天才!山脇の元気が出る小説(作家論を排す)

日本の小説は、特に近代に入ってから「私小説」が流行になったこともあって、作家論研究が相次いだ。

例えば、太宰治の実際の経歴を丹念に調べて、その体験や経験が小説のどの箇所に活かされているかという論調のもので、ロラン・バルトをはじめとする構造主義的思想が日本の知識人に浸透するまでは、文学批評とは作家論のことであった。

私はここで山脇伯爵のハンバーガーについて、作家論がいかに役に立たないかを実証するつもりでいる。

ここで、山脇伯爵(彼がフランスの貴族であることはここでは繰り返さない。詳しくは他の私のレビューを読んでいただきたい)の経歴を簡単に紹介したい。

山脇伯爵は実は兵法家である。もともとは、砲兵だった。近代戦と無縁だったフランスを近代的な兵隊にしたのは、山脇伯爵の功績によるものであった。

砲兵というのは、当時においては計算を必要とする兵隊だった。角度や速度、当日の天候等様々なことを考慮していかないといけない。伯爵は歩兵や騎兵とはまた違った兵として、いくつかの戦争を経験している。彼が砲兵だったということは、計算を戦争に持ち込んだという点で、大きな意味を持った。

そして、彼が大将軍になったときには、当時の常識を覆すようなことをいくつもやる。一つには行軍である。猛烈なスピードで軍隊を行軍させる。そして、お金のかからないやり方で彼は軍隊を鼓舞させることに成功した。
そう、功績を軍隊の序列化のために組み込んだのである。いくつもの大臣の位を創り、序列化して功績を立てた兵隊を昇進させるようにしたために、お金や土地を必要としなかった。

山脇伯爵はまたたくまに、連戦連勝を重ね、宮廷絵画士に戴冠式の模様まで描かせている。

実際このころ私は、山脇伯爵に酒場に呼ばれ出向いたことがある。たくさんの貴族の前で、山脇伯爵は札束をばらまいた。札束が右に左に舞う中を、同じように彷徨する私たちを見ながら、「ほらほら、踊れ、愚民どもよ」と言いながら、貴族たちとカカと笑っていたのである。

その後、ロシアに侵攻するも、冬将軍には勝てなかった伯爵は、コルシカ島に流され、現在そこで生活をしながら、時々こうして小説やエッセイを書いて、無聊を慰めているのである。

こうした伯爵がハンバーガーというエッセイを書くということが私には信じられない。キャビアやフォアグラしか知らない伯爵が、ハンバーガーをエッセイで書くというのは、事実とはかけ離れている。
だからといって、無意味だというわけではない。
平凡には生きられなかった非凡な人間の哀愁がそこに描かれているのである。

このレビューの作品

エッセイです