大男

 のどかに日差しが降り注いでいた。

 春の午後、川べりで寝転がっている私は非常に満たされた気分だった。

 今日の分の執筆を終え、のんびりくつろいでいる私。

 鳥が囀り、爽やかな風が頬を撫でる。

 まさしく、昼寝にうってつけというような穏やかな陽気である。

 太平の啓理。活気付く江戸の街。私はそこで芝居の作家として暮らし、ほどほどの日常を満喫している。

 こうして河原で寝転んでいられる程度の身分になっている。

 百姓が見たら叩かれそうな話だが、そんなことはどうでもいい。

 とにかく、少なくとも今日はこうして心ゆくまでのんびり河原で過ごす所存なのだ。

 自堕落と言われようがなんと言われようが気にしない所存である。

 そんな風に私は河原で寝転がっていた。

 しかし、

「なんだ!?」

 私は跳ね起きる。

 なぜなら後方で轟音が発生したからである。

 なにかが弾け飛ぶ音。なにかがすさまじい勢いで地面に激突したであろう振動。

 とにかく尋常でない状況が私の後ろ、土手の向こうで発生したのだ。

 私は立ち上がり目を凝らして音の元を睨む。

 見ればもうもうと土煙が上がり、明らかに何事かが起きた場所がある。

 少し時間を置いて土煙が晴れる。

 そこに居たのは巨大な男だった。

 筋骨隆々、身の丈は私に2倍はあろうか。麻の着物を着てまげを結わえている。

 大男。それも昔話に出てくるような現実離れした大男だった。

「はわわ....」

 私は恐れ慄き腰を抜かす。

 なんだって突然こんな意味不明の状況が発生するのか。

 と、尻餅をついた私に残念ながら大男は気づいた。ばっちりと目が合ってしまった。

 大男は私を見るとニカっと笑い、そしてズンズンと音を立ててこちらに歩いてきた。

「はわわ....」

 地面を砕きながらを畑を渡り、まとわりつく草木を引きちぎりながら歩いてくる大男に私は逃げることもできない。今にも泣き出しそうになりながら、身動きも出来ずにいることしか出来なかった。

 そして大男は私の前までやってきた。

「はっけよい」

 大男は私の前まで来ると言った。

 大男は腰をかがめ、両手を前につく。ようするに相撲を取る力士の姿勢だ。

 そして気づいた。さっきの轟音。あれはこの大男が相撲を取った音だったのだ。

 ひょっとしたら名もなき誰かがあの轟音でこの男に粉々に砕かれたのかもしれない。

 そして、次の標的は私らしい。

 私ははっきり分かった。このままでは死ぬと。

「待った! 待った!」

 私は思わず叫ぶ。

「待ったなし!」

 大男は言った。

 大男はこのまま私に激突して私を殺すつもりらしい。

 大男は相撲のつもりだろうがこっちには殺人行為に他ならない。

 このままでは死ぬ。

 私の頭は混乱の極みだった。

 だからヤケクソで叫ぶ。

「当方、左足の負傷につき取り組み休止中!」

 私の言葉に大男は動きを止めた。

「うむ。ならば仕方なし。礼儀礼節は相撲の基本!」

 快活な笑みを浮かべる大男。

 そして、そのままズンズンと歩いてまた河に入っていく。

 そしてそのまま向こう岸の土手の向こうに消えていった。

「な、なんだったんだ....」

 私は呆然とする。今しがたあった現実離れした生死の境に理解が追いつかない。

 とにもかくにも確かなことは、新しい芝居のネタが手に入ったということだけだった。

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