相棒
苦ヲ
第1話 相棒
地を踏みしめ二十数年、観てきた人間、生き物、植物、風景。
変わっていく顔や身体の形。そして、変わらず木の根の様に張り付く性格。
何年経とうとも自分の性格は、変わらない。誰かに毒することもなく、良いか悪いかも区別はせぬが変わらない。誰かを傷つけようが自分を傷つけようが変わらない。
そう思うのは何かの壁にぶつかった時に生まれる。と言うのも、結果として『性格は、変わらないのではなく変えられない。』今思い返すと、壁にぶつかったのは何度かあったのだろう。自分の性格と向き合う日、それがここで言う壁だ。
あれは、小学三年生の頃だったと思う。これが、初めての壁として記憶されている。悪意は無かったが、すぐに手をあげてしまう性格だった。事ある後に、カチンとくると言葉と同時に手をあげていた。その時、頬を殴り痣を作らせる様な漫画の様な手のあげ方はしていない。相手に怪我を負わせてしまった事は一度もない加減は自分なりにしていたからだ。かと言って、暴力そのものを肯定してしまうと法律も糞もない。だから、皆さんはこいつはこんな奴なんだなと最悪なレッテルを貼っていただいて結構だ。結構だなんて、暴力を振るう人間が何を上からと言う人もいるだろうが、そこも含めて私はそういう人間と認識してもらって構わない。
さて、話を戻そう。小学三年生の春、残り一か月もすれば四年生になるだろう月日の出来事だ。突然、担任からの呼び出しを受けた。『丸々君と丸々君と丸々君が貴方から暴力を受けたと聞いたんだけど、それは本当?』その三名の名前を挙げられた時、ああ、あの時の事か…と思ったのは一名で残りの二名は思い当たる節は無かった。よく聞く話だが、いじめた側は覚えていなくてもいじめられた側は覚えている。
みたいな事を耳にするが似た様なものなのだろうか。
今でもたまにふと考え直してみたりするも、やはり思い当たる節はない。
そして、当時の自分は正直にその事を伝えるも勿論信じてもらえず白状しなさいと詰められていた。一か月程だろうか、そこまでの期間なかった様な気もするが、当時の六年生が卒業する、卒業式の後にも残され怒られていた記憶が鮮明に残っている。校舎内から外まで在校生が向かい合い並び手と手を合わせて人型のトンネルを作りそこを卒業生が通るのだ。後に自分もそのトンネルを潜る事になるが、そこから見える景色は堪らなく気持ちのいいものだった。
身長が低い子もいる為デコボコで腰をかがめながら左右にいる人の顔を覗かせながら歩いていく。まあ、覗かれているのは自分達なのだが…。そんな、気持ちのいい景色の輪を作る側にいたあの時そこで、周りの在校生、卒業生が涙を流し話す中。違う涙がこぼれ落ちそうな自分がいた。
それも、卒業式前に担任から終わったら来るようにと呼び出しを受けていたからだ。
だが、呼び出しもこれが最後だったと思う。こういう、残すべき記憶が曖昧な部分も性格が出ているんだと思う。今から怖くなってくる。忘れてしまってはダメな事を忘れてしまうそんな人間になる事を。
もうなってしまっているのだろうけど。
この、事件の最終着地点は、一名は、暴言を言った覚えはある。
それは、言われたから言い返した。
もう一名は、殴り合いの中で相手が暴力を振るわれたと思われている。とかなんとか。こんな感じだった。
殴り合いと表記したが、説明の仕方が分からないのだ。自分が住んでいるところは田舎で山に行っては木の棒切れを拾いチャンバラを休みの日にしていた。そんな流れで学校の休み時間には、廊下の拾いスペースで戯れて殴り合いの様なものをした。
勿論、本気で殴ったり蹴ったりはしていないが…。そんな所から、暴力という認識を受けたのではと説明した。これに関しては、自分も殴られている為、そこを言われているのであれば納得はいかないのだが。
そこで、担任が納得したのか。放棄したのか。覚えてはいないがこれがなんとも爪の間にトゲが抜けかかった様な着地点だ。
まあ、普通に考えたら後者になるのだろうが。ここで、曖昧な答えを出すことによって自分への悪意が分散されたり…。とかは思っていないが、本当に覚えていない。
それから月日は経ち、中学、高校と大人の階段を登って行くのだが。暴力的行為は、少なからず自分の中であったと思う。周りからもそういう奴と思われていたのだろう。『暴力』この言葉の重みが強すぎて私が大層悪人に見えると思う。まあ、悪人には変わりないのだろうが…。
それなのに、なぜ普通に学生生活を送れたかというと色々考え方や価値観で変化するが、纏めると環境や友達に恵まれていたのだろう。文字で見るとあたかもヤンキーの様な人柄を想像してしまうかも知れないが、全然そうではない。手をあげるのは、仲のいい友達でじゃれあいの中で出してしまうのだ。日常茶飯事のように、暴力を振り続けてはいない為離れて行く人もいなかった。これも、客観的に見たらそうでもないかもしれない為、断言はしないが。言わば、願いのようなものだ。友達であって欲しいと。
皆さんは、子供に戻りたいと思った事はあるだろうか?私は、ここ最近よくそう考えてしまう。あの頃に戻れたらなと。学生の頃なんて、早く大人になって働いてお金を稼いで欲しいものを買えるようになりたいと思っていた。学生なんて、勉強に部活に行事。楽しさより辛さのが強かった。
だから、ずる休みなんてした事もある。
学生時代、大人になったら子供に戻りたいな〜と思ってしまう。とよく耳にしていたが、『そんなわけあるか!』と思っていた。今、大人なって分かる。子供に戻りたい。
あの頃に戻りたい。
勉強も部活も行事も辛いだろう。その辛さを分かっていても戻りたい。
そう思う程、社会は辛い。
どうして、子供に戻りたいだなんて思ってしまうのだろうかと、ふと考えてみると色々な物が浮かんでくる。
平気で仕事を休めない、愛想笑いをする毎日、決められた業務はこなさないといけない。色々思い付くが大部分はなんだろうとまた考えた結果、結論は性格だ。
子供の頃は、押さえ込まなくても良かった性格も大人になってからは自分の感情を押し殺し制御しなければならない。
強制はされていないが、矯正はされ仕事を失うだろう。
それが社会だ。
変えられない性格を押さえ込み生活する。当たり前かもしれないが苦行の毎日だ。
暴力を振るえないのが苦行なのかと怒りを見せられては違うそうじゃないと手をあげてしまいそうになるが。
分かる人に分かればいいと思っている。現実、世界はそうやって動いていて必要な人が必要なモノを利用する。
ここで、下手な文を長々と…と何がいいたいのか?と何度も疑問に思いすぐに聞き返したり、質問してしまう性格もまたそれと同じだ。それも、社会では嫌われてしまう人材になるのだろう。
質問する事は、良い事なのだが、社会でそれらの多様は嫌われる。
それを受け入れてくれる素敵な性格を持った同期や上司がいると社会に出て、大人なっても良かったとそう思えるだろう。
これから生きて行く上で表面では抑える事で露わにならない性格も根本は変わらず残り変えられない。
抑え込む事で、本当の自分も押さえ込み、ある時爆発して暴力から犯罪に変わってしまうのではと思う。
自分自身、そうなってもおかしくはないのであろう人間だ。
最後にこの言葉を残そう、『環境は変われど人は変わらない。』そう、社会に出て気づいた、あの頃の友達はもういない。
残っているのは変えられないであろう性格だけだ。
『これからの、人生も宜しく頼むぞ相棒。』
いくら嫌いになっても付き纏う最高で最悪なこの性格に。
そう嘆願しながらこれからの人生を歩んで行く。
相棒 苦ヲ @kuwo_90
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