異形のグルメ
鮎河蛍石
霊酒マンドラゴラ
「夜勤よろしくお願いします」
警備のシフトが終わり引き継ぎをする。
夕暮れ時、薄暗い通路をとぼとぼ歩き詰所へ引き返す。
詰所の入り口には、クリーニング業者行きのコンテナが置いてある。後で忘れず仕事着を入れておかねば。
早々に着替えを終え職場を離れ駅へ歩いて向かう。
歩くこと15分、駅前の繁華街には週末とあってか、今から飲みに向かうサラリーマンや、大学生のグループが若干見受けられた。
一杯引っ掛けるか。
行きつけの店、『
「竜川さん!いらっしゃい」
「今、入れます?」
「大丈夫ですよ」
顔なじみの主人に案内されカウンターに通される。
一角亭は店主の創作料理が売りの居酒屋で、落ち着いた雰囲気が心地いい隠れ家的な店だ。人気の店なので時々、入れないこともある。しかし、最近は冷え込んできた煽りか、週末にも関わらず客は少なめで、すんなり入店できた。
「いやぁ冷えますね」
「ええ冷え性なんで、この時期は特に堪えますよ」
上着を椅子に掛け、尻を背もたれに引っ掛けないよう気を付けて座る。
「お通しです」
ゆで卵をマヨネーズで和えた小鉢が出てきた。
「これ好きなんですよね」
「今日は竜川さんが来るかなと思いまして」
こういった気の利いたことを言う主人も、この店が気に入っている理由の一つだ。
小鉢を早々に平らげたわたしは尋ねる。
「ボトルキープは残ってます?」
「ちょっと待ってください」
店主は振り返ると酒がズラッと並んだ棚から俺の酒を探す。
「あ~大将そういえば、この来たとき全部、空けちゃったんだ」
「そうでしたそうでした私としたことが申し訳ない」
「いえいえ」
先週、同僚と宴会をした2次会で、ここのキープを空にしたのだ。しこたま飲んで酔っ払いすっかり忘れていた。
「じゃあ何か変わったお酒あります?」
「変わった酒ですか。そうですね今日ちょうど仕上がった奴ならありますよ」
「それください」
「かしこまりました」
店主は屈むと棚の下から、笑顔で一抱えの瓶を取り出した。
瓶の中にはニンジンだろうか。太く枝分かれした根菜が一本入っていた。
「何ですこれ?」
「霊酒マンドラゴラ酒です」
「冷酒?」
「霊に酒と書いて霊酒です」
全く聞いたことのない種類の酒で興味がそそられる。
「いかがです?」
「是非それを」
ブランデーグラスになみなみと酒を注ぎ入れる主人。
「どうぞ」
爽やかな甘い香り、色は澄んだ琥珀色をしている。
まずは一口。
「焼酎ですか?」
「はい芋です」
「すごく飲みやすいですね。わたし焼酎の匂いが苦手なんですけど、これは違ってフルティーな香りが鼻を抜けてスルスル飲める」
「そうなんですよ、マンドラゴラのエキスがアルコール臭を和らげるんです」
「それに味も良い、まるで大吟醸みたいに雑味が無く、ふくよかでいて奥行を感じさせる」
「気に入って頂いてうれしいです」
良い酒にありついて饒舌に語る私を満面の笑みで店主が応える。そし、てあっという間にグラスが空になる。
「大将もう一杯、それとこれに合うつまみをお任せで」
「はいただいま」
待つこと10分。
「お待たせしました
「また立派な腿ですね」
「今日入った奴です。少し筋張ってるかもしれませんが」
白い大皿に載ったきつね色に揚がった腿にかぶりつく。皮がパリッと割れ旨味を含んだ
「いやぁやっぱり腿は素揚げにかぎる」
そして、酒をグイっとやる。
至福。
言葉を失うほど美味い。
美味とはこの料理と酒のために造られた言葉に違いない。
「大将、あんた凄いよ」
「いえいえそんな」
どんな言葉を尽くしても、この組み合わせの素晴らしさを表現しきることはできようか。
「それにしてもこの酒、どうやって作るんです?」
腿を半分、食べたあたりで店主に聞いた。
「よくぞ聞いていただきました!まずマンドラゴラ用の耳栓を用意します、これを忘れるとたいへんだ」
「たいへんとは?」
「叫ぶんですよ凄い声で、だから防音室で栽培するんです」
「えらく大がかり」
「そうなんですよ初期投資が結構大変で」
となるとこの酒、相当高いのではないだろうか?
「大丈夫ですよ、提供しやすい価格になるよう自家栽培してるんです」
わたしの不安の表情を読んだ主人は、さもありなんといった様子で言う。視力が自慢だと前に漏らしていたが、あまりにも目敏すぎる。
それに客のため、防音室を造る豪胆さも惚れ惚れしてしまう。
「どこまで話しましたっけ、そうそう引っこ抜くんです鉢から一気に。それで地面に叩きつけて締めます。それから泥を洗い落として水と一緒に瓶へ入れて、1週間おきに水を取り替える。3~4週間もすると水に濁りが無くなります。水を捨てて瓶を洗い、マンドラゴラは水気をしっかり拭き取るのがポイント。で、最後に瓶へマンドラゴラを戻して、芋焼酎を注いで3か月、暗所に保管して完成です。」
「結構手が込むんですね」
「その分味は折り紙付きです」
「漬け込む酒は芋焼酎だけで?」
「こんな
「それは面白い」
店主と共に「ははは」と声をあげ笑った。
それから腿を3皿食べ、霊酒を5杯飲んだ。
腕時計を見ると最後に馬車が出る時間が迫っていた。
「大将、チェック」
「はいただいま」
席を立ちあがると尻尾を背もたれに引っ掛けてしまった。
「おっと」
「大丈夫ですか?」
青い肌を更に青ざめさせた店主が、大きな一つ目でぎょろりと私を見る。
「大丈夫、大丈夫」
椅子を尻尾から外す。
リザードマンの性か、飲みすぎると尻尾にまで気が回らなくなる。
上着を羽織りレジへ向かう。
「3400円です」
あれだけ手の込んだ良い酒と美味い人間の腿にありつけたのだ。安いものである。
「まいどです」
「ごちそうさま、また来ます」
「ありがとうございました」
会計を済ませ店を出た。吐く息白く、軽く身震いする。しかし、霊酒のおかげかそれほど苦ではない冷え込みだ。苦と言えば、城へ凝りもせず攻めてくる人間共にはうんざり来る。奴らを街道で待ち伏せ狩る。そんな街道の警備がわたしの仕事だ。そんな一仕事終えた週末、気に入った店、気分のいい主人、良い酒に美味い料理。
文句なしだ。
英気を養えたところで来週も頑張ろう。
意気揚々と足取り軽く、尻尾を振り振り駅へと向かった。
異形のグルメ 鮎河蛍石 @aomisora
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