第39話

――三ケ月後



「おはよう!」


 ライラは階段を駆け下りて食堂フロアに続く扉を開けながら大きな声で挨拶した。


「おはよう。今日もずいぶんと寝坊だね」


「マスターが無茶ぶりばっかりするからよ。昨日なんて依頼が終わったときには日付が変わっていたわ」


 呆れた顔をするルーディに、ライラは唇を尖らせる。

 マスターはライラが冒険者として活動を再開してから、事あるごとに呼び出してはこき使ってくる。

 早くランクを上げるために依頼をまわしてくれているらしいが、マスターからすればライラは都合の良い駒だというのはわかっている。

 実力が約束されている上、新人のような安い価格で依頼を受けてくれるのだから使わない手はないのだろう。

 ランクが上がるまでの辛抱だというのはわかるが、それにしても人使いが荒い。


「わあ、今日もおいしそう。いただきます!」


 ライラがカウンターの席に着くと、ジークが朝食を用意してくれた。

 ライラは手を合わせてジークに向かってウィンクをすると、食事に手をつける。


「そんなに慌てて食べるとまた吐くよ。子供じゃないのだから落ち着いて食べなって」


 慌てて料理を口に押し込むライラにルーディが注意をしてくる。


「今日も引き続きこき使われる予定なの。だから早く行かなきゃなのよね」


「だったら寝坊しなきゃいいだろうに」


「それは努力するわ。それじゃ、いってきます!」


 ライラは朝食を食べ終えると、食器を流しに下げて店を飛び出した。

 街の通りを走っていると、行く先に見覚えのある大小二つの背中を見つける。

 ライラはこっそりと二人の背後に忍び寄ると声をかけた。


「おはよう。朝から二人でお出かけなんていいわね」


 とつぜん背後から声をかけられた二人が慌ててライラを振り返る。


「ライラお姉ちゃん! おはよ、じゃなくて……えっと、ごきげんようライラお姉さま」


 アヤはライラの姿を見ると、それまで掴んでいたトゥールの手を離してこちらに飛びついてきた。

 しかし、すぐにはっとした顔をしてライラから離れる。

 アヤは顔を引き締めてすまし顔をすると、スカートの裾を掴んで丁寧にお辞儀をしてきた。

 最近のアヤはお嬢様ごっこがお好きらしい。

 どうやら初めて会ったときのライラの態度に影響を受けたらしいのだ。


「おう、おはようさん。そろそろ飽きねえのかねえ、この遊び」


「まあ、遊びだなんて失礼ですわよ」


 ライラがそう言ってくすくす笑うと、トゥールは困惑した顔をする。


「ふふふ。ではそろそろ失礼させて頂きますわね」


 ライラは二人に手を振って別れた。

 




「おっそい! 何やってたんだよ」


 冒険者組合に着くと、ロビーでイルシアに文句を言われる。


「約束した時間には間に合っているからいいでしょ」


 ライラは壁にかけられた時計を見ながら答えた。

 約束した時間は十時だ。時計の針は現在十時一分を指している。


「間に合ってねえんだよ! 見てみろ、一分過ぎてるだろ」


「そんなことはないわ。私がロビーに着いたときには十時だった。……たぶんね」


 ライラの返答にイルシアはぎゃあぎゃあとわめき立てる。

 そんな彼を放置して、ライラはファルに声をかけた。


「おはようファルちゃん。今日もよろしくね」


「はい、よろしくお願いします」


 ファルが敬礼をしながら笑って答える。

 ライラはファルと連れ立って冒険者組合のロビーを出る。


「あ、おい待てって! 置いていくなよ」


 まだ文句を言っていたイルシアが不機嫌そうにしながら慌ててついてくる。


「そうだファルちゃん。今日の依頼が終わったあとでいいのだけど、防具の調整をお願いできるかしら?」


「はい、もちろんです。何か気になることがありますか?」


 ライラは腰回りに手をあてながら身体を動かしてファルに訴えかける。


「なんだか全体的にきつくなってきちゃったのよ。ほら、最初に詰めてもらったじゃない? 元に戻して欲しいなって」


「了解です。最近のライラさんは元気になってきて、私はすごく嬉しいです」


「ああ、ライラって太ったよな」


 イルシアがライラの姿をじろじろと眺めながらそう言ったので、ファルは持っている杖で彼の頭を叩きつけた。


「言い方が悪いよ! なんでイルっていつもそうなのかな」


「そうっすよイルシア君。姉さんは健康的になっただけっすからね。最近は顔色も良いし美しさに磨きがかかりました。それになにより、肉付きのせいか色気まで出てきて最高じゃないですか!」


 憤慨しているファルに加勢するように、ひとりの男が姿を現した。


「あらま、ハチ君じゃない。こんなところにどうしたの?」


 ライラは内心の腹立たしさを隠し、八番の男の額をつつきながら問いかける。


「だからハチじゃないっす! 痛い、痛いです。え、えっと、今朝マスターに頼まれたんですよ。今日は姉さんたちを手伝えって」


 八番の男はライラの対応にはすっかり慣れたもので、額をつつかれてもへらへらと笑っている。

 彼はライラが「ハチ君」と呼び続けた結果、すっかり皆からハチと呼ばれるようになっていた。


 そんなハチの後ろには、ライラと一緒に冒険者登録試験に合格した同期の冒険者たちが三名ほどいる。

 その姿を見てライラは誰にも聞こえないような小声でマスターに悪態をついた。


「あいつ、子守りを押し付けたわね」


 ライラを含め、試験の同期合格者が冒険者となって三ケ月が過ぎた。

 この三ケ月という期間は大きな意味を持つ。

 試験に合格したばかりのころは、誰もが緊張感をもって自分に合う依頼を慎重に選ぶ。

 しかし、三ケ月も経つとちょうど冒険者生活に慣れ始めて油断をする時期なのだ。

 多くの若者が身の竹に合わない依頼を引き受けて痛い目に合う。


「……まあ、痛い目に合うだけならいいけど、命を落とされたらたまったものじゃないものね」


 ライラは今日の依頼に対して胸躍らせている様子の同期たちを見て心の中で溜め息をついた。

 マスターが、試験を開催するのだって経費がかかるのだから簡単にいなくなってもらっちゃ困る、などと文句を垂れていたことを思い出す。


 ライラはイルシアとファルを自分の元へ呼び寄せて二人の肩に腕を伸ばした。

 ハチら同期たちには聞こえないように二人に声をかける。


「今日の我々の任務は、依頼を引き受けるというのは時に命の危険が伴うことを奴らに理解させつつ、気持ちよーく依頼を達成させてやること、以上よ」


 イルシアとファルは最初こそ言われていることの意味がわからず戸惑っていたが、すぐに理解をしたのか呆れ顔で頷いた。


「今日の依頼はマスターからのご指名なのにちょっと難易度が低いかなって不思議に思っていたんですよ」


「なんだよ、面倒くせえな」


「こら、そういうこと言わないの。いいわねイル君、ランクを上げるには後輩の指導をすることも大切なのよ」


 ライラは露骨に嫌そうな顔をするイルシアをたしなめながら腕を引っ込めた。


「さて! 今日は我ら三人と諸君らの合同で依頼をこなすことになるわけだが……」


 ライラは同期たちを振り返り、はきはきと声をかける。


 正直にいえば、ライラはイルシアを育てることだけで手一杯だ。

 そもそも自分のことですらおぼつかないのに、他人のことまで気にかけている余裕なんてない。

 だが、こんな日があっても良いかと思うくらいには心にゆとりができたのも事実だ。


「万が一の時のためにそれぞれがどのようなことができるのか、情報を共有しておきましょうか」


 同期たちはライラの言葉を笑いながら聞いている。やはり、冒険者生活に慣れて油断しているのだろう。

 さて、どのくらい痛い目にあってもらおうかと思案しながら、表向きの依頼の話を進めた。



「……おい。悪いことを考えている顔をしていたぞ」


 ライラが話を終えて歩き出したとき、イルシアが顔を歪めて声をかけてきた。

 そんなイルシアの横でファルも苦笑いを浮かべている。


「あらら。どうやって脅かそうかと考えていたら楽しくなっちゃったのよね」


 張り切ってこちらよりも先を歩いている同期たちを眺めながら、ライラは顎に手を当てて笑う。


「あはは、最終的に楽しく依頼を達成できるなら何でもいいんじゃないのかな。それで、私たちはどうしたらいいですか?」


「えっとねー……」


 ファルに問いかけられて、ライラは本当の依頼について説明を始める。


「了解した。それじゃ、俺は先に行ってる」


 ライラが説明を終えると、イルシアは真剣な顔で返事をする。

 それからすぐに前を歩く新米冒険者の元へと駆け付けていった。

 年齢的には自身よりも年上の後輩に、イルシアは積極的に話しかけている。


「ライラさんがこの街にきてくれてよかったです。イルがあんな風に他の人と話すなんて、今まではなかったから」


 ファルは目を細めながら穏やかな顔でイルシアを見つめていた。


「だったら嬉しいわ。私もこの街に来て優しい人たちにたくさん出会えたから。少しでも恩が返せているといいけど……」


 そう言ってライラはファルの顔を覗き見る。


「もちろん、ファルちゃんに会えたこともとっても嬉しい」


「私もライラさんに会えて嬉しいですよ」


 二人で笑い合っていると、先を歩いていたハチから声がかかる。


「姉さーん! 早くしないと置いて行きますよー」


 ハチが陽気に飛び跳ねながら手を振っている。


「はいはい、いま行きますよ! ……せいぜい今の内に楽しんでおきなさい」


「ちょ、ライラさん! 心の声がもれてますからあ」


 王都を出たときにはこんな未来を想像できてはいなかった。

 まだまだ問題は山積みだが、なんとかやっていけそうな気がする。


「さて、さっさと今日のお仕事を終わらせましょうか」

 

「はい!」


 隣のファルが元気よく返事をした。

 ライラは気合いを入れて一歩を踏み出した。




―――――――――――――

2021/01/16

これで終了です。

なんとか、期間内に10万文字公開できました。


お付き合いくださいました皆様ありがとうございました!

―――――――――――――

2021/11/09

誤字脱字・表現などを修正した結果、10万文字切ってしまいました;

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冒険者に復職します。 黒蜜きな粉 @bokkuri8260

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