第3話 水辺の幽霊
ヒューが行くなと忠告された十八番地区でカインがリメルを見かけたのは偶然だった。
もちろん面識のない彼女が誰だかを知っていたわけではない。
むしろ彼女を取り巻く者たちの背に印刷されていた「所属印」は記憶に新しい。
「またあいつらではないのか?」
先に口火を切ったのはローズだ。
カインが頷くとローズは後の言葉も待たずにつかつかと彼女を取り巻く輪に入っていって、何をどうしたのかあっという間にそれを散らしてしまった。
カインがリメルの元に着いた時、ただ一人、普通の従業員といった目つきをした青年が、最後に視線を投げかけて去っていくところだった。
「あれ? お嬢さん、アクアウッドの人なのか?」
「はい、リメルと申します。女将のミラルカの娘です」
言いつつも散って行ったスピナッチのメンバーの背をしきりに気にしている。
ようやく全員の影が見えなくなってからかぶっていたベレー帽を手にとって一つお辞儀をした。
それについた小さな森と湖のピンバッジ。それで彼女がアクアウッドの人間だと気づいたのである。
「さっき見てきたけど、ここら辺あいつらの縄張りだろ? 一人でうろうろするなんて……」
「何か理由でもあるのか?」
ローズがぴしゃりと言い当てるとリメルは目を丸くして微苦笑をもらした。
「心配しなくても私たちは味方だ」
正しくは「客」である。
まぁスピナッチ嫌いだからいいけど。
カインは心中でひとりごちている。
アクアウッドへ引き返す道すがらリメルは瞳を伏せたまま話し出した。
「さっきの人、スピナッチの経営者の息子なんです」
「さっきのって……最後まで残ってた茶色の髪の?」
「えぇ」
一つ息をついて思いつめた表情で始めてカインと目をあわすリメル。
「この地区より南に理法所があります。私はそこに留置されている仲間に会いに来たんですが」
川に面する大通りに入ると緩やかに航行する大型船が視線を奪った。
「会わせてもらえないんです。もう何度も足を運んでいるのに」
「その人は何をやったんだ?」
「……殺人、です」
ローズの問いに答えるその声に暗い影が落ちる。それを振り払うようにすぐにリメルは言葉を継いだ。
「でも、そんなことする子じゃないんです。どうしても信じられなくて、私にも何か調べられればと」
「で、現場があっちだったわけだ」
「はい。中途で会ったあの方々は以前から同業者のよしみで口添えしようかといっていました」
「何だ、いい奴らじゃないか」
にこにこにこ。
ローズはストレートな意味で無邪気だ。
二人して集めた視線を元に戻してカインは話を敢えて続けた。
「それで……何か放免されそうなことはみつかった?」
「いえ、残念ながら。でもあの子は気づいたら凶器を手に死体のそばにいただけだって」
随分むちゃくちゃな言い分だが信じてやりたいのだろう。
細い肩が小さく震えた。
「証拠不十分だな」
「ヒュー? 何だよ、いきなり」
「荷物を拾ったんで宿に置きに戻って、公邸に行きなおしてきたところだ」
「荷物?」
説明的なセリフで持ってカインをさばくと、ヒューは川に沿う通りを歩き出した。
「察するに被害者に対する私怨も関わりもない。断定するには決め手にかける」
「ヒューさん、探偵さんみたい」
口元に手をやってくすりと笑みを漏らす。その手にヒューは小指ほどの子袋の紐を握らせた。
「ちょっと持っててくれないか。お守り」
中身に触れるなと念を押す。
川面から吹く風はややも冷めて、夕刻を告げていた。
* * *
ルーングロウの最も大きな盛り場の一つである「HANTED」は例に漏れず超満員だ。
地下にもぐりの賭博場があるせいもあろう。
本来上品な客層を誇っていたはずの店内の客層は大分、変わっていた。
「なぁ、小路の幽霊の話、聞いたか?」
カインが気前よくアルコールを見知らぬ男に振舞う横でヒューがカウンター越しにグラスを磨くマスターに目を向けた。
「『ジャッジ・ハンズ』を」
注文を受けたマスターは黙々と紅いカクテルを作り上げる。
じっと一挙一足をみつめるヒューとは対照的に決して目を合わせようとはしない。
「ほら、アクアウッドの従業員がやったっていう。あれ、実は殺されたやつ、生きてるらしいぜ」
「おいおいマジかよ」
「あぁ、でなければ殺された恨みで現れた亡霊か悪霊か。何にしても『いる』のは確かだってよ」
「どっちにしても怖い話だなぁ」
男は肩をすくめて身震いしてみせる。
カインは軽く笑って更に酒を勧めた。
「理法官殿は今日はいらっしゃるか?」
「いえ、今日は見えません。明日……の予定です」
見られているのが解かるから見返せない。
陽気な隣の相棒の頭を去り際、ひじで小突いてヒューはマスターに聞き出すと背を向けた。
一度店の外へ出るが、カインがついて出てくる様子はない。
気づかなかったのか……いや、単に酔いが回っていただけであろう。
ヒューはといえば今頃与太話も佳境に入っているだろうカインを置いてあっさりと帰ることにした。
テーブルの相向かいには、いかにもじゃじゃ馬な娘が暴れるのを堪えて、拳を握り締めじっとうつむいたまま。
ヒューはさして意に介さないと言った様子で新聞を読み進めている。
そこへカインがぼんやりとやってきた。
「おあよー」
すでに昼を回っている。
返事をしないヒューの斜め前に腰をかけてカインは軽く頭を抱えた。
昨晩は遅かったのだろう。
「ローズ、水」
ヒューは短く言うとすぐに手渡された氷入りの水を彼の顔に側面からぶちまけてやった。
……。
「目が覚めたか?」
「覚めた」
「きのう。HANTEDで知らない奴と夜を徹したのは?」
「オレ」
かちゃ。
二杯目の氷水を注いでもらってヒューはカップを手に取った。
「とっ、ところでお嬢ちゃんは誰なのかな~?」
くるりと向きを変えるとぱたぱたと水がしたたる。
なぜだか少女は突くような視線でカインを見返した。
「お嬢ちゃんじゃない。カームよ」
「しばらく彼女の護衛を頼まれた。カイン、私は今日からカームにつきっきりになるぞ」
「頼まれたって誰に」
ぎょっとなってカインは髪を拭くことも忘れている。
彼女……ローズはカインの護衛が最優先だ。
そういう約束だったから。
まず自分からそれを放棄することはあり得ない。
そんなことより今そうされては困る。
ローズは黙って我関せずの姿勢に戻ったヒューを指し示した。
「ヒュー……」
「何かあったら得意の口八丁でごまかせ」
実際、カインは口八丁ではないが他人に馴染むのは得意だった。
時は移ろい、夜、再びHANTEDである。
「情報収集」の為にカインは物騒な賭博上へ降りていった。
昼間の危惧はこの役目に対する自己防衛だったのだろう。
一方、ヒューは一人、二階でドアから漏れる声を拾っている。
「やはり……の……うわさは……」
ドアの向こうには理法官と客がいる。
話は佳境に入ったらしく低い声がますます低くひそめられた。
VIP待遇のこの階はほの明るいランプの光に沈黙とともに沈んでいたが、その境界では階下の喧騒も消えていない。
「探し出して……に……必ず」
「あやや、ロナーさん。こーんなところにいたんですかぁ」
喧騒と静けさの合間を縫って現れたそいつは言うと同時に肩を組んできた。
唐突の出現に凍りついたときが数秒後に解凍される。
途端、立ち尽くすヒューの額に血管マークが張り付いた。
「人懐こい」性格が裏目に出てしまった。
いや、もとより期待なんぞしてはいなかったが。すっかりほろ酔いで痛い目にあうどころか気持ちよく出来上がっているカインが、ワインを片手に陽気に表情を崩して見せた。
「ロナーさん、まぁまぁ一杯ぃ」
「去れ」
「ぎゃああああぁぁぁ!」
げし。
丁寧に手をほどいてうしろに周り、一発蹴りを入れてやるとあっさり下まで転がり落ちてくれた。
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