妹という死ねない枷

@seitakakkei

プロローグ

中村直人(なおと)、それは地獄の戦争の中で生き残った日本兵士の名前だ。

家には妻の仁美(ひとみ)と娘の花蓮(かれん)を残してきている。


ー1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をした。

やっと戦争が終わった・・・、この時の直人(なおと)にはその気持ちしかなかった。


俺はもう銃を持ち、いつ死ぬかもわからない場所に居なくていい。

そして、何よりも愛する妻と六歳になる可愛い娘に会えるのだと・・・。


ーだが、二人が住んでいるだろう広島県にアメリカ軍が落とした原子爆弾が直撃し、甚大な被害が発生しているらしい。

直人には夢と思いたいほどの非情な現実が待ち受けていた。


ー直人は何度も神に二人の無事を祈っていた。

きっと復員した俺を迎えてくれる、杞憂だと不安な自分に言い聞かせる。

「大丈夫、きっと大丈夫・・・」

声に出すことで少しでも不安をかき消そうとする。


ーしかし、神は、世界は、運命は、直人いう一人の人間に対して余りにも残酷だった。


復員した直人を出迎えたのは、顔にやけどを負い、枝のような手足にまでやせ細った娘だった。

娘は直人を見つけるな否や大声で泣き、鼻水を垂らしながら抱き着いた。


「良かった、本当に良かった。」


直人は娘を抱きしめ、体温を肌に感じることで、愛しの娘が生きていることを実感する。

地面を濡らしていた大粒の涙も少なくなっていることから、娘も落ち着いてきたように見える。


「・・・あれ?」


直人は妻がいないことに気づく。

いくら周りを見渡しても妻、仁美(ひとみ)の姿が見えない。


ーとたん、直人の体中から汗が噴き出した。

考えたくもない最悪な結論が、頭の中からとめどなく溢れてくる。


「か、花蓮(かれん)? お母さんは?」


直人の声が情けないほどに震える。


すると、花蓮は


「あ、れ・・・、おか・・・さん?」


花蓮の様子がおかしい。

何かやばいと直人の直感は叫んでいた。


「そうだ・・・お母さんはドロドロになって死んだんだ」


冷たい、感情にこもっていない声で花蓮は思い出したように言う。


「お母さん! お母さん! お母さん・・・」


途端に花蓮は塞ぎこむように地面にうずくまり、ひたすらにお母さんと叫び続ける。


直人は、仁美が亡くなったという事実を花蓮の口から聞き、花蓮は壊れたかのようにお母さんと連呼している現状を理解することを脳が拒むように、何も考えることが出来ない。

だが、今すべきことは娘のことだとはわかり、直人は再度花蓮を抱きしめた。


「大丈夫・・・お父さんがついてるから。」


この言葉が今の花蓮の心を癒すことが出来るのか、それは直人には分からなかった・・・。


ーそれからの一年間、花蓮は謎の症状に苦しんだ。

花蓮は髪が抜け、紫の斑点が現れてきたが、直人は勿論、医者でさえも確かな原因がわからなかった。

直人は、どんどん弱っていく花蓮に何もしてやれない不甲斐なさを感じていた。


そしてついに花蓮は、直人の目の前で吐血して死んでしまった・・・。


「ははは・・・」


直人は花蓮の冷たくなった体を抱きながら自嘲するように笑った。

仁美を亡くした今、生きるための心の支えだった花蓮も天国へ行ってしまった。


生きるための心の支えを無くした、直人の精神状態は崩壊し、頭の中は二人に会いたい・・・それだけだった。

天国にいるであろう二人に会うための方法は、直人には一つしか思いつかなかった。

だが、人を殺めた自分は天国に行けるのだろうか、直人は思慮を巡らすがすぐに不毛だということに気づきやめた・・・。


それに・・・も何も考えたくなかった。


直人は花蓮の遺体を埋葬したあと、死人のような蒼白な顔で縄を用意し、逡巡することなく首を吊った。

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