丸呑み依存症とり返しのつかない手記

ちびまるフォイ

食べちゃいたいくらいに可愛い

最初はウサギを飲み込むヘビを見たのがきっかけでした。


ヘビの体から見てどうみても飲み込めないサイズのウサギを丸呑みしている姿は私の目に驚きと興奮を与えました。

それをマネて、小さい頃には食事のときもよく噛まずに飲み込んで食べました。

両親にはよく怒られていました。


"ちゃんと噛んで食べなさい"と。


でもちがうんです。


噛んでしまうとあのノドを通る感触が味わえないのです。

ごくん、とのノドを通過し胃にどすんと落ちるあの快感。


私にとって食事は味を楽しむものではなく、

飲み込むときのあの感覚を味わうための過程でしかなかったのです。


もちろん、こんなことを話しても理解されるわけもありません。


私がスーパーボールを飲み込んで呼吸困難になって病院に運ばれると、

両親はさすがにもう我慢できないと厳しく叱りました。


これには私もこたえてしまい、もうこんなことはやめようと誓いました。



しかし、人という生き物は本当に罪深いです。


禁止すればするほどに魅力を感じてしまうのです。


私のひそやかな丸呑み欲求を前に出すことはできないものの、

抑えきれないときは丸呑みされる動画やノドの動きがわかる映像をよく見ました。


小さい頃の夢は「ヘビになりたい」と書いたので、男子からからかわれたものです。



両親の保護から脱して私はまっすぐに上京しました。


上京はすなわちこれまで禁止されていた丸呑みの解禁にほかならないからです。

食事を噛まずに飲み込んでも小言を言われることもないのです。


私はまるでとりつかれたように様々なものを飲み込みました。


とくに良いのはギリギリ通るか通らないかを飲み込むときです。

その部分だけのどが拡張されている感覚はなんとも言えません。


息苦しさと飲み込めるかの不安がスリリングで、

飲み込めたときの安心感からくる幸福実感は実生活では味わえません。



ある日のことです。


私が信号待ちをしていると、隣にベビーカーが止まりました。

ベビーカーにいる赤ちゃんは小さくてなんて愛おしいんでしょう。


私を見て小さな手を振っているのです。

つぶらな瞳はうるんでいてキラキラしています。


ああ、本当にもうかわいい。

食べてしまいたいくらいに。


信号が変わってベビーカーは夫婦におされて横断歩道を渡ってしまいました。

それでも私の気持ちはどくんどくんと高鳴っていました。


"あれを飲みめたらどうなるか"


そのことで私の頭はいっぱいです。


飲み込んで私の体の中にあんな可愛い生き物を取り込めたら。

ふわふわで可愛らしいウサギを飲み込むヘビが頭に浮かびました。

きっとどこかでまだ子供の夢を忘れられなかったのでしょうか。


こうなると私はもうそのことしか考えられなくなりました。

日々の食事も丸呑みしたところで何の快感も得られません。


だってそうでしょう。

目の前に最高級のステーキを見ながら、安くて薄い肉を食べているようなものです。

見えないほうが幸せなくらいです。


もう我慢はできませんでした。

私は自分の人生すべてを捨てていっときの快楽に身を委ねると決めました。


そのためにはいくらかの手順が必要です。


ノドの拡張と、口の切開、そして胃の拡大です。

この3点をベースに体を作り変えなければなりません。


やはり手っ取り早いのは手術でしょう。

私は普段の食事でノドを拡張していたといっても、人を丸呑みするには細すぎますから。



手術できる人を探すと、本当に世界の広さを感じました。


世界には変わった趣味で体を作り変える人がいるようで、私の要求で手術をしてくれるお医者さんがいました。

いるところにはいるものですね。


術後の自分はもはや別人でした。


口は耳まで裂けて唇の中央は縦に裂けています。

口は横に開くのではなく十字に開くようになりました。


丸呑みするのに邪魔な歯は全部抜き取られ、ノドは首とほど同じくらいまで広げられています。


胃は人ひとりが収まるほどに広げるため部分的に切り離して、

ドナーの胃をパッチーワークのように継ぎ足して拡張されました。


お医者さんには感謝しかないです。

これで私は長年の夢が叶うのです。



……前置きが長かったですか?



そうですね、人を呑み込んだときは他では味わえない独特の快感がありました。


人間の体はどの食べ物にも似ていない形状をしているでしょう。

指があり、頭があり、足がある。


ノドを通るときの感覚もまた別格で、頭が通過したときには心地よい圧迫感と息苦しさ。

肩あたりを過ぎたときには指や足がノドの壁にぶつかってくすぐったくて気持ち良いのです。


でも、あるとき問題がおきました。


保育園にいた子供の兄を丸飲みしたのですが、つっかえてしまったのです。

寸法には問題なかったのですがどうしても生きたまま飲み込みたかったのです。


お寿司でも「踊り食い」なんていうのがあるじゃないですか。

一度でもそれに挑戦してみたかったのです。


兄を呑み込んだとき頭は入ったのですが、上半身が胃に到着する頃には暴れ始めたのです。


胃の中では上半身があばれて、まだ飲みきれていない下半身は口の外で大暴れ。

私にはもうどうすることもできません。


必死に押し込もうと足を抑えて喉奥に突っ込もうとしたんですが、

兄は体をよじってノドに滑り落ちないように抵抗していました。


そんなせめぎあいが長引いたせいで私は他の人に見られてしまいました。


私の姿を見た大人は口から伸びる子供の足を掴んで思い切り引き抜きました。

兄は私の胃の奥にいた妹の手をつかんでいたので、ノドからひり出されたときには兄と妹で胃液まみれになっていました。


私の計画はみごとに失敗し、兄がノドで暴れた後遺症で今はもう声を出すこともできなくなりました。

でも私はけして後悔していません。


子供がノドを通過するときのあの快感を味わえたのですから。


これを読んだ人にも魅力を伝えることができたのです。

なんて豊かで幸福な人生だったのでしょう。



私はこれから希望通り酸の中に飛び込んで命を散らします。


今度は私が丸呑みされる気分を味わうために用意してもらいました。

この世界にいる人達は本当に優しくて素敵な方ばかりです。



次に生まれてくるときは、今度こそ体の中で兄妹を再会させる夢を叶えたいです。


さようなら。

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