お許しは口付けまで

 頤から手を離し、小さくやわらかな唇をようやっと解放する。

 呼吸ごと意識も時間も止めていた少女がふるりと震え、閉じていた瞼を静かに開く。淡い菫色の瞳は潤んでまあるい膜を張り、宝石箱のとっておきのアメジストのように星を散らしてきらきらしている。そこには銀色よりも白に近いぼやけた色合いの眉を情けなく下げた男の姿だけが閉じ込められている。

「うん?」

 少女が何事か囁いたようだが、聞き逃した。花びらの如きやわらかな唇と淡い菫色の瞳に視線も意識も何もかも縫い止められていたのだ。ヘンリーのくたびれた黒いローブの布地がきゅう、と引かれた。

 ぼうとこちらを見上げたイザベルは、やわく瑞々しい唇を、そうっと開いた。


「……おしまい、ですか?」


 ヘンリー・ロー・サージェントは理性を総動員し、脳裏に古代から一昨年の物質転移魔術陣新説までの魔術史年表を光の速さで積み上げた。その後、八拍数えてなんとか表情筋に力を入れる。華奢な少女の背に手を回し、意識して慎重に息を吐く。そのまま小さな肩口に燃え上がる顔を埋めて、やっとのことで呟いた。

 やっぱり君を家に帰したくない、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タイニー・ベル令嬢と慰めの報酬 蒼月りと @aotsuky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ