最終話 「親友」

 は最初、ほんのちっぽけな存在だった。


 上代由香かみしろゆかの心の奥底に灯った 小さな小さな "炎"


 "炎" は少しずつ少しずつ成長し、やがて形を成し始める。


 "炎" の名は、「嫉妬」といった。


 貴島瑞樹きじまみずき

 ルックスも気立ても良く、誰にでも優しく接する彼女は男女問わず人気があった。


 そんな瑞樹に由香は密かに劣等感を抱いていた。


 由香自身も高校時代は結構モテていたのだが、大学に入り瑞樹と出会って以来、彼女には勝てないという想いが常に心の中にあった。


 それでもよかった。



 (瑞樹は私の大切な親友……。こんな事を考えてしまう私が駄目なんだ……)



 "炎" は由香のそんな自己嫌悪をも養分とし、更に大きくなっていった。


 そして「ある出来事」をキッカケに、 "炎" は劇的な変化を遂げる。



   ◇



「ねぇ由香、聞いた聞いた〜?」



 由香のもう1人の親友、七瀬陽菜ななせはるなが意味深な笑みを浮かべつつ話し掛けてきた。


 彼女がこんな顔をする時は、大抵誰かの噂話だ。



「はいはい知らないわよ。今度は誰の噂話?」


「瑞樹、あの青山先輩に告白されたらしいよ〜! 昨日、明日香ちゃんが見ちゃったんだって〜、すごいよね〜!」


「へぇ〜、そう…なんだ……」


「瑞樹、綺麗だもんね〜。いいなぁ。ね? やっぱ付き合うのかな? どう思う?」



 しかし陽菜の声はもう由香の耳には届いていなかった。


 由香と青山は同じ地元の高校出身で、その頃から親しい先輩後輩の間柄だった。


 由香はその青山に、今年のバレンタインデーにチョコと共に告白をしていたのだ。



「ごめん……上代は大事な後輩だけど、俺、今好きながいるんだ……」



 由香は振られた。


 この事は瑞樹しか知らなかった。


 あの時瑞樹は一晩中、泣き明かす由香に付き合ってくれた。



 (なのに……)


 (それなのに……)



 "炎" は急速にその大きさを増す。



 (先輩が好きな娘が、よりにもよって瑞樹だったなんて、そんなのあんまりだ……)


 (やっぱり私は瑞樹に……勝テナインダ……)



 小さな "炎" だったは遂に完全なカタチとなる。


 は 「嫉妬」 の感情から生まれた彼女の "生霊ぶんしん"……



  ◇



「由香! 由香しっかりして!」



 暗闇に現れた "眼" が、動かないままの由香を見つめると、由香の身体は全身の力が抜けた不自然な姿勢で立ち上がり、そのまま "眼" は由香の身体に吸い込まれていった。



「……シテ、………ノ?」


「ワ……シハ、……タ、セ……ハ……スキ…タ」



 由香はうつろな瞳で何事かをつぶやき始める。



「ドウシテ、私は瑞樹ニ勝テナイノ……?」


「……由香……?」


「私ハ先輩ニフラレタ、先輩は瑞樹ガ好キダッタ……」


「ドウシテ……ドウシテミンナ、イツモイツモ、瑞樹バカリ……」



 部屋全体が由香の声に呼応するように、まるで地震が起きたように震え始める。


 私は由香が心の内に秘めていた感情にショックを受けた。


 何も知らなかった私は、大切な親友をこれ程までに追い込んでいたのだ……。



「ミンナ……ミンナ瑞樹バカリ好キニナル……私ノ事ハ……誰モ見テクレナイ……」



 私は金縛りに遭ったように動けなくなり、由香は両手を私の首に向かって伸ばす……



「……うっ……」


「瑞樹! 由香、離して!!」



 陽菜が必死に由香の手を引き剥がそうとするが、由香の手は有り得ないような力で私の首を絞め続ける。



「アンタサエイナケレバ!!」


「由……香……」



 吠え続けるこむぎの声が遠くなり、意識が薄れていく……。



「由香! あんたおかしいよ!」



 陽菜が由香の手にしがみ付いたまま叫んだ。



「由香、あんた間違ってるよ! だって私達は、そんな皆に好かれるような瑞樹だから友達になれたんじゃなかったの?」



 私の首を絞める由香の手が緩む。



「先輩に振られたのかどうか知らないけど、先輩が瑞樹を好きだったのだって、別に瑞樹のせいじゃないじゃん! それに (私の事は誰も見てくれない) ってどういう事よ!! あんた私達を何だと思ってるの!?」



 由香の手が私から離れ、私は床に崩れ落ち激しく咳き込んだ。



「デモ……私ヲ振ッタ先輩ヲ、瑞樹ハ断ッタ……ナゼ? 私ヲ憐レンダノ?」



 由香の声が、わずかに本来の感情がこもった声に戻った。



「出来る訳ないよ……憐れみと言われても仕方ないかもしれないけど……でも付き合える訳ないじゃない……由香の先輩への気持ち知ってるのに、それなのに……親友を裏切るなんて……出来ないよ……」



 咳き込みながらも、私は必死に訴えかける。



「わかっテタ……わかッてたよ……瑞樹ハそウいう娘だもん……だカら私は……こんナ事を考えテしまウ自分が許せナカッタ……自分が堪らなくキライだッタ……」



 由香の瞳から涙が溢れ、表情と声が徐々に本来の由香のものに戻ってゆく。



「由香……気付いてあげられなくてごめんね……」



 私は残った力を振り絞って由香を抱きしめた。



 そして……



「瑞樹ぃ……瑞樹ごめんね……」



 由香の手が私の背中に回り、私を抱きしめた。



「由香ぁ! ひどい事言っちゃってごめんねぇ!」


「陽菜も……ごめんね……ありがとう。私の為に怒ってくれて……嬉しかった……」



 私達3人は抱き合いながら、空が明るくなり始めるまで泣き続けた……。



  ◇



 あれからひと月……



「瑞樹お待たせ〜!」


「こむこむ〜、きたよ〜♡」



 今夜はまた私の部屋で女子会だ。



「さぁ、騒ぐぞー!」


「だから近所迷惑は駄目だって」


「瑞樹、真面目〜♪」



 その時、こむぎが中空を見つめ……



「ワンワンワンワン!!」


「あ〜、またこむちゃんがが吠えてるよ? オバケいるんじゃないの〜?」


「大丈夫。だってこむぎが護ってくれてるから♪」


「こむこむは瑞樹のナイト様かぁ〜♡

あ……こむこむ女の子だっけ?」


「ワンッ」



 木々の緑もその蒼さを増してゆき、季節は春から次の季節へと移ってゆく。


 すっかり過ごしやすくなった初夏の夜に、私達の笑い声が溶け込んでいった……。



 ー完ー

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中空に吠える犬 ツネち @tsunechi

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