そして。

 それから僕たちは階段を降った。途中、成人男性一人と少女の体重がのしかかったことが起因してか、階段がミシミシと不気味な音を出していたので、急いで降りた。


 降り終えると僕たちは、無言のままこの廃ビルから歩いて5分程の場所にある図書館へと向かった。


 5分という時間は、思ったよりも長かったけれど、何かをテーマにして話すには少し短すぎて、中途半端だった。


 でも、少しだけ会話をした。


 「そう言えば、君はなんていう名前なんだい?」


 「逆になんだと思う?」


 「うーん...」

 

 「残念でした。まぁ、当てられたら当てられたで怖いんですけどね」


 「で、君の名前はなんだ?」


 「私の名前はナツ」



 「好きな食べ物は、ナッツだったりして?」


 「...少しだけ涼しくなりました。二度と私の名前を呼ばないでくださいね」


 なんていう陳腐な会話だったが。



 


 図書館に着くと、外の空気とは違い、空気全体が冷たさに支配されていて、入った瞬間別世界に転生でもしたかと錯覚をし、少し戸惑った。そんな僕を置いて、少女は迷いを見せずに歩いて行った。


 「君は何を読むつもりなんだ?」


 「話しかけないでください。図書館内は私語厳禁です」


 「あ、すいません...」


 いやまぁ、図書館内は私語厳禁なのは確かだが。とりあえずは、少女についていこうと思った。


 ついていった先にあったのは天井から垂れ下がったプラカードに大きな文字で「日本文芸・恋愛」と書かれた所だった。そのまま少女は、何百冊も並べてある書架に手を伸ばして指でなぞりながら、何か探していた。


 「何を探しているんだ?」


 すると、拍子抜けな返答が返ってきた。


 「別に何かを探しているわけではないです。夏が舞台の清々しい青春恋愛ものを読みたい。ただそれだけです」


 そう言い終わると、また指でなぞって探し始めた。タイトルから、夏の匂いがするものを探すつもりなのだろう。どうせなら僕も読もうかと思い、少女の隣へと移る。


 「自殺志願者さんは、何を読むんですか?」


 「君と同じで何も決めてないよ。なにか、おすすめとかある?」


 「おすすめ...ですか...」 


 うーん、と目を瞑りながら悩んでいるその姿は、どこか儚く指一本でも触れれば壊れてしまいそうな感じがした。




 △




 それから僕は少女に選んでもらった小説を読んだ。しかし、途中から恋愛というよりミステリーに近い展開になっていき、主人公の家族は殺され最愛の彼氏も殺されるという、なんとも後味が悪いところで、時間が来てしまった。



 「じゃあ、これから花火大会に向かいましょう」


 「あぁ、そうだな」


 図書館を出ると、昼間よりは温度は下がっているものの未だ重苦しい温度を纏った空気に、少し嫌気がさす。急に背中から汗が出た気がして、少し不快になったが、ビルの隙間を抜けた風が涼しく感じた。


 歩いている途中、ふと空を見た。崩壊しそうな茜色の夕日。その日差しに細長い雲が色づいた西空。そして、夜の存在が徐々に徐々にと近づいてくるのを、肌で感じた。それに呼応するように、カラスがどこか遠くで鳴いた。遠い記憶の遥か向こう側から聞こえたような、そんな気がした。


 


 花火が観れるという河川敷までは、そう遠くはなかった。5分もかからなかっただろう。


 そこは、想像していた河川敷とは少し違った。僕の想像では、大勢の人がごった返しまともに花火が見れなくて———みたいなものを想像していた。こんな都会で行われる花火大会なのだから、人はいっぱいいるだろうと思っていた。けれど、僕たちの他には、犬の散歩をするおじさん、ランニングをする若い女性、と言った至って普通の光景しか見えず、本当に花火大会が行われるのかと思った。


 「本当にここが———」


 そう言いかけた時、それに被せるようにして少女は言った。


 「ここは、お母さんが生きていた時、家族でよく来ていた場所なんです。花火大会が行われるところから一番近い河川敷よりも、空いていて花火が見やすい場所なんですよ」


 「そう——なのか」


 少女は、空を見ている。それはまるで、昔埋めたタイムカプセルを掘り返すような、部屋の奥底に置かれた卒業アルバムを探すような、そんな場面を彷彿とさせた。


 それから僕たちは赤みを帯びくすんだ黄色を羽織った草の上に座った。この季節だと言うのに、緑色ではないのは臭いのキツい除草剤でも撒かれたのだろう、と少しだけ雑草を可哀想に思う。

 

 「お母さんが生きていた時、ここら辺はもっと自然な香りがしていたんです。でも、今では都市化と住民の苦情で、除草剤が撒かれたらしいです」


 少しだけ悲しいですね、と小さな声で少女は付け足した。どこからかやってきた、美味しそうなご飯の匂いが、さらに寂しさを際立たせた。


 「あとどれぐらいで始まるんだ?」

 

 そう言うと腕に巻いてあった時計を見てくれたが、あたりは既に暗くなっていて確認することができないようなので、ポケットからスマホを取り出し時間を確認する。その画面を少女に見せた。


 「もうすぐ始まりますね」


 「そうか」


 花火が始まるまでは、ビルから図書館に行く時間よりも、図書館からここに来るまでの時間よりも、もっともっと長く感じた。そんな長く短い時を、僕たちはUFOの話をして過ごした。最初は、僕が話を振ったと記憶している。


 「君はUFO、信じてるか?」


 「突然どうしたんですか?」


 そう言うと最初は笑ったものの、僕の妙に真剣な眼差しを見て、真面目に答えてくれた。


 「UFOとか、幽霊とか、そういった類の物を基本は信じていません。ですから、このノートの能力だって信じていませんでしたよ」


 そう言うと、また沈黙が続いた。夕日はすでに沈んでいた。冷たい風が吹く。草の揺れる音。体を吹き抜ける感触。そして、髪を耳にかきあげる少女の姿。その、瞬間だった。


 一本の軌道がゆらゆらと、満天の星空に上がっていく。そして一瞬、この世の中の全ての音が消えた。その時僕はこの世界の秘密に、少し近づいたような、そんな気がした。

 

 

 どうしようもなく、綺麗だった。夜空に浮かぶ星を無視して勢いよく打ち上がった花火は、瞬く間に大きく咲いた。




 一つ。



 また一つ。





 赤。





 緑。



 




 あぁ、本当に綺麗だ。その余韻が大きな音と共に心に深く残る。同時に、心の奥底にある暗く黒い物が込み上げてくる。一体この黒いモヤはなんなのか、考えなくてもわかった。いつのまにか、視界から花火は消えていて、そこにできた黒い空白を埋めるように。




 そしてまた一つ。



 青。




 赤、緑、青の三色がUFOを彷彿とさせた。僕はこの時間が、ずっと続けばいいと思った。ふと、隣を見ると少女は小さく、小さく、涙を流していた。花火が上がるたびに、その色が涙に反射して色づいている。


 「花火って、こんなに綺麗だったんだな」


 「もちろんですよ。花火は、UFOとか幽霊とかそんなものよりも、もっともっと夢があります」


 その声を聞いて僕は、嗚咽、欷歔、啜り泣き。そんな言葉を連想した。


 「私、このノートにあと一人なんて書こうかなってずっと迷っていたんです。でも、決めました」


 そう言うと大きく息を吸った。その息を吸う音は、どこか儚く感じた。


 「私、貴方の名前をノートに書きます」

 

 「なにを、言っているんだ」


 それは、本音だった。ついさっき会ったばかりの人間に、そんなことをするなんて。


 「私には、死んででも守りたい人間とか、お世話になった人とかはいません。だから———私は、貴方に賭けます。貴方は、自殺を思い詰めるほどの過去があった。貴方は、幸せではなかった。だからこそ貴方は、優しい人だった。現に、こんな私にも優しくてしてくれた。この世の中で私に優しくしてくれたのは、貴方だけです。ですから、貴方には幸せになってほしい」


 そう言うと、ノートとペンを取り出した。


 「貴方の名前は何ですか?」


 「おい、ほんとうに俺の名前を——」


 「えぇ、本当ですよ。だから、お願いです。教えてください...」


 少女はもう、さっきみたいに隠すように小さくないではなく、助けを求めるような、救いを求めるような、そんな顔をしていた。


 



 僕は少女に自分の名前を伝えた。そして、震える手を押さえながら僕の名前をノートに書いた。きっと、少女も死ぬのは怖いのだろう。死がもうすぐくる。この世の中からいなくなる。それは、想像もできないほどに怖いだろう。


 


 「書き終えちゃいました。私が命を犠牲にしたんですから、絶対に、幸せになってくださいよ」


 「わかった。僕は、絶対に幸せになるよ。だから——」


 だから、もう少しだけ生きてみないか。


 そう言った時には少女は既にいなくなっていた。



 

 




 花火は、少女がいなくなった事を合図に、勢いを増した。この世界を切り裂いてしまいそうなほどに上がっていった。鮮烈な色彩を纏い、それに目の奥がどうしようもなく染みた。思わず眩暈がしてしまうほどに。これはきっと言語化するよりも、心の奥底で感じ取るのが正解なのだと直感的に思った。


 

 花火が空を飾るとある夏の夜。僕は一人、小さく誓った。



 来年の夏もまたここに来よう、と。




 



 


 




 

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夏が嫌いな男と夏が好きな少女の話 ミヤシタ桜 @2273020

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