構造主義はあらゆるものに影響を与えた。哲学、思想、民俗学、言語学、文学、そして山脇正太郎においても、それは例外ではなかった。
古来より、人間というものは不変なものだという考えは、特に文学において信じられてきた。そもそもその前提がなければ、源氏物語も枕草子も読めないからである。
しかし構造主義は、近代以前と以後では人間が変わったということを前提とする。
例えば、性の問題。近代以前では、バイセクシャルはめづらしくないが、明治以後キリスト教の思想が同性愛を禁じていたため、急速な欧化政策とともに同性愛は恥づべきものとして忌避されるようになった。
明治末年から大正にかけて活躍した漱石には同性愛のアレルギーはそれほど感じられないが、戦後派の三島にはかなり強烈な抑圧として感ぜられたように、実はその時代の制度や風潮は我々の思考や性格を規定していくのだ。
構造主義は制度が変わったために、人間そのものにも変化があることを指摘する。
では、山脇正太郎における、「キンダイ」とは何であったか。
それは「近畿大学」である。我々がゼイゼイいいながら、大学の部活で泳ぐ横で颯爽と追い越していく近畿大学の学生に、女学生たちは、ワーキャー言っていた。
私と山脇氏はそれを苦々しくみていた。それが、畢竟我々の青春である。