The Long Good-Bye.

λμ

世界の中心でIと叫んだ。

 中学二年目の年末が、ロクでもない終わりを迎えようとしていた。

 たまたまクラスで広く浅く付き合いがあって、たまたまネットにつながれたせいで、たまたま参加することになってしまったクラス会の席だった。

 いつでもそっと消えられそうなくらいに存在を消していたはずなのに、生きているだけで注目を集められそうな男に言われた。


瑪瑙めのうさん。付き合ってください」


 ふざけた名前だ。言われた私は一度カメラに目を向け、すぐに手元のレモンの香りがする炭酸水のペットボトルに口をつけ、下ろして、細かく千切ったサラダチキンを口に放り込んでから、思わずカメラを見た。


「――はぁ?」


 自分が出したとは思えないくらい棘まみれの声がでていた。十個も二十個も写っているクラスメートの少し赤らんだ顔がピリっと固くなった。

 私に付き合ってくれと言った男――クラスの誰よりも綺麗な顔をしていて、クラスの誰よりも話をまとめるのが上手くて、クラスの誰よりも自信たっぷりに生きている堂島どうじま光輝こうきが言った。

「だから、有坂ありさか瑪瑙さん。僕と付き合ってください。ずっと前から好きでした」

 勇気ある発言とでも言えばいいのだろうか。

 同じ画面を見ている九割九部は色めき立って、私ひとりが真顔になった。――いや、真顔だったのはずっと前からだったけど。

 けど、クラスの大部分が見ている前で告白されるとは思ってなかった。


「…………一日待って」


 私は返答も待たずに退席していた。スマホが鳴り始めた。すぐ電源を切った。


 ――最悪だ。


 それ以外の感想が出てこない。子どもの頃――それこそ幼稚園とか、そのくらいの頃、告白とかされたらドキドキするんだろうなと素朴に思っていた。

 全然ちがった。


「……やばいくらい嬉しくない」


 というか、困る。

 なんとはなしにスマホを見ると、告白してきた当人たる堂島光輝がみんなにも見える形で宣言していた。


『突然、ごめん。でも本当に好きなんだ。もっと早く言うべきだったと思うし、学校

でするべきだったんだと思う。でも、言うなら今しかないと思ったんだ』


 ――なにか返してやろうか。


 

 ただ、ただ、迷惑だった。皆に見えるようなやり口が気に食わないし、皆を巻き込む形で返答を迫ってきてるのがハラ立つし、どっかで自分の告白は受け入れられるはずと思っているような感じがムカついた。

 ンなワケねーだろと言ってやりたかった。

 相手が堂島光輝だったからというのではなく、純粋に、私が男と付き合うというのがピンと来なかったからだ。

 子供の頃からそうだった。人を好きになるということはあっても、男を好きになるという感覚がなかった。

 友だちがいなかったわけじゃない。今もいるし、好きな人だっている。でも、好きな人は好きな女の子でも、好きな男の子でもなく、好きな人だった。

 決定的な違和感をおぼえたのは、小学校一年生の頃に受けた国語の授業だった。

 宇宙で遭難した家族の四コマにストーリーとセリフをつけて演じよう――と、そんな授業内容だったと思う。くじ引きをしていくつかのグループに分かれ、私はロボットの役を担当することになった。少しマセていた私は、ロボットの一人称に頭を悩ませた。

 マジメだった私は、自分の役をどう表現すればいいのか分からなかった。

 幸いにも私のグループは三番目の発表で、一人称を検討する猶予があった。

 前のグループではロボットの役を男の子が演じ、『僕』と自称した。ふたつめのグループでは女の子が演じ、やはり『僕』と自称した。

 私は鈍くさかったのだろう。ロボットは『男の子』らしいと、そのとき気づいた。

 だが、遅かった。

 一人称を『僕』に定めて、与えられたセリフを胸の内で呟いた瞬間、強烈な違和感に私は吐き気をおぼえた。


 ――おい、いま、僕って言ったか?


 ロボットは男の子だから。

 ロボットが? なんで?

 私は違和感に支配された。ロボットがなんで男なのだろうか。女の子が演じるロボットが、なんで男じゃなくちゃいけないのだろう。より正確な演技をするなら、女の子がロボットを演じるなら女の子のロボットとして――いや、待て。

 なんで、ロボットに性別がいる?

 順番がきて、担任に促されるようにして席を立ち、教壇の後ろで教科書を開いたとき、私の胸の内で渦巻いていたあらゆる違和感が私に言わせた。


「私は、ロボットです」


 単純な自己紹介のはずが、胸がすっとするのを感じた。演技というものも、脚本というものも、ドラマツルギーというものも知らなかったけれど、私の中に出来上がっていたロボットは自らを『私』と呼ぶ性を持たない存在だった。

 宇宙のど真ん中で迷った家族。

 ロボットの果たす役割は、家族の悩みを聞き、安心させるような言葉を吐くことだった。問題解決に向けて脚本家の設定した計算をし、危険な決断を推奨して、家長たるグループリーダーの決断を褒め称える役割だった。

 いわば、便利屋だ。

 必要な役割を必要に応じて演じ分ける能力が必要で、それこそが性を持たないロボットだからこそ表現できる無性性だったのだ。

 だから、私は、自信たっぷりにロボットらしいカタコトで言った。


「ワタシハ、ロボットデス」


 教室は嘲笑で満たされた。『ロボットが女の子のはずがないじゃん』と嘲笑われたのが忘れられないでいる。担任の『私という一人称は大人である場合に限って男女を問わず使うもので――』という擁護を覚えている。グループごとにつけられた点数でクラス最下位になり、同じグループの人間に、


「あんたが『ワタシ』とか言うから」


 と、冷たい目で言われた。

 あの日から、私は私が分からない。

 私はスマートホンの電源を入れ直した。うんざりすぐるぐらいの通知がきていた。なんとはなしに覗いてみると、堂島光輝への賛否両論が入り混じり、私こと有坂瑪瑙への同情やら嫉妬やらが溢れていた。クラスの連絡用グループだけでなく、友達グループでも似たような状態だった。よくもわるくも堂島光輝の影響が強くて、私の存在は宙ぶらりんだったのだ。

 窓を明けると、肌を刺すような冷気が、不思議と心地よかった。

 私は、男が好きじゃなかった。

 私は、女が好きじゃなかった。

 堂島光輝は別に好きでもなんでもなくて、むしろ情報を共有することで返答を強要してくるやり口が嫌いで、人として好きになれなくなりつつあった

 私が好きな、人は、別にいた。

 胸の内が昂ぶっていた。私はロボットじゃない。言ってはいけないのだろうと思って黙っていた。その人が『私』に向かって『私が堂島のコト好きだって知ってるよね?』と、ふたりしか見れない場所に書いていた。


「――私は! あんたが好きなんだよ!!」


 夜空に向かって叫んだ。そのとき、初めてはっきりと自覚した。私は他の女の子と同じつもりで『私』と言っていたけれど、私の私は『I《アイ》』で、女子の私はオンナノコだった。


「私は! あんなヤツ大嫌いだ!!」


 吠えた。堂島光輝なんて大嫌いだった。だから叫んで、書いた。


『私は嫌い。私が好きな人、別にいるから』

『誰?』


 すぐに誰にでも見える形で返答があって、しかも続きを促してきた。部屋の扉が鳴った。お父さんとお母さんが大丈夫かと聞いていた。全然まったく大丈夫じゃなかった。

 私は叫んだ。


「私は! 私が大っ嫌いなんだよ!!」


 指はスマホの影響を素早く叩き、


『女の子。それしか言えない。私は本気で言ってるから』


 心臓は痛いくらいに強く早く打っていた。部屋の扉を叩く音が強くなり、鍵を開けろと父さんが言った。夜中に叫んだんだから当たり前だった。

 ポン、とスマホが鳴った。


『大丈夫。俺も同じだから。外見と心の性別が違うってヤツでしょ。俺もそう。だから俺たちなら丁度よくない?』


 なんてことを、言うのだろうか。


「――ッ、アアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!」


 私は月に向かってスマホを投げた。届くわけがなくて、遠くでガシャンと音がした。部屋の鍵を明けると真っ青な顔をしたお母さんとお父さんがいて、


「どうしたの? 大丈夫? あの、大丈夫?」


 と、ふたりして私を抱きしめようとしていた。

 ふたりの姿は滲んで見えて、私は、


「大丈夫だから。大丈夫だから」


 ふたりを押しのけて外に出た。

 もう、嫌だった。いつから狂ったのかと言われれば、あの授業でロボットを演じた日だったのかもしれないし、彼女のに出会った日だったのかもしれない。

 別にもうどちらでもよくて、いま堂島光輝にクソみたいなやり方で告白されて、それに答えなくちゃいけなくされたからかもしれなかった。

 外の空気は冷たくて、突っかけたローファーは固くて、放り投げたスマホを見つからなかった。死にたいと思った、ずっと死にたいと思っていた。ロボットを演じた日から、ずっと。

 みんなの笑い声も、先生の擁護も、親の心配も辛かった。

 勇気を振り絞って言った、


「私は好きだよ」


 という言葉への愛想笑いに絶望していた。

 でも、不思議なもので、いくら死にたいと思っていても自分で死ぬのは気が引けた。死ぬのが怖いというのもあったし、他に好きな人ができるかもなんていうダサい思考もあったし、ただでさえ悩ませているお父さんとお母さんに悪いと思っていた。

 だから、死のうと思って外に出た。。

 殺されようと思って。事故とか、何かで。

 自分で死ぬのは怖くても、人に殺されるのなら我慢できる。そう思っていた。


「……すっご……」


 いつもは車だらけの国道が、今日に限って空っぽだった。寝っ転がっていたって死ねそうにない。

 ただ、ただ、寒かった。

 コンビニに入って震える手でアメリカン・ドッグを受け取った。安いケチャップとわざとらしいマスタードを乗せた粉っぽい衣の奥の、おいしくもないソーセージに、あと一年だけ頑張ろうと思った。

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