(1−4)第1章 江古田カップル殺人事件

御堂千明は長く息を吐いて、背もたれに寄りかかった。手を組んで、頭の後ろに回す。

「ーーなんてことない、よくある強盗殺人か?」

佐々木健太は躊躇いがちにうなずいた。

 強盗犯が盗みに入って、居合わせた男女を刺し、逃亡している。

 殺された三倉結衣には悪いとも思いつつも、御堂千明は平凡な事件だと判断した。高い記事にはならないスクラップネタだ。事件の裏に怨恨や複雑な背景がない限り、フリーの記者が捕まえられる情報は少ない。大手の新聞やらニュースやらが警察発表の情報を分かりやすく書き直すだけの事件だろう。御堂千明らフリーの記者はその記事を寄せ集めて、また記事を書くだけになる可能性が高い。

 ーー仮に契約がもらえたとして、割りに合わねぇ可能性が高い。一定額はもらえるだろうが、大儲けは無理だな。そもそも、周りを出し抜くネタを探さなければ、そもそも記事を買ってもらえねぇぞ。

 先ほどまで被害者の無念と冥福を祈っていたジャーナリスト魂を傍に置いて、御堂千明は損得勘定を始めていた。御堂千明が書く記事の評判は情報の緻密さにあった。他社を出し抜くネタを提供し、ガセを掴むこともなかった。ネタの正確さ、スキャンダル性が信頼され、今の仕事につながっている。背景には佐々木健太の協力も大きいが、それよりも御堂千明がフリーランスである、という点が大きかった。組織に所属しない記者として一つの自分が納得するまで一つのネタに固執できた。しかし、その分一つのネタにかける時間は膨大である。原石とスクラップの見極めは重要だ。二束三文にしかならない事件を深追いしては、商売上がったりである。

「他にはなんか情報ねぇのか?」

佐々木健太から続報を待つ。しばらく考えたあと、佐々木健太は手を叩いて笑った。

「そういえば、犯行現場の寝室ですが、枕元にメモが落ちていたんですよ。なんて書いてあったと思います?

 ……知りたい?知りたいですか?」

佐々木健太はイタズラをする子どものように目を輝かせた。御堂千明は眉根に皺を寄せる。長い付き合いであったが、佐々木健太の楽しみを御堂千明が共有できたことはほとんどなかった。白けかけている御堂千明に構わず、佐々木健太は続けた。

「寝室の枕元に、走り書きのメモがあったんですよ!なんて書いてあったと思います?」

佐々木健太はどうやら御堂千明に『知りたい』『なんて書いてあるんだ』と言わせたいらしい。片手をひらつかせて、御堂千明は棒読みに先を求めた。

「……『君を孕みたい』って書いてあったんです!」

走り書きのメッセージと事件のつながりが見えずに、御堂千明は眉根を寄せた。佐々木健太は尚も楽しそうに続きを語る。

「これって、きっと三倉結衣からの『今夜はOK』ってサインじゃないですかね?

 うわぁ。最近の大学生って、なんか小っ恥ずかしいですよね!」

佐々木健太は冷やかすように肩をすぼめた。おそらく捜査チームでも話題になっているのだろう。確かに男所帯の警察では食いつかれそうな話題だ。

「価値ねぇ情報とどけんなよ。」

脱力するように頭から手を離し、背もたれにさらに深く埋もれた。

 『君を孕みたい』というメッセージは確かに大胆だが、今回の強盗殺人事件との関連性はなさそうだ。

 御堂千明は落胆した佐々木健太は口を尖らせ、眉尻を釣り上げて不快感を示した。百八十を超えた長身に均整の取れた筋肉を持つ男が小柄な御堂千明を睨む。刺すような視線に竦まないのは御堂千明が彼の幼馴染だからだろう。反対に佐々木健太を睨み返した。

 佐々木健太の前にはミルクとガムシロップの容器が転がっている。アイスティー用のものだった。どちらも最後の一滴まで使ったのか、容器には残液はなく、綺麗に空になっていた。卑しいやつ、御堂千明は内心で毒づく。

「お前、アイスティーも甘くしなきゃ飲めねぇのかよ、でかい図体してんのにな。」

次の毒は声に出ていた。

「ストレスには糖分が必要でしょう。」

御堂千明は一瞬面食らったが、すぐに売り言葉に買い言葉で応戦する。

「お前も言えるようになったな。」

男二人の空笑いがカフェに響く。

 空笑いが収まると、御堂千明は佐々木健太の脛を二発蹴った。今度は痛がる素振りを見せずに、佐々木健太は涼しい顔でアイスティーを飲んでいる。小憎らしい様子が癪に触る。再び蹴ろうかと思ったが、佐々木健太ブレンドのアイスティーに目を奪われた。

 琥珀色だった液体は、白く濁り、溶け残ったガムシロップが底の方で澱のように漂っている。

 佐々木健太は見た目によらず甘党だ。コーヒーはいくら甘くしても飲めないから、カフェではいつもアイスティーだ。そのアイスティーでさえ、ガムシロップとミルクのどちらも入れなければならない。本当はオレンジジュースを頼みたいところだろうが、警察官の大男がそんな子lとできないのだ。

 反対に、恵美香はブラックしか飲まない。子どもっぽい言動が目立つが、味覚という点では大人であった。好き嫌いはなく、むしろウニやセロリなど、苦いものやクセのあるものを好んで食す。

 御堂千明の中に、小さな火が灯った。

 ひょっとしたら、今回の事件も同じではないか。外からはわからない意外性があるかもしれない。

 ーー与えられた情報だけで満足しちゃ、フリーの記者なんか勤まんねぇよな。

 実際、簡単な事件だと落胆した反面、御堂千明は違和感を感じていた。直感に過ぎない。しかし、アイスティーに沈むガムシロップの澱のように、注意深く探せば何か浮き出てくるかもしれない。

 御堂千明は事件を振り返る。

 被害者は大学生カップルの二人暮らしだ。

 深夜、男女が寝ているところに強盗が家に侵入した。

 強盗は家の中の二人を殺し、家探しをする。もしくは、家探しをしている途中で殺す。

 殺害方法は、包丁で一突きにしている。

 小松雄二は洋包丁を自力で引き抜く。おそらく強盗の前で洋包丁を抜いた可能性は低い。強盗の立場なら目の前で被害者が洋包丁を抜いたら、トドメを刺すために再び刺す。また、被害者としても生きていることを強盗に知られたくないはずだ。立ち去るのを待って抜くのがセオリーと言える。

 大学の友人によって発見され、事件が発覚する。 

 事件をなぞるうちに、疑問点に思い当たった。

 牛刀包丁は大学生の二人暮らしにはそぐわない。佐々木健太は所有者不明と言っていたが、おそらく犯人のものだろう。小松雄二は強盗のいなくなった部屋で洋包丁を抜く。強盗のいない部屋、包丁を抜くほどの意識はあった小松雄二は……。

「なんで、通報しなかったんだ?」

 疑問点を佐々木健太に投げかけた。

「知りませんよ。僕、担当じゃないんです。正確には、僕の課は担当ですが、僕は捜査チームに入ってません。」

「役立たねぇな!」

「小松雄二はまだ意識が戻っていません。そればっかりは僕にも調べ用がありませんよ。」

 とりつく島のない佐々木健太の様子に苛立ち、御堂千明は本日四度目の蹴りを放つ。御堂千明の脚は空を切った。三度も食らった経験からか、今度は佐々木健太に躱されてしまった。

 佐々木健太は挑発的な目を向けた。今度は自分の番とばかりに口を開く。

「それよりも、僕は連続レイプ魔が気がかりです!今回僕が直接の担当している事件です。」

今度は御堂千明が情報提供者になる番がやってきたようだ。佐々木健太が御堂千明と会うことを承諾したのも、本題はレイプ魔について聞くためだったのかもしれない。フリーの記者として、出版社を股にかけて活動する御堂千明の情報網は広い。一つの情報が新しい情報を呼ぶ。御堂千明はの元には様々な情報が集まっていた。そんな御堂千明を警察官として当てにしない手はなかった。

 連続レイプ魔の情報を求められた御堂千明は頬が引き攣っていた。半袖からのぞく腕が一瞬にして粟立つ。逆立つ毛穴を隠す体毛はなく、鳥肌が立っているのがはっきりとわかった。白く、毛のない腕から御堂千明の表情に視線を移す。血の気が引いて青ざめた顔に色を失った唇が震える。

 急変した御堂千明を佐々木健太は不思議そうに見つめる。

「千明さん、なんか知ってるんですか?」

「いやーー……、知らねぇな。」

佐々木健太の疑いの眼差しを無視して、アイスコーヒーを一気に流し込む。

 ーー喉を通る液体の苦さで、レイプ魔の苦い記憶を上書きしてくれ。

 記憶とはすぐに消えないものだとわかってはいても、恵美香を思い、やるせない気持ちになった。

「……千明さん。」

深刻そうな声で佐々木健太は御堂千明に呼びかける。

「知らねぇって!だから!」

かぶりを振って大声を張る。思ったよりも声が出ていたようで、横に座っていた女子高生がこちらに視線を向けた。テーブルの上には参考書やノートが乱雑に置かれている。

 ーー受験生か。

 勉強を中断させてしまったことに対して謝罪するも、図書館に行けばいいものを、という気持ちもあった。なぜわざわざカフェで勉強するのか。格好つけたい年頃なのはわかるが、勉強場所に格好いいも悪いもないだろうと思うのが御堂千明であった。

「……違います、千明さん。」

佐々木健太は言いにくそうに俯いて目線だけを御堂千明に向ける。

「なんだよ?」

御堂千明は語気を荒げて、ため息混じりに促した。佐々木健太はしばしの間黙ってはいたが、意を決したようだ。生唾を飲んだ。

「……千明さんって、腕、脱毛でもしてるんですか?」

これがコントなら椅子から盛大にずり落ちていただろう。なんならタライが落ちてきてもおかしくない。

 御堂千明の粟立った腕に毛が一本もないことが気になったのだ。腕毛がまったく生えない男性は少ない。自分で手入れしなければ一本も生えていない状態にはならいと思って、御堂千明に脱毛疑惑を持ったのだ。

「そんなこと真剣な声して聞くんじゃねよ!」

「いや、男にそう言うの聞くのって失礼かなと思って……。」

頬を掻きながら佐々木健太が弁解する。

「てか、そう思うなら聞くんじゃねぇよ。」

「すみません。」

佐々木健太の不服そうな謝罪を御堂千明は一応受け止めた。

「でも、千明さんそんな手をしてたら、遠目から女性に間違われてしまいませんか?レイプ魔に会わないように気をつけてくださいね。」

「ばっかやろう!」

五度目の蹴りは佐々木健太の脛にクリーンヒットした。

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