七章 銀燕之疾破《ぎんつばめのしっぱ》

コマを腕に抱き、這々ほうほうの体で逃げ戻ったモンドをエスコートするべく、アルテミスの双星そうせいが合流をした。


「モンスケ、やるじゃない!」


心底見直した、というような口調でルイウが言った。


「も、モンスケぇ?なんじゃそりゃ」


普段の雑な扱いよりも、モンスケ呼ばわりしたことに不満があるらしいモンドは、ヘルファイアのモノアイの明滅を繰り返す。


「何よ?モンドじゃカッコ良すぎるから、あんたは、モンスケ決定ね」


「……それ、姉さんのハムスターと同じ名前」


ぽそりとネタばれを言ったルイセは、モンドの腕の中のコマを覗き見た。

途端に息を呑み、形の良い眉が思いっきり八の字になった。


「は、ハムスターだとっ?俺がっ?」


「光栄に思いなさい。

あんたショボい奴だと思ったけど、あそこで光学迷彩を作動させて、

チャンスを伺うなんてね。その機転は見直したわ。

さっさと煌皇こうおうと合流して退却するわよ」


すました顔でルイウは顎をしゃくる。

速度を上げろと言いたいらしい。


モンドは不本意に名付けられたニックネームへの不満を飲み込み、

素直に速度を上げた。


「って、おい、どこに行くんだよ?

銭湯は割と無傷だぜ。まだ籠城に使えるだろうが」


「あのね、さっきの倍の人数で攻めて来たらどうするわけ?

地下に籠もっても、バンカーバスター打ち込まれてお終いよ?

剣皇けんおうがいない今は、

守りの堅いどこかの拠点に匿ってもらうのがセオリーでしょっ」


呆れながらも、言い聞かせるようにルイウは言った。


「……アルテミスにご招待、いらっしゃい~」


すかさずルイセも合いの手を入れた。


「ああ、そうか。お前たちの団長とクナギ隊長は、すっごく仲がいいもんな。

盟姉ねえさんが嫉妬してたぜ」


モンドの盟姉あねであるホノカは、クナギに想いを寄せているのだが、

クナギにはその気がないのか、いつも空振りに終わっている。


そうなると自棄酒を煽り、モンドに泣きつきながら延々と愚痴を繰り返すのだ。

あれはもうフォースの悟りを開くための試練なのだと、

モンドは自分に言い聞かせている。そうでもないと、とても耐えられそうにない。


「そうそう。アルテミスはヘリオスから一番近い友好氏族だしね。

私たちの名にかけて守ってあげるから安心なさい」


ルイウが小さな胸を誇らしげに張った。


「でもよ、敵さんもその辺りは読んで、網を張ってるんじゃねえの?」


モンドはまだ懐疑的だ。


「ちっちっ、甘いわ。

一足先に帰っていたメイエンと、うちのスカウトレンジャーたちが蹴散らしたって。あんたがコマを助けに行っている間にね、妨害がクリアになって、

通信が入って来たのよ」


「おー、流石はアルテミのエリート部隊だ。

つーか彗皇すいおうは目が見えないんだろ。戦って大丈夫なのか?」


モンドの問いかけに、双子の姉妹は顔を見合わせると、

合わせ鏡のように含み笑いをした。


「ふふーん、メイエンはね、まあまあ、あらあらとか言いながら、

ひゅんひゅん避けてボコスカ当てて来るのよ。んもうっ、嫌になっちゃう位にね」


「……メイエンぶいえす双星そうせい。120戦中、119敗、1引き分け」


「お前ら相手に?圧倒的だなそれは」


「最後の引き分けは、絶対哀れみよね。努力賞ですよとか言ってたもの」


口をアヒルのように尖らせたルイウが悔しそうに言った。


「……うん、ぼろ負け」


ルイセも悔しさを噛みしめるように言った。

普段は、ぽけたーんとしているが、

彼女なりの戦士の矜持というものを持っているようだった。


三人が負傷したコマを抱え戻ってくると、

大鎌を抱えたホタルが慣れない飛行にふらつきながら近寄った。


コマが初心者ニュービーと思えない機動力を発揮し

クロタカ目掛け突っ込んでいったとき、

真っ先に後を追ったのは他ならぬホタルだ。


飛ぶこともおぼつかない彼女を引き止め、

代わりに双子とモンドが危険を顧みず連れ戻そうと向かったのだった。


戻ってみれば既に敵影は見当たらず、

民家の屋根に黒焦げになった完全装甲フルアーマーのギアが煙を上げて伸びていた。


指揮官らしき少女を捕らえたルミは、

コマを連れ戻してきた様子を視界に捉え胸をなでおろしていた。

相手に気取られないよう視線を直ぐに戻し、胸ぐらを掴み直す。


女子用制服ブレザーを模した甲衣ドレスを着装した少女は、

裂けた装甲繊維から炭化した皮膚が見えて痛々しい。

かぶっていた覆面を剥ぎ取ると、神経質そうな細目が憎々しげにルミを睨んでいた。


どこかで見かけた顔だとルミは記憶の糸をたぐり寄せる。

まだジュノーンが健在だった頃、ジュピターとの会議で見た顔だ。


「そんなに睨むな、ええっと確かツヅミだっけ?」


細目少女の肩がわずかに振るえた。

その様子を見逃さなかったルミは、

獲った小鳥を飼い主に見せびらかす猫のような表情を浮かべた。


「なに、ソイツ知ってるの?」


白いネコ耳をヒクヒク動かしながらルイセが言った。

コマを抱えるモンドと応急処置を行うホタルとルイウも顔こそ向けていないが、

興味津々という様子だ。


「こいつはジュピターの主計士官だ。幹部の随行員に混じっていたな。

確か中隊長付きだったよ。思い出してきた…剣豪としても有名な奴…

要砦フォートレスのネームド持ち…中隊長なのにジュピの憲兵司令も兼任。

そうか、くーを殺ったのはセイランだ!そうだな?」


そう言って、焦げたボロ雑巾のようなツヅミを揺さぶる。

傷に触ったのか、顔をしかめながらツヅミは唸った。


「くっ、随分前のことも記憶しているとは…普通は下っ端の顔なんか覚えませんよ?ジュノーンの法務官プラエトル殿」


かつてルミが所属していた古巣の名を、ツヅミは厭味ったらしく強調して言った。


「ちっ、今は銭湯の副店長だっつの。

お前らがいるってことは、エリート憲兵の異端分子狩アンチトレイター隊か。

ジュピター精鋭までクーデターに引き込んでいる。

つまり相当な有力者が黒幕ということだろ?

こんなくだらない事をやらかした奴は誰だ。

この場で吐かねえと、脳を取り出してカドゥケウスの解析に出すぞ」


ルミの指先から白閃が発生し、鋭利なメス状に変化する。

軽く指先を動かしただけで、ツヅミの額が一文字に裂けた。

ツヅミは流れ出る血が目に入らないよう、細い目をさらに細くするしかなかった。


「マッディー=ラミアですか…。彼女のオモチャになるのだけは避けたいですね」


さも嫌そうに、ツヅミが身震いをしてみせた。


「あいつに頼み込んで、お前の脳をナメクジ型ホムンクルスに移植して、

喋りたくなるまで飼ってやってもいいな」


「あいにく触手とか、ヌラヌラ系は苦手なんですよ。

自分の身体がナメクジなんてゾッとします。

だから腹をくくりました。仕方ないですよね……」


そう言って、ツヅミは大げさなため息をついた。


「ったく最初から素直にしておけば、傷も増えずに済んだものを」


ルミは自白を記録するため、使い魔のクロノスを呼び寄せた。

空間からするりと緋色の猫が飛び出し主人の右肩に留まる。

猫は一語一句聞き逃すまいと、ツヅミに向かって耳をピンと立てた。


好奇心に駆られた双子やホタル、

コマを抱えたままのモンドまでにじり寄っていた。


ニタリ。


その様子に満足したツヅミは、目を糸目にして勝ち誇るように言った。


「では自爆します。さよなら」


「んなっ!」


咄嗟にツヅミを突き飛ばしたルミが、

十八番おはこの紅く輝く防御膜で仲間と自分を包み終えるのと、

閃光が一帯を染め上げたのは同時だった。


ホタルはコマの上に覆いかぶさったが、

ド派手な光と音以外は何も起こらなかった。


「フラッシュバンか!畜生めッ」


一杯食わされたことに気づいたルミが、

灼溶扇しゃくようせんから獄炎を発し、

光に眩んだ目を懸命に開いてツヅミの行方を探る。


「索敵、頼むッ」


ルミの雀焔ジャクエンは、

火属性法撃特化のため索敵機能を一切搭載していなかった。


「もう取り掛かっているけど駄目ね、チャフも一緒に撒いたみたい。

ルイセは大丈夫?」


かぶりを振ると、

ルイウは視覚探査特化の身体インプラントを埋め込む妹を気遣った。


「……目とアタマが痛い」


つーっと、形の良い鼻から鼻血が垂れ、

純白の踊り子衣装を模したギアに赤い染みをつくった。


ルイセもまた、視覚インプラントを使ってツヅミを探ろうとしていたため、

まともに閃光を見てしまっていたのだ。

フラッシュバンは非致死性兵器にカテゴリされているが、

強力な閃光はインプラントと脳に相当な負荷を与えたようだ。


「俺のもムリみたいっす。連中やりますね」


甲衣ドレスに比べ、破格の兵装搭載を誇るヘルファイアは、

高出力の索敵機器を搭載していた。

さらにモンドは氏族の兵器開発を一手に担うヴァルカン出身だ。


潤沢なパーツを使い、満足するまでカスタムを繰り返したギアの性能は、

そこいらの士官用ギアよりも高性能を誇っていた。


「…そうか、ヴァルカンでも検知できないか。

あたしが舐めてかかったからだ、すまない」


ルミは灼溶扇しゃくようせんを閉じる。

内心の苛立ちを体現したかの様な獄炎が、たちまちに霧散した。


「ねえ、本当に剣皇けんおうは殺られちゃったと思う?」


若手の不安を代表するように、ルイウが物怖じすることなくルミに聞いた。


「あたしらと、くーは離れて戦闘していたからな。

ツヅミは手練だったし、くーの方に気を配る余裕は正直なかった。

あいつが簡単にくたばるとは思えないが」


一同に伸し掛かるような重い沈黙が垂れ込めた。


「くーちゃまは、きっと無事ですよ」


涼やかな声がした。

ルミの肩に乗るクロノスの口から、何者かが通信を入れてきていた。


「メイエン!あのね、大変なっ、むぎゅー」


割と長身のルミにしがみつき、

使いクロノスに向かって話しかけようとした姉の口を、

ルイセが両手で抑えこんだ。

いまだに止まらない鼻血が、ルイウの孔雀色のギアにも赤い染みをつくった。


使い魔を介した会話の優先権は、まずその主人にある。

クナギが不在の今、ヘリオス代表は副長のルミが引き継ぐことになる。

アルテミス代表のメイエンが、ヘリオス暫定代表のルミに直接通信を入れたのだ。


お姉ちゃんは出しゃばっちゃダメ!という意味でルイセは口を覆ったのだった。


「ん、んん~。ぷはっ……ごめん」


重大なマナー違反に気づいたルイウが、落ち着きを取り戻し妹に謝った。

ルイセは無言で姉の頭をいいこいいこするように撫でた。


「鼻血、止まらないね」


ギアのストレージからハンカチを取り出すと、

ルイウは妹の鼻に優しく押し当てた。


「少し上を向いてじっとしていて」


そんな双子のいじらしい姉妹愛を、

モンドは赤いモノアイを通してじーっとガン見していた。


「なに見てんのよ、ド変態」


視線に気づいたルイウが、キバをむき出しにする勢いで威嚇した。


「はあ?仲がいいな~って見ていただけだろうが。

くそっ、斬られたケツが妙に痛え」


ばちばちばちと、モノアイを点滅させてモンドが言い返した。


「ケツって、あのねぇ言い方を気遣いなさいよ。

女の子多いんだからね、ねえルイセ」


そう言うと、姉妹揃ってモンドをジト目で射抜く。


「うっ、俺も女なんですけど?」


「あんたは男性派生モデュレイトでしょ。私が言ってるのは、

女性派生ピュアのことなんですけど」


「うわ、それ差別だ。ヘイトクライムはんたーい。

男性派生モデュレイトも同じ氏族だろ、うわぁっ!」


険悪になりかけた雰囲気を、八つの炎蛇が吹き散らした。

ルミが灼溶扇しゃくようせんから発した炎だった。


「あたしゃ、くーの様な放任主義じゃないんだ。規律ある行動を期待したいねえ」


「す、すんません」


「悪かったわよ」


音を鳴らし扇を閉じたルミは、言葉を続けた。


「あたしらは急造チームの上、隊長脱落で負傷者付きだ。

イライラする気持ちもわかるが、ここでバラバラになったら各個撃破で詰みだな。メイエンからの情報によれば、千葉のネプチューンは投降し、

鎌倉のプロセルピナは拠点を放棄しゲリラ戦に移行。

駿河のヴィナスは沈黙のまま。

秋田のバッカスが現在激戦で、北海道のヘスティア、仙台のミネルヴァからの増援でなんとか食い止めているらしい。

ここ東海はアルテミが布陣を展開してジュピの侵攻を牽制しているそうだ。

ホノカは朝帰りの途中に襲撃を受け、中四国の支店メンバーかき集め目下交戦中。福岡本社ヴァルカンはこの襲撃に対し、ジュピに非難声明と武装の供給停止を表明したそうだな。いま無事なのはカドゥケウスくらいなもんだ。

はあ、一気に喋ると喉が渇く」


「ん?まってルミ盟姉ねえさん。

私、こういうの詳しくないけど変じゃないかな」


コマの処置をしながらも話をしっかり聞いたらしいホタルが口を挟んだ。


「……あっ」とルイセが呟く。


「どういう…あ、本当だわ」ルイウも険しい表情をつくる。


「んん?いったいどうしたんだ。氏族全体の大ピンチには変わりないだろ」


ひとり取り残された感じになったモンドが言った。


「あのね、ジュピターは士氏女ししじょを襲っただけでなく、

ひだまり湯をはじめ十一氏族相手に戦闘行動を起こしたでしょ。

単純に考えても十一対一(注・正確にはジュノーンはヘリオスと合併したため十対一)で戦争ができるのかなって。

例えジュピターがどんなに強くても、おかしいって思うの。

しかも十二氏族は、確か昔の大戦の痛手でどこも人手不足なんでしょ」


モンドの問いかけに、ホタルは自分の疑問を口に出した。


「マジでそのとおりだ。これじゃジュピは兵站を維持できねえ。

この展開に必要な人数と資材はどこから調達してるんだ」


生産系のヴァルカンらしい考え方で、モンドも同じ疑問に至る。


「ここで謎々ごっこしていても拉致があかない。

アルテミが食い止めている間に、あたしたちはカドゥケウスに向かいコマとモンドの治療を行う。つーわけで付いてこい」


ルミが先頭に立ちコマを抱いたモンドが続く、その後をホタルが追った。

双子はエレメントを組み、哨戒するように距離を開けて飛んでいた。


「気遣いは嬉しいすっけど、俺はかすり傷っすよ」


モンドが使いぼたもちを介してルミに通信を送った。


「本当にそう思ってるのか?

キミの応急処置装置ファーストエイドに呪対抗薬があるなら投与しておけ。

天断アマダチと互角に切り結んだあの剣は異常だ。

神器あるいは魔剣だったかもしれん。

ああいった武具の中には、

スリップダメージを無制限に与え続けるやつがあると聞く」


「ひゃっ、こわぁ…直ぐにそうします。あの、コマにも射っておきましょうか?」


「だめだ、全てキミに使うんだ。

呪対抗薬なんて、そんなに容量を積んでないだろ?

何にせよコマはいい仲間に出会ったな。

自分が危険な状態で薬を分け合う判断はなかなかできないぞ」


「へへへ、照れます。

こいつは初めてできた男性派生モデュレイトの友達なんです。

ヴァルカンの同期は女性派生ピュアばっかりで、何ていうか気後れしちゃって……」


「へぇ…あたしも女性派生ピュアなんだがね」


「ええっ、てっきり男性派生モデュレイトだと…す、すいません」


「あははっ、ジュノーン時代もよく言われていたよ。

あたしゃ口と態度が悪いからね。メイエンみたいにゃ、逆立ちしたってなれないさ」



              ※ ※ ※



一行は北西に向かって進み続けた。

晴れていれば視界の先に鈴鹿山脈や伊吹山が見えたはずだが、

勢いを増す風雨と乳白色のもやが視界を遮っていた。


悪天候の中の慣れない飛行により、既にホタルは疲労困憊していた。

身体を嬲る暴風に翻弄されながらも必死でルミの後に食いついていく。

身体が震えるような轟音とともに、横殴りの突風がホタルに襲いかかった。


あっと思った時には、重力推進の制御を誤り、

くるくると回りながら落ちていった。


「無理に制御しようとしないで自動オートモードにしてっ!」


ホタルの肩に爪を立て必死にしがみつく烈風が、ルイウの声音で叫んだ。


「無理だっ、原器アレにゃそんなの実装してねえ」

と、モンドの声が。


「なにそれっ!」

信じらられないというルイウ声が続く。


こんな状況下でも烈風は、

各自の使い魔が聞き取った音声を律儀に再現してみせていた。

それが無性に可笑しくて、ホタルは危機的状況に陥りながらも吹き出してしまった。


火事場の何とやらで、

四方に極小重力場を発生させ減速と姿勢制御の復帰を試みる。

身体の回転は収まったが、大して減速できず地面はどんどん迫ってきていた。


どん!


鈍い衝撃とともに優しい香りがした。

盟姉あねがいつも使っているボディソープの香りだった。

ルミがホタルを抱きとめ急制動をかけたのだ。


「ごめん、こんな天候なのに。初めての実戦で疲れてるよな」


ルミが纏うブレイブギア=雀焔ジャクエンは、

冷たい雨に打たれてなおも仄かな熱を放っていた。


このまま温かな盟姉あねの腕の中で休みたいとホタルは思ってしまう。

でもそれはダメ。絶対にダメ。


「わ、私まだまだ飛べるよっ、平気だよ?」


コマくんが大変なの、だから私は楽をしちゃいけない。

ブレそうになる心を叱咤し、重力推進の復旧を試みるため意識を集中した。


「バーカ、ちっとも平気じゃねーよ」


ホタルを抱きしめる腕に力が込められた。


「いいから、あたしにも盟姉ねえちゃんらしいことさせろ」


それを聞いたホタルは、ルミの腕に身を委ね力を抜いた。

その様子を羨ましそうにガン見するモノアイ。

モンドが着装するヘルファイアのメインカメラだ。


「いいなあ、俺もあんな盟姉ねえちゃん欲しいなあ」


そうぼやいたモンドに、間髪入れずルイウが突っ込みを入れた。


「はあ?そんなのホノカにでもやってもらえば」


「絶対ないわ、他人を顎で使うのが大好きなあの人が、

させてくれるわけないだろぉ?お前の命はア・タ・シのもの。

アタシの命はア・タ・シのものって、

剛田主義的経営術ジャイアニズムマネジメント

ヴァルカンを支配してるんだぜ。ないわ、絶対にありえないわ」


揖斐川を辿るように北に向かうと、

田園と住宅地が入り交じる光景がしばらく続いた。

山間部に入るとぽつりぽつりと点在する集落以外は、

人の営みを示すものは見あたらなくなった。


「ね、ねぇ、コンビニも見あたらないんだけど。

どこまで行くの?カドゥケウスってまだなの?」


ルイウが使い魔のチーム回線でぼやいた。


「この辺りはなかったと思うけどな。

が、横山ダム手前に道の駅がある。

そうだ、いび川温泉ってのも併設していたっけ。

風呂あがりに、たなはし牛乳を飲むといいぞ」


「「「温泉!」」」


ルミの言葉に、ホタル・ルイウ・ルイセの三人が色めき立った。


「お前ら…ひだまり湯でひと風呂浴びただろうが」


「うっさいモンド黙れ」


「……温泉は別腹」


「ほら、襲撃で汗かいたし、ずぶ濡れだしね、温泉かあ…いいなあ」


ホタルがちらりと盟姉あねの顔を仰ぎ見た。


「我慢なホタル。まずはコマとモンドの治療が優先だから」


ルミは間髪入れずにクギを刺す。


「だ、だよね。うん、わかっていたよ」


「横山ダムを越せば、カドゥケウスはもうすぐだ」


「具体的にどのくらいなの?」


「上流に徳山ダムってのがさらにあって、

そこからちょいと進んだ山の尾根に

秘密研究用シークレットバンカー入り口がある」


徳山ダムとは、木曽川水系揖斐川の最上流に建設されたロックフィルダムのことだ。


長野県の高瀬ダム(堤高一七六メートル)に次ぐ堤高一六一メートルを誇り、

総貯水容量は日本一という東海三県の水瓶だ。

このダムの建設に伴い徳山村全村が水没し、

そこに暮らす住民に犠牲を強いたという歴史がある。


ダムによって誕生した人造湖には、

湖底に沈んだ村名から徳山湖と名付けられていた。


「おお、でけぇ」


「村ひとつ沈んだだけは…あるわね」


「……晴れていればよかったのに」


やがて見えたダムの雄姿に、各々が感想を漏らした。


「ルミ盟姉ねえさん、なにあの建物?」


「あっちは徳山会館。

中のレストランにはダムカレーというのがあってさ、

自分でルーを注いで放流に見立てるんだ。

ちゃんと流れるように、

わざわざトレーに傾斜がつくようになっているのがポイントだな」


「なにそれ面白そう」


ゴールが目前ということもあるのか厳しい表情をしていたルミも、

いくぶん和らいで見えた。


その徳山会館を越えた辺りで、

暴風に吹かれていた尾根の樹々にノイズが走り忽然と消えた。

代わりにヘリポートサイズの発着場が現れ誘導灯が灯る。


「やあ、お早い到着だね、ともかく上がりたまえよ。カドゥケウスにようこそ」


ルミの使い魔であるクロノスが、少年のような気さくな声音で喋りだした。


「世話になるラミア、すまない…くーは、くーの奴は……」


ルミは言葉が続かない。


「俄に信じがたいね。

くーアネは殺したって死なない人だと思っていたよ。

後からおなかすいたよぅって、やってきそうな気がするのにね」


「すまない」


「ほらほら入ってよ、カゼひいちゃうよ。

医療氏族で病気になりましたなーんて噂が広まったら、うちの沽券にも関わるよ?

じゃ、待ってるよ」


朗らかにそう言うと通信は切れた。


「この声の主がマッディラミア?なんかイメージとちがう。

こうもっと早口でキーキー喚くように喋るとマッドっぽくない?」


ルイセが遠慮なく失礼なことを言った。


「性格というか性癖に問題ありすぎだが基本はいいやつさ。

ああ、アイツを見てもリアクションなしな。面白がって図に乗るから」


「なにそれ、すごい美人でみとれちゃうとか?」


「いや違う」


「……身の丈八メートルで頭部が三つ」


「方向性は合ってるが、そうじゃない。アイツは下半身が蛇なんだ。

十二氏族唯一の合成生命キメラなのさ」


合成生命キメラって本気で言ってるの?担いでないでしょうね」


「コマのホムンクルス体を錬成したのはラミアだぞ。

元々は自分の身体を戻すために錬金術や医術、魔術に手を染めたって話だ。

ま、あたしもくーとかメイエンから聞いただけなんだけどさ」


疑うルイセに向かって、ルミは言いよどむことなく教えた。


発着場にはストレッチャーを押して出てきたスタッフが、

わらわらと待ち構えていた。


鮮やかな黄緑色のネコ耳が、十字を染め抜いた純白のベレー帽から覗いている。

制服である萌黄色のセーラーワンピースは、大きな襟の部分だけが白かった。


襟には真紅の糸でアスクレピオスの杖

(蛇が巻き付いた杖。医療・医学のシンボル)が刺繍されていた。


モンドからコマを預かったスタッフはテキパキとストレッチャに固定し、

エレベーターを示すピクトグラムまで移動した。

滑らかな作動音とともに、

コマを乗せたストレッチャーはスタッフと共に内部へ下降していった。


「あたしらはコッチ」


ルミが床の隠しスイッチを踏むと、ハッチが開き階段が現れた。


盟姉ねえさん来たことあるの?」


「あたしもここに入院していたから。

あの大戦の後は、ひでーもんだった。

発着場には収容しきれなかった負傷者で溢れていてさ」


懐かしむようにルミが答えた。


「ああもう、

医療施設ならエレベーターかエスカレーターくらいつけときなさいよ」


ルイウはさっさとギアを解除すると、一人で勝手に階段を降りていく。


「おい、勝手に行くなよ」


「そっちこそさっさと入りなさい。雨が入っちゃうでしょ」


「ったく口の減らねえ」


「なんか言った?」


「なーんも言ってねえよ」


モンドがルイウと口論しながら続き、とてててとルイセも降りていく。

最後にホタルとルミが降りるとハッチが独りでに閉まり、

擬態用ナノマシンが樹々を模したダミーを形成していった。


暴風に嬲られ、ざわざわと葉を鳴らす樹々が茂る。

そこには人工物を示す痕跡は、跡形もなく消え失せていた。


床にペイントしてあるオレンジのラインを辿ると、

防弾ガラスで区切られた幾つもの無菌室が並ぶ大部屋に行き着いた。

その部屋のうちのひとつに明かりが灯っており、

中ではコマの治療が行われようとしていた。


「うっ」


一目散に駆け寄り、ガラス壁にとりつくように覗き込んだホタルが嘔く。


魔剣により切断した手足の断面が腐食し溶解していたからだ。

戦闘経験を積み、凄惨な場面を見慣れているはずの双子たちでさえ顔をしかめていた。


「なんだよ…これ…どうなっちゃうんだ」


モンドが呻いた。


「っとにバカ、掛け値なしのバカよ。

得体の知れない魔剣相手に突っ込むんだもの」


「……もし姉さんが殺られたら、私も同じことをする」


「ルイセ……」


「……ソラネコが怒ったのは当然」


「うん、そうだね。

私もルイセが危なくなったら冷静じゃいられなくなるかな、ふぎゃっ!」


しっぽを踏まれたネコのような声を突然ルイウが上げた。


「ふふふ、ようこそ仔ネコちゃんたち、くんかくんかうーんアルテミスの幼い体臭マジ天使だよババアはだめだね加齢臭がひどくていけないくんかくんかスイッチが入っちゃいそうはあはあもうだめ仔ネコちゃんたちどうかっ解剖させてくれない?幼いアポクリン腺を抜き取ってキミたちを想いながらくちゅくちゅしたいのおおぉっ」


「ひぃぃぃぃっ!なにコイツ気持ち悪いっ。

あっ、あっちいけっ」


手練であるルイウを不意打ちしたのは、

黄緑色のネコ耳を持つ灰髪褐色肌の少女だった。


目見良い容姿は欲望に歪みきっているが、

黙ってさえいればそこらのアイドルも霞んで見える美少女だ。


薄い本に出てくるモンスターの様に蛇の下半身をルイウに巻き付け、

チロチロと伸びる舌でレロレロしながらくんかくんかくんかくんか。

だめだコイツ目が既に逝っちゃっている。


「……どいてモンスケ、コイツ殺せない」


マッハでギアを装着したルイセがレールガンを構えた。

銃口がチャージ音とともに発光をはじめる。


「ストーップ!

おまっ、それ必殺技っぽいエフェクト出てるぞっ!

やめっ、施設が崩壊するっ。

ここ地下だから、地下だぞ、落ち着けっ」


「……ん、じゃ通常射撃にする」


「そういう意味じゃねーっ」


「くんかくんかもうだめたまんねえアルテミスの若い仔マジいい匂い

やっぱり小学生アルテミは最高だぜぇげへへへへ」


「いやーっ、犯されるーっ、おかあさーん!」


「薄い本みたいなことやってんじゃねえっ、このロリコンダ!」


ファッションモデルばりのしなやかなルミの足が蹴り上がり、

ルイウに巻き付く少女の顎を捕らえた。

首の骨が砕ける音とともに蛇の少女は吹っ飛び、ガラス壁に顔面から突っ込んだ。


レールガンは無理でも、

三〇八口径の至近弾くらいは楽勝で止める防弾ガラスに、

霜が張り付いたようなヒビが全面に生じた。

そのせいでコマの治療が見えなくなってしまった。


「げひゅっ、や、やだなあ、僕は悪いロリコンじゃないよぉ?」


首をあらぬ方向に曲げた少女が、い

ろんな汁を撒き散らし張り付いたガラス壁から身体を引き剥がした。

ゴキンポキンと音をたてながら首があるべき位置に戻っていく。


「ロリコンはみんなそういうらしいな」


「心外だよ。

これでもくーアネを失った心の傷を癒やそうと、

幼女成分を補充しているだけなんだ。

ほらあれさ、アルテミスの美しい幼女が目の前にいたら誰だってやっちゃうよぅ?」


そう言って褐色の少女は、

獲物を狙うオオアナコンダの如き目で双子たちを交互にガン見した。


「ひぃぃぃっ、こっち見るなバカーッ」


「……くっ、姉さんデコイ!」


ロックオンされたルイウを庇うため、ルイセはモンドを掴んで持ち上げた。


「おわっ、やめいっ!」


ブレイブギアで倍力化した膂力は、長身のモンドをたやすく投げ飛ばした。


「でかしたルイセ!」


「あー、熟れきったババアはいらないんですわー」


ヘビの下半身を巧みにくねらせモンドをスルー。

哀れそのままガラス壁にぶち当たり、受け身もとれず無様に床に転げ落ちた。


「い、痛え、俺ババアなのっ?ホッとしたけど何か悲しい……」


「ラミア、こいつも同じ剣でやられたんだ」


ルミがモンドの肩を掴み立たせ、ヘビ少女の目の前に突き出した。


「んー、本当はババアなんて見たくないんだけどなあ…斬られたトコ見せて」


「あのぅ、ここで?」


「もち、ここで」


モジモジしながらツナギのファスナーを開く。

尻を見えやすいように突き出した下着姿のモンドは、

出るとこはしっかり出ている抜群のプロポーション。


「くっ、モンスケのクセに腹たつわね」


「……不公平」


女性派生ピュアである双子たちは、

モンドの体型に気分を大いに害したようだった。


「しょーがねーだろ、ヴァルカンはこういう種族特徴なんだよ。いっでぇ!」


ラミアが血に染まり破れたショーツの中に何かをくっつけた。


「ククク、この程度の負傷など

実験くん28號を持ってすればたちどころにぃぃぃっ!」


「ぴぎぃー☆」


「ちょ、ぴぎーって聞こえたっ、何?気持ち悪いのが尻にくっついてるっ?

いぎゃっ、痛いっ!」


ぐちゃっ、みちみちぃ、ぶちっ、くちゃっ、くちゃっ!


「な、なにかが俺のケツをっ、ぎゃぁぁぁっ!ケツの肉がっ、俺の肉がっ!」


「ククク…説明しよう、

実験くん28號とは患部を摂食し消化吸収した後に、

患者の身体そっくりに融合する画期的な寄性獣…もとい寄生獣なのだっ」


そう言いながらラミアは人差し指を額に当て、

意味ありげでまったくない厨二ポーズをとった。

その足元というか蛇体のそばで、モンドが痙攣をおこしながら倒れた。


「く、苦しい…くはっ…」


「ちょっと!白目剥いて泡吹いてるけど大丈夫なわけ?」


「計算通りさ。

患者が激痛で暴れないよう、麻痺毒を分泌するようになっているんだよ」


ぶちっ、くちゃっ、くちゃっ、ぶちっ、くちゃっ。


びくんびくんと痙攣するモンドの尻は、

ヤツメウナギを寸胴にした寄生獣が散々に食い散らかしていた。

血と肉片が帯電防止床に散らばり、

まるでゾンビに食い散らかされた死体Aみたいだった。


「……うわぁ」


「こういう治療は絶対イヤ……」


血肉飛び散る修羅場経験者である双子ですらもドン引く治療風景。

嫌だ。こんなの絶対に無理。


肉食ミミズみたいなのに生きながら囓られ、

傷の治療を受ける位ならいっそ傷をこじらせて死んでしまいたい。

二人の表情はそう語っていた。


見守るうちに実験くん28號が、

粘性のあるドロドロネバネバに変化しモンドの尻と同化していった。

生成した肉の具合を確かめるため、つねったり揉んだりしながらラミアが言う。


「とまあ、この患者は予め呪対抗薬も射っていたみたいだし、

これで治療は完了だよ。

問題なのは美味しそうな仔ネコちゃんの方だね。

呪いが血流に乗って全身に広がりきっている」


それを聞いたルミが問いかけた。


「コマは復帰できるのか?」


「身体は痛みきっているから廃棄だよ。

幸いあの仔は元々ホムンクルス体だ。別の身体に移すだけだよ」


「なら代わりの錬成にどれくらい時間がいる?」


「そのことなんだけど、オリジナル体の石化治療が順調なんだ。

こっそり取っておいたくーアネのサンプルを使って、

擬似的な盟妹オーバーライドを発生させるのはどうかな」


「そんなこと聞いたことがない、可能なのか?」


「あの人はいろいろ規格外の人だったからね。

それ故に起きてしまった石化事故だと思うよ。

だから可能なんだ。

相性が良すぎて石化したと仮定すると、

保管したことにより弱体化した因子で丁度いいんじゃないかな」


「つまり、コマ本来の身体で盟約オーバーライドを行っても石化しないんだな」


「僕はそう思っているよ」


「試す価値はありそうだ」


「これは余計なお世話なんだろうけど、

くーアネを殺った奴とまたやり合うんだよね?

一人でも強い個体いもうとを揃えたほうがいいよ」


「やれやれ、あたしがコマを頼りにする日が来るとはねぇ……」


ニヤリ、ラミアが意味深に笑った。


「僕が言いたいのはね、直系の盟妹いもうとの方だよ」


「ホタルのことか?」


「ルミの血統ならば、あのインプラントは必須でしょ?勉強しておくよ」


「いまはその時じゃない」


「ふぇ、私がどうかしたの?」


急に名前が出たホタルは、不思議そうな顔で問いかけた。


「なんでもない」


「へぇ?

血焔ちほむら法務官プラエトルも、

自分の盟妹いもうとには甘いんだ」


「あーうるさいうるさいっ、もうジュノーンは存在してないっつの。

コマの件、さっさと頼むわ。

二度とバカな気を起こさないよう、連中を再教育してやらないといけないからな」


              ※ ※ ※


長い黒髪をおさげに結った少女が駆けていった。

右足、左足、右足︙少女はリズムを刻むように足を動かす。

小さな体からすらりと伸びた細い両足を使い軽やかに走る。


星奈せいなひとりで行っちゃうと危ないよ」


セイランは少女の名前を呼んだ。


「はーい。ぱぁぱー」


星奈せいなと呼ばれた少女が、

くるりとターンするとおさげが翼のように広がった。


てってってー。 ぽふん。


足に抱きつく愛娘を、腰を屈め抱き上げた。

懐かしい感触だ。

醜くゴツゴツした指。手の甲から生える濃いめの体毛。ジムで鍛えた太い腕。

ああなんて懐かしいのだろうか。


いつの間にか体が、氏族に変容する以前の富田敬一に戻っていた。

鍛えた腕は、五歳になる娘を軽々と持ち上げ肩車をした。

そして娘の体温を感じながら、満ち足りた気持ちで歩いていく。


ここはどこだろう?

湖のほとりは草原になっており、美しい山々が連なっていた。

まるで、結婚する前に妻と旅行したスイス東北部のアッペンツェル地方みたいだ。


「ぱぱ?」


静かな湖畔を親子水入らずで散歩していると、

星奈せいなが話しかけてきた。


「んー?どうしたのかなー」


「ねぇ、なんでぱぱはおんなのひとなの?」


「え?」


分厚い胸板が豊かな膨らみに置き換わっていた。

腕がつるりとした細腕になっている。


「こんなのぱぱじゃない!おまえはだれだっ!ままー?ままー?」


いつの間にか、山々を写す紺碧の湖の水面に沈むこともなく立っていた。


これは夢だと、富田敬一は思った。


こんな夢でも覚めないでくれ、

星奈せいなを手放したくないと強く願った。


この湖は京華きょうかと眺めたゼーアルプ湖なのだろうか?

ああ、この景色を愛でながらプロポーズをしたんだっけ。


水面が本当の姿を映し出す。


そこには蒼い長髪をポニーテールに結った少女が写り込んでいた。


その雄姿を見た不死者は死人の様に黙りこみ、

悪名高い邪龍さえも尻尾を巻いて逃げ出す。


ジュピター第二師団中隊長にして憲兵司令。

エリート兵である異端分子狩アンチトレイター隊を束ねる

剣豪セイランの姿が映っていた。


「ちがうっ、こんなのは本当の俺じゃないっ。

星奈せいなはわかってくれるよね、パパはここにいるよ?」


「パパなんかじゃない。

セイラン中隊長、おっと作戦中はクロタカだったな」


応えたのは幼い少女ではなかった。

幾つもの戦場を共に駆け抜けた相棒の声がした。


「お前は僕を見出してくれた。

だからお前は僕だけを見ていなくちゃいけない。

僕を置き去りにして一人だけ人間の生活に戻ろうなんて、

そんな虫の良いことを考えているのか?」


整った糸目の美少女が逆さに覗き込んできた。

細い目がさらに細くなり、狐のお面のような笑顔をつくった。


「ツヅ…カラスなのかっ?星奈せいなはどこだ。どこにやった!」


「なにを戯言を、人並みの幸せなぞ享受できると思っていたのか。

僕はお前の相棒であり、妻であり、娘でもあるのだ。

お前の心の乾きと飢えは、置いてきた妻子では約不足だ。

癒やしは背中を預けあった僕がふさわしい。そうだろ?」


そう言って、セイランの金色の猫耳に艶かしく息を吹きかけると甘噛した。

くすぐったいと感じるどころか、

うなじからヘソの下まで電気が走るような心地よさに、思わず声が漏れる。


「あぅ、あぅぅっ、やめ…貴様ッ、上官に向かってなんという、あっ……」


「あはぁ、いいぞ、こんな声で鳴くのか」


だめだ、やめてくれ。


異身体化そんなからだになっても、ときどき会いに行っているそうだな。

事情を知らない子供からは、ネコのお姉ちゃんと呼ばれているとか。

お前の後輩も奥方と会っているのは把握していたかい?」


富田敬一セイラン後藤京華きょうかは大学の同期、

そして後藤疾風はやてはひとつ下の後輩で京華きょうかの従兄弟だった。

お前の後輩というのは、おそらく後藤疾風はやてのことだろうと、

愛撫に抗いながら思った。


「そ、それがどうした。京華きょうかひとりでは大変だろうと、

気にかけてくれているだけだ。

それに…後藤も既婚者だぞ。あいつに限ってそんなことをするものかっ」


人間だった頃、富田敬一という平凡な会社員の価値観が崩れていく音が聞こえた。


「ふふふっ、本当は気づいているのだろう?二人の逢瀬を」


「やめろっ、俺の、俺の居場所を踏みにじるな!」


「ところでさ、星奈せいなは本当にお前の子なのかな?

奥方が急に積極的になった覚えがあるだろう?」


「な、なぜそのことをっ、

そんな…はず…うあ、うあああああああああっ!」


なおも耳元に囁こうとするツヅミを引き剥がし、

エメラルド色の水面に叩きつけた。

まるで道場の畳に投げ飛ばしたような音が鳴った。


「ふふっ、ふふふふっ、かわいそうなひと、ふふっ」


「五月蝿いっ!」


絞め技をかけてもツヅミは笑うことをやめなかった。

徐々に腕に込める力を強くしていく。


「司令、副長を殺す気かっ」


どこかから声が聞こえた。


殺すだと、ああ殺してやるっ!


意識が覚醒してくると腹部に焼けるような痛みが走った。


いや…まて?

そうだ剣皇けんおうと死合って、俺はっ――

ダーインスレイヴでクナギを喰った刹那、

天断アマダチの一撃を腹部に叩き込まれたのだ。

そして、直後に盟姉あねを討ち取られ逆上した盟妹いもうとが復讐に来た。


本来なら手間もかけずに返り討ちにするところだが、

剣皇けんおうとの一騎打ちで限界まで消耗しきっていた身体は

動かすことすら至難だった。


あの空色の髪の幼女は、

そのチャンスを活かし刺し違える覚悟でセイランの斬撃を掻い潜り、

一撃を入れたのだ。


(だが俺は死ななかった?)


我に返ると、相棒のツヅミを組み伏せ締め上げていた。


「ひゅーっ、ひゅーっ、くひゅー」


特徴的な細い目からわずかに覗く瞳孔は開ききっていた。

下腹部から、音を立てて温かい染みが広がっていった。


「うおっ!」


とっさに締めていた手を離し飛び退いた。なんてことを俺はっ!


全身に火傷を追った隊員が自身の負傷も顧みず、ツヅミの気道を確保し介抱する。


冷静になって見渡せば、

万が一に備えセイランが各地に設営を命じておいたセーフハウスの内部だった。

名義はジュピターのペーパーカンパニー。

レンタルトランクルームの外観を偽装してあった。


息を吹き返したツヅミが、酷い目にあったというのに喘ぎながら慰めてきた。


「げほっ、気に…するなっ…げほっ。それは…蘇生薬による一時的な…げほっ、錯乱だっ。お前の…せいじゃない」


誰一人として欠けてはいないが、士気は最低の状態だった。

ツヅミ率いるカラス隊は重い火傷を負い、

セイランのクロタカ隊は骨折による負傷で継戦能力を奪われていた。


「ヘリオスに仕掛けただけで、最精鋭がこのざまか」


自嘲気味に呟いた。


実際にやりあってみれば、いかに己の読みが甘かったか思い知らされた。


所詮、予測は予測でしかないというわけだ。

こうあって欲しいという願望が混じってしまう。


「僕は……煌皇こうおうに押されっぱなしだった…くそっ!」


異端分子狩アンチトレイター隊のエースとして、

ツヅミにはプライドがあった。

ジュピター内でもセイランに次ぐ実力者だと思っていた。

その自信を煌皇こうおうルミに容易く砕かれた。


こちらからの打ち込みは全て障壁に阻まれ、

反対に煌皇こうおうの炎はツヅミを徐々に消耗させていった。


「早々にお前が殺られていたら、二皇の連携によって俺は瞬殺だったろう。

だからお前の頑張りは、その火傷は無駄じゃない」


「セイラン……」


ツヅミに潤んだ瞳で見つめられ、気恥ずかしくなり視線をそらした。

そして指揮官としての指示を下す。


「全隊帰投、これ以上の消耗は無意味だ」


「は?たった一人で死ぬ気か」


予想通りにツヅミが反論した。だから用意していた言葉を続けた。


「拒否は反逆とみなす。これは憲兵司令命令である」


「なっ、こういう時だけ上官ヅラするな卑怯者っ」


「卑怯で結構。剣皇けんおうを潰した。

その手柄があれば無断で撤退したとしても罪に問われまい。

俺はここに残りジュピターの威光を取り戻すために尽くすと、

総司令に伝えておいてくれ」


「バックアップなしでバカなのかっ?なおさら僕が必要になるだろっ」


「お、お前がいるとっ、困るだろ……」


「なんでだよっ、引き取ってくれた日から、ずっと一緒だったじゃないか」


そもそもセイランは盟妹いもうとをつくろうとしなかった。

実子である星奈せいなへの未練が強すぎたからだ。


ツヅミは先の大戦で討ち死にした部下の盟妹いもうとだ。

盟姉あねを失い孤立していた子はツヅミだけではなかったが、

当時からツヅミはどこか気になる子だった。

だから、深く考えることなく後見人になっただけ。それだけのはず。


――なんだかツヅミがかわいく見えてきてヤバイ!部下のくせにタメ口聞いてくるところがカワイイ。でも実は十四歳の中二男子なんだよな。いやいや、俺だって所帯持ちの男だけどさ。男性派生モデュレイト同士の恋愛をやっちゃっている部下も結構いるよなぁ。星奈せいな京華きょうかへの未練もいい加減なんとかしたいし、ツヅミっていい子…だよな?げふんげふん、なにを考えているんだ。あいつは男の娘…じゃない男の子!とにかく距離をとらないとやばい。星奈せいなが泣いちゃうじゃないか。しばらくソロで頭を冷やしたい。何か納得してくれる理由を考えろ俺、負けるな俺!


そんなセイランの葛藤を知らず、なおもツヅミは熱く見つめた。

みっしりと隊員を詰め込んだセーフルームはエアコンの効きが悪く、

失禁のせいでアンモニア臭も立ちのぼりはじめている。


「カラス…いやツヅミ、お前に無理をさせて万が一があったら悔やみきれない。

だからこそ、まず傷を癒やしてもらいたい。

万全を期したお前のサポートが欲しいんだ。いつも苦労をかけてすまない」


手をそっと握って、ちょっとだけ強引に引き寄せた。

制服ブレザーの下はぐっしょりと湿っていた。


自分が原因だったくせに、それが衣服に付くのは嫌だなと思ってしまう。

が、この際そんなことは構っていられない。


「えっ、セイラン、近すぎ……」


「頼む、お前しか頼れないんだ。ここは引いてくれ」


「ぼ、僕が…頼りにされ…てるの?

えへっ、しょ、しょうがにゃいにゃあぁ。

戻るにゃで無理にゃにゃしちゃにゃめにゃんだからにゃ」


ネコは液体。デレたツヅミも液体。

ふにゃふにゃに脱力した身体を、セイランはしっかりと抱きとめた。


「ばかな、あの副長がデレた︙だとっ!」


「はじめて見た」


「そんなことより、おしっ…アンモニア臭を処理しないとっ」


「お風呂、いま湧きましたっ」


「ちょうどいい、副長を洗ってしまえ。先にいいですよねクロタカ隊長?」


「あっ、ああ…」


手慣れた様子で動ける隊員たちが、作業を分担しはじめだした。

貴重なバッカス製の霊薬瓶ポーションがいくつも取り出された。


焼けただれた表皮を綺麗にしておかないと、

再生した際に異物を体内に取り込んでしまう。

だから霊薬瓶ポーションよる治療は患部の洗浄を徹底して行う。

骨折なら綺麗に骨を継いでおかないと、歪にくっついてしまう恐れがあった。


ファンタジーでは、

迷宮内で傷を受けた冒険者が霊薬瓶ポーションを使って回復するが、

あんなものは自殺行為だ。


汚物や雑菌で汚染された傷を適切な処置もなく塞いでしまった場合、

体内に汚染物質を取り込むことになる。

失血死は免れても、重い感染症や敗血症による死が待っている。


「せめてカドゥケウスだけでも、我々側に引き込めたら良かったのだがな」


なんの気なしにセイランは呟いた。

己が追い込んだヘリオス一行が、

そのカドゥケウスに逃げ込んだことを知る由もなく。



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盟妹オーバーライド 伝馬ヨナ @denden_yona

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