(1−1)第1章 江古田カップル殺人事件

 呼び出し音が耳の奥までこびりつくようだった。いったい何コール目になるだろうか。いつまでも鳴り響くコール音に嫌気がさし、電話を掛け続けたままスマートフォンを机の上に置く。佐々木健太は留守番機能を設定していない。毎度毎度、人のスマートフォンの充電をどれだけ消費させたら気がすむんだ、と御堂千明は苛立つ。しかし、佐々木健太からすれば、繋がらないなら諦めて切って欲しいのではないだろうか。繰り返されること合計四十三コール。電話口から聞こえる電子音が止んだ。

「おう、健太。」

通話は始まっていた。しかし、電話口から何の声もなかった。四十三コール目も待つような男である。御堂千明は相手の無言など構わないで、話を続けた。

「元気だよな?」

「あのですね、元気ですけど、決めつけないでくださいよ。」

一語一語たっぷりと間を置いて、佐々木健太は心底めんどくさそうに答えた。御堂千明は佐々木健太の渋々電話に出たと言わんばかりの様子に、揶揄ってしまいたくなる気持ちが湧いてきた。御堂千明は性格が悪い。……と、いうか男子小学生のようであった。人の嫌がることを積極的にしては悦に入るのである。

「お前から元気とったら何も残んねぇだろ、脳筋。」

「本当に、相変わらず毒舌ですね」

「お前がのんびりしすぎてんだよ。」

御堂千明は舌打ちをした。電話口からは何も聞こえない。しばらく待ったが、反応はなかった。佐々木健太の発言を促すようにもう一度、今度は最初より大きく舌打ちをした。

「それで、どうしましたか?」

佐々木健太の返事はワンテンポ遅れているのが常である。いい間違いや誤解を恐れているのか、丁寧に話そうとしていた。気遣いの後輩は、微笑ましいと言えばそうかもしれない。しかし、御堂千明は佐々木健太の頭の回転の鈍さに辟易していた。丁寧に話しても口から生まれてきたかのように喋る人間もいる。しかし、佐々木健太はそういった上辺だけを取り繕うことが苦手なタイプであった。本当に自分が思っていることの中で、どれだけ当たり障りのないことを言えるかを考えているのだ。そのせいか、長時間待った割にはオブラートも何もない直球どストレートがやってくあこともある。

 もっとも、嘘の自分を演じているのだから仕方ない。今は弟キャラとして佐々木健太は職場でもご近所でも愛されているようだ。しかし、昔は百八十度、むしろ九百度(二周半)回った性格であった。悪ガキ、不良少年、厨二病、どう表せばいいのか、そのすべてが的確に彼を表していたが、後一歩、どこか物足りなくもあった。盗んだバイクで走り出したことも、尖ったナイフのような時期もあった。触れるもの全てを皆傷つけて……とまではいかないが、相当荒れていた時期はあった。それがどうして今のお人好し(のフリ)になったのか、御堂千明は佐々木健太の人格形成の遍歴を知っていた。御堂千明と佐々木健太の因縁は長く、深い。佐々木健太が生まれた時からの幼馴染の腐れ縁で、家族ぐるみの付き合いで、小学校から大学までの先輩後輩、上京後の同郷のよしみ。御堂千明と佐々木健太の関係は佐々木健太が生きてきた二十七年間そのものであった。

「何もないなら、四十三コールも掛けてこないでください。」

佐々木健がコール数をしっかりとカウントしていた律儀さに御堂千明が感心した。同時に御堂千明の着信に出なかったのは、確信犯であったことが確定した瞬間であった。

 佐々木健太の居留守は毎度のことなので、御堂千明は言及することはなかった。その代わりに大きな爆弾をお見舞いする。

「お前は俺にそんな態度とっていいのかな?

 ーーバラすぞ。」

「なにが、知りたいですか?」

 普段は鈍い佐々木健太もここだけは察しが良い。御堂千明は心の中で拍手を送る。

 佐々木健太は過去の失態をネタに御堂千明からしょっちゅう情報提供を依頼され(脅され)ていた。そして、佐々木健太は御堂千明の依頼(脅迫)に慣れてきているのかもしれない。もはやお決まりの展開となりつつある、電話口での依頼(脅迫)だ。だからこそ、佐々木健太は御堂千明からの電話になかなか出ないのだろう。

「例の大学生カップルの殺人事件についてだ。ネタはあるか?」

マイクが擦れる音がした。佐々木健太はため息をついようだ。

「まだ、フリーの記者やってるんですか?」

御堂千明はフリーランスであった。主に記者として記事の企画・執筆を請け負うことで生計を立てていた。以前は御堂千明も出版社に勤めていた。緻密な取材に基づいた記事を書くと評判ではあったが、気性の荒さや堪え性のなさなどその性格のせいでトラブルも絶えなかった。人間関係で荒む御堂千明を見兼ねた恩師からのアドバイスで独立を決めたのだった。

 人間性はさて置き、勤め人時代から記事だけは評判が良かった。記事の緻密さとフリーランスという稼業が肌に合っていたことから、現在は出版社に勤めている頃よりもいい生活ができている。

 フリーランスという浮き沈みの激しい世界に身を置く御堂千明とは反対に、佐々木健太は公務員であった。しかも警官という特に硬い職業である。そんな佐々木健太にとって、フリーランスの印象は良くない。どうやら彼の中では、根無草のフリーターと同じ認識らしい。

 佐々木健太は御堂千明の不安定な稼業を心配していた。いくら振り回されても、幼馴染のよしみがあるのだろう。出版社に戻るように薦めたり、転職先を紹介している(もっとも、フリーの記者になってタガが外れた御堂千明にこれ以上脅されたくないからかもしれないが)。御堂千明は佐々木健太の心配を一心に受けつつ、成果を叩き出すことで応えている。

「お前がどう思ってるかしらねぇけど、順調だからな。」

御堂千明は舌打ちをする。佐々木健太は何か言おうとしたが、御堂千明が遮る。

「明日は非番だろ?俺もお前もデートの予定なんてねぇんだから、ちょっくら付き合えよ。」

先ほどよりもさらに大きな音を立ててマイクが擦れた。御堂千明は思わず携帯を耳から離す。

 佐々木健太との約束は午後一時からに決まり、佐々木健太の勤務地域である池袋まで御堂千明が出向くことになった。どうして俺が出向かなきゃいけねぇんだと抗議したが、情報提供者の優位を主張されあっけなく負けた。仕方なしに東北沢から池袋まで小田急線と山手線を乗り継いで来た。大した距離ではない。しかし、弟分で、後輩、年下の佐々木健太、つまり格下認定している相手のために移動させられたことが御堂千明には不服であった。特ダネを吐かせてやる、と乗り換えの途中、構内を歩きながら腹に決めた。

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