都内。高層ビルが立ち並ぶアスファルトの上、僕は歩いていた。燦爛たる太陽が放つ光に背中が汗で濡れて、暑気払いをしたくなったけれど、あと少しで死ぬのだから大差はないと思い、そのまま目的地へと向かった。


 青空に突き刺さる電波塔を見て、現在地を大まかに把握すると同時に、地下鉄の鈍い音が耳に入る。あと少しで着くことを確認し、足を早めるも運びは重たい。心の奥底には、無念でもあるのだろうかと思った。


 それでも歩かなければ何も始まらないので、目的地へと歩いていく。


 歩いているといやでも目に入る幸せそうに話す親子、大きな声で笑う学生の群れ、手を繋ぎイチャイチャするカップル、そんなすれ違う人々の幸せを見るたびに、日々の鬱積した気持ちが湧き上がって少しだけ憂鬱になった。



 

 

 目的地である廃ビルにつく。ツタのついたコンクリートの壁に備え付けられた階段は、長年使っていないことを思わせた。

 

 そんな階段を登っていると、自分の足音だけが響く空間に、夏の眩しい風が吹き込む。伸びきった髪が風に巻き込まれた。


 そして上がっていくうちに、背中に汗が垂れるのがわかった。それに伴い、シャツが濡れるのもわかった。


 途中、ふと横を見るといくつもの高層ビルと目が合う。ガラスの先には、机に肘を置き仕事をせずにサボっている者もいれば、お互いに頷きあい切磋琢磨し合う者もいた。


 日々の運動不足のせいか、息が上がり始めた頃、お目当ての場所———屋上へとついた。


 そこには、1人の少女がいた。


 少女は僕の存在に気づき、ロングヘアーの髪を揺らしながら振り返った。今にも消えてしまいそうな透明な肌に、ゆっくりと瞬きをする瞳。華奢な体つきだった。


 「おじさんも、自殺をしにきたのですか?」


 その声は、優しい温かみを持った声で、まだ少女が幼いことを理解する。それと同時に"おじさん"と言った事に対して疑問を覚える。


 「おじさん...?」


 「あ、すいません。自殺志願者さんの方がよかったですか?」


 「まぁ...それでいいよ」


 気を取り直して僕は質問をする。


 「"も"ってことは、君も自殺をしにきたのかい?」


 まだ僕よりも何年も何年も幼い子供が、これから自殺すると言う事実が考え難く僕は質問をした。


 「えぇ、私は自殺しにきました。でも、多分自殺志願者さんが思う"自殺"ではないと思います」


 「というと?」


 「私、書いた名前の人を幸せにできるノートを手に入れたんです。それも、たった3人だけ」


 と言いながら少女は、白色のキャンパスノートのような物を前に出し、人差し指と薬指と中指で、3を作って見せた。


 「それに、このノートに3人の名前を書いた瞬間、私は死ぬんです。まぁ、要は自分の命を捨てることで3人に幸せを与えることができる。まるでヒーローみたいですね」


 自嘲を交えたその言葉には、どこか物悲しさを感じた。


 自分の命を捨てることで3人を幸せにできる———それはつまり、自殺することで1人だけを救うことができると言うことだろうか。そもそも、そんな超常現象が存在するのだろうか。そんな僕の疑問を察したかの如く、少女は続けた。


 「私だって、最初はこの能力を信じてはいなかったですよ。だけど、私はこの超常現象の塊とも言えるこのノートを信じるしかなかった」


 そう言う少女の顔は、後悔の色は感じられず、あとは進むしかないというような強い意志が感じられた。


 「それで、実際にこのノートはそんな力を持っているのか、確認するために、全然知らない三流芸人みたいな人の名前を書いたんです。そしたら、その芸人は瞬く間にテレビに出るようになった。そこで私は確信しました。このノートは本当に人を幸せにできるんだと」



 


 「この力を使って私は、大好きだったお母さんを生き返させようとしました」


 そこでこの少女が、母を亡くしていた過去を持っていた事を知る。 


 「でも、そう簡単にうまくはいきませんでした。お母さんの名前を書いたけど、何も起こりはしなかった。死んだ人には効かないみたいですね」


 そう少女が言い放った時、夏にしては珍しい冷たい風が吹いて、少女の髪の束を細やかに揺らした。少女は乱れた髪を直す。



 「じゃあ、残り書けるのは後1人じゃないか」


 「そうなんですよ。私、なんてもったいないことしたんだろって思いました。でも、唯一大好きだったお母さんが生き返らないのなら、私はもう存在する意味はない」


 "唯一"大好きだった、という表現に少し違和感を覚える。祖母や祖父、父親などは好きではないのだろうか? 学校の友人は? そう思い、僕は質問をする。


 「おじいちゃんおばあちゃん、お父さん、それ以外にも友達を幸せにしたらいいじゃないか?」


 すると少女は鋭い目で僕のことを睨んだ後、溜息を吐き語り始めた。


 「お爺ちゃんお婆ちゃん二人とも、とっくのとうに死にました。少なくとも、私の記憶にはないです。それに、あの男———お父さんは、毎日私に暴力を振るってくる。友達だって同じ。あんなやつらの幸せなんか願ってやるものか」


 少女の過去は思ったよりも、重く深い鎖で縛られていたことを知る。物心ついたときには祖父母を既に他界、優しく育ててくれた母親は病気で亡くなり、挙げ句の果てには父親からの虐待。こんなに小さな子供に暴力を振るう父親のことを想像しただけで、虫唾が走る。すると少女は、ところでと言って話を続けた。


 「ここから少し歩いた所にある河川敷で、夜に花火大会があるらしいのですが、一緒にいきません? もちろん、自殺はします。けど、自殺をする前ぐらい幸せなことしたくないですか? ね? いいでしょ?」


 さっきまでの鋭い目つきからは想像できないような屈託のない笑顔で、問いかけてきた。「花火」という単語を聞きトラウマを思い出すものの、それを力尽くで抑えた。


 「たしかに、死ぬ前ぐらい幸せに浸っていたいよな。でも、君はいいのかい? 見知らぬ男と一緒に見るなんて。危険じゃないか?」


 「まずアブナイ事をしてくる人は、そんなことを聞きませんし、これから自殺をしようとしてた人に悪い人はいないと思います。少なくとも、わたしには貴方はいい人に見えますがね」

 

 「そうなのか?」


 「少なくともわたしには見えるって話。まぁ、そんなことは置いといて、ここ暑くないですか?」


 「あぁ、確かにな」 


 「ここら辺で無料で涼むことができる場所ってどこだと思います?」


 「無料で涼める...役所、とか?」


 「役所...ふふっ」 


 ハハッ、と大袈裟に笑ってくれればまだ良かったが、冷たい笑いを面と向かってされると悪い意味で心に響く。んんっ、咳払いをして、聞き返す。


 「で、一体どこなんだ?」


 「街の図書館。あそこなら涼むこともできるし、本だって読めます」


 なるほど、と僕は少しだけ関心をする。


 「花火大会まではまだまだ時間があります。行きましょう」


 「あぁ、そうだな」


 都会。高層ビルに仲間入りできなかった廃ビルの屋上で出会った、僕たちの一夜限りの"夏"の記憶が始まりを迎えた。


 


 

 


 

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