第5話 銀の理法官
「ちょっと、理法官てのは病人連れ出していたぶるものなのかい!?」
「まさか、しかるべき理由があって来て頂いている。先ほども事情は説明したろう? スピナッチの方々にも来て頂いている。条件は同じだ」
アクアウッドの女将の怒声を文字通り嘲笑い、ラギウスは豪華な理法官席へと腰を下ろした。
ビロードの絨毯の上には蒼白な顔のアクアウッドの主テオニウスとスピナッチのカシオドールが控えている。
テオニウスは女将の裾を引いて目線だけは強く首を振った。
「賢明なことだ。では話を続けよう。先に起こった事件についての調査結果は以下の通りだ。『全ての証拠と現場からアクアウッドに所属するエッダ・リーブスが犯人であると断定された。本件についての所見を──……」
「ちょっとお待ち!どうしてあの子が犯人と決め付けられるの!第一その件だったらスピナッチはここに立ち会う必要は無いわ!」
「最後まで聞きたまえ。大いに関係あるのだよ。それとも君はこの場において絶対である#理法官__わたし__#の言葉を否定する積もりかね」
女将は再びテオニウスに制され、かしずき、小さく毒づいた。
「納得できる言い分でなきゃ、許さないよ」
「では単刀直入に言おう。まず第一にスピナッチは犯人の目撃者である。第二は……現在アクアウッドに次ぐ渡し屋(リムーヴァー)であること」
「?」
「とぼけても無駄だ。厳密なる調査の結果、全てはアクアウッドの組織ぐるみで行われたことと判明した。よって現在国家より委任されている全ての搬送権を剥奪の上、これはスピナッチへ新たに委任することとなろう」
顔色一つ変えず淡々と話を進める理法官ラギウスとは対照的に、さすがのテオニウスの顔からも血の気が引いた。
もちろん女将が黙っているはずも無い。
テオニウスが口を開くより早く気迫だけは殴りかからんばかりの勢いで、開口一番立ち上がり踵を返す。
「いい加減にふざけるのはおよし! あんたたちでは話にならないわ。これから公館に行って上につないでもらう」
「待て! 衛兵!」
入り口を固めていた二人の士官がたちまち女将とテオニウスを取り押さえる。
暴れる女将。事態は悪化するばかりと思われた。が。
「全く、とぼけているのはどちらだか」
『殴りこみ』にしては大人しいくらいの勢いでヒューたち四人が現れた。
「何者だ!」
「ついこの間、顔をあわせたばかりなのにもう忘れたのか?」
由縁無くかなり痛い目に合わされたヒューの言葉は皮肉以外の何物でもない。
理法官ラギウスにしてみれば、何度も繰り返した同じシナリオの審議に過ぎなかったのだろう。
それでも比較的新しい記憶は、彼の薄汚れた脳みそにもかろうじて残されていたらしい。
ヒューを認め、眉を寄せた。
「部外者の出る幕ではない。下がれ」
「何よ、えらそーに!」
「証拠、持ってきてやったぞ」
カームの野次に続きローズのストレートな物言いに初めからそこにいた面々はぎょっとなって注目する。
「ちょっと調べさせてもらった。スピナッチと理法官殿の密会も目撃者の証言も、な」
「それはどういうことかね、ヒューさん」
「殺人もスピナッチのぼったくりもみーんなこの二人が仕組んだってことさ。ほら、思い当たる節があるんだろ。顔色変わってるぞ」
テオニウスの問いにカインが応じる。
ラギウスは苦虫をつぶしたような表情になって彼を睨みつけた。
「証拠がほしいならくれてやる」
ヒューがリメルから「お守り」の小袋を受け取り白い手袋を右手にはめた。
中から取り出されたのは薄汚れたコインだ。
古くもなさそうだったが、銀のコインの表面は鈍い赤色で覆われて、まるでさびているかのようにも見えた。
「わかるか? 血痕だ。裏には現場の堆積物が付着している。仮にも理法官ならこれが何を意味するか理解できるな」
血痕は現場に合ったことを物語る。
林の土を比較すればそれがいつ落とされたものか解かるだろう。
更に指紋を調べれば……
うまくスピナッチに逃げられてもアクアウッドの潔白を証明する手段にもなり得るはずだ。
しかし敵もさるもの。
「わからんな。君の言っていることはむちゃくちゃだ。ここで意見を述べたくばまず筋を通したまえ」
「通す必要があるかな? 理法官殿はともかくそちらの猿には解かりやすく結果だけ言った方がいいだろう」
「さっ……」
すり鉢状になった小さな議場。
見下ろす先にはカシオドール。
カームが思わず噴出した。
おいおい始まっちまったよ。
カインが一人冷や汗を浮かべた。
「き、きき……貴様」
「つまりこういうことだ。でっちあげでアクアウッドの受託権を全てスピナッチに移す。国の受託ともなれば一生、その身は安泰だ。不当な審判の見返りは『金』。なんだどっちも思考パターンは猿クラスだな」
「貴様! その無礼な口を閉ざせ! 貴様の言い分こそ全ては狂言だ! これ以上続けるならば……」
「なら?」
「貴様の身を拘束する。法の名の下に──」
にやり。
笑ったかと思うとレギウスはバン! と壁を殴りつけた。
その手元でプラスチックの割れるような乾いた音がする。
かと思えばけたたましく警報が館内に鳴り響いた。
「あっ、だからもうちょっと穏便にやれっていったのに!」
「いつ」
「いつもだ、いつも!」
カインとヒューがそんなやり取りをしている間に、どこにこれほどいたのかと言うほど警備兵が現れた。
あっというまにとりまかれるとカームがヤツデをかざして威嚇する。
「さぁ、どっからでもかかってきなさい!」
うーん、逞しい。
しかし、いざかかってこられるとこれが一大事である。
危うく取り押さえられそうになるところを、カインが剣の柄で相手をふっとばした。
それを見てローズが目を丸くする。
「カイン、なかなかやるじゃないか!」
「こいつは血が苦手なだけなんだ。要するにわがままなんだな」
「こら! 余裕ぶっこいてんじゃなーい!」
各々一人をなぎ倒したところで状況は変わらない、むしろリメルを後手にこの状況は辛い。
カインが悲鳴じみた声でヒューを呼んだ。
「ヒュー! いい加減収拾つけろ!」
その言葉が終わるか終わらないか。
ヒューが胸元から銀のカードを取り出した。
途端!
ドォン、と劈くような音と共に真っ白なドラゴンにも似た獣が現れる。
そこにいた全てのものが異形の獣の出現に戸惑い、声を失った。
「ち、ちょっと。何なのよ、これ……」
「白獣(ヴァーラック)だ……」
白獣。
誰かがそう呟いた。
「白獣……だと?」
「白獣、ということは銀の理法官!?」
白獣とは理法官、それもごく一部の階級士官のみが持つとされる幻獣だ。
その旅の合間にあって所有者を守護する。
それを持つことはあまりにも希少なため、理法官のステータスともなっていた。
「って誰が」
ここにきてカームがすっとんきょうな声を上げる。
いつのまにか白獣を従えるヒューを中心に遠巻きな円が出来上がっていた。
誰が、なんて一目瞭然である。
「ヒューさん……?」
「お前、この娘に見覚えは無いのか?」
何もなかったかのようにヒューが示したのはカームだ。
愕然とする下級士官レギウスに向かって。
なお、続けた。
「林の幽霊の正体さ。急ぎすぎたな、二人とも」
ローズがおとなしくなった警備の間を、証人をひきずるようにやってくる。
カームを林で襲った「アクアウッドの制服を着た男」だった。
当然アクアウッドの人間ではない。
その証拠に、カシオドールとレギウスの肩が、誰の目から見ても明らかなほどがくりと落ちた。
「理屈があるならしかる場所で述べるんだな。その時はゆっくり聞いてやるさ」
* * *
ルーングロウ理法所統括者としてより早く、ヒュー=ロナスリストの名は水の街に浸透した。
「それで、正式に着任後の初仕事になるわけだろ? ロナスリスト理法官としてはどんな結末の予想なわけか」
「死刑だな」
どーん。
真顔なのが笑えない。
そもそも冗談なのだろうか。
「そ、そういえば残ったスピナッチはどうなったの?」
「いや、それが実はリメルとスピナッチの跡継ぎが恋仲みたいだったみたいで、スピナッチは営業停止だけどうまくいきそうだな」
なるほど、「彼」は至って良心的な一般市民だったようだ。
カインは一度だけ見かけたその姿を思い出して一人納得している。
「ふーん、めでたしめでたしだな。時に二人とも」
ローズが思い出したように、ヒューとカインに向き直った。
「思っていたより強いんだな。カインもそうだが、ヒューもケンカが弱いと聞いていたから……」
「わー! ローズぅ!」
慌ててカインがローズの口をふさぐ。
もちろんヒューが聞き逃すはずは無い。
微かに眉をしかめた次の瞬間が怖い。
とりあえずごまかす方向でカイン。
「それよりヒュー! お前がこんな小さい事件に乗るなんて珍しいじゃないか。どんな風の吹き回しだったんだ?」
「それは……約束だったからな」
「え……」
そうひとりごちるように静かに、ティーカップを持ち上げる仕草に、しばしの沈黙があった。
「はじめにそう言ったんだ。『倍にして返してやる』って」
がったーん。
派手な音を立ててカインとカームが椅子から転がり落ちる。
「何の話だっ」
「『借り』に決まってるだろう?」
ニッと笑って勝ち誇るヒュー。
スピナッチにしてみれば二倍どころか最終的に一千倍くらいの痛手をこうむったに違いない。
はじめに……桟橋で見かけたスキンヘッドの大男を思い出して、何だか無性にヒューに関わったごろつきどもが哀れに思えた。
「やつらの自業自得だ」
勝ったのは正義だ。と聞こえないでもない。
その言葉を聞きながらカインは彼が『けんかに負けたことがない』ことを思い出した。
願わくば「死刑」宣告が早々に出されないよう──
勧善懲悪な物語は終わらない。
-完-
水の都の物語 梓馬みやこ @miyako_azuma
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