救世ファイター

naka-motoo

きゅうせいではなくぐせと読みます

『戦え』という言葉をむやみに吐かないで欲しい。


 フィクションだからと命が幾つあっても足りないようなバトルシーンを無責任に表現しないで欲しい。


 今、わたしの目の前で、生身の人間が、人間としての不条理だけれども摂理の中で死にゆくのだから。


「0時15分。ご臨終です」


 宗教的配慮からわたしはココロの中で手を合わせる。


 看護師になったのは最初は使命感からだった。


 そして、激務ではあるけれども、『間に合う』人間として成長できる職場であるという確信があった。


 今でもそれは変わらない。


 けれども。


「霊安室にお運びして」


 一日の内で何人ものご遺体がここで時を過ごす。


 老いも若きもない。

 女子男子もない。


『戦え』


 戦え?


 誰と。


 何と。


 この感染症と?


 それとも、逃げ出したくなるわたしのココロと?


「霊柩車が到着しました」


 わたしたちはご遺体を裏口まで運ぶ。


 誰の目にもつかない、病院の、裏口。


 表ではこの辛い世を救う芸術だとして、商業施設の正面玄関から無数の人たちが等間隔で整然と列に並ぶ。


 わたしたちは老朽化した病院の裏口で、一体何のために生きて何のために死んだのか分からない人たちの、亡骸を見送る。


 引導を渡す僧侶すら霊柩車に同乗してきて、その場でリンを鳴らす。


「よき所へ逝けよ」


 と。


「マスクを外さないでください」


 僧侶は本来の手続きを、顔を覆ったままで執り行う。


 霊柩車の運転士も。

 僧侶も。

 医師も。

 わたしも。


 命懸け。


 命懸けの臨終。


 死ぬ本人だけでなく、わたしたちすら命懸け。


 赤の他人のわたしたちに見送られてまるで無縁仏の如くに火葬場へと直行する死者。


「僕が最初に読んだ小説は、死者を描いた小説だった」


 わたしの祖父ほどの老医師がマスクをズラしてタバコを吸いながら言った。


「その小説はまだ作者が大学生の頃に書かれた。医学部の献体として解剖用にアルコールの入ったタンクの中で保存される死体を描いた小説だった。僕は高校の時に読んだ」


 老医師はタバコを吐息のように扱う。


「絶望しかない小説だった。だが」


 え。


「わたしはそれを読んで、医師になることを決めた」

「先生。なぜですか」

「どのみち死からは逃れられないからさ」


 わたしは今、初めてこの職業をほんとうの意味で誇りに思う。


 死からは逃れられない。


 世のひとたちが楽しさに紛れ。


 虚構をホンモノと錯覚し。


 地獄の釜の縁を歩いて今にも堕ちんとしているのに。


 逃げ続けている。


 でも、わたしは逃げていない。


 世に溢れる虚構のフェスタ。


 そういうものに関わることができず、一体このひとが何者かも分からない人間たちの死の境目に立ち合い続けるわたし。


 戦えなどと軽々しく言わないで。


 苦しくなるから。


 死にたくなるから。


 ほんとうに戦うということの意味を知らないひとたちよ。

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