エピローグ




 ――通称・MSC。(Moon Solar Carの略)。



 この日、この時、月面を唯一走っていたその月面車の外見は、屋根も窓も扉もフロントガラスすらも外されて軽量化が成された軽トラック……といったところであった。


 月面用の車(名称は、製造した会社や国によって異なる)は、地上にて使用される車とは大きく異なる点が幾つかある。


 まず、地上とは違って月面(というより、宇宙空間)には空気が無い。地上では当たり前のように使われている動力……つまり、ガソリンを始めとした、燃える事で動かす類のエンジンが使えないのである。


 故に、月面で使用される車の動力源は全て、燃焼を伴わないモノ……すなわち、太陽光。月面で使用される動力源は、太陽光を元に発電する太陽光電池が使用されている。


 何と言っても太陽光電池の利点は、故障しない(あるいは、そのものが劣化しない限り)限り、半永久的に電力を生み出してくれるという点に尽きるだろう。


 もちろん、無から有を生み出すわけではなく、太陽光というエネルギーを電力に変えているので、太陽光が届かなければ置物でしかなくなる欠点が残るわけだが……いや、話を戻そう。



 ……とにかく、だ。



 音すら何一つ伝わらない、どこまでも静寂が続く不動の月面を走り続ける、一台の月面車。通称、MSC。



 ……この日、この時。月面を走る唯一のその車、それを運転していたのは、だ。



 これで、三度目となる、月面任務を任された、宇宙服を身に纏ったドワーフと呼ばれる種族の男、ガンドット・ガンドであった。



 ――ドワーフとは、古来より製鉄や鍛冶などを生業にしていた種族であり、歴史は腐海が……まあ、必要でないので詳細は省く。



 その姿は筋肉質でずんぐりとした体型であり、分厚い宇宙服のおかげで顔が見えないせいか、まるで子供が紛れ込んでいるかのように傍からは見えた。


 ……で、そのドワーフであるガンドが運転する車に同乗しているのは、だ。


 後部座席(構造上、見た目はただの荷台にしか見えないが)にて、互いが向かい合うようにして腰を下ろしている宇宙服姿の人物が2名。



 1人は、ガンドの先輩に当たるベテラン宇宙飛行士の、フェイネス。宇宙服のせいで顔もそうだが体型も分からないが、女性である。



 肌が白く尖った耳を持つ、エルフと呼ばれる種族だ。彼女はその中でも、先祖返りと呼ばれる、今では失われた様々な祖先の特徴が先天的に色濃く表れた、プロトエルフと呼ばれる存在である。



 もう一人は、亜人と呼ばれる『動物の特徴(耳や尻尾、ヒゲなど)』が現れた種族の、ピッピである。ちなみに女性で、ネコ科の特徴が表面的に出ている。



 彼女もまた他の2人と同様に、宇宙服のせいで傍からは男性か女性かは分からない。加えて、女性にしては低く、男性にしては高いという中世的な声色の為か、声だけでも判別しにくかった。



 ……さて、そんな彼らは、遊びで此処に来ているわけではない。



 NASAと呼ばれている宇宙局より派遣された彼ら彼女はこの日、与えられた任務を成功させる為に、『ホーム』(要は、月面基地)から移動している最中であった。



 ……3人に与えられた任務は、月面の一角にて設置されている、『未知の施設』の調査である。



 この未知の施設というのは、現在よりおおよそ50年ほど前に存在が確認された、『月面に建設されている所属不明の施設』の事だ。


 50年前と言えば、宇宙という概念が徐々に人々の中に広まり始め、最先端においては宇宙の広大さと星々の多さに数多の科学者たちが面食らい、カラーテレビもそこまで普及していなかった……そんな時代である。



 そんな時代に、月を観測していた、とある国のとある研究機関が……見付けたのだ。



 月に、何かが有ると。岩石とは異なる、自然発生したモノとは根底から異なる、何者かによって意図的に作った物体が有る……と。


 これに驚いた世界の研究機関は同じように月を観測し……そして、知った。世界が、知ったのだ……月には、他の文明を築いた者たちが作った建築物が有る……ということを。



 どうしてそう思ったのか……それは単に、当時の技術力では月に建築物を建てるなんて不可能であったからだ。



 月面着陸ですら前人未到の偉業だと言うのに、その月面に建物を建築する?


 そんなのは、それこそ映画の中の話であり、ファンタジーでしかなかった。どこそこの秘密結社はタイムマシーンを持っている……そんなレベルの話でしかなかった。



 ――故に、人々は考えた。事実として、あれが建築物ならば……おそらく、異星人が建てたモノに違いない、と。



 だが、しかし、すぐに調べよう……という動きにはならなかった。


 何故なら、仮にその建築物が異星人のモノだとして、だ。


 その時点で、科学技術力は圧倒的に異星人が上だという事が確定する。そして、いったい何の目的でそこに建物を用意したのか……それが分からない以上は、迂闊に近づく事が出来なかった


 ただ、キーキー喚いている猿を観察する程度の感覚で建てたのであれば、問題はない。


 月面着陸すら未だ達成出来ていない人類なんぞ、せいぜい焚き火を覚えて石槍を武器として扱うようになった、少し知恵を付けた猿のようなものだ。


 けれども、そうではなく……別の目的が有る場合。何かしらの目的が……人類を監視する為に建てられたのであれば……その意味合いは大きく……いや、はっきり言おう。



 ――『未知の施設の調査』とは、ずばり、『異星人とのコンタクトが可能か否か』である。



 居るか居ないかは、分からない。今まで警戒を続けてきたおかげで、その施設がある周辺にすら近づいていない。異なる場所に基地を作った人類は、今日この日……一念発起して、接触を図る事にしたのだ。



 そして今は、その施設へと向かっている最中……というわけだ。





 ……。


 ……。


 …………さて、宇宙空間においては砂金よりも貴重なエアの消費を抑える為に雑談などは一切せず、呼吸を一定に保ったまま……早くも、1時間が経とうとしていた。


 それは別に、エアに余裕が無いから……というわけではない。


 MSCには予備となるエアも、バッテリーも積んである。この予備を使えば、往復の移動時間を差し引いても、全員が4時間は自由に動き回れるだけの余裕はある。


 それなのに、彼ら彼女らが黙っているのは……単に、緊張しているからだ。何が起こるか分からない以上、万が一を想定して、少しでもエアや体力を温存するよう事前に申し合わせていた……ただ、それだけであった。


 まあ、そもそも原則的に私語は禁止されている(とはいえ、有って無いようなモノらしい)ので、決まりを守っていると問われれば、それだけの事なのだが。



『――レーダーにて、現在位置を確認。目的地まで、予測到着時間は11分後。異常が無ければ、応答されたし』



 そんな、意図的に作り出した沈黙の中で、突如、全員のヘルメット内に響いたのは、月面基地にてバックアップを務めている、人間と呼ばれている種族の男であった。



 ――異常なし、任務を続行する。



 彼の言葉に、タイミングや言い回しこそズレたり異なってはいたが、MSCに乗っている全員が返事をした。



 ――了解、こちらも異常無し。無事に任務を終える事を祈っている。



 一拍の間を置いて、3人への返答が成され……通信が途切れた。そうして、再び……3人の間を、静寂があっという間に覆い被さった。



 ……宇宙空間は、無音だ。それはもちろん、宇宙服を身に纏っていても変わらない。



 聞こえるのは、宇宙服内にて反響する己の呼吸音と身動ぎする音(あとは、警告音など)ぐらいである。


 だから、基本的に彼らは互いの無事と安全を図る為に、通信回線を常に繋いだ状態にしてある。もちろん、互いに、だ。


 プライベート等は無いが、視覚でしか周囲の情報が得られない以上は、助かる可能性を少しでも上げる為なので……そんな状態であるわけだから。



「……お前らなあ」



 ポツリと、宇宙服という閉じられた静寂の中を反響する、その言葉。


 本人も無意識に発したであろうその呟きは、宇宙服に内臓された高性能かつハイテクな通信機器が、きっちり拾い上げる。


 それは、何の事はない。最新の注意を払いつつも、どこか慣れを感じさせる手捌きで運転を行っていたガンドの、他愛のない独り言であった。



「いくらアイツが好きだからって、そんな甘ったるい返事は止めろ。力が抜けてハンドルさばきを誤るところだぞ……」



 思わず……そう、思わずといった様子で零したガンドの言葉に、「――っ!」返事こそしなかったが、名指しされたも等しいフェイネスとピッピはジロリとガンドを睨みつけた。


 だが、睨むだけで、二人は反論はしなかった。


 何故なら、ガンドに言われるまでもなく、返事をした瞬間、二人ともが似たような事を思っていたからだ。


 実際、二人が人間の彼に発した声と、家族などに普段出している声、この二つを比較すれば、誰が聞いても一発で違いが分かるだろう。



 ――この二人、人間の彼に対して色々な意味で強い関心を持っているぞ、と。



 けれども、嫌みの一つは零したガンドではあるが、だからといって、それ以上二人を責めようとはしなかったし、思う事もなかった。



 ――何故なら、エルフや亜人が人間の異性に対して並々ならぬ関心を抱くのは、本能的な話であるからだ。



 それは、ドワーフであるガンドとて例外ではない。未だに解明されていない人体の謎の一つだが、どうしてか……他種族は、人間の異性が可愛くて可愛くて仕方がないのだ。



 ♂の他種族(エルフ・亜人・ドワーフなど)が、♀の人間に一目ぼれして発情期なり精通を迎え、入れ込むのもそうだ。


 ♀の他種族(エルフ・亜人・ドワーフなど)が、♂の人間に一目ぼれして発情期なり初潮を迎え、入れ込むのもそうだ。



 本能的に、人間の異性に対して強烈に発情してしまう。


 本能的に、人間の異性に対して激しい恋心を抱いてしまう。



 同種に対する愛情とは根本から異なる、制御できない本能。一昔前は人間を『歩く誘蛾灯』と揶揄されていたぐらいだから……その衝動が如何に強いかが窺い知れよう。



「……亜人やエルフの人間好きには困ったもんだ。俺もお前たちの事は言えないが……少しは抑えてくれ」



 とはいえ、今は大事な任務中だ。


 最悪、1人で処理して物理的に吐き出してしまえば衝動が納まる♂の他種族とは違い、子を宿すまで(場合によっては宿してからも)衝動が収まらない。


 それ故に、人間の♂に対するアプローチは苛烈の一言。


 二桁に成ったばかりの少女たちが、成人を迎えたばかりの男を集団で……という事例が後を絶たない中、意志だけでそれを抑え込んでいる辺り……二人が如何に優秀であるかを物語っていた。


 ……まあ、人間の異性が居ると、コンディションが常に絶好調な状態が維持され、排除しようとすると男女共に凄まじくメンタルが悪化するという身も蓋もない理由があったりするのだが……まあ、そこはいいだろう。



「……それにしても、今回のミッション……お前らはどう思う?」



 何にせよ、だ。さすがに、こんな理由で発生した気まずい沈黙は全員が嫌だなあと思ったのだろう。


 ガンドのお喋りを止める事はなく、むしろ、これ幸いと言わんばかりに……二人は乗っかる事にした。



「個人的には、怖れは有るが浪漫が大きいな。異星人か、あるいは……以前より提唱されている、前期文明時代の遺物であると私は思っている」

「前期文明時代……たしか、人類の歴史は一度リセットされたっていう『文明崩壊説』に出てきたやつだったか?」

「はい、私が仮に異星人だとしたら、こんな辺鄙な惑星をわざわざ監視する必要を覚えませんから」

「まあ、それは俺も同意見だが……しかし、前期文明時代の遺産か……もしそうだとしたら、今も可動するのだろうか?」

「私としては動いてくれた方が浪漫はありますけど……正直、面倒臭い事態になりそうだから、有っても壊れたままの方が良いかな」

「はは、違いない」



 そう答えたのは、エルフのフェイネス。



「アタイも正直、壊れていてくれた方が良いニャって思うニャ。地上で発見されたやつですら、未だに構造どころか原理すら全く分からないモノばかりニャ……絶対に火種になるニャ」

「何言ってんだ、この前、一つが解明されたってニュースが出てただろ」

「アレは、前期文明の中でも初期の初期の……アタイたちの歴史でいえば、やっとこさ青銅器が開発されたぐらいの、ふるーいモノだニャ。アレと、中央研究所に安置されているやつと一緒にしちゃ駄目ニャ」

「中央って、あの『ろ過装置』のやつか……言われてみれば、フィルター無しの、あのサイズで、汚染された水をほとんどロスせずに真水に変えるって、意味不明だよな……」

「それもあるし、アタイとしては……推定1000年以上は雨風塩水に晒されても腐食しない、鋼鉄よりも頑丈なのに一定の電圧を一定時間通すと熱を加えた飴のように柔らかくなるばかりか、破損しても捏ねて整えれば修復可能だとかいうマジで意味不明の金属がヤバいニャ……」



 そして、亜人のピッピの意見は、そんなものであった。



 3人が話の種にしているそれは、提唱された時は鼻で笑われていた学説で、現在では可能性の一つとして有力視されている、『人類は一度未曽有の災害に見舞われて文明が崩壊した』とされる、『文明崩壊説』の事だ。


 ちなみに、その学説では、だ。


 文明崩壊が起こる前を『前期文明時代』、その後を『後期文明時代』と呼び、ガンドたちが生きている今は、『後期文明時代』と定めている。なので、その学説を支持している者たちは、今を後期文明……と。



「――見えたぞ」



 不意に、ガンドが雑談を止めた。


 と、同時に、二人も僅かに身を乗り出し……今回の目的地であり、『未知の施設』とされている、謎の建築物をヘルメット越しとはいえ、肉眼にて確認した。


 施設の外観は、思ったよりも小さく、まるで数人が寝泊まりする為の居住施設……というのが、3人が同時に抱いた印象であった。


 何せ、遠目から確認した限りでは、形そのものは非常に芸術性も面白みもない。月の砂が被さっているのか、まるで土の中からひょっこり顔を見せたかのような有様だ。


 それに加えて、周辺に散らばっている……何だろうか。


 原形を保っているように見えるが、初見なので用途が分からない。おそらくは、施設に関係するモノであるのは分かるが……機会が有れば、調査するべきだろう。





 ……。


 ……。


 …………さて、だ。


 傾斜にはなっていたが、許容範囲であったので迂回することなくMSCを走らせ施設へ向かう。


 途中、異星人からの妨害を懸念して周囲を警戒していたが……それらしい反応は何一つ起こらず、3人はあっという間に施設前へと到着した。



 まずは、入念に施設周辺を見回った、その後。



 何の異変も起こらず、気になるモノ(少なくとも、現時点での優先順位は低い)は見つからなかったので……基地に連絡を入れた後、中へと入る。


 そうして、50年以上前から存在は確認されつつも全てが未知のベールに覆われていた、建築物の室内を見回した三人が抱いた感想は……奇しくも、同じであった。



「……思ったより呆気ないものだニャ」



 ポツリと零したピッピの言葉に、ガンドもフェイネスも……言葉には出さなかったが、同意するように頷いた。



 ……何と言えばいいのか……そう、感じないのだ。



 中央研究所にて安置され、研究されている『前期文明時代』の遺物を見た者ならば、誰もがピッピの言葉を理解するだろう。


 ワケの分からなさ。何一つ、その原理の一端すらまるで解明できない。人類が積み上げてきた英知などでは、その足元を伺うことすら出来ない。


 熱心な信者の中には、『前期文明時代』の事を神々が地上に降臨していた時代と呼び、それらの遺物は、地上に残された神の遺物と呼ぶ物も居るぐらいだ。


 それに比べたら……室内のこれらは……まだ、説明が付けられ、理解が及ぶ。だから、最初の内こそ緊張したが、施設内(大して広くはない)を見回り終える頃には……その緊張感も、幾らか和らいでいた。



「……みんな、記録は撮ったな?」

「バッチリだニャ」

「とりあえず、粗方……でも、こんな映像が役に立つのかしら?」



 首を傾げる(宇宙服なので、僅かにヘルメットが動いた程度だが)フェイネスに、ガンドは苦笑しながらそう答えると、基地と通信を行いながら施設の外へ――。




 『――やあ、こんにちは』




 ――出た、瞬間。



 まるで、ガンドたちを待ち構えるようにして、そこに居た。


 人間と同じように胴体があって、両腕があって、両足があって、頭があって……首から下の機械的(としか、3人は表現出来なかった)な部分を入れ替えれば、人間と全く区別がつかなかっただろう。


 加えて、よくよく目を凝らせば……そいつは、機械的ではあるが女の体つきをしている。


 大きく張り出した胸や尻、体つきもそのようにしか見えなくて、さらに付け加えれば、その顔は……世辞抜きで『美人』の範疇に入るであろう造形であった。



 ――しかし、人間ではない。それだけは、3人ともが同時に確証を得ていた。



 何故なら、そいつはヘルメットをしておらず、宇宙空間に生身の頭部を晒している。現在、それを可能とする技術を人類はまだ見つけ出しても生み出してはいない以上、人間でない証左であった。




『――期は、熟した。今度は、長い付き合いに成れると良いな』




 そんな、3人を前に……驚愕に硬直する彼ら彼女らの事など気にも留めていないのか、それとも、気付いていないのか。




『――私の名は、ティナだ。あるいは、ボナジェだ。好きな方で、呼ぶといい』




 淡々と語りかけてくる……どのような手段を用いたのかも不明だが、3人のヘルメット内部に取り付けられたスピーカーから聞こえてくるのは、彼らが良く知る共通語。




『――先に言っておく。私は、お前たちと敵対したいわけではない。君たちが望むのであれば、友好的な関係を築きたいとも思っている』




 ティナ(あるいは、ボナジェ)と名乗った、謎の存在は……あらかじめ練習していたのか、それ以外にもポツリポツリと言葉を付け足した……後で。




『――君たちと、『商売』をしたいと思っている』




 そんな事を、最後に告げたのであった。


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銀河の果てからの、ただいま 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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