山脇正太郎の本歌取りとドラマツルギー

文学作品は、多くの本歌取りを生み出した。井伏鱒二の「遥拝隊長」はセルバンテスの「ドン・キホーテ」を換骨奪胎し、戦争に対する井伏鱒二流の皮肉を込めて書かれた作品であった。
谷崎潤一郎の「痴人の愛」は、源氏物語を当時の世相に置き直して書かれたものだった。

これは文学に限らず、音楽にも言えることで、パフィーの「これが私の生きる道」には、ビートルズの楽曲のフレーズがちりばめられている。

人類は模倣することで既視感による安心感を得ようとしてきたのではないか。

私も大学時代「若者の渋谷系ファッション」を熱心に調べ、それを模倣したら、「社会人の方ですよね。お勤めは新橋ですか」と言われたことがある。
個性とは容易に生まれないものなのかもしれない。

さて、本作で天災山脇氏が何を模倣したか当然お分かりだろう。チェホフの「かもめ」である。

いみじくも作中人物の「私たちかもめと同じだ」というのは、この小説がチェホフのオマージュとして存在していることを示唆している。

そう思って読むとどうだ。もはやチェホフの「かもめ」そのものではないか。おのれ、山脇正太郎、ついに盗作か。主人公が銃で自ら命を絶つところまで全く同じではないか。

おのれ、読者を愚弄するか!

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