第二章 それ、オレにさせる?

第一話 二人のヘンリー

 ウェールズ地方の湿った空気は、肌に重い。まるで妖精が肌の上で踊るようだと感じたものだが、今は噴き出す汗に全身がヌルついている。担いだ死体からダラダラと垂れてくる腐りかけた血が、ハルの腕や腿を染めていく。

 鼻はとうにマヒし、血の匂いなどはもはや感じない。目の前の屍は最初は人間らしい肉感や骨格を感じたものが、今となっては丸太と何ら変わらない。


 腰に力を入れて、ハルことヘンリーは死体をずるずる引きずっていた。すると近くにいた雑兵がじっとこちらを見ている。

「ちぃと待ってくだせえハル王子、そいつの口の中にさっきチラッと……ほぅら、やぁっぱし金歯だべ!」

 遺体の顎が外れようが構わず口の中に拳を突っ込み、奥の金歯をむしり取って、日の光にかざす。


「へっへっ、ウェールズの貧乏貴族なんぞが金を歯に詰めやがってえ! もらってもええが?」

「構わないけど、もう片付けていいかな」

「あ、悪かったど。なんか手伝うべか?」

「いい。一人でやれと命じられてる」

「これを全部だど……」


 去っていく男が腕の毛を逆立てたのは、死体は少なくとも百五十体は転がっていたからだ。男の他にも遺体を漁る雑兵がいて、鎧や剣はもちろん、財産になりそうなものは何でも奪っていく。

 遺体はイングランド王家へ反発する、ウェールズ地方のゲリラ部隊だった。抵抗活動レジスタンス自体は今に始まったことではないが、彼らにはここぞとばかりに戦う理由がある。


「ウェールズの人は、リチャードおじさんに好意的だったからな」

 前王リチャード二世はウェールズに対しては寛容な、言い換えるとウェールズ貴族へのばら撒き政策を行っていた。それがハルの父ボリングブルックをはじめとするイングランド貴族の反発を産んだわけだが、ともかくウェールズ民は親リチャードだった。


「ところが王位は奪われた」

 奪ったのは他でもないハルの父だ。父親がイングランド王になったことで、代々イングランド皇太子の称号である『プリンス・オブ・ウェールズ』は、望みもしないハルの元へ転がり込んできたのだ。つまりウェールズの君主はハルということになる。


 当然、歓迎とはならない。ウェールズを覆っていた親イングランドの空気は一変した。先王から享受していた甘い汁はどうなるのか。自分たちの未来はどうなるのか。

 そんな不穏で重たい空気は、父王ヘンリー四世のウェールズ遠征をもって爆発し、反乱となった。


 クーデターで王位を奪ったヘンリー四世など認めない。プリンス・オブ・ウェールズも然り。ここぞとばかりに彼らは独立を叫んでいる。

「父上を王位簒奪者と叫んでいるのはウェールズ民だけじゃない。イングランド国内からだって……」

 その証拠が金歯だ。

 持ち主はウェールズの貴族などではない。イングランドの伯爵家の当主で、ハルも良く知る人物だった。まさか、どうして彼が裏切りを、と思わずにはいられないような人だったのに。


 不安、不信、不満。

 人と戦をしているように見えて、実は一度憑りつかれるとそれしか見えなくする怪物と対峙しているのかもしれないと、ハルは思う。


 しかしそんな考えもどうでもよくなる程に遺体は重く、ようやく一か所に集めきった頃には疲労で全身の関節が外れたようだった。

 まだ日は高い。なんとか間に合った。

 焚き木や藁を間に差し込み、重なり合い小山になった遺体の上から油をかけ、着火する。燃え広がると、鶏肉を焼くのとは明らかに違ういやな臭いと真っ黒な煙がごうごうと上る。


 不吉なこれをウェールズの民に見せつけるのだ。だから日の高いうちに燃やさねばならなかった。なれば人を投入すればよいものを、一人でやれと理不尽な難題を押し付けてくるのがハルの上官の常だ。

 この煙と異臭が、イングランドへ抵抗しようとするウェールズ民の気骨を萎えさせるはずだが——


「いつまで寝てんだ。起きやがれよ」

 ハッと気付いた時にはノーガードで全身を地面に打ちつけていた。疲労困憊でガタガタの体には効きまくって、呻き声すら出せない。


 ハルを寝台から蹴り落とし、上から見下ろしているのは確認するまでもない。上官でイングランド軍総司令官のヘンリー・パーシー、通称スパーだ。ギラついた青い瞳が、怒りとも悦びともつかぬ形に細められる。コンウィ城で籠城していたリチャードおじさんに、降伏を勧告しに来た使者として出会ったのが最初だった。


「おはようございまぁす皇太子サマ。今すぐついて来な」 

 軍の司令官はスパーなのだから、たとえ皇太子といえど幕舎に勝手に入られても、蹴落とされても文句は言えない。隅っこではモーが「止められなくてごめんなさい」という目でハルを見つめていた。


 モーに小さくかぶりを振って、手足は具足姿で体は鎧下の肌着だけという中途半端な姿でハルも幕舎を出る。外すのも億劫で、昨夜は具足のまま寝台へ転がり込んだのだ。胴当てだけはモーが外してくれたようだが覚えていない。


 連れられたのは雑兵たちの野営で、朝食の炊き出しを行う焚火の前に三名が座らされている。その周りを抜け目ない表情の将校が歩いているが、手に持った抜身の剣とゆっくりとした歩調にとても嫌な予感がする。


「こいつらに略奪を許可したのはハル、お前だな?」

「オレが? 許可を出せるのは司令官だけだろう。オレじゃない」

「俺はなァ、盗ってもいいとは言ったが、盗りすぎていいとは一言も言ってねえぜ?」

 勝者には遺体から戦利品を剥ぎ取る権利がある。というか元から財のある貴族でもない限り、装備品はそうやって整えていくものだ。


「つまりこの人たちが多くを奪いすぎたと?」

「ご自身の発言には責任もってもらわないとなァ、皇太子サマ。おいお前、そこの出っ歯のお前だよ。これを持って行っていいと言ったのは誰だっけ?」

 スパーが親指を弾く。ハルの目の高さで放物線を描き、またスパーの拳に戻っていったのは、金歯だった。


「あ、あっしはハル王子にいいがと聞きやしたら、おお王子は構わねっで……」

 確かに言った。覚えている。そして他の二人も同じで、戦利品に興味のないハルは持って行っていいと答えていた。


「雑兵なんかがさぁ、金歯なんか持ってどうすんのよ。こういうのは上官に渡さなきゃならねーんじゃねえのぉ?」

「そんなぁ⁉ ひでぇですってぇ」

「あぁん? 文句があるならハッキリ言いなさーい」

 すると後ろから将校が思い切り蹴倒す。雑兵はそのまま焚火に顔を突っ込んでしまい、「アヅウウゥギィャアアアア!」と叫ぶが、腕を縛り上げられているためすぐには火から離れられない。全身でのたうち回ってようやく距離を取ると、将校に乱暴に引き起こされた。


 てめェ、自分が欲しいだけかよ。

 上官に向かって思わず口にしそうだったが、飲み下すだけの理性はまだ働いている。

「……見つけたのはこの人たちだ。彼らにだって手に入れる権利はある」

 事実、全財産を身に着けて戦う者も少なくない。勝ち戦では一攫千金が狙えるのだ。ハイリスクハイリターンだからこそ命を懸ける価値がある。


「俺の軍では、身の丈以上の財産所持は禁止しまーす。よってこいつらは吊るし上げの刑」

「なっ……!」

 読んで字のごとく、縄で縛られ木に吊るされて、棒で体を打たれるというものだ。娯楽のない戦場では、鬱憤晴らしとばかりにあらゆる者から打たれまくる。男たちは過去に打つ方へ加わったことがあるのだろう、その顔が恐怖で凍り付いた。


「そこまでする必要ないだろう! 彼らにはオレが……!」

「規律違反には厳正に対処する。文句あんのか?」

「だいたいそんな規律聞いたこともねえし!」


「じゃあお前も同罪で吊るしてやろうか、皇太子サマよ。裸に剥いたら、まだ傷一つ無ぇおキレイな体してんだろうなぁ。毛は生えてんのかな。王子のモノならしゃぶりつきたいヤツは結構いるんじゃねえの。ヒッヒッ」

 スパーの卑猥な仕草に理性が弾け飛びそうになるが、正面からこいつの相手をしてはいけないと己を諫める。


「そして密告してくれたウィリアム君にはこれを差し上げまーす」

 呼ばれた雑兵が差し出した手に、スパーが銀貨を入れてやる。そして顎をしゃくると、周りを歩いていた将校がニレの木の方へ三人を追い立てていった。

「さあ、見物しながら朝飯にしようぜ」

 するとスパーの隣にハルの分も胡床が用意された。


「突っ立ってねえで座れ」

「オレの監督不行き届きなんだろう」

「座れって言ってんだろ」

 ガツッと音がするほど膝を蹴られ、否応なく座らされる。


「雑兵に優しくして満足か? てめェの小せえ自尊心の成れの果てがアレだ」

 服を脱がされた三人に縄がぐるぐる巻かれていく。やがて罵声と共に頑丈な枝に吊るされた。手頃な棒が見つからない者は剣の鞘を打ちつけ、そのたびに届く悲鳴がハルの脳を突き刺すようだった。


「なぜ雑兵に多くを与えちゃならねぇか。答えは簡単だ、逃がさねえ為だよ」

 一攫千金を夢見る者が大金を手に入れれば、離脱するに決まっている。

「戦場で最前線に立ち、最初に死ぬのは雑兵だ。戦は王族貴族のモンだが、あいつらがいなきゃ俺たち貴族は戦えねえし、勝利はあいつらの犠牲の上にある。だから逃がしちゃならねぇのよ」


 麦粥の椀が手渡された。味付けは塩のみで、温かいのだけが救いだ。

 理屈は分かる。けど……。

 冷めたらとても食べられる代物ではなくなる椀に、悲鳴を聞きながら口をつけられない自分は、やはり甘いのだろう。


「今日は走りっぱなしになるぜ。食っておきな」

 一気に食い終えたスパーに肩を叩かれる。

 そう、十四歳のハルに立ち止まっている暇はないのだ。

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