第一章 楽園監獄都市《メタユートピアシティ》・横浜(6)
◆
その日の夜。
日付が変わった直後の事である。
「青葉100F! 扉を開けなさい!」
突然、大きな声と共に部屋の扉が無遠慮に叩かれ、就寝中の青葉100Fは飛び起きた。
扉を開けると、そこにいたのは銃で武装し、ローブを着た数名の成人男性だった。
その姿を、青葉100Fは知っている。
「ほ、法務官……?」
法務官は横浜市の治安を維持する組織、法務局の職員であり、法を執行する父祖の“腕”である。
驚愕と恐怖と混乱で、青葉100Fの頭の中は真っ白になった。
「市民より通報がありました」
「つ、通報……ですか?」
「青葉100Fが思想違反の疑いがあるという通報です」
上層には密告制度が存在する。
父祖を批判する者や、思想違反者を通報すれば、報奨として貢献度が得られるのだ。
だが、青葉100Fには心当たりがない。
自分の中の外界への欲求も、内にこそあれ、一度たりとて外には出していないからだ。
「わ……私は思想違反なんてしていません!」
「それを決めるのは貴方ではありません。その罪がたとえ《大いなる兄弟》の目に映らなくとも。我らの法は間違いなどないのですから」
「《大いなる兄弟》……」
それは子供が大人に最初に教わる話。
《大いなる兄弟》が見ているから、悪いことはしてはいけないと。
「わわっ私がき、危険思想だっていう証拠はあるんですか……? 通報した人が間違えていたり、嘘をついているのかも……」
「市民は誠実である義務があり、故に嘘をつくはずがない。であればその口から出る言葉は真実であり、証明をする必要はありません。それは教典にも書いてあります」
「え、え……そ、それ、っておかしく……ないですか? 私もし、市民です、から、う、嘘ついてないって事にな――」
「ん黙りなさい!」
法務官の平手が、青葉100Fの頬を打った。
急な暴力に晒され、青葉100Fの心臓が早鐘を打つ。
「これも全て父祖のご意思! その御言葉に論理的矛盾などありえない! 青葉個体は思想違反する個体が多く、何よりもたった今、市民の通報を疑うような言動をした事からもわかる通り、それは教典を疑う事と同義。ならばやはり思想違反である!」
「そ、そんな……で、でも明らかに矛盾してい、います……納得が――」
「口答えを! するな! 罪人が! 罪人が!」
法務官に何度も平手で打ち据えられ、青葉100Fはその場に崩れ落ちる。
喉が乾き、手が震える。
青葉100Fは今まで考えた事もなかった。これは密告されてしまった時点で、逮捕される事が確定する欠陥制度なのだと。
「現時刻を持って青葉100Fを思想違反の疑いで逮捕。横浜最終裁判所で即日裁決を取るものとします」
「違います! 私は何もやっていません! 信じてください! そ、それに私、まだ子供で……だから……」
そう――子供は都市の宝。あらゆる罪を負う事なく、全てを許される。
子供であれば。
「青葉100Fは日付変更と同時に大人になりました。子供特権は全て失効し、大人と同じように罪は許されなくなります」
ガチャり、と手錠を掛けられた。
「連行しなさい」
取り押さえられ、引き摺られるように青葉100Fは寝間着のまま連れ出される。
違います、違います、そう叫ぶも聞き入れて貰えない。
騒ぎを聞きつけた周囲の住人が、扉を開けて様子を伺っている。
その中には扉の隙間から青葉100Fを覗き込む青葉022Mの姿。
視線が合った。
「ごめんなさい青葉100F」
青葉022Mは目を逸らし、言った。
その言葉は、青葉100Fにしか聞こえていなかった。
「君が大人になったら、貢献度の低い私が下層送りになってしまうかもしれないんだ。でも、君を法務官に引き渡せば、私の貢献度が上がる。だから、ごめんなさい」
青葉100Fは頭の中が混乱しすぎて、その後の記憶は不明瞭だった。
大教会に併設されている最終裁判所で機械による裁判を受け、ただ淡々と罪状を読み上げるのを聞いていた。
◆
「判決。青葉100Fを危険思想罪により、懲役4年。下層送りとします」
判決を下された後、青葉100Fは獄衣に着替えさせられた後、手錠をされてエレベーターに乗せられ、下層に送られた。
潮風に当てられ、錆び、風化し、捨てられた鉄の大地。
下層での体験談を聞く事はないし、知る事もできない。
上層で生活している限り、下層の出来事を知る術はない。
罪を犯した者が行く監獄であるというのが教典には書かれている。
(怖い……)
ただひたすらに怖ろしい。
手が震え、背筋が凍え、足がすくみ、胃の腑の底に鉛でも沈んでいるかのような嫌な感覚がある。
未知の恐怖。
ただ漠然とした、不安感。
下層。一万の横浜市民の内、八千の罪人がいる場所。
楽園を追放された先。
地獄。
悪魔や鬼が跋扈し、罪人を責め立てる場所。
教典に記されていたのは、そんな所である。
粗末な建物の中に連れられ、薄汚れた通路を歩む。
上層にはない刺すような寒さ、通路の端では獄衣を着た下層の囚人らしき人物が、法務官に囲まれて警棒で殴られ、頭を抱えて蹲っている。
肉を、骨を殴打する音が通路に響き渡り、青葉100Fの耳にこびりつく。
(どうして……私が……)
恐怖に怯え、震えながら考える。
(外に出たいなんて、思わなければよかった、下に行かなきゃなんて思わなければよかった、下層は恐い所って知ってるのに、きっとバチが当たったんだ……)
恐怖と共に後悔が襲う。
手錠したまま法務官に連行され、暫く歩いた後に止まった。
崩れかけた薄い青緑色の外壁には、○四五号監房と書かれたプレートが貼られた扉があり、その前に立たされていた。
格子の付いた窓のある錆び、汚れた金属製の扉を、法務官は腰に下げた鍵を使って解錠した後に、青葉100Fの手錠を外す。
重く軋むような音を立てながら、扉が開かれる。
房の中は薄暗く、入り口からでは中をよく確認できない。
中には罪を犯した極悪人がたくさんいると思うと、背筋が凍って足が震えた。
だが娯楽というものが皆無な上層で育った彼女の乏しい想像力では、具体的な極悪人像という所までは想像できていなかった。
「入りなさい」
促され、房の中へ足を踏み入れると、法務官が勢いよく扉を閉めた。
大きな音と震動で、青葉100Fの身体が反射的にすくみ上がる。
薄暗い房の内部にも目が慣れて、その様子が見えてくる。
錆びた鉄板の床に、ボロボロになった石壁、窓はない。
フレームが錆び、汚れた粗末な二段ベッドが二つ。彼女から見て右手側と正面側に、L字になるように置かれている。
トイレは一つ。粗末な作りのものが、仕切りもなしに房の隅に作られている。
何より寒い。
隙間風がボロボロの壁から容赦なく吹き込む房内は、暖房設備など望むべくもなく――青葉100Fは知らないが――下層全域に施された最低限の耐寒領域結界だけが辛うじて生物を生存可能にさせている。
そんな劣悪な環境で過ごさなければならないという恐怖は、すぐに消し飛んだ。
「……っ」
彼女は正面のベッドに視線が釘付けになり、息を呑む。
より正確にはその一段目に腰掛ける人物に、だ。
男だ。
長い黒髪、整った顔、この地獄において尚光り輝くような全身から溢れる生気、青葉100Fと同じ簡素な獄衣に身を包んでいるのに、それが彼の為に仕立てられた上等な衣服であるかのように錯覚する程に着こなしていた。
一目見て、この房の主だというのが彼女にも察せられた。
「ほう、新しい囚人か」
男は立ち上がり、両腕を広げた。
「余の名はベルトール。ベルトール=ベルベット・ベールシュバルトだ。ようこそ、○四五(マルヨンゴ)班へ。同じ囚人同士だ、歓迎しよう。少々狭い牢ではあるが、な」
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第3巻の試し読みは以上です。
続きは2023年6月20日(火)発売
『魔王2099 3.
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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魔王2099 紫 大悟/ファンタジア文庫 @fantasia
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