第8話 明日を生きるための対処法

 魔界最大の要塞、ゴエティア城塞。

 そのさらに最深部にある、中央会議室は、いわば魔界の頭脳。当然、幾重ものセキュリティが施されている。


 そのことごとくを、『顔パス』で突破してきたカズキは、この最後にして最古のセキュリティ――無機質な結界を前に、最大のピンチを迎えていた。



 なんっっっで!!

 出るほうについてるんだよ!!

 普通逆だろ、入れるなよ!!結界ならさぁ!!!



 だれに文句を言っていいかも分からず、涙ながらに虚空に対して無言の突っ込みを入れる。

 その様子を、リリスとシュトリが、不思議そうに見ていた。



 意志を持たぬ結界と、ただの人間。

 ゆがめようのない事実が、今更になって、今頃になって、あまりに大きな壁として立ちはだかっていた。


 時間だけが、虚しく過ぎていった。


 汗が、頬を伝った。



 ……え。


 ちょっとまって。


 本当に、もう何も、思いつかない。



 ここまで来たのに。

 あと少しなのに。


 ここで、終わりなのか。



 カズキは、目の前が真っ暗になった。

 深い絶望を、すぐそこに感じる。



 ――ふと、元の世界のことが、目の前に浮かんだ。


 親。友人。職場の人たち。近場の店員さん。


 そのみんなの、笑顔。



 ああ。


 嫌なこともたくさんあったはずなのに。

 苦しいことだらけだったはずなのに。


 こういう時に浮かんでくるのは、決まっていい思い出ばかりか。



 ここまで来て、諦められるわけがない。


 すべてかきだせ。

 頭の中を、片隅まで、全て。



+++



「ちくしょぉ……こんな世界じゃなきゃ、僕はもっとすごいんだぞぉ……」


 これは、いつの記憶だろう。

 人間界での記憶ではあることは間違いない。


 酔っ払って、電柱にもたれかかっている、自分。

 そして、目の前には――。


「へぇー。じゃぁ、行ってみちゃう?」

「えぇ……?どこにさぁ……」


 彼は、にやりと笑った。


「別の、世界にだよォ。」


 その顔は、よく思い出せない。

 酔っていたせいか、やたらと曖昧だ。


「おぉ、連れてってもらおうじゃぁ無いの!」

「ハハッ、いいねぇ、面白いことになりそうだ。じゃ、そうだな。帰りたくなったら――」


 突然、体が何かに沈むような感覚。

 視界が、黒いものに覆われていく。


「――俺を、探しなよ。」



+++



 なぜ。

 なぜ今まで忘れていたんだろう。


 僕は、誰かにここに連れてこられたのだ。


 しかし、今これを思い出したところで、どうなるのか。

 探せと言われても、ここからできることができないのだから――。



「……まさか。」


 カズキは、はっと顔を上げた。


 彼は言っていた。「面白いことになりそうだ」と。

 そのために、僕を魔界に連れてきたはずだ。


 じゃあ、面白いことってなんだ?


 人間でありながら、上級悪魔に間違えられるとか?

 いや、それどころか、特級悪魔と勘違いされたら?

 いやいや、更にその先、特級会合にまで参加しちゃうなんてどうだ。


 これ以上に面白いことなんてあるか?



 だとしたら。


 見たいんじゃないのか?


 その様子を、可能な限り――近くで。



 カズキは、背後を振り向いた。

 そして、恐る恐る、自分の影に手を伸ばし――。


 触れた。



『ハハッ!大正解だ。』


 頭に聞き覚えのある声が響くと同時に、カズキの体は瞬時に影の中へと沈み込んだ。



+++



 ぼんやりとした暗闇の中、カズキの体は沈み続けていた。

 沈むと表現はしたが、液体ではないようで、呼吸は問題なくできる。

 そして闇に慣れてきた目は、少しずつ、目の前にあるものの輪郭を捕らえ始めていた。



『いやぁ、やるねェ。マジで驚いてる。』


 その影は、拍手をするような仕草をしていた。


『お前は……アモン、だよな。』

『お、正解。よくわかったな~。』


 まだ暗くてぼやけているが、アモンの顔はにやりと笑った。


 なんてこった。

 僕は今まで、本人のすぐ前で、特級悪魔のなりすましをやっていたのか……。


 恥ずかしいやら腹立たしいやら、もうどういう感情を持てばいいのかもよくわからない。

 

 共有したいと思っても、こんな体験をした人が他にいるだろうか。

 いるわけがない。いてたまるか。


『いやーすぐに腰抜かして終わりだと思ってたら、まさかまさか、特級悪魔のフリをして、特級会合に出席……? そんなことあるか!? マジで全員節穴すぎんだろ、ウケる。』


 アモンは腹を抱えて笑い出した。

 笑いすぎて泣いているまである。


『ま、お前の演技は全然俺っぽくなかったけどな。バレなかったのは運だな。』

『いや……そこは正解だったと今まさに確信してるけど……。』


 それはいいとして、と、カズキの突っ込みを軽く流し、アモンは続けた。


『これで少なくとも百年くらいは人間界は安泰だろーな。全く、とんだ救世主がいたもんだ。』

『……お前は……それで良かったのかよ。』


 当然、アモンがこのことをバラせば、会合の決定も無かったことになる。本当に人間界が救えるかは、彼にかかっているといっても過言ではない。


 ……ただ、正直何となく、彼の回答は予想がついていた。



『ハハッ!! 良いに決まってるじゃねーか!』


 アモンは手をたたいて笑った。


『こんな面白い世界トコ、潰すのはもったいなさ過ぎるだろ?これでしばらく侵略で呼びつけられることもねーし、俺はまた好きに遊ばせてもらうぜ。』


 カズキは溜息をついた。

 半分は呆れてだが、もう半分は安堵だった。


 悪魔には非常に気の毒だが、この超不真面目な悪魔の存在は、人類にとっての大きな利益に違いなかった。


『あぁ、そうだそうだ、忘れないうちに。』


 アモンがぐいと顔を近づけてきたと思うと、その顔は瞬く間に、見慣れた顔へと変貌していった。


『しばらくはこの顔、借りるぜ。辻褄合わせなきゃだからなァ。』


 そっくりの顔になったアモンは、カズキの肩をとん、と叩いた。

 少しずつ、アモンの姿が遠ざかっていく。


『じゃな。そっちで会ったら、ヨロシクな~。』


 まさか、その顔で行く気じゃないだろうな――。


 その声が口に出る前に、カズキの意識は急激に薄れていった。



+++



 だんだんと鮮明になっていく意識の中で、カズキぼんやりとあたりを見渡した。


 いつもの風景。

 いつもの建物。

 いつものように、ちらほらと行き交う人々。


 いつもどおりの、朝だった。


 カズキは大きく伸びをして――。


 昨日とは違う一歩を、踏み出した。

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気づいたら魔界にいた普通の人間ですが、すごい悪魔だと勘違いされています。 野良トマト @noratomato

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