第三話 悪鬼となれ

 武器を押収し、捕らえた者たちを一か所に集めた。流暢なウェールズ語でハルは問いかけるが、グリンドゥールの行方は皆知らないという。ハルの後ろで、ビーチャムとスクループは顔を合わせた。


「それどころか会った事すらないって。本当かな?」

「会った事もねぇ奴のために命捧げるって、あり得るか?」

 質問を質問で返されたスクループは少し考える。

「そこまで他人に共鳴したことないから分からないけど。でも思い描いた理想をグリンドゥールが代弁して、自分たちのために叶えてくれるんだと思えれば、あるかもね」

「そうかねぇ。俺はごめんだな。ちゃあんと相手を直視してから選びてぇ」

「若者はさ、未来とか夢を見たいじゃん」

「俺たちも若者だけどな」


 それからスパーが現れたのは、午後になってからだった。ビーチャムもスクループも、スパーとは距離を取るのが自然になっている。先頭で待つのはもちろんハルだ。

「出迎えご苦労サン。グリンドゥールはいなかったんだな?」

「砦内をくまなく探したがいなかった。どうやらこっちの部隊は囮で、本隊はとっくに逃亡してるんだろう」

「ま、それでもアジトを一つ潰したんだから上出来だ」


 スパーはハルが倒した司令官の遺体を足で転がし、しゃがみこんで顔を確認する。

「ヒャハハハハッ! こりゃいいぜ。こいつはディーンだ」

 ディーン。確かグリンドゥールの側近の名前だ。

「生きて捕らえりゃ交渉材料になったが、殺しちまったもんはしょうがねぇなァ」

 ハルは黙る。ビーチャムも同じで、そんな余裕はなかった。しかしハルが捕らえればこの男は捕虜として扱われ、死なずに済んだのかもしれない。


「んで大物は殺しておいて、金にならねえザコは生かしてるってわけか、皇太子サマよ」

 一か所に集められた反乱軍を見渡して、スパーはペッと唾を吐く。

「情報収集のためだ。彼らはグリンドゥールの居場所や他のアジトを知っているかもしれない」

「下っ端が知るかよ。そういうのは普通、一番上の奴に吐かせるんじゃねぇの」

 またもハルが黙ると、スパーは投降した反乱軍の中から三人を選び、連れて来るよう命じた。


「服を全部脱がせてそこの柱に縛りつけろ」

 将校たちが素早く言われた通りにする。それは今朝ニレの木に吊るされた雑兵の姿を思い起こさせ、ハルの背にぞわっと汗が湧く。

「何をする気だ、やめろ!」


「さてさて反乱軍のあなたに質問でーす。グリンドゥール君はどこへ逃げたのかなー?」

 ギラギラした目で、抜き身の小剣を弄ぶ。問われた兵士は英語が分からないらしく、首を振って必死に伝えようとしている。


「英語が分からないのかなー? じゃしょうがないや」

 次の瞬間、スパーの小剣が閃き、床にべちゃっと何かが落ちた。

「ぎゃあああああああああああああああっ!」

 絶叫する男の性器だった。

 ハルの全身の毛が逆立つ。


「なんてことをするんだ! 投降してるんだぞ⁉」

「見せしめに決まってんだろうが。グリンドゥールに従えばこうなる。ウェールズ人には身をもって分からせてやらねぇとなァ」

 ギラついた目でスパーは片眉を上げる。集められた反乱軍に恐怖が爆発し、慈悲を求める声が上がった。


「こんなのは無意味だ。グリンドゥールにとっては痛くもかゆくもない」

「お前の小っさい頭で決めつけんな。せっかくだからお前に公開処刑の仕方を教えてやるよ」

 言いながらスパーは、床に落ちた男の体の一部だったものを靴で踏みつぶす。


「まず金玉だな。次に下っ腹を開けて、内臓を一つずつ取り出す」

 なんの躊躇もなく生きている人間を捌いていく。ドサドサと音を立てて腸が落下して、次に胃が伸びて垂れ下がってきた。それをブチっと小剣で切り離して落としていく。まるで家畜の出産のようだ。


「最後に取り出すのが心臓な。ここまで来りゃ、ほとんど死んでるがな。おーい、目を開けろや。これが何だか分かるか? おィ?」

 意識のあるまま体を切り取られて朦朧と焦点が定まらぬ目が、一瞬だけ何かを認識して光り、そのまま固まった。


 おびただしい量の血とグロテスクな臓物に、ハルは後ずさりする。スパーの事も、変わり果てた姿になったこの男のことも、同じ人間と思えなかった。

「お前もやれよ」


 極めて冷静にスパーは命じる。軍は上官からの命令が絶対で、そんなことは身をもって分かっている。

 ——できない。

 そう言いたいのだが、舌と喉が縛り付けられて動かせない。


「次の奴はお前がやれよ」

 手と膝が震えている。初陣の時でさえ、こんなことはなかった。

「いつかお前の為に何万人もの人間が戦うようになる。そのうち生きて家族の元へ帰れるのは、一体何人だと思う?」


 ランカスター王家への反乱を企てるのは、ウェールズだけではない。他にもスコットランドという強敵がいるし、対岸のフランスとは積年の因縁がある。小さな島国のイングランドなど、いつ侵略され蹂躙されてもおかしくないのだ。より大きな戦を皇太子ハルが指揮する時が、近い将来必ず来る。


「お前が覇道に漕ぎ出す時が来るだろうよ。その時、何万人も死なせておいて、お前は自分だけきれいなままでいるつもりか? 甘んじるんじゃねェよ! 王になるんだろ」

 王になりたいなどこれっぽっちも思っていない。そう言って放り出せればどんなに楽だろうか。それこそ甘えの極みだ。


 スパーの顔は返り血に濡れ、ギラついた瞳がらんらんと光っている。まるで鏡のようで、ハルはそこに自分の姿を見た。

 避けられない。逃げられない。放り出せない。許されない。


「せめて、せめてこんな苦しませるような事はせず……!」

 けれどまだ逃げ道を探している。この言葉すら、殺される人のことを思ってではないのだ。己の保守でしかない。

 スパーは鞘ごと長剣を振りかぶると、ハルのこめかみを思いきり殴りつけた。衝撃にへたり込む。


「お前の態度一つが、イングランドの男たちの人生と命運を決めるのが分からねぇのか⁉ プリンス・オブ・ウェールズはお前なのか、グリンドゥールなのか、両方の国中が見てる。お前こそが命と理想を懸けるに値する存在だと、皆を信じさせてやれよ。夢を見させてやれよ! できねェなら、俺が一遍死なせてやる」


 額から汗のようだがこれは血だ。奥歯を噛みしめると、痛みで真っ赤になった視界の向こうにはビーチャムがいる。スクループも、共に山道を駆け上った仲間たちもだ。心配そうな顔で、どうすることもできずにいる。

 男なら、己が信じるものの為に命を懸けたい。その思いはハルとて同じだ。


 そうか、オレがそんな顔をさせているんだよな。こんな情けないのが皇太子で一生仕えなきゃならないと思ったら、オレだって嫌だな。


「王になるんだろ。怪物になれよ。悪鬼になれよ。でないと次に食われるのは、お前自身だぜ」

 仕方ない、こうするしかないのだと己に言い聞かせたところで、ひたすら空虚だ。怪物になれ。悪鬼になれ。かえってその方が快い。


 皇太子ハルの揺らぎはそのまま、父王の揺らぎにつながる。王が揺らげば、妹たちは見逃されても弟たちの命は今度こそ危うい。

「トマス、ジョン、ハンフリー、モー」

 ランカスター家がイングランドの朝日となるには、止まってはならないのだ。

 

「オレを許すなよ。決して」

 生贄にされた捕虜へ告げる。悪鬼となる、この感触を忘れまい。

 ハルは大きく息を吐いて、小剣を抜いた。

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嵐の王 ーランカスターの朝日 外伝ー 乃木ちひろ @chihircenciel

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