電脳多重幻夢

大和田 虎徹

第1話



 この世界は大変に大変だ。夢を喰らい肥え太る上級民、夢を搾取され痩せ細る下級民。私は下級民に分類される。娯楽もなく教育も最低限、与えられた仕事のみをこなしていく、非常に退屈な、無味乾燥とした生活。その上仕事も苦痛でしかない。

 世界政府さえも超える権力を持つD&E社、人々の希望を燃やし発電する技術「クォーリスア」を独占し、人々を支配する。ほかにも娯楽の画一化や教育の簡素化を担っており、知らない人はいないほどの有名企業だ。当然、私のような下級のゴミは入社できない。それどころか、本社ビルを視認することさえ許可が必要だ。

 そして、D&E社は警察機能すらも操っている。私の所属する夢警察も、通常の警察も、知識統制組織のホデューも、D&E社の指令によってのみ動く。嗚呼、今日もまた無意味な出勤が始まる。

「よう下級民。今日もまた媚びに来たのか。」

「わたくしめにかまうくらいならその手を動かしてはいかがですかな。」

「けっ、つまんねえやつだ。」

「どうせやっかみだろ、気にすんな。」

 やっかんでいるのはそっちだろう。私が最下級のドローツだからと突っかかり、思った通りの反応がなければつまらないと見当違いの愚痴を飛ばす。そんなことだから上級のくせに上層部にたどり着けないんだろう、なんて哀れな!

 そしてたどり着いた講堂では、始業時恒例の点呼が始まる。無意味な点呼は、どうやら最初は出勤を拒む連中の確認に使われており、次第に怠慢なものがいなくなり、やがて意味のないものに変わっていったらしい。偉そうな上層部がこぼしていたが、大丈夫だろうか。いつかこれを知っていることがばれたらホデューに連行されかねない。

「点呼、Do-3821-OST-DP、返答を。」

「はい。」

 嗚呼なんて無意味な行為。その後も次々に、機械的に点呼と返答を繰り返し、その圧倒的に多い数を点呼し終えてやっと業務に移れる。どうせ実地統制だろうが。

「本日のクォーリスア稼働生成生産率は約半分、夢を提供しない非協力的な下級民が存在している模様。実働部隊は早急に行動せよ。本社勤務部隊は実働部隊に非協力的潜在未確認反逆下級民がどの区域に潜んでいるかを知らせるように。」

 嗚呼やはり、今日もこれだ。夢を見ようとしない人なんてこの世界にいくらでもいるだろうに、そのようなものに強制的に夢を見せて、上級民が必要とするエネルギーを搾り取るのだろう。そして下級民は自分の身がたまらなく惜しいから、隣人を犠牲にして助かろうとする。どうせそうだ。昨日も今日も、明日も。

 そして非協力的潜在未確認反逆下級民が潜伏しているらしい地区。地区名はUAO、潜伏人数は推定一名。これは最後に尋問したものを処理しなければならない。まずは一人、また一人、問いただしていく。そうして選ばれてしまった最後の一人。

 今回の処理対象はDo-8491-UAO、特別階級のない平凡な下級民。こいつを捕縛して、あとは処理部隊に引き渡す。その後どうなるかは知らされていない。どうせ、ろくでもない目に遭うんだろう。

 嗚呼なんて、無意味で、退屈で、排他的で、怠惰で、夢がない。



 それは突然に現れた。クォーリスアがあまねく影響しているならば、その人物には必ず登録番号が割り振られる。そいつには、それがない。それはすなわち外部からの接続になる。そんなことはあり得ない。この世界に存在するには、クォーリスアの影響が必要不可欠、外部からの侵入はすなわちクォーリスアのエラーで、決してあり得ない。

 しかし、それは確かに存在する。番号のない「アンノウン」は、真っ白な仮面をつけて、姿を改ざんして正体を隠している。その姿は、厳密に管理されているはずの旧時代知識に描かれた何者か、もしくは確かに存在する誰か。

 そして、その白い仮面に隠された素顔は、観測している人そのもの。白仮面の「アンノウン」は、今やそれを知るもの自体が少ないマントを翻してこういった。

「目を覚ませ。」

 はてしかと目覚めているのに目を覚ませとはどういうことだろう。しかしその意味を理解した最上級の連中だけはそれを危険視した。

 あれを野放しにしてはいけない。我々イソーデュの権威を、権力を、信頼を、信用を、特権を、理想を、理念を、そしてなによりこの世界を脅かすあれは、人格こそ破綻しているものの、確かに天才だった、だからこそ、早急に処分しなければならない。

 歪んだ夢は、未だ覚めない。



 また今日も、退屈で無意味な行為が始まる。反逆の兆候のある中級から上級の連中が多い以外は、いつも通りの大変につまらない業務がやってくる。

 そして、何一つ変わらない行為を繰り返し掃きだめのような家へと帰る。そこには、どういうわけか先客がいた。真っ白な、顔を覆う何かをつけた、黄色い服と何かしらの袋を手に持った、奇妙な客。

「この姿を見て、何も思わないのか。」

 その言葉の意味は、わからなかった。目の前の不審者がどのような意図で発したのか、全くといっていいほどつかめない。しばらく呆然として、体裁として考えるふりだけをしていた。それは、見透かされていたようだが。

 表情の読めないそいつは、割れた窓からすっと消えていったように見えた。そんなことはあり得ないはずなのに、なぜかそう感じていた。これは危ない、このような非実在的感覚幻想が発覚しようものなら即刻処理が行われてしまう。ただでさえろくな目に遭っていないのに、反逆前科がついてしまえばさらになにがどうなってしまうのか、考えたくもない。

 その日は、夢を見た。珍しいどころの騒ぎではない、クォーリスアで完全に消耗した夢見る機能が、まだあった。尋問だ拷問だと忙しくなる。受けるのはもちろん私だ。そしてその夢も奇妙で仕方がない。

 白い上着を着た、私と体格のよく似た人物と、男性らしき同じ上着の人物。仲は、悪くはなさそうだ。しかし、視点があまりにも遠く、音声もノイズがかかっている。何もわからないまま、目が覚めた。

 最後に見たものに、なんだか見覚えがあった気がしたが、それどころではなかった。外では夢の反乱が発生していた。

「その場から北へ三歩、さらに南下せよ!」

「脳みそを開拓、四時間耐久航空機、浴びるほどのめろんそおだをいちごみるくと!」

「民衆に異世界情操教育を、ヒゲ対ハゲは意味深長なぱんつによりさらなる発展を遂げるでしょう。」

 悪夢でしかない。過去にも夢の反乱は発生した記録があるものの、ここまで大規模なものは過去に例がない。反乱に感化された連中も、ここまでの言語中枢悪夢症候群になっていない。これはまた片っ端から反乱影響下にある輩どもを処理するために捕縛するのだろう。過去にもそうやって、表面上の解決をしたように。

 だと思っていたのに。

「あー、Do-3821-OST-DP、おまえ先日発生した反乱の親玉捕まえて来いよ。不気味な白い仮面の『アンノウン』のことな。」

「はいはい。」

「はいは一回。」

「はあい。」

「伸ばすな。」

 やっかいなことになってしまった。正直に言って、手がかりなどどこにもない。処理された連中から尋問し、なんとかして特定するか、例の「アンノウン」に発信器でもくっつけるくらいしかない。さて地道に人捜しでもしようか。

 言語中枢悪夢症候群の通りをかいくぐり、どうにか会話のできそうなやつをあぶり出し尋問する。ひとまずはこれしかない。裏通りの、ドローツが寄り集まって形成された貧民街を徘徊する。腕章を認識するとすぐさま逃走するが、脚の失われたものは逃げることができない。そいつらからまず尋問していく。

「情報収集に協力してほしい。」

「知らんよ。あの言語云々とかいう病も、親玉も。」

「情報の隠蔽は当局によって処罰されるが、それでもいいのか。」

「知らんもんは知らん。ああ、ここの奥に逃げてった気がするが、本気にするなよ。脚も悪けりゃ目も悪いもんでね。」

「協力、感謝する。」

 目が悪いらしい貧民の証言に嘘偽りがないか、調べ上げて報告する必要ができた。夢警察や一般警察、ホデューに提供された情報は逐一徹底調査が行われ、それが虚言であったなら証言者を反逆兆候ありとして処理する。必要性を感じないが、やらなければ降格処分からの再教育が執行される。くだらないことこの上ない。

 証言通り、奥にやってきたものの誰もいない。すでにどこかへ行ってしまった可能性の方が高いが、それでもこのまま発見できなければ、あの貧民を処理しなければならなくなる。とりあえずは徹底的に周辺を見回るしかない。

「相変わらず雑多な貧民街だな。」

 ここには何度か非協力的潜在未確認反逆下級民を探しに訪れている。ものが多く、違法建築の温床で誰かが隠れるのに丁度いい。すべて調べていれば何日かかるかわかったものではない。

 ガラクタをどかして、旧時代知識の収集物を消去し、なんとか全体を見渡せるようにする。それでも汚いことにはかわりないのだが。

「ひどいじゃないか、人がせっかく作った秘密基地にこんなことして。」

「……嗚呼『アンノウン』か。服が違うからわからなかった。」

「そちらには、服を組み合わせる文化が失われているのか。いつもいつでも全く同じ、囚人のようなのっぺりとした服を着て。」

「のっぺりしているのはおまえの顔を覆うものだろう。」

「これは仮面というのだ。そんなことまで管理されているのか。」

「不本意ながら。」

 ガラクタと不要物を撤去した、曰く秘密基地の高いところに腰掛けて、白い仮面の「アンノウン」は語る。まるでとても楽しそうに。見ているこちらは何も楽しくない。むしろ、不安ですらある。

 奴が腰掛けているのは、旧時代の不要産物である鉄筋コンクリートである。すでに都市のほぼすべてが変形性ドリニウム補強材で形作られている今、鉄筋コンクリートはすぐさま破壊し変形性ドリニウム補強材に置換する必要がある。いくら貧民街の奥地でも、今の今までそれに気がつかないことがあるわけがない。

 とても、いやな予感がする。

「……秘密基地と、言ったな。その建材はどこから持ってきた。いつからある。」

「気がつくのが遅い。ずっと昔から、虎視眈々と作り上げた。頻繁に調査しているくせに何も見えていない。」

「質問の答えになっていない。」

「この世界ができて少し、そのあたりから少しずつ持ってきた。外の世界から。まだ夢を見ているようなら、もう少し強力な目覚まし時計が必要だな。」

「おい待て、くそっ、早い!」

 ひらひらとした衣服からは想像もできないほど素早く、その場から逃げていく。やはり、どう見ても消えているようにしか見えない。もしや、夢の反乱が空間にすら影響しているとでも言うのか。いや、あり得ない。あり得ないはずなのに、あり得てしまうかもしれないと、愚かにも考えてしまう。

 それに、あいつの言っていることもよくわからない。「外の世界」とは何なのか、虎視眈々とは何を指しているのか、わからないことが多すぎる。上級の連中なら何か知っているのかもしれない。

 長い服の裾をはためかせ、「アンノウン」は高らかに笑う。

「フハハハハ!愚か愚か愚か!この私にたてつくとはなあッ!こうなれば最終手段とはいかないが、もう少し遊んでやろうか!さあ、火口に爆薬を投入して噴火させてやろうか!ズドドドーンとな!」



「逃がしたのか。」

「ええ、逃がしましたとも。」

「どこへ逃げたのか、報告しろ。」

「消息は不明です。目に見えた範囲では、何度確認してもその場から消失したようにしか見えませんでした。」

「そんなはずはないだろう。」

「しかし、あの地域は貧民街の中でも入り組んでおり、その分隠れる場所が多いのも事実です。その上、『アンノウン』はそのあたり一帯で生活していることが発言から伺え、地理に精通している可能性も非常に高いです。」

「なるほど、貧民ですら迷う地域に長期間滞在することによって、足がかりをくらます策でも取っていると。」

「それが一番現実的かと。あとは、非常に考えにくいですが夢の反乱が空間にまで影響を及ぼしている危険性もあるかと。」

「そうか、確かに人間の言語中枢に影響があるように、空間認識能力や空間制御機器にまで反乱が影響すると。あり得なくはない。しかし、過去にそのそうな事例は確認されていないので、記憶にとどめておくのみにしておこう。」

「報告は以上です。情報提供者は虚偽の情報をよこしていない用です。」

「ありがとう、もう帰ってかまわない。」

「失礼します。」

「……あの地獄で好き好んで暮らす輩がいるなど、考えにくい。それに、あれに取り付けた発信器から聞き取れた発言、まさか外の世界に生き残りがいるなど、いや、ありえない。人類はすべて冷凍冬眠により永遠の眠りについているはずだ。いやしかし、『アンノウン』の発言は最上位階級か外の世界の人間しか知らない。忘れられた知識は絶対的な権力により統制されているはずなのに、本当に外から、ならば、目的は……。」



 また今日も、例の「アンノウン」に対する調査・追跡に取りかかる。去り際に発せられた発言を報告しなかった原因も、わかっていない。どうして上層部に伝えなかったのか、自分でもわからないのに調査するのもどうかと思うが、やらなければ再教育だ。何も考えない指示待ち人間にはなりたくない。あんな、罵声と憐憫にさいなまれてなお何も感じないあの気味の悪さだけは、どうしても好きになれない。

 不気味なまでの違和感に胸中を支配されながら、前回と同様に聞き込みにいそしむ。散り散りに逃げていく下層民を尻目に、第一大型食料生成基地を通り抜ける。

 その時だった。

「銀の歯車は腹部へのアイロンがけで完成する。」

「白ワイシャツと犬のタペストリーは人事部のせいだ!涙目の絞首刑はおまえが悪い!」

「頭を使わないパズルは意味のない考察に等しい、さあ十八時に太陽賛歌を!」

 反乱に影響された民衆が、突如として第一大型食料生成基地を破壊しようと行動しだした。意味のわからない言葉は氾濫し、狂った人々は暴徒と化し、まるで世界の終わりに思えてきた。はっと、周りを見回す。

 すると、やはり高いとこにいた「アンノウン」、何もかもが真っ白な幼子が、気味の悪い仮面をつけているのが、異様なまでに気持ちが悪い。

「また、会ったね。」

「何のつもりだ。」

「決まっているだろう、救済だよ。」

「これのどこが、救済だというのだ。明らかに崩壊だろう。」

「既存の概念からすればそうだろう。いや、『新しい価値観』から見れば、かな。張りぼての安寧はこれからきゅるっていく。さあ見てくれ、これがこの体制に不満を抱いていた連中の反逆だ。これだから自分のことしか考えない奴らは大嫌いなんだよ。まあ、そいつらの口車に乗せられたのも事実だけど。」

「……言動に理性が感じられない。本当に、人間か?」

「あはは、人間がいつでも理性に基づいて行動するとでも言うのかい。」

 そう言うな否や、幼子だったその姿は歪んでいき、いつの間にか生活自立適齢期ほどに変化した。いくら何でも、目の前で変質すればそれを事実だと認めざるを得ないだろう。そして、変化した「アンノウン」は高らかに叫んだ。

 ひらひらとした、しかしこの間の服装とは全く違うそれ。棒状のものを振りかざし、変質した「アンノウン」は声高に宣言する。

「敵は、本能寺にあり。」



 声高に叫ぶは変わり果てた仮面の君。その声に反応し、衆愚は第一大型食料生成基地を完膚なきまでに破壊し尽くし、次の目標にめがけて駆けていく。その目標とはすなわち夢警察本部、中央管理管制塔だ。まさか本部を破壊するつもりなのかとかの者が憂いていると、その憂いは嫌が応にも間違いであったと見せつけられる。

 群がる群衆、その先にあるものは何か。先にありしは大きな闇。比喩でも何でもない、大きく広がるは無限の闇、そうとしか言い様がない非現実の象徴。空間に大きく空いた中空は正しくそこに開いた中空、闇としか言い表しようがない。ぽっかりと、大きく広がるは暗黒そのもの。

「それは、何だ」

「見てわからないのかい、移動用のポータルだよ。君たち夢警察もよく使っている技術だろう。」

「その、それは、明からにどう見ても、違う何かにしか見えないんだ。何もかも、異なって見える。大丈夫なのか。」

 そう、夢警察およびホデューにのみ使用が許可されるポータルという技術がある。それと中空に浮かぶ謎の暗黒は、とても似通っている。そもそも、どのみち違いもほぼほぼない。強いて言うなら,その色が漆黒に染まっている一点だけが異なっている。暗黒にふさわしい黒に染まっている、

当然、その黒はDo-3821-OST-DPにとっては取るに足らない些細なブツだ。色以外は見慣れている。よく見知っている、ただし、その色以外は。本来鮮やかなる薄い青を伴うはずのそれが、べたりとした黒に塗り固められている。

「この世界が一つだけだとは、思わないことだ。」

「矛盾している。世界の根幹に関わる矛盾だ。今すぐにでも連行すべき言動なのは、知っているだろう。」

「そんなものは知らない。勝手に作り上げてそれに引きこもった盲目の人間が、自分の安寧だけを考えて他を排斥した規定なんて、くそ食らえだ。さあしばしお別れだ。待て、しかして希望せよ。」

そう言い残して消えていった「アンノウン」、漆黒に飲まれてそれとともに消失した。後に残るは呆然と立ち尽くし、何もなしえなかったDo-3821-OST-DPと、未だ狂乱の渦中から抜け出せずにいる愚民ども。そこに近づいてきた上司も、何と珍しいことに事情をくみ取って、今日から数日は休暇とした。

 これは天から死体でも降ってくるのではないかと勘ぐる当事者、しかし決まったものは必ず遂行しなければならない。それが当然、それが必然、それこそが衆愚の生き方でしかない。仕方がなく、お家に帰ることになった。



 夢を見る。搾取されているはずの、夜に見る夢。

「博士ーできあがりですよ。ここを押すとどうなると思いますか。」

「どうなるのかな。」

「コンピュータ内部で指令が出て結果的にデータすべてが爆破してその余波で機体そのものが粉砕されます。」

「なんてもの作っていたんだ没収だぞ。」

「爆破は浪漫ですよう。」

「やめてくれ。」

 甘く甘美な夢の色。一面真っ白の、幸福という贅沢に彩られた夢の中。

「爆破もいいけど、実用性を兼ね備えた研究はしないのかい。」

「ははは、あんな腐れ脳みそのわがままじじいどもに権力なんてないですって。」

「言い方どうにかならないのか。」

「あっはっは。」

 白い上着の二人が、夢にいる。片方は「アンノウン」と同様の仮面をつけている。私と体格が似ている方だ。

「博士も、ずいぶんと根詰めてやっていてずっと引きこもりっぱなしじゃないですか。いつかころっと逝っちゃいますよ。」

「それは困る。給湯室に案内してくれ。」

「煎れるのどっちですか。もうあの魔界飲料は勘弁ですよ。」

「あれは少し失敗しただけだろう。今度こそうまくいくはずだから。」

「一応、予備も手配しておきましょうね。」

「はいはい。」

「はいは一回ですってば。」

「はあい。」

 管理のされていない、自由という至宝がその場にあった。しかし夢は、至福は唐突に終わりを迎える。不可解な仮面のみを残して、幸福は覚めていく。暗黒が、やってくる。

 それはまるで、「アンノウン」が消えていったポータルのような、底の知れない、得体も知れないおぞましいナニか。その不快感を拒絶したくてもできない、どうしようもないものであることしかわからない。



 そこで目が覚めた。当然ながら目覚めは最悪だ。不快指数を記録するまでもなく、居心地が非常に悪い。しかも隣にいる。「アンノウン」が、侵入していたのだ。私の寝台に。

「帰ってくれ。」

「ひどいな君のために仕立てた一張羅だぞ。」

「何だそれは。」

「おお、これも知ることがないとはなあ。以前あった服を組み合わせる文化において、一等格式高く改まった衣服のことだ。他にも特に気に入っている服のことも指し、これは後者にあたる。」

 言葉の説明をする「アンノウン」は、とてもとてもうれしそうで、楽しそうで、幸福そうで、私や他の連中とは対極に位置するといっても過言ではない気がしてくる。仮面に隠された素顔はうかがい知れないが、きっとこの上なく艶やかに破顔しているのだろう。

 ついでに、初対面のさいにわからなかった言葉の意味を求めるとこれもまた生き生きとしながら解説した。古くは極東の文字を使い、その中でも四文字のみで構成されたものだという。圧縮された中にも物語や意味が含まれて、先の虎視眈々とは今や絶滅した虎のまなざしがごとく着実に、確実に策を練っていくさまを表しているのだという。同じ言語の圧縮と言っても、現在横行しているものとはまるで意味が違う。

 古き言葉がその物語を端的に、わかりやすく後世に伝えるべく縮められたのに対し、今の統制言語はあまりにも簡略化しすぎて何を表しているのかさえわからないときがある。これもD&E社の策の一つなのだろう。瞬く間に変質する意味のない言葉だけが残り、反逆や知識を司る言葉は上級の連中の特権となっていく。今まで気にかけていなかった分、やたらに恐ろしく感じてしまう。

「そういえば、」

 気にもとめないことといえば、「アンノウン」の仮面の下もそうだ。いつも真っ白で感情がないのが当然だったが故に見落としていた部分だ。はたしてその下はどうなっているのか、それさえつかめばこいつの正体がわかるやもしれない。

 意外にも抵抗しない「アンノウン」の、無機質な仮面を外す。そこにあったものは、信じられない顔だった。

 自分と、全く同じ顔。鏡でも見ているかのような気分へと錯覚させられる。この科学支配時代にいたってなお、全く同じ人間を作ることは不可能だ。その上、同じなのは顔面だけであとは全く違う。痩身でありながら案外しっかりとした四肢、整えられていない乱雑に飛び跳ねた頭髪、本人曰く一張羅のくたびれた衣服。まるで顔面だけを切り抜いて貼り付けたような違和感。猛然とした狂気に吐き気がしてくる。

 すると「アンノウン」の懐から取り出された旧式のハンドガンが、足下を捉え打ち抜く。当の「アンノウン」はびっくりした?なんてうそぶいて素知らぬ顔で語りかける。

「あまりじっくり見ない方がいい。その仮面を返してくれないか。」

 そう言われて返すが早いか、またも「アンノウン」はその場で変質して逃げ出した。嫌に硬質でとげとげしい防護をまとい、人間とは思えぬ跳躍力で逃げていく。

 何だったのかはわからないが、ともかく本日は業務をしてはならない。やろうものなら処罰待ったなしという理不尽が待ち構えている。しかしながら、下層民には暇を潰すという行為ができるような教育はされていない。やることと言ったら押しつけられた重労働か、さして面白くもない公共娯楽施設だ。

 とはいえそれ以外のことをやろうものなら、重大な反逆兆候として連行されてしまう。仕方がないので公共娯楽にいそしむとする。

「ようこそ公共娯楽施設に。あなたに許可された設備は以下の通りです。」

 そして、この中でも階級が存在している。上層の能なしならもう少しまともに楽しめるものが提供されるのだろうが、あいにくながら下層民にはろくなものを提供してくれない。例えば、球体をただひたすら穴に入れて出してを繰り返す行為。

 言ってしまえばただの無意味な行為だ。点数も成功率も表示されない、ただの繰り返し。他のものも似たような意味のないもので、そういうわけだから配布される飲食物も恐ろしく低俗だ。

「こちらが低額支給食です。」

 その最たるものがこの低額支給食である。食料生成基地で生成されたもののあまり、言ってしまえばゴミが挟まったサンドである。まずい。この世界にこんなに味覚を殺しにかかる食物があるとは思いたくないが、舌からダイレクトに伝わるゲロ並の味である。嗚呼まずいことこの上ない。

 なんとかつまらないなりに時間を浪費し、帰宅する。時間内に家にいないと問答無用で処罰が下る。なんでこんなに無駄な規定があるのか、理解に苦しむ。

「おかえり。」

「だから何でいるんだ。」

 そしてどうしてかいる「アンノウン」、先ほどの厳つい防護で、脚を折りたたんで座っている。刺さらないのか。

「で、どうしているんだ。」

「やることがなくてね。」

「まあ、外出規制時刻だからな。」

「苦しいね。」

「全くだ。」

「規制のない世界を知っているかい。」

 なにを言っているんだこの不審者は。別の世界とは何のことか、いきなりそんな訳のわからないことを。夢警察にそんなことを言ってしまうと、業務中なら容赦なく連行からの再教育である。しかし「アンノウン」は素知らぬようで、顔は判別できないがこちらをじっと見ている気がする。

 嫌な予感はする。しない訳がない。しかし、その言葉はどうにも気になる。失ったはずの夢のことも、その夢に出てくる二人のことも。

「わかった。手を取ろう。」

「はーい一名様ご案内でーす。」

「おわっいきなりひっくり返すな何か出るだろ!」



「おはよう。」

「ここはどこか端的に教えてくれないか。」

 そこは極彩色のノイズがあふれる世界、階級が支配する世界からすればあまりにまぶしい街。そこは何でもある気がした。

「あそこが絶対的な階級支配社会だとすれば、ここは完全な自由放任社会。何をしても、何を思っても許される。当然、殺すのも殺されるのもほったらかし。」

「なんて世界だ。」

「あそこも相当だけどね。」

「で、その姿は何なんだ。妙に厳ついひらひらは。」

「わるいひとだよ。変える姿はぜえんぶわるいひと。この世界を壊して回っているのだからね。」

「そんなものか。」

「そんなものだよ。」

 黒を基調とした絢爛豪華な衣装に身を包み、その裾から妙な布を引きずり出す。透明な布は、夢警察にとってはしょっちゅうではなくとも比較的見知ったそれ。

 光学変質素材外套、潜入や調査などに使われる「着用者を不可視にする」外套。主にD&E社が管理しており、持ち出しは許されていない。犯罪や反逆に用いられては築き上げた信頼と権威が海の底まで失墜してしまうからだ。その物品を、何でもないように取り出してきた。

「没収案件だぞそれは。」

「いいんだ、これはきみに着てもらうものだから。過激なことをするから、見えないふりをしていてくれないか。」

「何をする気だ。」

「知ったことか、救済だよ。」

「それが物騒にどうなるのか。」

「言っただろう、ここは自由放任社会。生死すらも自己責任の世界だ。自分の身を守れない奴は真っ先に喰われる。これを深くかぶって、ついて行くかじっとしているかは自由だ。」

 そう言って、純白に覆われた漆黒は駆けだしていく。なんだか気味の悪くなった透明人間はついて行くか否かを決めあぐねている。そこにつんざく絹のすれるような男の声。男性の声帯でもまあここまでの高音が出せるものだと感心してそちらを向く。

 そこにあった狂気は鮮血、静脈血、体液、肉片。「アンノウン」の振るった剣が、握った拳が、振り下ろした脚が、誰かを絶命させている。男だったもの、女であろうもの、さっきまでちゃちなナイフで弱者を嬲りいたぶっていたもの、その肢体で欲望を満たしていたもの、それらの区別なくただ淡々と誰かのさっきあった命を奪い取っていく。

 小さな声で、本当はもっとわるいひともいたけれど、と独りごちる「アンノウン」は進行する。その場にいるすべてを抹殺しながら。些事であるといった具合に、何事もないように、例えばそう、周りを飛び回る羽虫が邪魔くさいから手で潰すように、他人を惨殺する。

 深紅の道は延びていく。その先はわからない。しかし、確実に目的がある。そう確信させる歩行に、興味はつきない。やがて止められた歩の場所は、大きな建造物。まるで、D&E本社のような、圧倒的存在感を放つ摩天楼の長。ただひたすらに、そこを駆け上る。道行く自由人の首を跳ね飛ばし、歩んだ道に転がしながら。

「第一電脳暗黒郷、消滅確認。」

 そうつぶやくと、世界は崩壊した。目も開けられない暗黒が支配し、やがてそれは意識にも及ぶ。



 また、夢を見る。三回目の夢には、複数の人間がいる。過去二回とは違い、やや険悪な雰囲気である。

「素晴らしい、これは今までの発電などよりもずっと効率的でエコだ。」

「わかってますよね、これは夢破れた人にのみ使用する。まだ潤沢に夢見る資格のあるものから搾取してはいけない。」

「わかったわかった。」

「しかしこれを君のような一般研究員が所有するのも問題だろう。」

「あなたたちのような権力に拘泥する上層部にも保有は難しいでしょう。」

「こら。」

「……その減らず口はどうにかならないのか。」

「皆さんの後光の差す頭頂部と同じように、体質なもので。」

「これは昨今の地球温暖化に適応した結果だと言っている!」

「日本人は海藻をよく食べるため、欧米諸国よりはハゲが少ないらしいですよ。あっすみませんね海藻を消化して栄養素を吸収できるのはやはり日本人だけだそうですよ。」

「おい、誰かこいつをつまみ出せ。」

「そんなことしたらまた奇行に走りますよ。」

「今度はそのハゲ頭を爆発させてやろうか。」

「もう面倒だな、仕事でも割り当てるから黙って出て行け。」

「わあいお仕事、ハゲからのお仕事大嫌い。」

「うるせえ。」

「で、これはどうします。」

「会社での保管が妥当だろう。さすがにこのような危険物を個人資産とするわけにはいかない。」

「まあ、そうなりますよね。しかし、くれぐれも、くれぐれも!私物化などせぬように!」

「するわけがないだろう。我々をなんだと思っている。」

「老害。」

「帰ってくるながん細胞。」

「くっそこの変人仕事も逃げ足も速いこの野郎!」

「見学しますねえ。」

「いやいや、こんな大仕事をしたんだ、ここは数日間の有給を消化していなさい。何日ため込んでいると思っているんだ。」

「さあ。」

「おおよそ一ヶ月ほどだよ。」

「おや、研究中は三日とないとかほざいていませんでしたっけ。」

「気のせいだよ。さあ、帰宅の準備をしていなさい。あのイカレ野郎のことは気にしなくていいから。」

「そんなに邪険にしないでもいいじゃないですか。」

「あ、女性研究員の更衣室変更になったから。どっかの馬鹿が似たような爆発起こしやがってね。」

「あーはいはい。」

「はいは一回。」

 その一室を出て行こうとしたときに、意識が暗転する。高圧認識阻害電流を受けたときのように。夢なのに暗転する意識に疑問を抱いていると、視界が開けてくる。白く染まっていく眼前は目覚めのそれである。

 仮面の、背格好がよく似た研究者が発明したものが、とても引っかかる。それはまるで、世界をむしばむあれ……



「うなされていたよ。」

「だろうな。」

 目が覚めたのはまた別の場所。あいつの言葉を借りれば別の世界とのこと。その街道は、嫌に同一性が多い。女性しか、道を歩いていない。

「ここは女性の権利のみが約束された世界。一部の狂った思想家連中が、男性を『不完全かつ欲求にとらわれた劣等存在』として完全管理する地獄。」

 ここもまた、異様な価値観がまかり通る奇妙な世界らしい。しかし、性別がすべてを決める世界は果たして健全な運営が可能なのか。そんな疑問が浮かんでくるが、どうもこの世界も破綻しているらしい。

 結局、どの世界も誰かの理想を限りなく悪意を持ってして歪めたものでしかない、そう言い放つ『アンノウン』はやや前時代的な、上層の連中しか許されていない装飾的衣服を身につけた、複数の色を持つ毛髪が特徴的な「少女」だった。おそらくだが、この世界の狂気に合わせて変化しているのだろう。

 その蠱惑すら感じられる外見はそのまま駆けだして、再び民衆を惨殺していく。その思想に異議を申し立てるかのように、むごたらしく道が作られる。曲がりなりにも武装のあった前回とは違い、この姿に攻撃的装飾は見受けられない。にもかかわらず、その怪力だけで道のすべてを赤く染めていく。

 狂った思想家と言っていた、この世界の構成者が首を引きちぎられていく。その思考回路をあざ笑うかのに、もぎ取った首を路上の照明に突き刺していく。

「さあ、次だ。」

 そうして短な意識の暗転から目が覚めた次の世界。そこもまた、ある種の狂気が蔓延する地獄だった。

「歌のない世界、なんて醜く退屈なんだ!」

 そう言い放って駆けだして、手には楽器と思われる未来形状物質を構えて、その衣服は軽度の武装をして、やはり嬲り者にしていく。おそらくは歌と思われる単語の羅列を発しながら、当局の人員を張り倒し道を生成していく。

 その髪色とまき散らされる鮮血の見分けはつくわけがなく、やはりこの世界でも首が乱舞し血液が飛び散りおぞましい赤の足跡を残していく。そして、首謀者であろう人間の首がどこかへと飛んでいく。もはやなれてしまっている自分が恐ろしい。

 次の世界は、反対の、しかし同様に異様な狂乱が支配している。先の狂気が抑制ならば、この狂気は強制。強制されるものは美食。美味なるものを求めて果てにたどり着いたおぞましい極致、それは常ながらに口にチューブを突っ込まれながら胃の中に流し込まれる。嫌だと言う口も塞がれて、動くことも極限まで抑えられ、ぶくぶくと肥えていくことが好ましいと、そう植え付けられている。らしい。

「嗚呼ばからしい。抑圧も強制も頭ばかりが肥大化しているすかすかの連中の考えることだ。ならば頭がなければいい。首を切り取ればいい。さあおののけ腐った脳みそにあぐらをかいた耄碌老人、さあ首をはねよ!」

 言うが早いかまたもや駆けだした「アンノウン」、もうここまで来ると飽きてくるのが、なんだかとても恐ろしく感じてくる。肥大した住民は逃げることもできずに、頭すらも容易に嬲られた。そうして何度目かわからない睡魔に襲われる。

「おやすみ、敬愛せしオリヴィア・ノイマン博士。きっと次の夢ですべてを思い出す。それまで、仮初めを呪うといい。」



「……ああは言ったが、そんなもの誰が約束ものか。」

「技術というものは、使うためにあるのだよ。危険だからと言って使わないというのは、正直に言って阿呆のやること。」

「それに、夢を使うなんてまさに夢のような発想だ。」

「そんなものは我々が使ってこそ真価を発揮する。」

「人間すべてを眠らせて、夢を実体化するといいだろう。」

「あのイカレ野郎をたぶらかして開発させた機械さえあれば、それは可能だ。」

「全人類が眠りにつけば、理論上は夢の世界のみで生活が可能だ。」

「これがあれば可能だ。」

「すべて可能だ。」

「可能だ。」

……

「可能なわけがないじゃないか。人間の想像力に限界はない。日本を始めとしたあまたのサブカルチャーが物語っているのに。全人類の想像を統合したらその妄想がけんかを始めて収集がつかなくなることくらい、わからなかったのか。嗚呼仕方がない。この世界で正気なのは誰もいない。『おれはしょうきにもどった』以外はな。『僕悪くないもん』、悪用し、だましたのはあいつらだ。一回ぶん殴ってやろう。その過程で大方死滅するだろうけど。頭頂部と同じように。」


13


「おはよう。」

「……おはよう、『アンノウン』、いや、もうすべてを思い出したいまではこちらの方がいいだろう。……随分と待たせてしまってすまない、リヒャルト・ギュンター。」

 すべて、すべてを思い出しました。かつてDo-3821-OST-DPと呼称されていた存在の正体は、記憶をすべて抹消されて、最下層に追いやられた天才科学者でした。その名はオリヴィア・ノイマン、博士でした。

 Do-3821-OST-DPは、夢の世界の名前。現実ではオリヴィア・ノイマン、クォーリスアを開発した張本人。夢破れた人の夢を再利用する目的で開発された機械および技術は、あるいは本当に夢のような機械になるはずでした。

 オリヴィアの部下には、リヒャルト・ギュンターという問題児がいました。教養以外はかなり問題の多い人物で、奇行も多く特に上層部からは大変に嫌われていました。その影響で、オリヴィアさえも目の敵にされていました。

 そんなリヒャルトは、「頭頂部がまばゆく輝くお偉方」にとある機械を開発させました。それはディメーテオ、深層心理に働き未来永劫眠り続ける生活を強制する、とんでもないものでした。そう、この歪んだ世界を作り出した本人ともいえるリヒャルトは、その後悔のために白仮面をつけてめちゃくちゃなディストピアを一つずつぶち壊して回ったのです。人間の深層心理は、統合しようとしても勝手に分裂するものです。多様性こそが、人間の性質だと考えなかった禿頭上司は、それを組み込まなかったのです。

 そんな無理のある理想世界は、やがて数を減らしていき、とうとうこの世界のみとなりました。とらわれていた人間は解放されたか、長期の拘束に耐えきれず死亡したのでしょう。

 そして、「アンノウン」最後の仕事です。夢世界に存在するクォーリスアを破壊して、本来あるべき世界に戻すのです。その場所は、D&E社本部ビル最深部。当然ですが、周りは敵だらけです。そんな危険地帯を、この問題児野郎は一人で突破するなどと言い出したのです。

「そんなことできるわけがない。大切な部下を危険にさらす上司があのくそ野郎以外にいるのもか。」

「しかし、博士には戦闘能力がない。その光学変質素材外套も万能ではない。」

「武装ならある。」

 そう言ってオリヴィアが取り出したのは、植物の枝によく似たナニカ。二人には見覚えがあるもので、いつぞや最終的にコンピュータを物理的に爆発させるプログラムを作成したリヒャルトが暇つぶしに作り上げたガラクタ。植物の枝先から種々の通信電波を阻害するビーム等を放つおもちゃにしかならなかったものでした。通信妨害の他、物質を一時的に機能不全に陥らせる電子圧縮光線、視界を奪うただのフラッシュ、それに、今やすべての機器に使用される量子コンピュータを物理的に爆発させる遠隔操作プログラム。これだけあれば、おもちゃとはいえど実践に使うことは可能です。まさに、夢のような武器。子供の夢がそのまま形になったものです。

 しかし、当然疑問が浮かび上がります。

「博士、本来その弊型ビームソードは光しか発しない。それ以前に、それはあのハゲどもの手によって完全に焼却されたはず。どうして、こんなところにあるんだ、博士。」

「ここは夢だ。何が起きても不思議ではない。そうだろう、『アンノウン』よ。より正確に言えば『あんなこといいな、できたらいいな』が実現した。……君を、手助けしたくてな。」

「……それもそうだ。よし、行こうか、地獄へと。」

 そう言って、鎧甲冑姿へと変質するリヒャルト。今はもう、仮面はつけていません。だってもう必要ないのだから。だってもう、この世界以外に歪められた夢は残されていないのだから!

「痛い。」

「鎧の都合だ。」

「知ってるよ。」


14


「緊急警報!緊急警報!『アンノウン』の進行!言語中枢悪夢症候群患者の群れを引き連れて進行している!言語中枢悪夢症候群患者の総数は概算で……約百億!?馬鹿な、都市人口どころか全世界の人間をほとんど引き連れている……だと!?」

「夢警察やホデューまで取り込んでいる、残されたのは本社ビルのたった十三人。戦力差は絶望的、しかしこちらにはクォーリスアがある。」

「そう、ですね。」

「こういうことは言いたくないが、頼りにしているぞ、Do-3821-OST-DP。」

「はいはい。」

「はいは一回。」

 進行は進みます。「アンノウン」は全人類を引き連れて、クォーリスアのあるD&E社本部ビル最深部へと攻め込んでいきます。その波はもはや人の波ではなく人間津波、災害と言っていいほどの規模となっているのです。

 たった十三人でそんな災害に対応できるわけがなく、「アンノウン」は下へ下へと進んでいきます。下へ降りていくほどに言語中枢悪夢症候群患者は減っていきますが、それでも十三対約百億は、気でも狂っていなければ対応可能だと断言できるわけがありません。そして十三人のうち十二人は、ホデュー基準で狂気汚染されておりません。そして、最後の一人。登録番号はDo-3821-OST-DP、隠し持った狂気は、未だ他の連中にみじんも察知されていないのです。

 そしてやってきます、運命の時が。夢の最深部、正気で塗り固められて歪みを抹消した元凶、歪曲した理想を叶えるためだけに使われるべきではない「夢の機械」が、鎮座しています。最奥警備を任された人員は二人。その片割れは、当然のようにDo-3821-OST-DPです。

「やあ、歪んだ夢を守ることだけに必死な禿頭王。シャルルなんてあだ名はいかがかな。それとも無味乾燥としたI-9485-FIV-HOとかいう番号で呼称されたいのかな。無能なことを自覚しないおっさん。」

「黙れ、この世界こそが理想だ。」

「そうは思わないな。世界というものは、多様を美徳としていた。そのはずなのに、たった数人のエゴで歪めた大罪人の主張を今も続けるようだね。デビット・サイバーダイン。」

「黙れ、黙れ、黙れぇッ!!」

「おっと。」

 I-9485-FIV-HOの武装が牙をむきます。ホデューの所有する数々の武装のなかでも、特に強力なそれは、周波数を乱すことによって正常な認識をすることを封じるものです。正規手段では、無効化は不可能に等しいシロモノです。

しかし、リヒャルトは何事もなかったかのようにそこにいます。鋭い意匠の多い甲冑姿から、武装はしているものの以前よりも軽装で、シンプルなものに変化しています。そして、その双眸は、まるで鮮血のように、真っ赤に、充血でもここまでに赤くならないと言った具合に、瞳そのものが、深紅に染まっていたのです。しかし「アンノウン」の本質である「見た人間の顔そのものに見える」性質は、そのままです。

「なっ、なぜだ、そんなはずは、ないのに。」

「残念だなあ、元からおかしい人間に洗脳が通用するわけないだろう。いやこいつは元からじゃないか。まあ、洗脳されている人間に他の洗脳は効果はないんだ。『僕悪くないよ』、文句なら皆殺し系ゲームクリエイターに言ってね。もう天寿を全うしてるけど。」

 そう言って、リヒャルトはさらなる変貌を遂げます。もはや人間ではなくなるというのに、そんな恐怖も感じられない様は、驚異そのものです。

 肩甲骨が隆起したかと思うと、そこから出血を伴って漆黒の翼が、皮膚を突き破って生成されます。夢の世界には存在しない、星空のごとき絢爛な重厚さは存在するものの、それを押しのけてまで存在するのは、人間が眠り落ちる瞬間に感じる暗黒。そして悪夢を予感させる暗闇でもあるそれは、伝承上の生物の翼、ドラゴンの両翼なのです。人間が夢に見た幻想の最たるものの、偉大なる連理です。

「ドラゴンの役割は、物語の性質によって、そして文化によって大きく左右される。聖なるもの、邪悪の化身、悪徳を栄えさせる存在、知識の守護者、天候の神、打ち倒すべき宿敵、財宝を蓄えし賢者、暴れ回るだけの乱暴者、生涯をともにする相棒、最強の生命体。その中には、『すべての生命の頂点に立つが故に天の意思に反するものを抹殺する先兵』というものがある。この翼はまあ、そういうことだ。世界の意思を害した劣等種として、おとなしく死んでくれ。」

「やめろっ、許されざるものめ、おい、Do-3821-OST-DP、こいつを、反逆者を、裏切り者を、研究所のがん細胞を、人類の汚点を、殺害しろ、おいっ、聞いているのかッ!」

「ああすみませんねハゲ上司、裏切り者は一人だけじゃあないんですよ。十三人そろえば、一人は裏切り者がいるべきでしょう。効率厨にはわからないでしょうけどね、ハーゲ。」

 おもちゃでしかなかったものが、牙をむく。それはなんて素敵な夢物語でしょう。夢のような機械だった悪夢の装置は、心臓部である量子コンピュータ部分を壊滅的なまでに破壊し尽くされました。そして、永きに渡り人類を汚染してきたおぞましき悪夢は、いまやっと目覚まし時計が鳴り響く中覚まされたのです。


15


「さて、もうこの世界には二人きりだ。でも、この体はここで朽ち果てる。現実でも同様に、だ。本来設定されていないパーツを増やしたからな、負担が大きすぎる。」

 リヒャルトによって告白された非道な現実、この世界を救済し、破壊した英雄は、永遠に目覚めることができないのです。

 そもそも、ディメーテオなしでこの夢世界に突入すること自体が危険すぎる行為なのです。その上で、数ヶ月、もしかすると数年間も夢にまどろんでいたその肉体は限界をとうに超えています。たとえ、悪の科学者を打ち倒す際に開いた翼がなくとも待ち受ける運命は、死です。

「いや、私ももう現実にはいられない。間接的とはいえこんな未曾有の事態を引き起こす原因を作った人間だ、罰を受けてもそれが当然だ。」

「……博士が罰されるところは見たくないな。」

「ならば、君が殺してくれないか。」

「いや、どちらが殺そうと一人になってしまう。その前に、快晴が見たいな。この状態、データだからこそできる。」

 そう言うと、リヒャルトはオリヴィアを小脇に抱えて高く、高く飛び上がりました。その肉体は今まで変えてきたであろう姿がめちゃめちゃに混ざり合った、旧き画面バグのような有様でした。そんな体でも、晴天を、快晴を、空いっぱいの自由の色を、オリヴィアに見せようと必死なのです。二次元の女性にしか恋をしたことがない彼にとって、最初で最期のデェトです。恋愛関係も恋愛感情もないのに、デェトだなんておかしな話ですが、最近では友人同士の外出でもデェトと表現するのが流行らしいのです。夢に飲み込まれる前の流行ですが、これが最先端なのです。少なくとも、彼にとっては。

 そしてオリヴィアにとっても、最初で最期のデェトです。二人きりの世界で、初めてかつ生涯で最期のデェトが、吸い込まれそうなほどの晴天だなんて、なんてロマンチックなんでしょう。

 両者ともにきしむ体を酷使して、やってきたのは貧民街。否、二人だけの秘密基地です。歪んだ世界で唯一生き残っていた鉄筋コンクリート製の秘密基地は、吹き抜けとなっていて、ロケーションも最高です。

 崩壊する世界の中、オリヴィアが最期に見たリヒャルトの姿はもう何が何だかわからないことになっています。もう人間と言って信じる者がいるかどうかもわからない有様です。しかし、その両目だけは、夢を見る前の、きれいなヘーゼルでした。

 そしてオリヴィアも、リヒャルトに見せた両の眼は、いつものよどんだ昏い色彩ではない、慈悲深い大地の輝きをたたえていました。

 こうして、世界を破壊し、そして救済した二人の英雄にして大罪人は、誰にも知られることなく生涯を終えました。遺したメモという名の、後の人類に向けての「ただしいゆめのとりあつかいせつめいしょ」を遺して。

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電脳多重幻夢 大和田 虎徹 @dokusixyokiti

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