、正月休みの巣ごもりの準備なのか、ひよこ柄のエコバックを肩に下げた彼女。
今日は一段と寒い朝だというのに、私服姿のアイは一段と美しく感じられた。
赤のダッフルコートに薄い青のスカートがよく似合っている。太ももの白さが眩しかった。
だが、所詮隣人。連絡先を交換するまで至らず、交流はまったくなし。
(まあ、このご時世だしなぁ)
彼が諦観気味になっていた――とある悲劇が起きようとは、微塵も思っていなかったのだ。
喫茶店から帰った時、異変に気付いた。隣の部屋の玄関が空けっぱなしになっていたのだ。
(もう引っ越しか?)
まだ一週間も経っていないにもかかわらず、一期一会を噛みしめる男。
少し寂し気な気分になり、通過する際少し中を盗み見。すると――、
(あれ?)
異変に気付いた。
間取り的には奥にリビングがあって、窓から差し込む光に満たされているはずだ。しかしそこは暗くなっていて、カーテンが閉め切られている。どこか部屋全体が、重い雰囲気で支配されている。
それに声が微かに聞こえる。これは、女性のすすり泣き……彼女か?
男は悪いと思って靴を脱ぎ、忍び足で廊下を進む。
彼女の性格――内心思っていた――とは裏腹に、雑然とした段ボールが所狭しに置いてある。
日付を見ると今日のものではなく、一週間前だった。どの箱も彼女が彼にお裾分けのボトルをあげた日で止まっていたのだ。
雑貨類や服なども、まだ明けられてない。台所もきれいなままだ。
すすり泣く居住者の行方を捜し、左側の部屋を見ると段ボールタワーの影に潜む彼女がいた。ひっく、ひっく、と嗚咽を漏らし、顔にシーツを持っていっている。両足を折りたたみ、ベッドで丸くなるように横になっていた。彼女は裸だった。
「……入野さん」
男がそう呼びかける。彼女はタオルを取り外し、顔を晒した。涙の筋が腫れぼったい。
男女の無言が通り過ぎる。彼女の身体から発する視覚的情報量があまりにも多すぎる。色香を取り除こうと努め、周囲を眺めた。
まるで強盗後の銀行現場の悲惨さだった。
近くには冬用の制服が床に捨てられてあり、ブレザーは引き裂かれてゴミ箱行きだ。
ベッドの脇に散らばる彼女の下着がぞんざいな感じに投げられ、手に取るとしめっぽい。彼女と誰かの臭い――男臭い、汗の臭いが染みついている。
「安藤さん……」
名前を呼んで男の袖を掴んだ。
行かないで、独りにしないで――そう言いたげに。
片手で少しだけのぞかせるその煽情的な姿に我慢ならない。
彼女の陰部周辺はポインセチアよりもひどい赤で痛々しい。スパンキングプレイでもそこまで赤くなるものだろうか、と疑問を呈してしまうくらいだ。
白く透き通るような肌の上で長い針を縦横無尽に暴れまわった折檻の数々。キス跡ではない。所々が
真っ赤に染め上げた中心部から粘り気のある白い液がだらりと垂れ、それを嫌がる目線を送った。
「
その一言でタガが外れ、男は華奢な彼女を押し倒す。
少し小ぶりな桃色の斑点をこねるだけで彼女は感じ出し、甘い声を出す。甲高い声の身元に鋭く挿れ、逆に欲を吐き出した。
☆ 4)
「わたしの兄は、元は面倒見の良い人だったんです」
数年前に逃げられた元カノの置き土産をひっさげ、彼女に渡す。パキッという音と共に、プラスチックから二錠取り出してピルを飲ませた。
「小さい頃は心強い味方でした。面倒見も良くて、正義感もある。そしてとびきり優しかった。
お父さんが交通事故で死んだあと、お母さんは夜逃げ同然で遁走しました。わたしたちを捨てたと判ったのは、怖い人たちが門戸を叩いたとき。わたしたちを身代わりにして……それでも、それでも兄は……わたしの味方でした」
「“でした”ってことは、そいつから逃げてきたってわけだな」
こくり、と頷く。それは突然だったらしい。
親切だった兄が、妹の身体を求めるようになった。
毎晩毎夜、身体を求めて奉仕させられる。理由なき苦痛を嫌がり、避妊すらしない二週間。
徐々にエスカレートしていく兄は、陰部を手で
「隙を見て、引っ越しました。兄は大学生で、最近は卒論で忙しかったはずです。ですが、それでも、見つけられてしまいました。そして、わたしを……」
彼女の手が顔を覆う。嗚咽がぶり返した。抱きしめると華奢な身体から悲愴な鼓動が伝わっていく。
そのままの姿勢で三十分ほど経過した。大粒の涙が、彼の身体に飛び移り、汗と混じり滴る。シーツに染みを作って、ゆっくりと面を上げた。
「安藤さん……」
指先を男の頬に這わせ、見つめたまま傷ついた天女は甘言を発する。
「わたしは、悪い人です。だから、もっと……罰して、お兄ちゃん」
「俺はお兄ちゃんじゃない」
男は辛うじて
「今日だけでいいんです。罰してください、叩いてください、吐き出してください。飲ませてください。その方が――」
一呼吸置く。
「その方が、お兄ちゃんの
風呂場で二回戦に突入し、ベッドに戻ってさらに愛した。
愛ある律動に屈し、甲高く喘いでいる彼女の顔はどこか吹っ切れたような顔を時折見せる。
乱暴に犯された悪夢の時とは違う、気遣いも持ち合わせた白濁色の液体を受けたとき、彼女は抱きしめながら口づけを交わした。安心しきった笑みを浮かべ、男の鼓動を聞きながら寝息を立て始めた。今夜は安心して眠ることが出来るようだ。
深夜、起こさないように後始末をする男の脳裏には、ある仮説を構築させていた。
☆ 5)
年の瀬を迎え、一日遅めの大掃除をしていると、突然玄関から呼び鈴が鳴った。警察だろうか。
「ったく、こんな忙しい日に……」
つまみを捻るや否や、相手は思いっきりドアを開こうとした。防犯のための、ドアチェーンすら引き裂こうとするくらいの力で。
「アイをどうした」
第一声がそれだった。しらばっくれてみる。
「アイ?」
「とぼけるな! 俺のアイをどこに隠した!」
前髪をいじって彼は答える。
「ああ、アイさんとは隣人の入野アイさんのことですかねぇ。それで、どうして俺に――」
「お前らが付き合っていたことはもう知ってる。だが、手を引け」
鬼気迫る顔を見て、笑ってしまった。
「何がおかしい!」
「ああ、なるほどなるほど。あなたはあの『ヒステリー女』の元彼さんってわけか」
相手の眉がぴくりと動く。
逆なでする言葉をわざと選んでいる甲斐がある。ほくそ笑む感情を表に出さないよう、我慢するのは難しいものだと感じながら。
「ヒステリー女?」
「ああ、言い得て妙、だろ? 手首もひどかったぜ。十回以上もリスカ跡があったし、ちょっと頭を撫でただけで、『わたしは、わたしは』って泣きついてきやがったからな。あれは確実に地雷女だよ」
呆然としているなか、攻撃の手を緩めない。
「たしかに俺は隣の部屋に入って“喰おう”としたことがあったさ。
夜中なのによ、無防備にも鍵がかかってなかったんでな。だが、いざ本番ってときに萎えてよ、叫び散らかして、さらにはスパンキング跡が酷くって。だから捨てちまったよ、昨日の今日にな。それで――」
『アレ』ってわけ――と、彼は隣室を指差した。
殺人者の形相も、つられて動く。もぬけの殻の隣室を。
「……行方は」
感情を殺した声質に、飄々と呟く犯罪者。
「行方?――けっ。ヒステリー女の最後なんざぁ決まってんだろ。
大体相場は『飛び降りじさ――」
言い終わるうちにドアの隙間から腕が伸び、腹にヒット。ボディブローをまともに喰らった彼は低いうめき声をあげ、膝をつく。
「アイに何かあったらお前も道連れにしてやるからな。覚えとけよ」
暴力男は捨て台詞を残して隙間にねじ込んだ足をどけた。冷徹な目線を最後に、彼の目の前から消えていく。
階下で停められたタクシーに乗り込み、離れていく気配を感じ取って、腹を押さえたまま彼は言った。
「あれが兄か?」
「……うん」
クローゼットに匿われていた彼女が答える。顔は見えないが、身体は震えて蒼白気味だろう。
「もういないから、出てきていい」
おずおずといった風で、ドアを開けた。彼は窓を見下ろして、すれ違いさまに引っ越しトラックが来たことを確認する。一息つく。
「間一髪だったな」
「ねぇ、シュン」
首をかしげる彼。
「さっき言ったこと、ほんとのこと?」
「……地雷男にかける言葉なんて、ウソで十分さ」
引っ越し作業を終え、二人は彼の車に乗り込んで郊外に向かった。左手には今日行く予定だったタワー『アイスベリーさいたま新都心』が見える。
「行きたかった?」
半券のないペアチケットを持って、後部座席に見せる。
「今日はそういう気分じゃない。それにタワーなんて世の中にいっぱいあるもの」
「でも、今日が最終日だよ。それでも」
「今は話しかけないで」
そっぽを向いて、車窓を眺めた。
「夜になったら、多分戻るから……」
おそらく彼女は密かに信じていたのだろう。
彼が……兄が、自分を探しに来てくれた。家出同然の妹を救おうとしてくれた
あれだけ信頼してきた兄の変貌に、終ぞ興ざめてしまったのだ。
(これからする俺の行為も、やるだけ無駄か?)
自問自答してみた。止める理由が彼女以外に思いつかなかった。
(まあ、前回から三日も空けてるし、そろそろ限界かな)
通り過ぎる『八本目』に、彼女のスマホはそれに翳した。パシャリとシャッター音が鳴り、一枚保存する姿を見て、彼女に声をかける。
「縛り付ける方法はたくさんあったのに、どうしてそっちに行ったんだろうな」
彼女が無言で頷くのを見て、彼も応える必要のない質問をチケットとともに窓から投げ捨てた。代わりにポケットに忍ばせた棒状のスイッチを押し込む――これで最後だ。
かちっ。
――誰かの絶望とともに、その塔はゆっくり点火された。
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