安心して気絶したように眠る主を、誰にも気づかれないように屋敷の部屋に戻って寝かせたクロノは、そっと部屋をでた。


「坊ちゃんはどうだ」

「……エドか。今はお眠りになっている」


 そこにいたのは森番であり、悪友であり、『仕事仲間』であるエドだった。

 そのまま隣の空き室に入る。エドとの会話は、絶対に他には聞かせられないものなのだから。


「まったく、間に合ってよかったよ。お前を見殺しにするか悩んだんだけどな。オレがいく前にお前が森にきてくれてよかった」

「止めるべきだった。もしも、オレもお前も間に合わなかったらリアヌ様は」

「――マンドラゴラの悲鳴を聞いても、お母上と同じように発狂するで、生きながらえたかもしれないからな」


 クロノは冷たい目でエドを睨む。その顔も眼も、決してリアヌの前では見せないほどの冷酷さを帯びていた。


「この件は御当主様にはお伝えするなよ」

「わかってるって。まあ御当主様も様子見しているところだしなあ。もしかしたら『生きたマンドラゴラ』かもしれないし、もしかしたら『死なずにマンドラゴラを引き抜ける人間』かもしれない。どっちに転んでも、地獄だろうからなあ」


 マンドラゴラを引き抜いたものの多くは、発狂して死ぬ。

 けれど、稀に発狂状態のまま長く保ち、死に至らぬものがいる。

 それが、リアヌの母親だった。


 リアヌの母親はそれが何と知らず、マンドラゴラを引き抜き、悲鳴を聞いた。

 そして発狂した。

 だが、普通ならばそのまますぐに死ぬはずが、彼女は生きのびた。


 それに目をつけたこの家の当主が、マンドラゴラを引き抜いても死なない人間として囲い込んだ。

 だがずっと発狂したままだと扱いに困る。そこでいつも薬を飲ませ、小康状態を保つようにしていた。

 もちろん、その薬のもとは、彼女自身が引き抜いたマンドラゴラだ。

 リアヌの母親は、マンドラゴラを引き抜いては発狂し、そのマンドラゴラのほんの一部を薬として与えられることで、発狂を大人しくさせられる。残った部分を多額の金で売り払われた。そして必要が出たらまたマンドラゴラを引き抜かされる。

 そうした役割でこの家に迎えられた、哀れな犠牲者だった。


 小康状態といっても、彼女にはまともな意識などなかったろう。基本、彼女は狂い、壊れていた。ただマンドラゴラの薬を飲めば、むやみに暴れず、操り人形のようになるというだけで。

 そして彼女は普通ならば考えられぬほど、マンドラゴラの薬を常用した。

 彼女が気付かないうちに、妊娠している間も、繰り返しマンドラゴラを摂取し続けていた。

 その中で産まれたのが、リアヌだった。


「母親と同じ特性を継いでいたら、坊ちゃんも発狂するだけで、死にはしないかもしれない。そうしたら安定的にマンドラゴラを手に入れられる。かといって安易に試そうとしたら、坊ちゃんが死んじまうかもしれないから試せない。なにより、坊ちゃん自身がマンドラゴラと同じ、万能薬になっている可能性があるっていうのを、御当主様は諦めてないからなあ」


 マンドラゴラの薬を飲み続けて生まれた子供。

 その子供が、本当に普通の人間と同じなのか。

 もしも、マンドラゴラの影響が、母親を通じて胎児に影響していたら。

 もしかしたら、リアヌの血肉や体液がマンドラゴラと同じ作用を持っている可能性がある。

 そうなれば、今までは安い闇奴隷や貧困層の買いたたき、マンドラゴラを引き抜かせていた手間がいらなくなる。

 安全で、いつでも提供できる万能薬のもととなる、『生きたマンドラゴラ』がいるのだから。


「どっちみち、もう少し身体が大きくなったら、実験されるだろうなあ」

「そんなことは、させはしない」


 憎々しげなクロノの言葉に、エドは肩をひょいとすくめた。


「だけどお前の怪我が治った言い訳は考えておいたほうがいいぜ?」

「……オレが、リアヌ様のおかげで助かった証拠は、何一つはない」

「まあ、そうだけどさぁ。お前、どうせもう、傷もなくなってきてるんだろ? 子供のころの実験で、ちょっとした体液くらいなら傷薬程度にはなる、っていうのはわかってるんだ。それ以上、大量に血を抜いたりしたら本人が死んじまうかもしれないからってことで、今は御当主様も坊ちゃんの身体が大きくなるのを待ってるんだし。つうか、見た感じ、坊ちゃん、傷があるようにも見えなかったけど。坊ちゃんの何をどんだけ摂取したら、あの状態のお前が助かるわけ?」


 クロノは答えない。その無表情を崩さない。

 けれど、問われて思い出すのは、わずかな口の中に広がる鉄の味。

 ほんの少しの、口から与えらえた、リアヌの血。

 それが、クロノを救ったのはクロノ自身がわかっている。

 さらにそのあと森でリアヌの涙を摂取したことで、ほとんど体の傷も毒も残っていない。


――リアヌの体液が、マンドラゴラと同じ作用があるということが、これで証明されてしまった。


 これが当主に知られたら。リアヌは生き地獄を味わうだろう。

 飼い殺しという言葉では生ぬるい。金の生る万能薬として、一生搾取されていく。

 この家の夫人は、人間と同じものではない可能性のあるリアヌを毛嫌いしているだではなく、そんな哀れな未来にならぬように慈悲の心でリアヌを殺そうとしているのかもしれない。

 しかし。どちらもクロノは否定する。

 発狂しながらマンドラゴラを引き抜くだけの役目も、搾取され続ける未来も、安易な死も。

 決して、そのような目に、自分の主人にあわせるものか。


 クロノは護身用の短剣を出して、エドに放りなげる。


「……オレはたまたま、医者の薬が効いて目を覚ましただけだ。だけど確かに傷がなくなっているのは困る。だから、もう一度同じ傷をつけるしかない」

「………おいおいおい、それをオレにしろってえ? 自分でやれよ」

「自傷と他傷だと傷のつき方が変わるからな。うまい具合に調整しろ」

「はあ……全くイヤになるね。ま、とりあえずこの場しのぎにするには仕方ねえか」


 頭をかきながらいやいや短剣を鞘から取り出して、エドは尋ねる。


「実際のところ、坊ちゃんの血液だか体液だか、どれくらい飲んだの」

「さあな。オレはそんなことしてないからわからない。だが」


 あえて身体を無防備にさらし、切られやすい態勢をつくる。

 口の中に感じたわずかな血の味。本当に一滴や二滴、その程度だろう。

 リアヌは自分の特性を理解して、クロノに飲ませたわけではない。

 押し付けられた唇のぬくもりと震えを思い出す。


「――きっと、あの程度では、他の人間は助からないだろうな」


 珍しく唇の端をあげ、愉快そうな顔を作る友人に、エドはため息をつく。


「はあ。真実の愛の勝利、ってやつ? まあ、とりあえず時間稼ぎは手伝ってやるよ」


 エドは抜き身の短剣をかかげ、クロノと相対する。

 クロノは、これから訪れる痛みと熱に身構える。


 これもすべて、リアヌがこの家から自由になるために。


 いつか、自分の主人が、なににもとらわれず、外の世界で生きていくために必要な時間稼ぎ。

 今だって密かに外と渡りをつけ、その計画は少しずつ進めている。エドも協力者だ。当主を裏切ることになるが、自分の主人はリアヌただひとり。

 今はまだ、実行するときではない。必要ならば、どれほど敵を回そうとリアヌを連れて逃げると決めている。だが、もう少し、もう少しでこの家がマンドラゴラが密かに栽培し、そのために何人もの犠牲を出した証拠が集まる。それを公にすれば当主はもちろん、この家全てが終わるだろう。そうなれば安全にリアヌひとりを外に逃すことができる。

 そのためならば、もう一度傷をつくることなど、躊躇はない。


――そして叶うならば、その笑顔のそばに自分がいられたらなら、いい。


 クロノはリアヌの笑顔を思い出しながら、胸に与えられる痛みと熱を受け止めた。

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リバーシブル・マンドラゴラ コトリノことり(旧こやま ことり) @cottori

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