第二話 魔の山

 ウェールズの民の不安、不信、不満を一つの勢力に束ねているのが、グリンドゥールという人物だ。

「プリンス・オブ・ウェールズを名乗って独立国家思想まで打ち立てているときた。お前にとっちゃ親の仇みたいなモンだろ」

 そうスパーに言われたが、生憎ハルにはプリンス・オブ・ウェールズが自分の称号だという自覚が無いに等しいので、そうでもない。


「グリンドゥールの理想に共鳴するウェールズの若者が後を絶たないらしいな」

「そうよ。グリンドゥール本人は戦場にほとんど現れねえってのに、ろくすっぽ戦闘経験もない若者が次々に命を賭していく。思想ってのは怖ろしいよなァ」

 そんな神出鬼没のグリンドゥールには”ウェールズの魔術師”の異名がある。若者の心を掌握する魔術師とは、一体どんな人物なのだろうか。


 昨日の戦で逃げ延びた者がアジトの一つへ向かっているとの情報で、ハルはこれを少数で追撃するようスパーから命じられた。そこにグリンドゥールが潜んでいるかもしれないのだ。

 つかず離れず、三時間ほど馬を走らせると、斥候から報告が入る。


「奴ら、山へと入って行きました。馬では進めません」

「山。こんなところに城砦なんてあったか?」

「いーや、地図には載ってませんね。でもだからこそのアジトなんじゃないスか」


 地図を広げながらハルの隣でくつわを並べる男は、名をビーチャムという。ハルより四歳年長の十八歳で、副官であり飲み仲間だ。いかつい肩幅に戦場でよく通るデカい声で、ビーチャムに鼓舞されて折れかけた心を持ち直したのは、一度や二度ではない。


「そうだな。馬を下りて追うんだ。用心するように」

「はっ」

 斥候が走り去っていく。

 しばらく進むと眼前に現れたのは、標高656フィート(約200メートル)ほどだが、厳めしい様相の山だ。


「ウェールズの魔術師が潜む、さしずめ魔の山ですね」

 ビーチャムと共にハルの右腕を担うこのスクループは、叔父がヨーク大司教というインテリだった。計算が得意で、地図や設計図を描くのもお手のものという多才な男だ。


 山は新緑が芽吹き始めている。木々に花が宿れば、魔の山というには美しいのだろう。

「斥候が戻ってきませんが、どうします?」

「何かあったんだろう。行こう」

 道はほとんど獣道で、馬では進めない。一歩入れば単純な一本道ではあるが、思いのほか急だった。道の先は鬱蒼とした木の陰になり、ここからは見えない。


「ハル王子、あそこに!」

 ビーチャムが指さす先に倒れているのは、斥候の兵士だった。首の後ろに矢が刺さり、既に絶命している。更にその先にももう一名、同じように倒れている。


「傷口の変色から見るに毒矢ですね。二人とも同じように刺さっている。罠にかかったのでしょう」

「罠って、シカ狩りに使うような仕掛けか?」

 ビーチャムの問いにスクループが頷き、何かを拾ってきた。

「ほら、これ。足の高さにこういうテグスを渡しておいて、何も知らぬ敵が触れると矢が放たれるっていう単純な仕掛けだよ」


「単純だからって、侮れねえな。後ろからってのがまたこすいし」

 前列を進む兵が罠にかかっても、犠牲になるのは何も知らぬ後方の兵。これは部隊に混乱と動揺を産むだろう。その隙に一斉に襲い掛かってくるという算段か。


「俺に先頭で行かせてくれよ、ハル王子」

「しかし……、危険だぞ」

「大丈夫ですよハル王子。ビーチャムは命知らずですが、よく気の回る奴です。きっと罠も嗅ぎ取りますよ」

 どこかおっとりしたスクループがビーチャムの肩を組む。


「そうそう。んで、いざって時はお側のコイツが身を盾にしてお守りしますから」

「あのね、いざって時が来ちゃったら、それはビーチャムが死んでるってことだからね。意味分かって言ってんの?」

「るっせえな」

 ツッコまれたビーチャムがスクループの頭をゲンコツでグリグリする。いつもこんな感じで良いコンビなのだ。


 山に入ってわずか45フィート(10数メートル)ほどで二人犠牲になっている。こちらにも覚悟がなければ、城砦にたどり着く前に全滅させられるだろう。

「分かった。頼むぞビーチャム」

 ハルが頷くと、ビーチャムの引きしまった顔が道の上を向く。

 いくつもの罠が仕込まれていると思うと、一本道の形相はまるで違うものになった。足元に周囲に、各々が方々に注意を向け、自ずと進みは亀のようになる。


「うっ」

 だがその時、ハルの前を行く兵士の腕に矢が刺さる。

「敵襲!」

「盾を構えろ!」

 ハルの周りは盾で囲まれ、ドッ!ドッ! と矢が突き刺さる音がする。周囲の木に潜んで狙っているのか。


「何をちんたらしてるんだビーチャムは。早く抜けないと」

 ハルを庇うように上から覆いながら、スクループが前に出ようとする。

「バカヤロウ、待てだ、待て!」

 道の上方からデカい声で一喝したのは、他でもないビーチャムだった。

「待てだって? 犬じゃないんだからさ」

 なんとものん気なスクループの言いぐさに、思わずハルは吹き出してしまう。


「お前ぇら耐えろよ! 矢の向かってくる方向見定めてやり返すんだよ、ホレ。バカてめぇどこ狙ってんだ! でっかく目ぇ開いてよく見やがれ!」

 こちらはおよそ貴族と思えぬ言葉遣いだが、やはりビーチャムの声は戦場でよく通り、皆を鼓舞する力を持っている。


「スクループ、ここはビーチャムの言う通りだよ。襲撃を切り抜けようと闇雲に前進すると、そこには罠が仕掛けられてるはずだ」

「なるほど、それで待てと。この攻撃は次の大きな罠への誘いってことですね」

「相手は矢なんだ。耐えれば必ず尽きる。その間に必ず、ビーチャムが罠を解除する」


 今ごろ盾も護衛もつけず、身一つで脇の茂みや藪の中を捜索し、罠を破壊しているだろう。急襲に多少の焦りと混乱は生じたが、ビーチャムの的確な指示で隊はすぐに落ち着きを取り戻せた。本当に頼りになる男だ。


 そして相手の攻撃手数が少なくなったところで、こちらも反撃に転じる。

「奴ら、毒矢を使っているかもしれない。十分に注意しろ!」

 言いながらハルは矢を剣で叩き落とし、前進する。

「ああっ、そんな前に出ないでハル王子ぃ!」

 スクループ他五名ほどが焦ってついて来るが、待ってはいられない。


「いいぜ王子! 前進だ!」

 罠を解除したビーチャムが、道の先で大きく剣を振り回しているのだ。

「一気に進め!」

 ハルの号令で、隊列は一気に加速する。やがて石造りの砦が見えてくると、上から矢が飛んでくる。


「怯むな! 横隊! 陣を組め!」

 素早い隊形移動で、今度は横に盾が並ぶ。そのままじりじりと前進しようとするが、最後の抵抗で敵もありったけの矢を撃ち込んできている。


「どうしますハル王子、このまま防戦一方じゃ、敵さん逃がしちまいますぜ」

 盾に囲われた中で広い肩を小さくするビーチャム。ほんのわずかハルは考え、結論を出した。

「二手に分かれよう。ここはスクループに任せる。ビーチャムはオレについて来い。裏へ回るぞ」

「ぶおっ⁉︎ 王子マジかよ」


 盾の隙間からビーチャムの目に入ったのは、砦の側面だ。そこには崖と一体化し、今にも崩れ落ちそうな古い見張り用の塔がある。恐らく裏手側は尾根が続いていて、誰もいないだろう。


「マジだよ。オレとビーチャムで内側から攪乱する。スクループたちは正面で思いっきりぶちかませ」

「わかりました。派手に踊ってやりますよ。王子、勝ったら飲めますよね?」

 杯を傾ける仕草をするスクループも、ビーチャムに負けず劣らずの酒豪だ。 

「グリンドゥールを捕まえたらな。よし、散開!」


 並んだ盾の中から、雄叫びを上げて次々と兵士たちが飛び出していく。どの男も勇猛で恐れ知らずというか命知らずばかりで、実は自分が一番ビビリなのではないかとハルはいつも思う。


 砦の上から降り注ぐ矢をかいくぐり、胸壁の真下へたどり着くまでが一苦労だった。宣言通りスクループたちが派手に暴れて陽動してくれたので、何とか死角に入ることができたのだ。

 胴当て以外の具足と兜を外して身軽になる。目の前の崖は、遠くから見た以上に切り立っている。断崖に足を引っかけ、ヤモリのように砦の石壁に貼りつきながら進むしかない。


「ぶふっ! ハル王子が平べったくなってるぅ!」

「うるさい。お前も早く来い」

 下を見ないように、突起を見つけては両手足の指を全力で広げて掴む。

「うわっっ!」

 足場にしていた場所が崩れて、つい下が目に入ってしまう。無機質な絶壁が底なしに続いていて、あそこに叩きつけられたらと思うと、股間が縮み上がる。


「大丈夫ッスよ、木登りと同じです。木登りはお得意でしょう?」

「全然違うぞ!」

「腰が退けてますよ。人間死ぬ時ゃ死ぬんですからね、ホラ、後ろがつかえてますぜ」

「後ろってお前だけだろう! っ、煽るなよ!」


 ホレホレと横歩きでどつかれる。こいつ頭おかしい。

 だがビーチャムの煽りはこれで終わらない。石壁を上に上る間は尻の穴を狙って指で突かれ、窓をぶち破る時には振り子玉のように蹴飛ばされた。

「てめぇっ! いい加減にしやがれ!」

「だって王子のヘナチョコ蹴りじゃガラス割れないし。さ、行きますよ」


 言いながらビーチャムの手はハルの腰を後ろから支えていて、散乱したガラス片にハルの体が突っ込まないよう支えてくれている。そして剣を抜くと、今度はハルの前を走りだした。


「うおおおおおらおらおらぁぁぁぁっ!」

 猛進というのが相応しいビーチャムの進撃。目に入った者は斬る。考える間もなく刺す。考えて、躊躇していれば死ぬ。それが戦場なのだ。

 迷いなく駆けるビーチャムの背中は猛ける獣のそれで、己に足りないものを見せられている気がした。


「ハル王子!」

 ビーチャムの攻撃をかわした敵が、ハルへと襲い掛かる。

 剣を受けると重い。衝撃にぐらついて剣を取り落としそうになり、体ごとハルは相手へとぶつかった。この距離では互いに近すぎて長剣を振るえない。ハルは剣を捨てると素手で相手を殴りつけ、足をもつれさせ転倒に追い込む。


 拳を振り上げるが、それよりも速く具足をつけた相手の拳がハルの顔にヒットする。尖った金属に頬を引き裂かれた。ハルの拳が鎧の上から相手の脳天を揺らす。また食らう。やり返す。上下が逆になり、首を絞められるが何度か蹴り飛ばし、再び上になると今度はハルが拳を振り下ろす。


 言葉にならない獣声を上げながら、互いに密着して殴りつける。既に鎧の下は汗だくだった。よろけながら立ち上がり渾身の力でタックルすると、二人の間に一瞬空間ができる。


 ここだ。

 素早く小剣を抜くと、相手が反撃のモーションをとったところを狙い、鎧の継ぎ目から脇の下へ刃を深く滑り込ませた。鎧越しに密着した体がビクンと硬直し、それから濃厚な血の匂いがハルの体にまとわりつく。続いて首筋を切り裂くとガシャンと音がして、相手は完全に事切れた。

「お見事です、ハル王子。そいつが指揮官ですよ」


 それから正面の門を開けると、スクループをはじめとする味方の兵からわっと歓声が上がった。

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