老婆

 静かな温室だった。

 夜の空がガラス越しに広がっている。

 瞬く星空、心ばかりに照る三日月。森は風にそよぎ、虫が鳴いていた。

 家に明かりはなく、時計の振り子の音だけが響いていた。

 そんな温室で老婆が1人佇んでいた。

 こじんまりした老婆。

 分厚いローブを羽織って椅子に深々と腰掛けている。

 うつらうつらとまどろみ、体を揺らしながら夜の外を眺めていた。

「静かだね」

 老婆は漏らした。

 その静けさに浸っているようだった。

 老婆はもうヨボヨボでどこもかしこもシワだらけで、長い時の中で様々なものを使い果たした後のようだった。

 もはや老婆の生は残りわずかで、終着点の手前で一休みしているように見えた。

 と、ガリガリと音がした。

 老婆がゆっくりと目を向けると、そこに居たのは犬だった。

 犬が温室の入り口でガリガリと爪を立てて引っ掻いていたのだ。

 ボロボロの犬だった。

 毛は伸び放題で汚れ放題。みすぼらしいという言葉がこの上なくぴったりで、街で見かけたなら誰もが避けるような、そんな犬だった。

「お客さんかい、珍しいね。入っておいで鍵は開いてるんだから」

 老婆が言う通りに、その内に扉は開き犬は入ってきた。ヨボヨボの足取り。よく見れば右後ろ足を引きずっている。

「怪我してるのかい」

 犬は野良であろうに、おぼつかない足取りで老婆の前までやってきた。

 そして、寝転がりゴロゴロと転がる。

 恐らく、人間にエサをもらうために覚えた芸なのだろう。

 こうやって人間にすがりつきながら生きてきたようだった。

「おべっかかい。下品だけど、まぁ賢いやつだね」

 そう言って、老婆は横の机の真ん中にあったパンをちぎり、犬に投げた。

 犬は鼻息を荒くしてそれを食べる。

 人間にたかっているという引け目など微塵もない。がっついている。

「仕方のないやつだね。アタシに寄ってくるにはちょうどいい」

 老婆は椅子からかがみ込み、犬をゆっくりと持ち上げるとまた椅子に座る。足の上に犬を乗せて大事そうに撫でた。犬も抵抗せず、なされるがままである。

「元々は誰かに飼われてたのかね。捨て犬か。ますますアタシにそっくりだ」

 老婆は犬の足をまじまじと見る。どうやら折れておるようだった。

「さて」

 老婆はすっとその折れた足に手をかざす。

 すると、折れた足の曲がった部分が綺麗に治った。

 犬の骨折は瞬く間に完治したのだ。

「ワン!」

 犬はひと吠え。自分でも治ったと言うことが分かり、そしてそれを老婆がしたということも分かったようだった。

「ふん。本当に賢いやつだね。いけすかない」

 犬は老婆の足の上で尻尾を振っていた。

 老婆が気に入ったようだ。もう懐いたらしい。

「ウチに住むかい。本当に仕方ないね。まずはその体を洗ってもらわないとね」

 老婆はよっこらしょと立ち上がる。

 犬は老婆から降りて、ヨタヨタと歩く老婆に続いた。

 まずはシャワーで犬を綺麗にしなければならなかった。

 老婆は昔名高い魔法使いだった。

 年老いて力を失い、あとは幕を閉じるのみだった。

 その時間を老婆はゆっくり過ごしていた。

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ショートショートのごった煮 @kamome008

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