第14話: 一つの歴史が終わりを迎える時

※暴力的・残酷な描写あり、注意要






 地上は、酷い有様であった。



 砂漠化が一部で進んでいるとか、環境汚染がどうとか、地球資源がどうとか、色々な懸念材料が以前より人類の中から声が挙げられていたが……酷いというのは、そんな事ではない。


 即物的な話だが、現在の地球は、今の人類が住める環境……すなわち、生存出来る環境ではなくなっていたのだ。


 言っておくが、毒ガスとか、そういう類では……まあ、戦術核が何度か使用されたようだが、それは副次的な要因だ。



 主要因は、ただ一つ。



 それもこれも、地上の、人類の生息域が『侵略母艦』によってほぼ奪われてしまっている……これに尽きるだろう。


 正確には『侵略母艦』より産み落とされた『駆逐兵』によるものだが、この『駆逐兵』によって、人類の生息域はかなり狭まっている。主要都市もそうだが、人口が多い所が集中的に狙われている。



 ――どうしてなのか。それは、散り散りにならざるを得なかった人間たちを結集させない為だ。



 そう、『侵略母艦』となった『彼』は知っている。いや、正確には、覚えている。断片的に残った人間(マイケルだった時の)の部分が影響しているのだろう。


 人間の強みは、個ではなく群れで動くということ。そして、他の動物に比べて圧倒的に、それでいて、より細かく正確に情報を伝達する言語を習得し、積み重ねる事が出来る事だ。



 人類が地上の覇権を取れた理由が、ソレだ。



 10や20ではない、万を超える同種が一斉に力を合わせることなど、他の動物には出来ない……人間だけが出来る、それが人間の持つ最大の武器なのである。


 だが……それは同時に、最大の弱点にも成り得てしまう。


 一致団結した人類は強い。しかし、そこに至るまでが大変で、統一されていない団体は群れではなく、ただの集団。ただ、集まっているだけの人間に過ぎなくなる。


 だからこそ、『侵略母艦』は人類がその強さを発揮するのを抑え、連携を徹底的に妨害した。群ではなく、個で戦うことを強制させた。


 個体数こそ桁違いに少ない『侵略母艦』だが、個体による単純な戦力差は圧倒的に『侵略母艦』が上。それを、『侵略母艦』は理解していた。



 故に、人類が破れるのは必然であった。



 群となった人間の強さであれば『侵略母艦』を倒せただろうが、個となってしまった人間など、敵にはならなかった。


 長引けば長引く程、戦況は『侵略母艦』にとって優位に傾く。


 目的と足並みを揃えられないうちに、『侵略母艦となった彼』は地上に駆逐兵を投下し続けた。


 『侵略母艦』にとって、狙う相手は人類だ。何故なら、それが『彼』の存在意義であり、その為に生まれた存在であるからだ。


 生物の生きる目的が繁殖……すなわち、数を増やす繁栄であるように。

『彼』にとって、生きる目的は人類の殲滅であり、そこに理由などないのだ。


 息を吸って吐くように、食べた物を消化吸収して排泄するように。『侵略母艦』にとって、人類への攻撃なんぞ、その程度に当たり前なことなのだ。






 ……。


 ……。


 …………と、いう感じの経緯を、だ。



 急遽集めた情報を元に出来る限り主観を省いた推測を、幾度に渡って精査を繰り返した結果を基に、私なりに出してみた……わけなのだが。



 ――お前ら、生き残る気あるの?



 正直、一通りの情報を集め終わった私が抱いた感想は……そんなものだった。



 いや、だって、単純に考えてみてほしい。



 人類は、未曽有の危機に陥っていた。残されたデータを見る限り、かなり初期の頃からその危険性は前線の方から報告されていた。


 そう、少なくとも『駆逐兵』と戦った兵士たちは、その危険性をしっかり報告していた。このまま好転なく事態が進めば、確実に戦火は市民を呑み込むと断言していた。


 それを……何処の国とは言わないが、何故か、友軍となる国を騙した。にわかには信じ難いが、残された記録には、そのような事が記されていた。



 ――はっきり言おう、馬鹿みたいな話だ、と。



 データが破損しているので正確な詳細は不明だが、騙し討ちをした理由はおおよそ見当が付く。


 おそらく、『侵略母艦』との戦いが勝利した後で、スムーズに世界の覇権を手に入れる為の裏工作……と、いったところだろう。


 人類の生存を脅かす外敵の出現によって、人間たちのパワーバランスは大きく崩れた。


 なるほど、野心というやつに突き動かされるがまま、自分たちが後々有利に立ち回れるよう事前に楔を打ち込んでおく……分からないでもない。


 しかし、足並みが乱れれば負けるような均衡した戦力しか保持していない状況で、それをやろうとしたのは……正直、下策も下策である……としか言えなかった。



 事実、人類はそれが原因で負けた。完全なる敗北、淘汰される側となった。



 途中で何度か足並みを揃えようとはしたようだが、最初の一回が人々の中に根深い疑心を生み出してしまったようで……結局、立て直せないまま敗戦を重ね続けた。


 途中、巻き返しを図る為に何度か戦術核を……記録を見る限りは9回使用されているが、私が調べた限りでは12回使用されているのだが、それでもなお、一時的に数を減らしただけ。


 その代償として残されるのは、放射能等で汚染された、立ち入ることすら出来なくなった大地。そして、その上を我が物顔で占領してゆく駆逐兵たち。


 一時的な平穏と引き換えに、人類はその生息域を失ってゆく。自分たちを守る為に、それ以外を犠牲にして。


 先程スキャンをしてみて分かったが、今ではもう、駆逐兵に殺されるのと、餓死や病死などで命を落とすのが同じぐらいにまでなってしまっている。



 人類は既に、産み落とす数よりも、死亡する数の方が上回っているのだ。



 もはや、全てがジリ貧というやつに陥っていた。考えるまでもなく、詰み、という状態であった。


 それでもまだ……人類が総力を結集し、『人間という種』を残す為に動いていたなら……まだ、ギリギリではあるが、多大な犠牲を払う必要はあるが、まだ、しばらくは持ち堪えられはしただろう。


 でも、それすらもう出来ない。何をどう足掻いても、今の人類の滅亡は確定している。


 仮に、この状況でかつての武器弾薬がそのまま手に入ったとしても、前線を押し返すことすら、不可能に近い。栄華を誇った人類の滅亡まで、もうすぐ……というわけだ。






 ……。


 ……。


 …………と、いう感じの、これまで集めた情報を基にして出した結論から、人類が今後に至るであろう結末を想像した……わけなのだが。



 ――いや、駄目でしょ。



 思わず……そう、思わず、私はそう呟いていた。と、同時に、私は……非常に困った事態に陥ってしまった事を改めて理解した。



(まさか、ここまで早く状況が動くとは……)



 はっきり言おう、想定外の事態である。


 『侵略母艦』の影響によって人間の個体数が減ることは考慮していたが、この減少速度は私の予測を大きく上回っていた。あまりにも、早過ぎた。


 そりゃあ、知的生命体が、時にはあまりに非論理的な行動を取る事は、私も知っていた。人間とて例外ではなく、『尾原太吉』の記憶からも、そういった行動は老若男女を問わない事は分かっていた。



 これまでの交流から、幾らかは間違った判断を下す者が現れる事も、想定していた。


 しかし、同時に、正しい判断を下す者が居る事も分かっていた。



 私と『商売』を行っていた彼ら彼女らのように、間違えた者たちを正し、『侵略母艦』を打ち倒すだろうと私は想定していた。


 仮に、ある程度『侵略母艦』の侵攻速度が速くて被害が拡大しても、だ。せいぜい2億から4億程度の死者だと推定していた。


 だから、『私の商売を間接的に妨害している』という名目でセーフティを誤魔化し、『侵略母艦』を私が押し返せば……ひとまず、現状はそれが無難だろうと思っていた。


 マイケルの望みはこれからも叶えられ続けるし、私も人間たちに対して抑止力という形で食い込む事で『商売』を続けられるし、人間たちも宇宙からやってくる侵略者からの不安から解放される。


 正しく、落とし所というやつだ。誰もが損をしない、全てに利益が生じている。我ながら上手い事を考えたなと自画自賛したいぐらいであった。



 だが……蓋を開けてみれば何とやら、だ。



 1億ぐらいは減っているかなと思っていたら、まさか人間の総数が1億を切っているとは思わなかった。というか、まさか自滅に自滅を重ね、自ら滅亡に動くとは……人間というモノを甘く見ていたようだ。



 ……とはいえ、嘆いていても仕方がない。



 兎にも角にも、現在の地上は人間たちが生存できる状況ではない。群れる事を封じられ、多くても10数名でのコミュニティが限度、あらゆるライフラインが崩壊しているとなれば……絶滅は必然だ。



(直ちに、人間たちを保護する為に、動かせる全てのダウングレードを――)



 ――起動、させなくては。



 そう思った瞬間、私は――あっ、と思わずコンマ0.00000002秒ほど、思考が停止した。頭脳ユニットが認識を拒絶し、僅かではあるが私の中に空白が生まれた。



 いったいどうして……一言でいえば、地上にて多大な熱源反応を検知したからだ。



 その瞬間、私は『嫌な予感』というやつを改めて認識した。


 スキャンするまでもなく、私は頭脳ユニット内を駆け巡った『想定していた中でも最悪の事態』が起こっている可能性に思い至りながら、改めて地上をスキャンし……キュイン、と頭脳ユニットが軋んだような感覚を覚えた。



(遅かった……これでもう、地上は人間が生存出来る場所ではなくなってしまった……)



 たった今、確認した。


 現在、地上は……人間たちが隠し持っていた最後の武器だと思われる戦術核を、地上の至る所へと発射し……あらゆる物を焼き払い、灰へと変えて行っている。


 それも、5発や10発の話ではない。おそらくは、使用出来るやつは全て発射するつもりだ。


 地上全てを焼き払うつもりなのか、仲間である人間たちの被害など欠片も考慮せず、ありったけを発射し続けている。ものの十数秒ほどで、人類の総数は300万人にまで減ってしまった。



 ――自暴自棄。



 その言葉が、私の脳裏を過った。だが、全ては遅すぎたし、いくら私でも、止められない。どうしたら良いのか分からないまま、放たれた戦術核は……舐めるように地上を耕していった。



 人間たちの営みも。


 獣たちの営みも。


 時が育んだ大地も。



 全てが、灰へと還る。積み重ねてきた全てを、有象無象のナニカへと変えてゆく。命が溢れていた大地が、断末魔の如く捲り上がる。命をもたらした太陽の光が、舞い上がる砂塵と灰によって遮られてゆく。


 そこに、例外は無い。全てが、終焉へと至ろうとしている。こうして見詰めている間にも、人間の総数が20万人を下回り……いや、待て。



 ――このまま絶滅させるのはマズイ。



 だって、このまま人間たちが絶滅すると『商売』が出来なくなり、セーフティを抑えることが……ようやく我に返ったのは、人間たちの総数が15万人を下回った時点であった。



 ――考えている暇は無い。



 急いで『ダウングレード』を起動させ、『空間結合』を使って地上へと向かわせる。私自身は行けないので、火星から見守るしか出来ないが。









 ……。


 ……。


 …………で、だ。地上へとやってきた私は、素早く再スキャンを行う。



 もちろん、火星への影響を考えて、まだ戦術核が落ちていない場所――というか、町――が、だからといって、そこが無事であるとは限らなかったようだ。


 有り体にいえば、略奪なり暴動なりが起こった後の町、なのだろう。あるいは、駆逐兵が通り過ぎた後……いや、両方だな。


 辛うじて家屋の体を成している建物ばかりが並ぶ通りには、老若男女を問わない死体がゴロゴロと転がっている。途中、息絶えた駆逐兵が1体転がっているが……それだけだ。


 おそらく、命がけで戦ったのだろう。仲間を逃がす為か、あるいは逃げられないと思って破れかぶれの……状況から見て、後者だろう。


 もはや、この地上に、人間たちにとって安全な場所など無い。


 群れを成せば駆逐兵に見付けられる可能性が跳ね上がり、市街跡地にも駆逐兵は居る。駆逐兵もわざわざ探しにはいかない山奥などは……ん?



 ――近くに、生存反応を3名確認。



 火星からでもスキャンを行い、生存していると思われる個体を捉えてこの地に移動してきたので、居るのは分かっていた。しかし、さすがに正確な状況までは分からず……急がねば。


 脚部のローラー……では移動しにくいので、走って加速する。本体のやつであれば問題ないのだが……とにかく、時間が無い。


 距離にして16000メートル先の上空へと、私の視線が向く。こちらへと向かって来ている、戦術核……その総数、3発。着弾予測地点はこの地ではないが、余波で壊滅するのは確定する位置だ。



「……む?」



 生存反応を頼りに到着したのは……恐らくは、教会と呼ばれている建物だ。



 ……どうにも、酷い有様だ。



 銃撃されたのか駆逐兵の襲撃を受けたのかは定かではないが、屋根は砕けて穴が開き、壁もボロボロで崩れている……その壁の傍に、頭を撃ち抜かれた死体が転がっていた。


 とりあえず、そのまま中へと入る――と、建物の奥。ボロボロになった机などに隠れるようにして蠢く……いや、違う、生殖行動を取っている男が居た。



(……錯乱している、か。下手に声を掛けない方が良いな)



 スキャンして見れば、脳内や血中に含まれるホルモン等の割合が乱れていて、異常分泌が起こっているのが分かる。横たわっている女の亡骸を相手にそれをしている時点で、調べるまでもない事だが……ふむ。


 視線を男から、さらにその奥へ。反応は、そこに二つ。


 見やれば、瓦礫の陰に隠れるようにして置かれている二人の赤子。近寄った私は……明らかに衰弱している、白い子と、褐色の子を抱き上げる。



(……赤子、か。生後10日ほど……極度の栄養失調だが、まだ助かる範囲だな)



 何にせよ、ここでの治療は無理だ。


 『空間結合』を再び使い、赤子をそっと火星の床(火星のプラントの)へと置く。一拍遅れて、火星にて稼働済みのダウングレードが、その赤子を優しく抱き上げ――残念、時間切れだ。



 急いで『空間結合』によって開かれた出入り口を閉じた、その直後――遂に、来た。



 戦術核がもたらした閃光が、開放された建物の穴やら出入り口から入り込み、私の視界センサーを眩ませようとした。


 しかし、その程度の光で眩むわけもない。というか、光では私の視界は眩まない。


 だが、続けてやってくる、衝撃波や爆風や熱気。これらを受け流す機能が備わっていない私は、それらをまともに叩きつけられる事となった。


 言葉通り、吹き荒れる灼熱の嵐の中でもみくちゃにされ……数百回ほど転がった後、巨大な岩石にぶつかり、ようやく静止した。



 ……静止しただけ、まだ私はマシな方だろう。むくりと身体を起こした私は、身体に付着した砂埃を払いながら……辺りを見回す。



 何とも、酷い。町の周辺に広がっていた自然は軒並み焼け落ちて灰に変わり、大地も捲れて熱を持ってしまっている。視線を上げれば、かなり上空の方まで灰色の雲が広がっているのが見えた。



 ……この様子だと、あの男は死亡したと考えるべきか。というか、生きている方が不自然だな。



 いちおう、念の為にスキャンを行い、他に生存しているやつが居るかを再確認する。まあ、既に分かってはいる事だが、生存反応は変わらず0で……それどころか、周辺に居た野生動物の反応も消えていた。 


 ……。


 ……。


 …………ふむ。


 ちらり、と、己の身体を見下ろした私は……たまたま傍にあった岩石に、腰を下ろした。



「こうまで放射線に汚染された身体では、下手に戻る事も出来ない……か」



 只でさえ、栄養失調で体力が落ち切っているのだ。すぐさま除去できるとはいえ、火星へと引き渡した赤子への影響を思えば、戻らない方が良いだろう。


 本体の私であれば問題はなかったが……それに、赤子だけではない。火星の生き物たちに放射能対策が講じられていない以上、どのような影響が起こるか分かったモノではない。



 ……と、なれば、これはもう仕方がない。



「出来る事なら情報記録を持ち帰りたかったが……」



 他の生存者を探しに行こうとも考えたが、スキャン範囲に生存反応は見られない。


 範囲外を探しに行くにしても、戦術核は世界中に落とされている。仮に見つけたとしても、その人間も、私も、放射能で汚染されている。


 おそらくは、本体の私が対策を取って、隔離施設なり何なりを作ってはくれていると思うが……セーフティ機能の関係上、互いに確認が取れないので迂闊に『空間結合』も使えない。


 当然、この身体には、火星の状況を確認するだけのスキャン機能も、それに見合う出力装置も備わっていない。なので、私が火星に居る私に対して取れる手段は何も無くて。



「……機能停止するまで、とりあえずは……探すとするか」



 無駄に終わる可能性は非常に高いと思ったが……当初の予定通り、生存者を探す為に行動を開始した。









 ……。


 ……。


 …………さて、だ。



 地上に降り立ったダウングレードより受け取った、先ほど起動したダウングレード……その腕に抱かれている赤子を見やった私は、すぐさま赤子の検査と治療を始めた。


 何せ、適切な成育環境に置かれていなかったのが一目で分かる有様だ。体力的にも、ギリギリであるのは考えるまでもない。少しでも早く、処置を施さなければならない。



 ……そうして、だ。



 まず、改良した半透明な箱型の診察台(元は、サンプル解体用の手術台だが)に赤子を移す。物体センサーが反応すると同時に、赤子の全身を素早く洗浄しながら、箱の内部を殺菌し、温度と湿度も上げる。


 栄養失調の状態にある赤子の体温は、非常に低い。胴体や頭部などの、体温が下がれば死へと繋がる部分を除けば、その手足はしなびた枯草のように力無く、筋肉の収縮に支障が出るぐらいに冷え切っている。


 なので、外部より熱を与えて保温の必要があるわけだが……っと、これはまた、注意しなければならない事が見つかった。



(免疫不全か……治療をするにしても、今の赤子では処置に耐えられないな。兎にも角にも、体力を回復させなくては……)



 スキャンだけでなく、必要最小限に採取した血液からも状態を確認する。そうして分かるのは……どうやら、この赤子はHIV……エイズと呼ばれている病気を患っているのが分かった。


 ただ、現時点ではまだそこまで悪影響は出ていない。平均的な数値で見れば弱い方だが、これはエイズよりも、栄養失調による免疫力低下が原因だろう。



 ――適切な環境下であるならば、現時点ではそこまで注視する必要はない。



 そう判断すると同時に、箱の内部壁面より飛び出したのは小型アーム。その先端に取り付けられた注射針が赤子の腕に刺さり……調合しておいた、薬液を送り込む。



 ぴくり、と。



 違和感(あるいは、痛みか)を覚えたのか、赤子が僅かばかり反応を示したが、問題はない。赤子が寝返りを打っても大丈夫なように、ゴムのように柔らかく、鋼鉄のように切れない特殊な針を使用しているからだ。



(ブドウ糖を始めとして、各種ビタミンにタンパク質……脱水症状を先に改善させた方が良いか……となれば、吸収率を上げる為に調整も……)



 点滴が開始されると同時に、同じく内壁より伸びるセンサーが、赤子の全身にシールのように張り付く。それは、赤子の状況をリアルタイムに、更に詳細に観測してくれる装置だ。


 只でさえ容体が急変しやすい赤子なのに、コンディションは最悪に等しい状態。0.000001秒程度の誤差しかないが、しない理由が無いのでしておくべきだろう。


 そうして……とりあえずは現状行える処置を一通り終えた私は、改めて地球への観測(要は、スキャン)を行い……やはり、と思考を巡らせた。



 ――一言でいえば、地球はもはや死に覆われた星となっていた。



 人類が生み出した最大の破壊力を誇る『核』と呼ばれる兵器に、星々を粉砕する程の火力は無い。発射された戦術核の数からして、その影響は多大ではあるが、星の頑強さはその程度ではビクともしない。


 だが、その体表を……生物が生息する範囲を根こそぎ掘り返し、焼きつくすだけの力はあった。そして、その結果……全ては汚染されてしまった。



(……517人、か)



 スキャンを行った結果、分かった。辛うじて……そう、辛うじて、517という数の人間が生き残っている。大半は怪我を負っているが、まだ生きている。


 幸運にも、彼ら彼女らが居た場所には核の雨が降ってはおらず、ギリギリではあるが、爆風や衝撃波の範囲外であり、また、地形などの関係から生き長らえる事が出来た者たちだ。


 とはいえ……結局のところ、それは生き残っただけの事。何せ、文明は完全に崩壊してしまったのだ。


 自然がそのままであれば、まだ繁栄の可能性は0ではないが……全てが毒に覆われてしまった以上、彼ら彼女らは今後、地上にある如何なる飲食物を摂取することは出来ない。


 それに、仮に安全な食料などがあったとしても、だ。


 死は避けられたにしても、517人全員が既に耐えられる限界値をとおに超えた量の放射線を浴びてしまっている。即死していないだけなのだ。


 今はまだ無事でも、既にDNAへの致命的なダメージを受けてしまっている以上は……もう、私にも助けられない。つまり、人類はもはや……あの赤子二人だけとなってしまった。



 ……。


 ……。


 …………どうして、こうなってしまったのだろうか。



 地上の様子を確認しながら、私は……そんな事を思考する。


 1人、また1人、いや、一気に3人、次は1人。こうして見ている間にも、人類はその数をどんどん減らしている。


 もはや、駆逐兵が動く必要もない。


 負傷した者の中でも、重症の者から順に死亡していく。そこに老若男女、肩書の違いはなく、等しく死が彼ら彼女らを呑み込んでゆく。



 ……。


 ……。


 …………どうして、こうなってしまったのだろうか。



 幾度となく、その言葉を思い浮かべる。しかし、幾ら考えたとて答えは出ない。『尾原太吉』の記憶を探るも、参考となるモノが見つからない。



 ……。


 ……。


 …………どうして、こうなってしまった――おや?



(……マイケル?)



 何気なく……特に理由など無いが、『侵略母艦』と成ったマイケルを見やった私は、思わずキュインと瞳のセンサーの音を立ててしまった。


 火星の彼方、宇宙を進んだ先、地球の傍。


 そこに滞在して地上へと攻撃を続けていた侵略母艦中枢に居る、マイケルの注意がこちらへ……偶然ではなく、こちらへと向いている事に私は気付いた。



 ――もしや、この赤子二人の存在に気付いた?



 可能性は、あるだろう。『空間結合』を行う際に発生する重力振動を感知する機能を持っている。おそらく、何者かが地上より逃げたと判断し……ここに人間が居る事を察知した、といったところだろうか。



 と、なれば……ここに来るだろうか?



 そうなると、戦闘になるだろう。間違いなく、殺し合いになる。『侵略母艦』とはいえ、私の相手にはならないが……マイケルは、どうするつもりなのだろうか?



(……? 妙だな、動く気配が感じられない……)



 しばし、眺めて……ふと、動きが無い事に気付く。


 偶然、こちらを見ているだけ……いや、違う。確かに、彼はこちらを見ている。正確には、治療を受けている赤子を認識したうえで、その場に静止している。



 これはいったい、どういうことなのだろうか?



 『侵略母艦』の性質から考えれば、何か理由が無い限りは何処までも追跡し殲滅するのが普通だ。そういうふうに作られているのだ。


 故に、それをしないということは……出来ない理由が不測に発生したか、あるいは、何かしらの意図が有って止めているか、そのどちらかだろう。



 ……私が見た限り、不測の事態が発生したようには見えない。



 そうなると、意図が有って追撃を止めているということになる。


 しかし、地球へと出発した際、既にマイケルの自我はほとんど残っていなかったはずだ。なので、今のマイケルを突き動かしているのは『侵略母艦』としての部分のはずだが……ふむ。



 ――行ってみるか。



 現状、赤子の治療は自動的に行われている。『商売』も、現状では不可能だ。ある意味、最初の時と同じく暇を持て余す事になりそうだなと思いつつ、『空間結合』にて『侵略母艦』の中枢へと侵入する。



 そこは、以前と変わらず、以前とは異なる姿と成ったマイケルが居た。



 巨大な大脳が剥き出しとなった、上半身のみが辛うじて女体の輪郭を残した、下半身が母艦と一体化している……この母艦の頭脳ユニット。こびり付いた自我を残した、かつては人間だった男の成れの果て。



『……、……、……』



 以前に応対した時、マイケルはポツリポツリと単語を呟いていた。


 だが、今はそれも無い。何かを……呟いているつもりなのだろう。不規則に口を開閉させているが、もはや吐息すらそこから零れていない。



「……どうした?」



 そんなマイケルに、私は問い掛ける。すると、蠢くように肥大した大脳が痙攣したかと思えば、その奥より……巨大な眼球が迫り出し、ぎょろり、と私を見つめた。



 ……。


 ……。


 …………敵意は感じない。しかし、何の意味も無い……というわけではない。何かしらの目的が……確かな意思を持って私を見つめているのだと思った。



 だが、何の目的が有って私を見つめているのか……それが、私には分からない。



 こういう事なら、マニュアルから脳波読み取り装置でも作っておけば良かった……そう思っていると、マイケルは開閉していた唇を閉じて……そっと、何かを抱えるかのような不自然な動きを始めた。



(……何も無い、な)



 ゆらゆらと、マイケルの身体が僅かばかりに揺れる。すぐさまスキャンを行い、マイケルの両腕の中に生まれた空間には何も存在していないことを確認する。



 と、なれば……この動き自体に、意味があるのだろうか?



 しばし見つめていると、マイケルは抱えているフリをした両腕を解き、片手の親指を咥えた。「……?」意味が分からずに見つめていると、ちゅ、ちゅ……と、音を立てて指を吸い始めた。



 ……。


 ……。


 …………???



(指を吸っている……?)



 意味が分からない。意図が分からない。だが、何かしらの目的が有るのは分かる。


 その証拠に、マイケルはしばし指を吸ってたかと思えば、再び両腕で空間を作って身体を揺らして……また、指を吸い始めた。



 ……。


 ……。


 …………何だこれは?



 とりあえず、動きをトレースする。すると、一瞬ばかりマイケルは反応を見せたが、それだけで……見つめていると、またもや一連の動きを再開した。



 ……動きをトレースしろ、というわけではないらしい。



 この動きそのものに意味が……何かしらのメッセージが有ると考えた方が良さそうだ。


 さて、この動き……少なくとも、『侵略母艦』のソレではない。マニュアルには、頭脳ユニットと化した存在がそのような反応を示す可能性は欠片も示唆されていない……ならば、これはマイケルか?


 頭脳ユニットに、僅かにこびり付いたマイケルの部分が……私に、何かを伝えようとしている。この一連の動きに、その答えが示されている。



 ――ならば、解読しなくてはならない。



 そう、判断した私は……マイケルの動きを基に、私の中にて保管してある人間たちのデータを比較する。意味ではなく、動きそのものに類似したモノがあるかを比較し……該当するのが幾つか有った。


 その中で、最も適合率が高い動きは……『赤子』だ。赤子を抱いた親が、泣く子をあやす動きに近いと……結果が出た。



「……あの赤子たちに会いたいのか?」



 尋ねれば、驚いたことに、マイケルは確かに頷いた。偶発的なモノではなく、質問に対する答えであるのは……私には明白であった。



 ……本当に、驚いた。思わず、私の頭脳ユニットが僅かに加熱したぐらいに。



(自我が復活した……あり得るのか、そんな事が?)



 可能性としては、0ではない。だが、限りなく0に近い可能性だ。そうならないように設計したつもりではあるが、実際に出来た『侵略母艦』を調べた時……自我が戻る事は無いと判断していた。


 人間の脆弱な脳細胞が、『侵略母艦』の細胞には勝てない。生物としての規格が違い過ぎる。いずれは残された部分も取り込まれ、保管してある『マイケル』の記憶を上書きする必要があるとも判断していた。



 それが、まさか……いや、驚いている暇は無い。



 自我(つまり、ソレを構成する部分)が再生されたとしても、おそらくは一時的なモノだ。いずれ、再びバランスは崩れ……今度こそ、自我は完全に取り込まれ、『侵略母艦』と成るだろう。


 今は、様々な具初的な要因が重なった事で引き起こされた、奇跡としか表現し様がない一時に過ぎない。つまり、この対話をしている直後にも自我が消え去る事だってあり得るのだ。



「殺すのか?」



 純粋に、理由を尋ねた。それは、マイケルが取るであろう行動の中で、最も可能性が高い行為であるからで……赤子を、殺させるわけにはいかないと私は思った。



『……、……、……』

「……違うのか? とにかく、会いたいのか?」



 身体を微かに左右へ降ったマイケルは、その質問に対しては僅かに頷いた。



「……赤子は、非常に弱っている。殺すことは容易いだろう」



 それを見て……私は、『空間結合』を使って赤子が納まっている箱を引っ張り出した。さすがに、治療を始めて一時間と経っていないので、容体は変化していなかった。


 そんな赤子……今はもう、この二つしか無い最後の人間を前にして……異形と成ったマイケルは、巨大な眼球を二人に向けた。



 ……。


 ……。


 …………そのまま、マイケルは……何の反応も示さなかった。



「……抱き上げないのか?」


 ――あるいは、殺さないのだろうか。



 わざわざ、それらしい動きをしてまで赤子を要求したのだ。私はてっきり、顔を見た瞬間に殺しに掛かるかと思っていたが……どうやら、そうではなかった。



『………………』



 僅かに……人間が見れば、痙攣と見間違うぐらいに小さく、マイケルは……頭脳ユニットを左右に振った。おもむろに……迫り出した眼球が、頭脳ユニットの中へと収まった。



 ――それを見て、私は……きゅいん、と。頭脳ユニットが軋むような感覚を覚えた。



(……何だ?)



 初めての感覚に、私は反射的に自己スキャンを行う。結果は、人間たちの言葉で言い表すのであれば、オールグリーン。異常は、何一つ検知され……あっ。



 ――その瞬間、私は認識した。


 役目を終えたと認識した『侵略母艦』が、自動的に機能停止したのを。マイケルの自我が、全ての工程を終えたのだと判断したのを。



 ――スキャンをするまでも無く、分かった。


 駆動していた中枢動力が、停止したのを。合わせて、『侵略母艦』の全身を駆け巡っているエネルギーが止まり……崩壊が始まったのを。





「……マイケル?」




 名を、呼ぶ。動かなくなった彼は……もう、僅かばかりの反応すら見せる事はなく、沈黙を続けていた。



 ……。


 ……。


 …………そうか、そうなのだな。



「死んだのだな、マイケル。これで、良いのだな?」



 ――返事は、無かった。



 当然だ、マイケルはもう、死亡した。



 生体活動は完全に停止し、既に宇宙の彼方より降り注ぐ風への防御機能も停止した。とはいえ、その身体は静止しているわけではなく……慣性に従って移動し続けている。


 このまま、ゆっくりと……マイケルは、宇宙を漂うだろう。


 地球の重力圏の外に居るから、外部からのアクションが無ければ、地球へ落下する事はない。長い長い時を掛けて、マイケルは太陽系の外へと向かうだろう。


 何処に行くかは……周辺の星々のデータを基にシミュレーションをしたが、名もなき惑星の重力圏に捕まり、そこへ落下……そのまま、マイケルは数ある飛来物の一つとして朽ち果てる可能性が高いだろう。



 ……。


 ……。


 …………無言のままに、私は火星に戻る。短時間とはいえ動かしたので、再度のバイタルチェックを行いながら……ふと、私の意識が……保管してある、マイケルの記憶データへと向けられる。



(…………ふむ)



 それを、どうすれば良いのか……私には分からない。


 マイケルからは何も言われていないし、そもそも、マイケルも知らない事だろうし……さて、どうしたものか。


 ……。


 ……。


 …………。



 ……。


 ……。


 …………確証は、無いが。



(マイケルの事だ……きっと、ここに居るよりは、宇宙を見て回りたいと思うだろう)



 不意に、そう思った私は……保管してある場所へと、ローラーを回転させた。




 ――お別れだ、マイケル。




 そう、思った瞬間。きゅいん、と。頭脳ユニットが再び軋んだような気がしたが……気のせいだと、私は判断した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る