お屋敷
私の目に写っているのはひょっとこのお面だった。
壁にかかっているひょっとこのお面。古い柱の高くにある。
間抜けな顔で私を見下ろしているが、今はその表情の下によからぬ感情を抱いているように感じられた。禍々しいものに見えた。
私はひとつ息を吐き出す。小さくゆっくり長く。
まだ現れない。
私は待っている。この薄暗い古い屋敷の中で目的のものが現れるのを待っている。
庭から差し込む午前の日差しは暖かだが、この広い屋敷の中には全ては届かず、薄暗かった。
古い板張りの床。白い土壁に高い天井。大きな柱は年月を経てくすんだ色になっている。
一般家庭とは違う木の匂いが立ち込め、コチコチと大きな柱時計が時を刻む音が響いていた。
私はその静かな空間の中で1人正座で座っていた。
かれこれ3時間ほどが経過しただろうか。
時々疲れて立ち上がったりはするものの、概ねこの状態でここまで過ごした。
我慢強さは私の長所のひとつだと思っている。
とにかく、それが現れるまで私は待たなくてはならないのだ。
それが今回の仕事なのだから。
「やぁ、ずいぶん身なりのいいお嬢さんだ。そのブラウス、オーダーメイドですね」
唐突に声をかけられた。
私はその声に主へ目を向ける。
そこにいたのは優男という言葉がぴったりの細身でメガネをかけた男だった。
「嫌味でしょうか」
私は答える。
「とんでもない。こんな身分の良いお嬢さんがこんなところになんの御用かと思っただけですよ」
男はゆっくりと私の前までやってくる。
その動きはあまり人間的ではない。歩いているように見えるが歩いていない。まるで煙が漂うように男は私の前に来た。
「それで、どこのどなたです? 今日は来客の予定は無かったはずですが」
「去る方からここへ来るように言われまして。まぁ、貴方に会うためだったのですが」
「へぇ、僕の友人の紹介ですか」
「友人とは言えないでしょうね。貴方を消そうとしているわけですから」
私の言葉に男はいぶかしげに表情を歪める。
「消す? どういうことでしょうか」
「貴方が何人も何人もここへ来た人を殺しているからですよ、笹島雪人さん。だから私は貴方を消しに来ました」
「どういうことか全くわからない。なんの話ですか? 僕を殺す?」
「殺しはしませんよ。出来ませんから。あなたは50年も前に死んでいる」
「..................................」
私の言葉に笹島雪人は固まった。驚愕して思考が止まったわけではない。笹島雪人は私の言葉を聞いて、それがスイッチのように完全に停止したのだ。動画の一時停止にように完全に。
「お覚悟を」
私は袖から紐を取り出す。あやとりのような毛糸の紐を。
と、
「死んでいない」
突如、笹島雪人は満面の笑顔になった。
「死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない死んでいない」
笹島雪人は笑顔で気が触れたように連呼した。
そして、浮き上がるように私に飛びかかってきた。
「だから君も一緒になろう」
笹島雪人は私を殺そうとしていた。
「妄念極まれりですね」
笹島雪人の手が届く寸前、私は右手の紐を素早く振るった。
「あ.....あはは....」
私の紐は笹島雪人の全身を瞬く間に縛り上げた。そういう道具なのだから当たり前だが。
そして私は笹島雪人の眉間に右手の人差し指と中指を揃えて当てた。
「喝!」
私が叫ぶ。
そして笹島雪人は弾け飛んだ。
すえた匂いと共に亡者は風に乗って庭へと流され、そして消えていった。
「怨念の割にあっさりした相手で良かった。どうか安らかに」
私は言った。
帰らなくてはならない。こんな、副業にうつまでもかかずらってはいられないのだ。家に帰って執務をこなさなくてはならない。
私はもう一度屋敷の中を見る。
やはり目に写ったのは柱にかかったひょっとこのお面だった。
なぜだか、その顔は無性に腹が立った。
コチコチと柱時計の立てた音が響いていた。
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