第4話 理法所へ

ヒュー=ロナスリストが陽気な酔っ払いを追い払う音は少しだけ遠くに聞こえていた。


「何だ? 今のは」

「さぁ……酔っ払いのお遊びでは」


騒ぎとは隔壁を挟んでひげ面の理法官はそれ以上追及する気はないらしい。

妙に重そうな書類のケースをゆっくりと持ち上げて彼はその感触を確かめた。


「次は権利書を詰めて返せるといいがな」

「いえいえ私どもは王から委任状の一枚もいただければそれで結構で」

「それはアクアウッドの全てより重かろう。文字通り独占の権利そのものだからな。物には順序と言うものがある」


正面に座すのは恰幅の良い男だ。

良過ぎてたるんでいると言う感もある。

妙に瞳は落ち着かず、アクアウッドの主人とは文字通り対照的だった。

スピナッチの主、カシオドールである。

「順序」を守って彼は理法官に頭を下げた。


「まぁとにかく、障害は取り除くに限る。証明にも代償がつきものだ。なぁ?」

「えぇ、事実が判明すればみなも安心するでしょう。では早速に」


カシオドールが扉を押し開ける。階下の騒ぎは相変わらずだった。





「あれ? カームはでかけたのか」

「ローズさんも一緒ですよ。カインさん、何か召し上がります?」


翌朝。宿泊者用の食堂でカインを迎えてくれたのはリメルだった。

見知った顔は他にない。ヒューも出かけたようだ。

せっかく早く起きたのに……また最後か。

なんとなく寂しい気持ちで白い簡素な椅子に腰をかけるとリメルがスープを持ってきてくれた。


「どうぞ。今朝取れたばかりのパセリを使っているんですよ」

「あれ? そういえば女将さんもいないのな」

「えぇ、今朝早く理法所から使いの方が見えて一緒に出かけました」


緩やかにサラダを取り分けている手を止めずに、おっとり言う。

口調とは裏腹にその白い頬に苦笑が浮かんだ。

あぁ、どうりで静かなわけだ。

半ば本音の冗談を飲み込んでカインは小さなボールに銀のスプーンを差し込む。


「何か事件に進展でもあったかな」

「だといいんですけど。あまり良い空気じゃなかったかも」


モーニングトレイにひと揃え朝食を載せると不安げにリメルは食事を奥の部屋へと運んでいった。

主の具合が思わしくないらしい。


「全く、働き者のいいお嬢さんだな」


後姿を見送りながらカインはひとりごちた。





いわゆる本所でないにしろ、さすがに有数の街であるためかその理法所は立派な構えであった。

ガラス張りの向こう側、文官たちがせわしなく動くのを横目に通り過ぎる。

女将が連れて行かれた先は緑に囲まれた別棟であった。

こじんまりした小さな世界だが、白い塀に阻まれて表通りのにぎやかさはやや遠い。


「なんだって? でなおしてこいというのはどういうことよ」


もっぱら私物化されている公館の内装に、すっかり機嫌を損ねた女将の一喝が飛んだ。

いつにも増して気合が入った声は迫力満点だ。

一緒にここまでやってきた文官が思わず肩をすくめる姿は笑いを誘う。

けれど現状はそれどころではなかった。


「事件ファイル二〇九の件について出頭願ったのは、アクアウッド経営者であってあなたではないということだ」

「だから代わりに私が出向いてきてるんじゃないか」

「わかっていないようだが……人が一人死んでいるのだぞ。事は重大だ。それを代理で済まそうとは何と言う」


嘆かわしい、とでも言うような仕草で理法官はこめかみを押さえてみせる。


「もういい。お引取り願え」

「いい加減におし!嘆かわしいのはどっちさ。それでもあんた剣と盾とを象徴する理司所(ことわりつかさどころ)なのかい!?」


再び連れ出そうとする文官を振り払い、しかるべき罵倒を浴びせても理法官の顔色は変わらなかった。

街において最も知に長けた職種である彼らは、常に分岐した言葉の先に新たな選択を用意している。


「今の暴言は忘れよう。しかしこれ以上執行を妨害するのならばしかるべき処置が待っているぞ」

「なんですって!?」

「審議完了まで全ての営業を停止。組織ぐるみの犯行の装いもあるとされれば、資格剥奪も免れまい」

「!」


あくまで可能性の話だ。

けれどこいつはやりかねない。

それがわかっているからこそ今は歯噛みして退かざるを得ないのであった。



* * *



そのころカームは一人人気のない大河の支流を見つめていた。

はきなれない長い民族的な模様のスカートが川原に落ちるのも構わずしゃがみこんで、小石を拾って川に投げ入れる。

さざなみに淡い波紋は飲み込まれて消えた。


「退屈ねーこの服も動きづらいし。ローズ、ねぇ、いるんでしょ?」


しーん。

しばらく待っても返事はない。

いるはずなのに。

川面を覗き込むと流れの緩やかな一角に見慣れた少女の姿が映って見えた。


それは、自分と言うより姉に似ている。

いつものおさげをといて服を変えただけなのに、やはり姉妹なのだと思う。


思い出して、今はいないと言う喪失感とともにやり場のない怒りがふつふつと湧いてきた。

感情が激昂すると川面の鏡像もカーム以外の何者でもなくなってくる。

逆に姉はおとなしく穏やかだった。


振り払うように立ち上がって歩いていく。

自然、足はあの場へ向かっていた。


カサッ


誰かが確かに着いて来ている。

腕にかけては男勝りの女剣士だろう。

いい加減、人目もないのででてきてもらおうと大きく振り返る。

呼びかけたその口を白い手袋が不意に覆った。


「ロー……うっ!」


男の手だ。

逃れるまもなく抱え込まれてしまう。

しかし、おとなしく引き下がるカームではない。

持ち前の気の強さを武器に思い切り暴れると運よく肘が相手のわき腹に決まった。


「なんなのよっ!」

「……このっ」


チキッ

男の左手で銀の光が木漏れ日を反射した。


「あ、あんた、アクアウッドの……」


目深にかぶった帽子は青。

その森のエンブレムは緑の木々によく映える。

後ろに二、三歩下がるカームの背を幹が思いがけず受け止めた。

刃物を振りかぶる男の顔は逆行でよくわからない。


「あんたが姉さんを殺ったのね!? あんたが……!」


自分に刃が振り下ろされることもいとわず叫んだ。

例えそのまま貫かれても怒りと悲しみの余韻は残されたろう。

それに代わるように林に響き渡ったのは、ローズの剣が男の短剣を弾き飛ばす甲高い金属音であった。



* * *



ヒューが道すがら、ローズとカームを拾いアクアウッドへ戻ると事態は急変していた。


「どけよ、お前ら。どこまで邪魔すれば気が済むんだ!」


アクアウッドの面々と、スピナッチの連中がもみ合っている。

もみあっているといっても明らかにごろつきの風体のスピナッチに比べ、アクアウッドは到底勝ち目は無いかに見える。

幸いにしてかかろうじて殴り合いは免れそうな頃合であった。


「ヒュー! どこ行ってたんだ! 大変なことになったぞ」


カインが三人の姿を認め、血相変えて駆け寄ってくる。


「何があった?」

「親父さんが連れて行かれたんだ。具合よくなかっただろ。あれじゃ別の意味でやばい。女将さんも一緒だがリメルが後から一人で追って行っちまった!」

「スピナッチの奴らに!?」


カームが血気まくりたててカインに詰め寄る。

ヒューが制して


「理法所に、だろう?」

「あぁ、例の事件に決定的な証拠が挙がったとか……どっちにしても早く何とかしないと──」

「チェックメイト、だな」


ヒューはくるりと背を向けてきた道を辿り返す。

なぜかその頬には微かに笑みが浮かぶ。


「戻るぞ、理法所だ」

「え、ちょっと。……追ってどうするってのよ!」

「決まってるだろう──なぐりこみさ」



夕闇の迫る中、四人が理法所へ急ぐとリメルが門前で足止めをくらっていた。


「! またあいつらか~」


単身の彼女に絡んでいるのはどうみてもスピナッチだ。

囲むように守衛も一緒になってにやにやしている。


「不快だ。ローズ、もし奴らが我々の進路を妨害したら殴り倒せ」


そう言ってヒューはつかつかと正面から理法所公館へと向かった。


「って、スピナッチはともかく役人に手を出したらまずいでしょっ……ちょっと、ヒュー!」

「だったらカームはスピナッチ張り倒せばいいだろう。うるさく言うなら着いて来るな」


言っている間に傍若無人にヒューはまっすぐ内部に踏み入る。

あまりにも無視された形になり、守衛もスピナッチのメンバーも一瞬阿呆のように四人を見送りかけた。


「てめぇら! それ以上進むんじゃ……」


ガン。


「言われたとおり、殴り倒したぞ」

「よし」


いや、「よし」でなくて。

一発で伸びてしまった雑魚を眼下に思わず足を止めると、呆けたように同じく動きを止めている残りの三人が一気に殴りかかってきた。


「てめーらっ!」

「うわっ」

「ノルマは一人一匹。リメル、来い」

「ってお前は頭数に入ってないんかい」


と言っている内にローズが素手で一人、カームが守衛室の入り口においてあった鉄製のヤツデで一人、ふっとばした。


「あら、意外とすっきりするわね」


カーム、ちょっとやる気になる。

そのうちに最後の一人をローズが片付けていた。


「それにしても男二人は全然役に立たないわね!」

「……人には向き不向きと言うものがあるんだよ……」

「そうだ、カイン。お前は私が守ってやるから気にするな」


悪意なくローズが止めをさしている。

横でヒューは顔色の優れないリメルを見た。


「す、すみません。ヒューさん……」

「いや、それより預けていたお守り、持ってるか?」

「? えぇ、それならここに」

「ならいい。さぁ先を急ぐぞ」

「ちょっと待った、ヒュー」


不意に呼び止められて振り返るとカインが守衛室をあさっている。

かと思えば守衛用のカウンター越しに中剣を投げてきた。

本人も同じものを手にしている。


「殴り込みならこれくらい持ってないとな。カインさん、ケンカは苦手だけど遊びなら任せてくれ」


調子に乗り出したその時、ヒューはすでに背を向け館内へと向かっていた。

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