マンドラゴラの星

かねどー

第1話

「本日は県立科学博物館、プラネタリウム展にお越しいただき、誠にありがとうございます。これより皆様を星空の旅にご案内させて頂きます。ごゆっくりお楽しみください」


暗転した会場に流れるアナウンスを聞きながら、僕は自分自身の鼓動を強く感じていた。


「今、皆様がスクリーンで見ているのは、12月の夜9時ごろの空です。冬は空気が透き通っており、夜空が最も美しい季節です。また、夜空でひときわ明るく輝く一等星を、一年で最も多く見ることができる季節でもあります」


柔らかい女性の声に合わせて、視界一面に星空が広がる。今年の夏にオープンしたという博物館のプラネタリウムは、数百人が優に入るであろう大きなドーム型をしており、入場者は床に座って全方位の空を見ることができる。それは僕が初めて体験する本格的なプラネタリウムであり、出だしから十分な驚きがあったが、僕の心臓を音が聞こえそうな程に鳴らす原因はそれではない。


「凄いね」


星明りで陰影がついた隣の気配が僕に耳打ちした。彼女……吉村さんは僕のクラスメイトだ。2人で休日に出かけるのは三度目になる。僕は彼女のことが気になっているし、きっとそのこともバレているのだが、僕がそれを伝えたわけでも彼女の気持ちを聞いたわけでもないのでどうしていいかわからず、正直距離を測りかねていた。


「これから、冬の星座とその物語をご紹介します。まず、オリオン座、そしておおいぬ座……」


初めて手を繋いだのは1分前だ。会場が暗転した時に。彼女から。


冷静でいられるわけがない。手汗をかいていないだろうか。僕は気配の方を向くこともできず、こくこくと頷くのが精一杯だ。冷静さを取り戻すため、左手と顔の熱から意識をそらし、人造の星空と解説に集中した。


「それからマンドラゴラ座」


待った。今変なの入ってなかった?


「実は、このマンドラゴラ座にも、悲しい物語があるのです。これからその物語を紹介いたします。」


解説のお姉さん。今は物語より気になることがあります。学校の理科で習う知識との違いについて質問いいですか。


現在一般に知られている星座は、20世紀になってから国際天文学連合で定められたものらしい。古代ギリシャ・ローマ時代に整理された星表がもとになっており、のちに南半球から見える星に関しても星座が考案された。そうした経緯で星座が統一される前は、それぞれの文化圏が独自の星座を持っていたはずだし、今もあるかもしれない。だからといって、こうした展示で標準的でない星座を、しかもごく一部だけ採用するだろうか。


予習してきた天文知識を総動員して冷静さを取り戻した僕は、ようやく左隣を見ることができた。吉村さんは目を大きく開き、口をかわいらしく半開きにしながらプラネタリウムに見入っている。その夜空に牡牛や巨人と混じって、引き抜かれると悲鳴を上げる植物(根が人型をしており、さまざまな薬効成分があるとされる)がいることは特に気にならなかったようだ。会場がざわついている様子もない。


スクリーンでは大きな星を線で結び、モチーフのシルエットを重ねる形で星座が表現されている。それによって聞き間違いではなかったことと、こいぬ座がリストラされていることが確認できた。おおいぬ座とキャラも話も被るからってあんまりだ。


弦楽器と木管が、短調のメロディーを奏でる。

会場の僕一人を置き去りに、マンドラゴラの物語が始まった。





昔々ある所に、心を持つマンドラゴラがおりました。


普通のマンドラゴラは、引き抜かれる時に叫び声をあげるだけで、心を持ったりはしません。そのマンドラゴラは特別でした。自ら地面を抜け出し、根っこの足で歩き、人と話すことさえできました。


ある日の夜、畑を抜け出して畦道を歩いていたマンドラゴラは、向こう側から歩いてくる2人の男の子と出会いました。


「ひっ……!」大きい方の男の子はマンドラゴラを見るなり、驚いて尻もちをつきました。


マンドラゴラは今までも何人かの人間に会いましたが、一目散に逃げていくか、捕まえようと追いかけてくるかのどちらかでした。今日は一番目の方だなと、葉っぱをしおれさせて落ち込んでいましたが、尻もちをついた男の子は立ち上がって逃げることなく、怯えた顔でこちらを見ているだけでした。小さい方の男の子はそのすぐそばで棒立ちになり、虚ろな目をこちらに向けています。


「……こんにちは。逃げなくていいの?」

「あの……弟を助けてくれませんか」


話を聞いてみると、彼ら兄弟の村はほんのふた月前から流行り病に襲われ、たくさんの人が死んでしまったそうです。村の大人たちは次は自分の番か、家族の番かと怯え、日に日に怒りっぽくなっていきました。悪いことに流行り病で最初に死んだのは、となり街に通って工芸品を売っていた彼らの両親です。


そんな折、弟が病気にかかりました。悲しみに暮れる兄が突き付けられたのは、弟を殺して他の死体ともども広場で焼くか、弟を連れて村を出ていくかという二択でした。村を追い出され、少しずつ弱っていく弟を支えながら丸1日歩き続けた兄は息も絶え絶え、歩くマンドラゴラにもすがる思いでした。


「それは大変だったね。たいしたものはないけど、僕の家で休みなよ」


畑のすぐそばには、マンドラゴラが自分で作った家がありました。彼は地面に埋まって一日を過ごすこともできますが外にいる方が好きで、人の気配がなくなる夜にはそこで過ごしていました。葉っぱの屋根に麦わらのベッド、木の皮で作った鍋と畑の野菜で料理だってできます。マンドラゴラは彼らに寝床を与え、水と食事を用意し、自分の足を少し削ってお湯で煮出した薬を弟に与えました。


兄弟はマンドラゴラと友達になり、とりわけ弟の方はマンドラゴラに心を開きました。兄と違って幼いころから病気がちで、他の子どもたちと馴染めなかった彼にとっては、マンドラゴラが家族以外ではじめての友達でした。そしてマンドラゴラも、自分を怖がりも捕まえもしない兄弟をはじめての友達として大切にしました。


兄弟は3日ほどそこで過ごし、ついに弟は走れる位まで元気になりました。元気になった弟は、村が心配だから見に行きたいと言いました。追い出された経緯を覚えている兄は止めましたが、ついには折れて、2人で村を見に行くことになります。マンドラゴラを連れて行けば彼にとってよくないことになると兄は考え、すぐに戻ってくると告げて留守番を頼みました。


4日ぶりに村に戻った兄弟を迎えたのは、たくさんの石ころと鉈と矢でした。病気を持っているかもしれない子供を受け入れる心の余裕は、既に村の全員から失われていたのです。兄弟は必死で来た道を逃げましたが、弟の背中に矢が刺さり、その場に倒れました。ぴくりとも動きません。すぐそこまで大人たちが迫っており、怖くなった兄は一人で走って逃げました。


その日の夕方、食事の準備をしていたマンドラゴラの元に、血だらけの兄が駆け込んできました。何があったのかと聞くマンドラゴラに、兄はわんわん泣きながら事の顛末を話し、弟を連れて来れなかったことを謝りました。マンドラゴラは、君だけでも無事でよかったと短く応えて、短い根っこの腕で兄の肩を抱きました。


日が沈んで夜になると、遠くの方に明かりと煙が見えました。村の方では火を焚いて、病気で死んだ人を焼いているのでしょう。きっと弟も一緒に。煙の立ち昇る方を並んで見ながらたっぷり間を置いて、マンドラゴラはこう言いました。


「僕を放り投げておくれ。ずっと遠く、一人ぼっちのあの子のもとまで行けるように」


兄は涙を流し、口を真一文字にぐっと結びながら、マンドラゴラの葉を掴み、村の方に向かって投げました。村の柵を越え、弟を焼いた広場の火を突き抜け、となり街の上を越え、山を越えて、マンドラゴラはどこまでもどこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。


小さな子供の力で、そんなことができるはずはありません。マンドラゴラは昔、星たちの世界にいたのでした。大きな動物や神様が輝く夜空の星たちと比べて地味で醜いマンドラゴラが、地上に落ちてしまったことに誰も気づかなかったのです。


星の神様は、マンドラゴラが地上で兄弟の心を救ったことを知って、今までの扱いを謝り、夜空でもひときわ大きく輝く星に取り立てました。そうして生まれたマンドラゴラの星は、今でも冬の夜空に輝いているのです。





今日のメインはこの話だったらしい。マンドラゴラ座の話から数分後にはプログラムが終わり、会場ドームが明るくなった。登場人物(?)以外は思ったより普通で、どこかで読んだ童話のようなシーンもあったものの、演出や語りが上手で見応えはあったと思う。それで頭の中の疑問符が小さくなるわけではないが。


他の星座のようにギリシア神話という設定なのかな、マンドラゴラは錬金術や魔女のイメージだけど、当時のギリシアでも既に知られていたのかな、などと、小説界隈にいるジャガイモ警察のようなことを考えながら、


「なんか凄かったね」


吉村さんの方を向いてぎょっとした。彼女はまだ正面を向いたまま、目に大粒の涙を浮かべ、鼻水をすすっていた。


「え、どうしたの!?」

「えっとね。さっきの話の筋は知ってたんだけど、お兄さんの気持ちとか、マンドラゴラさんのことを考えたら、泣けてきちゃって……」

「確かに辛い話だったけど……吉村さん、これ知ってたの?」

「実家の方で毎年やるお祭りがあってね。この話がもとになってるって聞いたことある」


マンドラゴラ物語、日本の話だった。


「年明け実家に帰るんだけど、稲荷君も一緒に来る?お祭り行こうよ!おじいちゃんとおばあちゃんに紹介する!」


まだ赤い目をした吉村さんが、早口で喋りながら僕の手を両手で握る。混乱としんみりした話で逆に落ち着いていた心臓が、また早鐘を打ち始めた。実家に行くことに他意はないと分かっていても緊張するが、休み中も吉村さんと過ごせるなら願ってもない。


「行きたい行きたい。予定確認するよ」

「やった!約束だよ。お祭りのメインイベント、外から来た人でも役をやれるから連絡しとくね。人が集まらなくて大変なんだって。マンドラゴラ合戦って言うんだけど……」



マンドラゴラの星 完


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