第4話
その夜から、私は北口先生の女になった。
私の胸に、肩に触れる指のザラつきがとても気になる以外は特別嫌な思いはしなかった。女に対しての思いやりが少しは感じられる行為は乱雑ではなかった。
「ごめんね、指が荒れてて。一人診察するたびに消毒液で手を洗うから、こんな手なんだ。娘にも触られない」
ベッドの中で両手を広げてこすり合わせた。
「あ、そうだったのですね。知りませんでした。お医者さんも大変ですね」
私は触られた瞬間に少しだけ、ビクッとしたことを悟られたようだった。確かにざらついた手の感触だけではなかったのだが。どんな扱いをされるのかママの手前で強がりと軽口を叩いたが、内心は怖かった。
私自身が商売女に落ちてしまったことと、何を強要されても拒めないということ。堅くなった体をバスタブで温めながら惨めさで私は最後に幸浩のことを思い出していた。
思っていたほど、めちゃくちゃに扱われなかったことに私は感謝の気持ちを伝えようと思ったが、こういう場合はなんと言えば良いのかと考えていた。
「じゃあ、先に帰るから。ここに置くね。泊まってもいいんだよ、明日までゆっくりと眠ればいいよ。時々こうして僕を癒やしてくれるかな」
「先生、私なんかで……」
「こんな形でしか、みやびちゃんのことを独占できない。店では普通の顔をしてくれていいよ」
北口先生は財布から札を数枚出すと、テーブルに置いた。
「足りないなら、言ってくれていい。留学費用は次でいいかな。五十万円ほどなら用意できる」
薄暗い部屋で、先生はいつもの黒いバッグを提げてドアを閉めた。
私はほっとして、バスローブを羽織るとベッドから出て、テーブルの上に置かれた札は五枚であることを確認した。これでいいのだろうか、本当に。私はこの日から半年ほど週に一度はこういうことを繰り返した。
どうでもいい、売春婦のように毎回五万円を渡されることなんて。でも私の胸で先生が子供のような顔をして仮眠をする時、先生の昼と夜の間を感じた。時間など関係ないのだ、男は仕事や家庭のストレスを私のような女の胸の上でわずか三十分ほど寝息を立てて休息を取る。
私は少し優しい気持ちになっている自分に気がついた。
信じられるものは金銭だけだと思っていたはずの自分の前で眠る地位も名誉もある四十五歳の男に私は慄く。本当にこんな自分でいいのだろうか、家にこの人の帰りを待つ妻と子供は本当のこの人を知らない。
私は少しずつ、北口充という男に惹かれていることに気がついていた。最近幸浩は仕事が忙しいので連絡がつかないことをいいことに私は北口先生との付き合い以外に、他の男と肌を合わせていない。それは弥生ママと北口先生の約束なのだろう。
ざわついている自分に思う、面倒なことにならないといいのに。私はこんなにも簡単な女だったのか……。幸浩の頭を撫でることなんてしたこともないのに、中年男性の髪を撫でて私は微睡む。不思議な休息の時間にお互いの心が半年の間に静かに引き合うことを私は感じていた。
幸浩にはあって北口先生にはないもの、そしてその逆もまた正なのである。
私はずるい女なのだろうか、男二人の間をユラユラと行きつ戻りつすることが正しいのかもう分からなくなっていた。幸浩が好きなのか、歳の離れた北口先生を好きになり始めているのか、はっきりとさせることができない緩い私の気持ちにけりを付けるべき出来事が待っていた。
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