俺と勇者とビールと鍛冶屋

小倉ひろあき

俺と勇者とビールと鍛冶屋

 ここは旅立ちの村。

 勇者がここから旅だってから、そう呼ばれ始めたんだ。もう30年も前の話さ。


 実はこの勇者ってのは、隣の家にいた幼馴染みでね。

 同い年でそれなりに仲良く遊んだもんさ。


 アイツが16才の時に神託かなんかで勇者に選ばれたって王城に連れていかれたときは驚いたのなんのって。

 幼馴染みが救世主だって聞いたときの驚きようが分かるかい?


 それからのアイツの活躍は信じられないものばかりさ。

 西の国では王に化けていた魔族の陰謀を騎士団長と防ぎ、東の国では世界一の武術家とドラゴンを退治したらしい。

 そういえばエルフの大賢者と世界樹を復活させたとかも聞いたな。

 世界中を旅して仲間を集めたんだな。


 どれもこれも吟遊詩人の歌になり、おとぎ話として子供でも知っている有名な話ばかりさ。

 ついには神々の祝福を受けた剣で魔王を討ち、アイツは伝説になったんだ。


 昔を知っている身としてはちょいとばかし武勇伝に疑わしい部分もあるんだが、アイツにゃ皆が感謝してるのよ。

 貧しかったこの村の年貢は永代免除、勇者ゆかりの地だって観光客が金を落としていくこともある。

 バカな話だぜ、この村の鍛冶屋が鉄くずにアイツの名前を彫ったら護符だって売れるんだからよ。

 今でもアイツのお陰で皆が楽な暮らしをさせてもらっているのさ。


 まあ、そんな話はいいさ。

 とにかく、アイツは遠い遠い世界で長い長い時間をかけて偉業を成し遂げた。

 偉いやつだよ、神託に選ばれし救世の勇者さまだ。

 俺も息子に勇者の幼馴染みだって自慢してるしな。


 ある日、そんな勇者が村に帰って来た。

 なんの前触れもなくひょっこりとだ。


 これは――えーっと、10年ぐれえ前のことだな。

 もう村中が大騒ぎ、村の連中が盛りのついたニワトリみてえになった。

 まぁ無理もねえさ。英雄譚の中から本物が出てきたようなもんだ。


「おい、本当に勇者が帰って来たのか!?」

「ああ、今はおっかさんに挨拶してるよ」


 隣の家だからって、もう何度も「勇者はどうした?」「どこにいるんだ?」って同じことを聞かれてよ。


「俺に聞くんじゃねえよ」

「あー、でもアイツも勇者さまだしよお……へへ、わかんだろ?」


 どうやら遠慮のようなものがあるらしくてな。

 どいつもこいつも幼馴染みの俺に様子を見てこいなんて言いやがる。


「しょうがねえな。俺だって20年も会ってねえのに」


 ぶつくさ言いながら野次馬連中と隣の窓をヒョイと覗くと、アイツはおっかさんにしがみついて涙をこぼしてた。

 これには盛り上がってた連中も水をぶっかけられたみてえに大人しくなったな。


「もう少し待ってやんな。20年ぶりにおっかさんに会ったんだからよ」


 その姿を見て、俺はアイツのこと『変わってないな』って思ったんだよ。

 気の優しいやつでさ、とても巨人の首を切り飛ばすなんて信じられねえよな。


 それから少し時間を置いてな、村をあげての大宴会さ。

 アイツは相変わらず酒が飲めずに真っ赤になって皆にからかわれていたな。

 そうそう、村の鍛冶屋に腕相撲で負けたときはケッサクだった。


「オイオイ、鍛冶屋の親父はグリフォンより強いのか?」

「ふん、加護の力を使わなきゃこんなもんだよ」


 俺がからかうとアイツはふてくされてな。

 そんな様子を見て、また皆で大笑いしたんだ。


 アイツの右目は潰れて、指も歯もいくつも欠けていた。

 傷だらけの見た目はすっかり歴戦の戦士って感じなんだが、中身はちっとも変わってなかった。


 ……そう、アイツは変わってなかったんだ。


 このまま心優しい勇者は故郷で幸せに暮らしました……そんな話だったら、どれだけ素晴らしいだろうな。

 やっぱり、勇者でも人生ってのは楽じゃない。


 アイツは壊れてた。


 夜中に飛び起きて暴れたり、わずかな物音に怯えて剣を振り回した。

 そう、剣をだ。こんな田舎の、故郷の村にいてもアイツは片時も剣を手放せないんだ。

 風呂の中でもベッドの中でも剣なしではいられない――病気だな。

 戦でひどい目に遭った兵士なんかもたまにかかる病気さ。


 アイツも、おっかさんも隠そうとしたけど、こんな小さな村じゃ秘密なんてありゃしない。

 俺は鍛冶屋の女房が誰と何度寝たのかだって言えるんだ。田舎ってのはそんなものさ。


 はじめは愛想よかった村の連中が離れていくのは早かったな。

 意外かい? でもな、ここは理想郷じゃねえ。

 皆、自分の生活が大切なのさ。日に6度もわめきながら剣を振り回すイカレに付き合っちゃいられねえよ。


 田舎ってのは異物を排除するもんだからな。

 20年も前に出てった男がなかなか馴染めるもんじゃねえよ。

 俺と、おっかさんくらいしか、まともに話し相手もいなかったかもな。


「なんで、キミは僕の相手をしてくれるんだ?」

「ん? まあ……同い年だし、知らない仲じゃないしな」


 ある日アイツがこんな話をしてきてな。

 本当は息子に「勇者の親友」って言ったせいで引っ込みがつかなくなってたんだけどよ。まあ、そんなことは言わなくてもいいわな。


「ま、いきなり世界中を旅する勇者から農夫にはなれんわさ。村の娘を女房にもらって、落ち着いてから徐々に馴染めばいいさ」

「結婚か、それもいいな」


 今にも泣き出しそうな顔してよ。ポツリ、ポツリとアイツが漏らした言葉にゃ驚いたよ。

 なんと、アイツは大賢者の娘と恋仲だったらしいんだよ。平和になったら結婚しようって約束してたんだと。


「でも、魔王を倒した後も平和にならなかった。人間同士で争いを始め、その争いの中で僕は罪もない人を殺した。かつての仲間も殺した――そんな人間に絶望し、彼女らは人の世界から去った」


 このへんは吟遊詩人の歌にもなってるみてえだな。

 だけど、現実はメロドラマじゃねえ。アイツは苦しんでたんだ。


「わかるかい? 僕は勇者なんて呼ばれているけど夜が怖い、物音が怖い。そこから騎士団長たちの亡霊が僕を見ているからだ。血まみれの顔で、今も僕に呪いの言葉を吐いている」


 こんな話、俺にゃあ荷が重すぎる。

 どんなことをいえばいいのか分からねえからよ、なんとなく分かることを言ったのさ。


「……でもな、皆がオマエに感謝してるぜ。魔物もいなくなったしな」

「――そうかな、そうかもね」


 アイツはぼんやりと聞き流したっけな。


 だけど、悲しい話さ。

 こんな話はシラフで聞くもんじゃねえよ。

 だから俺は「酒を用意してくる」って家に帰ったんだ。

 マヌケな話かもな、アイツは下戸なのによ。


 だけど、1回くらいグデングデンに酔っぱらって潰れちまえば、その夜は幽霊に苦しまなくてもいいだろう?

 そう思ってな。女房のヘソクリをくすねて酒場に走ったよ。


 でもな、ビールを1樽買って戻る頃にゃ、アイツはいなくなってたんだ。

 誰にも何も言わず、煙のように消えちまった。

 おっかさんは「あの子は忙しいものね」って言ってたけどよ、予感みてえなものがあったのかも知れねえな。


 それから――どのくらいかな? まぁ、4、5年くらいたった頃かね、アイツが西の国で騙し討ちにあって殺されたって聞いたよ。

 起きて、女房の小言を聞きながら働いて、寝て、また起きて……そんな退屈でヘドが出る毎日に戻れなかったんだろうな。


 何が言いてえかっていうとだな、俺はそう――こうやって、アイツとビールが飲めなかったことが残念なんだよな。

 あの日、潰れるまで酒が飲めたらよ、アイツの人生も変わってたかもな。


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