6章 幕開け
「ちわー、ヴァルカンでーすっ」
突然、木製フレームのレトロな引き戸が、
ガラガラと音を立て開くと、背の高いスーツ姿の女性が勢いよく入ってきた。
ルイセにぴとりと、寄りかかられたままだったコマは、
見られたのが気恥ずかしく耳まで真っ赤になってしまった。
女性は慣れた感じで営業スマイルを顔に貼り付け、番台に向かってくると、一言。
「くー子いるかい?」と、馴れ馴れしく聞いてきた。
くー。くーちゃん。くーちゃま。くーねえ。
これらはクナギの愛称である。
これもあの
「クナギ隊長だったら、食堂にいるよ」
目の前の人物が、いったい誰なのか不明のため、一応正式な呼称で応対してみる。ダークグレーのパンツスーツを着こなし、一見、大人びて見えるが、
外見年齢はクナギと似たりよったりの18か19くらいだろうか。
ぴんと立った三角の三毛耳と、折り目が入ったパンツの後ろから、
緩やかに曲線を描くシッポが生えている。
オレンジ色の髪の毛と同色の太めの眉、愛嬌のある大きめの瞳は、
どことなく同じ演習小隊のモンドを思い出させた。
「あんがと。おーい、搬入いくぞー」
うぃーす。
と体育会系のノリで、外から応じる声がした。
ガションガションと駆動音をたて、
ペールグレーに塗装された
銀色に輝くステンレス製の調理台を軽々と抱え持って入ってきた。
赤く光るモノアイ、頭頂部にそそり立つブレードアンテナ。
見間違えようがない、モンドのブレイブギア、ヘルファイアだった。
「モ…モンド!どうして」
「………」
「ふぁっ!?ペッ、ペア番台だと……。お前ら、いつの間にそんな仲に」
モノアイの赤い光が、激しく点滅を繰り返した。
「今日……ついさっきから……」
冗談なのか本気なのか、無表情かつ抑揚のない声でルイセが即答する。
「なんですと!この物好きめ…じゃねえ……おめでとう?」
「ん、どうも……」
ルイセの鉄面皮の頬が、ほんの少しだけ、極僅かながら緩んだ。
「お願いだから俺の知らないところで、フラグを勝手に立てていかないで」
がくーっとうなだれたコマの頭を、ルイセがよしよしと撫でる。
「モンドッ、早く来いっ!」
食堂から先程のスーツ少女の呼ぶ声がした。
「すんません、いま行きますっ…またな。後でいろいろ聞かせろよ」
ウインクするように一度だけモノアイが点滅すると、
駆動音を響かせ、モンドは食堂に調理台を運びにいってしまった。
モンドの姿が食堂に消えた途端、今度は様々な声で食堂が賑わった。
「うげーモンドだしサイアク」とルイウの唸り声が響き……。
「あらあら、ルイウにもお友達ができたのね」メイエンがのほほんと言い……。
「いやーん、ホノカありがとー」クナギが嬌声を上げ……。
「くっ、くー子のためなら、戦車でも戦闘機でもなんでも届けるよっ」
どうやらホノカという名前らしい、スーツ少女のうわずった声が聞こえた……。
ルミがその場にいたら、『お前らうるせーぞ』と怒り出しそうなものだが、
幸いにしてなのか、ホタルと一緒に買い出し中だ。
「さっきの人、ヴァルカンのCEO……」
ルイセがぽそりと呟いた。
「え、そんな偉い人だったの」
と言ったものの、
よく考えればヘリオス隊長であるクナギは食堂を切り盛りしているし、
メイエンも普段はパティシエとして腕を振るっているという。
偉い人=部屋でふんぞり返っている人というイメージを、
コマはいままで抱いていた。
しかしながら、この十二氏族とかいう組織は規律が緩そうというか、
まるで街の零細企業みたいな素朴さを感じられた。
「うん、あの人からギア貰ったから……」
コマは双子が着装していた、
演劇衣装のような綺羅びやかなブレイブギアを思い出す。
そう言えば、ちらりと見えたプレートの形状も、
教官が持っていた第8世代型より洗練されている印象を受けた。
「
「ある意味そうかも…第9世代先行量産型ブレイブギア。
姉さんと私でデータを取り、正式採用騎の完成を目指している……
まだまだ先になりそうだけど……」
その日の夕飯は、いつにもなく賑やかなものになっていた。
メイエン、ルイウ、ルイセのアルテミス組に加え、
納品にやってきたホノカ、モンドのヴァルカン組までもが夕飯を食べていくことになり、ちょっとしたパーティーのようになっていた。
さすがに小さな食堂では一般のお客に迷惑がかかるため、
ヘリオスが大所帯だった頃に使っていた二階の大部屋が開け放たれる。
当時、食堂として使われていた名残なのか、
テーブルは角が磨り減り、よく見ればジョッキを強く叩きつけた跡も残っていた。ここで酒を酌み交わし、時には議論で熱くなったりしたのかもしれないなと、
コマは傷だらけのテーブルを見て思いを馳せた。
オードブル、サラダ、スープの入った鍋、主菜、
保温機能付きのおひつを手分けして運び込み、
大きなテーブルに並べていくと、何だかそれだけでワクワクしてきた。
「ああ、私たちだけ先にいただくと、
コマの隣に座ったホタルが、後ろめたそうに言う。
まだ銭湯と食堂があるからと、クナギとルミは店番を買ってでたのだ。
全員が席についたのを見て、
ヴァルカンのCEOであるホノカが代表してグラスを取った。
隣のモンドもギアを解除して、カーキ色のツナギ姿に戻っている。
「くー子が斬り伏せた敵の数は
あいつに餌付けされた氏族も、実のところ同じくらい多いらしいぞ。
ヘリオスの
毎日うまいもん食いやがってこんちくしょうと、正直な羨望の言葉を捧げよう。
うまそうな晩飯を用意してくれたくー子に乾杯!」
「「かんぱーい」」
カチンとグラスを鳴り響き、賑やかな会食が始まった。
「やべえ、ヴァルカンの社食より美味い」
モンドが、唸りながらがっつく。
「さすがうちの
ホノカが上機嫌に、グラスに満たされた赤い液体を飲み干した。
「マジで美味いっす。
お嬢、いつも営業からの戻りが遅い時、ここで飯食ってませんか?」
「バレたか」
「ずるいっす」
「いい子にしてたら、ヘリオスの担当にしてやるよ」
ホノカが手酌で空いたグラスに赤い液体を注ぐ。
手書きのラベルが貼り付けられており、
『Soylent Blood』とカリグラフィーで書いてあった。
ソイレントブラッドと読むのか?
酒なのかとコマは思ったが、メイエンとルイセも平気な顔で飲んでいる。
モンドとルイウのグラスには麦茶が注いであった。
好奇心に駆られたコマは、ものは試しと聞いてみることにした。
「あの…俺もその赤いの、飲んでみていいですか?」
視界の端でモンドが止めておけと、言わんばかりに首を横に振ってみせる。
「やめときなさい……クセが強いのよ、それ」
あのヤマネコルイウまでが、わざわざ忠告をしてきた。
「くーちゃまが、あなたに飲ませてないみたいだから、
飲めるようになったらご一緒しましょうね」
ホノカが腕を伸ばし、ソイレントブラッドの瓶を取ると、
無言でモンドの食卓に置いた。
モンドは何も言わずにさらに端っこに、追いやるように置く。
「そう良いものじゃないぞ、
なまぐ…青臭いからな、折角の料理が台無しになるぞ」
モンドがニカリと笑う。
「いや別に…ちょっと興味が出ただけだから、気にしなくていいって」
モンドに気を遣わせちゃったなあ、と思いながらコマは言った。
「コマくん、きっと私たちには早いんだよ。未成年禁止的な感じで」
ホタルが執り成すように口を開く。
「ええぇ、ルイセだって飲んでるし、別の理由があるんじゃないの」
「私、大人だから……」
すかさずルイセが仏頂面で言い出した。
アルテミスの面々は、十代前半の少女のなりをしているため、
説得力としては限りなく弱い。
いったい双子とメイエンの実年齢はいくつなのだろうか?
ふと気になったが、なんとなくそこに触れることはタブーのような気がして、
コマは質問の言葉を飲み込んだ。
「そ、そういえばよぉ、俺たちの演習小隊って5人しかいないじゃん。
他所はどこも6人なのにな」
モンドが、少し気まずくなった雰囲気を、切り替えるように言い出した。
演習小隊は実戦と同じ編成で行われており、その基本編成は6名である。
さらに二名ずつのエレメントに分割して作戦実行にあたるため、
901演習小隊の現状では、どうしても一人あぶれてしまうことになる。
「それよ、それ。わたくしたちの小隊番号だけ、9番台ってのが解せないわ」
「ねえルイウ、その番号は分類の決まりごとでもあるの?」
ホタルが興味をそそられたのか質問する。
こういう細かい知識を覚えていくのが、好きな性分なのだ。
「氏族間の標準的な編成では、通常6番台までが実行部隊。
7と8番台が予備役、9は通常では使用されることはないわ。
わたくし、飛行演習のとき退屈だったから近くの小隊の子たちに聞いてみたの。
小隊番号は1番台から3番台までしかいなかったのよ」
「へえ、いったいなんでだろねえ。出席番号とか、ブレイブギアの性能順とか?」
ホタルが推測を口にする。
「いや、性能はないと思うぜ。
俺のヘルファイアは、カスタムしているけどよ、
とても
ホタルたち原器のポテンシャルには届かねえもん」
モンドが、編成番号性能説を即座に否定した。
「ああ、そうか、それで急に入学案内がきたのか……」
「まあまあ、
ヴァルカンのCEOと、アルテミスの団長が揃って納得をする。
「あのお嬢…
たまらずモンドが、ホノカに詳細な説明をせがむ。
「たぶん、なんだけどな。
有力な
受け継いだ能力や、ブレイブギアの性能のせいで、
スタートダッシュに差がつく場合が多い。
そこで根拠のない優越感が染み付いたヤツは、いずれ行き詰まり早死するからな。規格外の同類同士を組ませて、切磋琢磨させようという魂胆なんだろう」
「
氏族の長の
固めてしまえば他の雛鳥たちを潰してしまう恐れもない。ということですわね」
メイエンがそう言って締めくくった。
「はぁーん、なるほどーって、俺そんな実力者揃いの小隊に編成されてるの?」
モンドが大げさに頭を抱えてみせた。
「あははは、まったくだな。せいぜいヴァルカンの名を貶めない程度に頑張れ」
ホノカが笑いながらモンドの背中をどつくように叩いた。
「いたぁ、が、頑張らせていただきますぅ……」
「別にあんたを慰めるわけじゃないけどさ、
わたくしとルイセの本当の
10年前の例のアレで戦死しちゃって、
ま、メイエンの名に恥じないよう頑張って、
血筋関係なしに実力でネームドになったんだけど」
ルイウが、勝ち気な瞳を煌めかせながらそう言った。
「ひぇっ、慰めてるのか、自慢してるのか、どっちかわかんねぇー」
「んなもの、両方に決まっているでしょ。
コマ、ホタル、あんたたちも不甲斐なかったり、
わたくしの足を引っ張るような無様を晒したら、容赦なく後ろから撃つからね!」
「あはは…私もルイウたちの足手まといにならないよう頑張るよ」
「さっき聞いただろ。
ちょっと有名だからって、いい気になっている奴が一番危ないらしいぞ」
ホタルとコマが、ルイウの挑発するような発言に、それぞれ反応をしめした。
「その言葉、そっくりそのまま返してあげる。
ルイセが負けじと言い返した。
「あのさ、くーねえことを
俺はその辺りよく解らないんだけど、もうちょっと五皇について教えてくれないか」
コマのセリフに、がくーっと肩を落としたルイセが脱力して言った。
「なんかわたくしだけ、力んでいてバカみたい。
誰かコイツに教えてあげてよ……」
コマがニコニコしながら、モンドを見て言った。
「モンドくーん、お願い、教えて?」
「俺がぁ?お前なあ、
いいか
特定のブレイブギアのマスターに付く称号みたいなもんだ。
先代クオンから
そして
一気に言い終わると、おおーっと一同が拍手する。
「こんな注目のされ方は、マジ勘弁してほしい……」
モンドは照れながら、麦茶のグラスを一気に仰いで飲み干した。
「副長クラスでも、淀みなく言える子は少ないのよ。
ホノカは良い
「こいつは、設定とか覚えるのが得意なんだ。ギア技師としての筋も悪くない」
「えっ、お嬢が俺を褒めた?やったぜ!」
「馬鹿者、そうやってすぐ調子に乗るのが良くないところだ」
「トホホ~。すんません……」
ホノカとモンドのやり取りが、
コントみたいなテンポで進んでいくため、思わず全員が声を立て笑い出した。
笑いながらコマは、この不思議な縁について感慨に耽る。
モンドは入学式で一番最初に会話した仲、
ルイウに至っては最悪の出会い方で始まった犬猿の仲。
ルイセなんか今日一日で話した言葉の方が、
所属する氏族も異なるメンバーが、こうして旧知の仲のように笑い合っている。
この不思議とほっこりとする雰囲気を、言い表す言葉が思い浮かばない。
いつかその言葉を見つけることができるかもしれない。
せめてその時が来るまで、この情景を忘れないようにしようとコマは思った。
結局、『メイエンが泊まるなら、私たちも泊まっていくわ』と、
あれほど帰りたがっていたルイウが、どういう風の吹きまわしか言いだし、
アルテミス御一行様はひだまり湯に宿泊と相成った。
それを羨ましそうに見ていたホノカだったが、
予てより接近中だった台風の影響により、
九州各所の暴風雨の中継がテレビに映り出すと、悪魔的な笑みが浮かんだ。
三毛猫の使い魔を呼び寄せると、
ヴァルカン本部に台風をやり過ごすためヘリオスに逗留する旨を通達する。
CEOとしての職務を全て台風のせいにして、
使い魔ごしの可哀想な部下に、延期を命令していた。
るんたったーと、軽い足取りで一階に降りていくホノカを見送りながら、
コマがモンドに耳打ちをした。
「お前の
「あれで仕事の虫だから、
休ませることができて、今ごろ幹部連中もほっとしてるだろ」
「俺としちゃ、
モンドが泊まってくれるのは嬉しいけど、
ルイウといい、ホノカといい、どういう心境の変化だろうな」
「うーん。
ひだまり湯ってさ、暖かいっていうか、帰ってくる場所っていうの?
なんかそういうの感じるんだよな。
俺たちは本当の家族と別れて、氏族という擬似姉妹の中で生きてるから、
求めちゃってるのかもな。
まあ、うちのホノカ
「なんだよ、もったいぶるなよ」
「俺もヴァルカン内の噂でしか知らないんだが…クナギ隊長に惚れているらしい」
「はぁ?くーねえと…まさか」
「プロポーズしたらしいが、のらりくらりと躱されてるってさ。
脈がないなら諦めれば良いものを。
今日だって、くー子から注文きたぁって張り切ってさ、
福岡から小牧ロジまでギアで飛んで、
トラックに調理台を積んで配達に来てるんだよ。
ヘリオス担当の営業部が、目を丸くして呆れていたぜ」
「ん?もし…くーねえとホノカが結婚したら、俺たちは、どうなるんだ?」
「まあ、長同士の婚姻は、どっちかが移籍することになるわな。
ひょっとすると、ホノカ
ヴァルカンを抜けてヘリオスに移る気でいるかもしれない。
そうなったら…俺とコマは姉妹ということになる。
……俺のことお姉ちゃんって、呼んでも良いんだぞ?」
「なんでモンドが姉ちゃんなんだよ!」
「俺、こうみえても20…年…月生まれ」
「一緒だ、同じ年月の生まれじゃないか。ちなみに…日生まれ」
「マジかよ。俺より一週間早生まれかよ…コマお姉ちゃん!」
「ぎゃー、抱きつくな」
「そうだ、どうせならベッド繋げて川の字で寝ようぜ。トランプあるよな?」
「お前は修学旅行の小学生か……
明日も
呆れたコマが、即座にモンドの誘いを素気なく断ろうとする。
「あら、それ面白そうじゃないの」
「賛成、やりたい……」
本日、二度目の風呂に入りに行っていた双子が、
プラチナブロンドの髪にタオルを巻いて大部屋に戻ってきていた。
「うぇーい、はい三対一で決定な」
「マジで……」
「マジよ、さあホストはキリキリ準備なさい!」
「ソラネコ、おもてなしよろ……」
仕方なくコマは使い魔の黒猫である震電を呼び出すと、
階下で仕事中のホタルに通信を入れた。
ホタルまでも大いに乗り気で、
『家具が無いくせに、ムダに広いコマくんの部屋でやろう』と言い出す始末だ。
モンドがヘルファイアを着装すると、
ホタルのベッドをまたたくまに、コマの部屋に運び込んでしまった。
ルイウは喜々として、ルイセは仏頂面でコンビニまで物資調達に走り、
コマはクナギから『寝坊しないでね』と念を押されながらトランプを借り受け、
こうしてコマの部屋で超突発的なお泊り会が始まった。
セミシングルのベッドを繋げ、クイーンサイズに拡張したベッドの上では、
カードゲームや他愛ない会話で大いに盛り上がったが、
日頃から勤労少女として働きながら
ひとり、またひとりと瞼が重くなり……。
深夜零時を迎える前に、全員が寝落ちした。
突然、コマの顔面に誰かの肘が当たった。
「痛ってえ……」
重いまぶたをこじ開けると、
点けっぱなしだった照明が、陽の光のように差し込み眩しい。
こんな寝相が悪いのはモンドだろうと体を起こしてみれば、
意外なことに、当の本人は古代エジプトのミイラみたいに胸の上で手を組み、
微動だにしていなかった。
ルイウとホタルはお互い寄り添って、くうくうと寝息を立てている。
コマの寝込みを襲った犯人は、意外なことに……ルイセだった。
プラチナブロンドの髪を乱し、
アルプス山脈を進軍するハンニバルのようにモンドを乗り越え、
コマに肘を打ち込んだのだ。
脱力しきったルイセの体を、どうにかモンドの隣に転がす。
ベッドを出て、ドアの側にあるスイッチをオフにした。
初夏にしては爽やかな風が、開け放した窓から吹き込んできた。
窓から差し込む月明かりが、眠りこける少女たちを優しく照らし出す。
生まれも所属する氏族も異なる少女たちが、一塊になって眠っている。
その無垢なる光景に、コマは眠気も忘れ見とれてしまった。
ふと脳裏に『帰ってくる場所』というフレーズが浮かび上がってきた。
「ああ…そうか、氏族って故郷なんだ」
高校生として、
学校生活と深夜に及ぶオンラインゲームの繰り返しだった日々では、
決して出会うことがなかった仲間たち。
もし…もし北岡がここにいたら、
あいつはどんなネコ耳少女になっていたのだろうか。
コマとホタルが
理科準備室に誘い込んで、連携して倒したあの日から、
まだ一ヶ月も経っていなかった。
昇天という能力により周囲の人間の魂を搾取していく。
コマが所属する氏族は、この天使と激しく敵対する関係だ。
十年前の戦いで、2万対5千という劣勢の中、辛くも勝利を手にしたという。
なぜ天使と戦うのかと自問すると、楽園の一派が、
昇天する魂のエントロピーを独占するため、
不法に天使を操り、人類の魂を駆り集める事を阻止するのが目的である。
と、意味不明な情報がコマの頭の中に思い浮かんでくる。
教わった訳ではなく、
ネコ耳が頭に生えた頃から、勝手にこれらの知識が増えていったのだ。
まるで目に見えない外部ストレージを、脳みそに接続されているような気分だ。
ホタルは、この状況をどう受け止めているのだろう。
モンドやルイウ、ルイセは、戸惑ったりしなかったのだろうか。
ブレイブギア…くーねえから貰ったギアはビンテージものらしく、
モンドは原器と呼んでいたシロモノだ。
着装した時こそ舞い上がったが、
そう遠くない将来、ギアを身に纏い、
蒼天を戦場に天使と殺し合うことになるのだろう。
つまり、死ぬかもしれないのだ。
天使と化した北岡のように、
あるいはくーねえのクオンお
双子たちの実の
コマは死ぬということを考えてみたが、実感がイマイチ沸かなかった。
親戚のお爺さん、お婆さんの葬儀に参列したことが数回。
その程度の経験では、死生観というものの確立は難しいらしい。
(北岡、どうもお前より変なダチが増えたみたいだ……)
大きく伸びをすると、モンドの隣で体を横たえる。
いろいろ考え込んでしまったわりに、あっという間に眠りの淵に落ちていった。
※ ※ ※
翌朝、コマたちは目覚めると、
やたらと張り切っているクナギの朝食を食べ、開店準備に取り掛かった。
これが普段ならば、ホタルと手分けして進めていくところだが、
一宿一飯の恩返しとばかりにモンドと双子が手伝いを申し出てくれた。
おかげで、時間間際まで仕事に追われているはずが、
食堂でコーヒー片手に一服しているというゆとりぶりである。
「やべえ、人手の偉大さを思い知った。みんな、ありがとな」
「ホントだよ。
いつもだったら、この時間はコマくんとトイレ掃除してるんじゃないかな。
助かっちゃった」
コマとホタルが、アルテミスとヴァルカンの友人たちに礼を言う。
「四人しかいないと、いろいろ大変だよな」
「まあ、泊めてもらった上に、お食事を頂いたお礼もあるしね」
「他所の仕事。面白い……」
モンド、ルイウ、ルイセがにこやかに応えた。
「ええっと、今日の授業の受け方なんだけど、
モンドはひだまり湯から接続でいいんだよな?」
「ったりめえだよ。
今からじゃ、仮にスーパークルーズでかっ飛んでも間に合わねえよ」
確認するコマに、モンドが同意をする。
「そのことなんだけど、わたくしたちも、ここから接続してもいいかしら」
「乗りかかった船……」
一緒に風呂メシ寝床を共有しただけで、
すっかり丸くなったルイウが、意外なことを頼んできた。
「おっし、じゃあ机を並べに行こうぜ」
コマが冷めたコーヒーを飲み干して、立ち上がった。
「あんたとリアルで接続なんて、夢にも思わなかったわ」
ルイウがコマに軽口を叩いた。
いつもなら、この野郎と思って余計なことを言ってしまうのだが、
どうやら丸くなったのはルイウだけではないようだ。
「俺も殴り合いのケンカは、もう懲り懲りだ」
「ったりまえでしょ。今度やり合う時は、ギアを着装して模擬戦だからね」
「うへ、ルールーありありで頼むわ」
「首を洗って待ってなさい」
ルイウは右手でピストルの形をつくると、撃つ仕草をしてみせる。
コマはやられたふりをしながら、ハンデも付けて貰えばよかった…と、
胸中ひそかに後悔する。
ロッカーに偽装したシュートで地下基地に降りると、
格納庫にホコリを被っていた机を大急ぎで綺麗にし、VRルームに運び込んだ。
左端から、ルイウ、ルイセ、ホタル、コマ、モンドの順番で座った。
それぞれの使い魔を呼ぶと、何もない空間から、
ヘリオスの黒猫/震電。
元ジュノーンの緋色猫/烈風。
アルテミスの白猫/ミューとニュー。
ヴァルカンの三毛猫/ぼたもち。
が次々と空間転移してきた。
猫たちは主人が席につく机の上に座り込み、コール待受状態になる。
「あ、ところでリンクのアドレスって、
インする場所が違っていても、それぞれのクランネームなのか?」
コマが疑問に思ったことを口に出した。
「あったり前でしょ、あんたがドジ踏んで『アルテミス』って言っても、
ユミルに受け付けてもらえないんだからね」
ルイウが呆れた口調で教える。
「へいへい、ご教授ありがとうござんした。ホタル、せーので行こうぜ」
「おっけー」
「せーのっ」
「「リンクコール、NNNヘリオス=レクチャーズスタートッ」」
「リンクコール、NNNヴァルカン=レクチャーズスタートッ」
「「リンクコール、NNNアルテミス=レクチャーズスタートッ」」
原色に輝く光の渦が巻き起こり、周囲の風景が塗りつぶされていく。
一限目は神学の講義のため、円柱状の回廊講堂エリアに切り替わった。
ぐわしっと、隣席のモンドが、コマの肩をいきなり掴んだ。
「いやあ、
フィールドVRの中で、生身のコマに触れることができるってのは新鮮だな」
「そりゃどーも。
そういやそっちは何人も入学してるんだろ。机の配置とかはどうしてるんだ」
「別々の小隊に別れてるから、
お互いが干渉しないように、すっげえ離して配置するんだ。
くそ広いVRドームにぽつん、ぽつんってな。
アレはまじで寂しい絵面だぞ。はぁ、なんかいいなヘリオス。
アットホームって感じがしてさあ」
「いつでも移籍はウェルカムだ。
特典は、くーねえの美味い飯と、銭湯入りたい放題くらいしかないけどな」
モンドの頬が、にへら~と緩み生唾を飲み込んだ。
昨日の美味しかった晩飯でも思い出したのだろう。
「ハハハ、魅力的だけど俺の
オリジナルブレイブギアを製造できるようになるまでは、
ヴァルカンを出る気はないんだ」
「凄いこと考えているな。
最初はチャラいヤツって思っていたけど、色々と考えていたんだな」
「チャラいは余計なお世話だ。
んで、コマは何か持ってねーのか、目標とか。
お前だってアノ
「まだネコミミ少女になって、大して経ってねーよ。
慣れていくのでいっぱい、いっぱいだっつの」
「そうだったな。…忠告しとくと、お前は幼女のカテゴリだと思うぞ」
「うわあ、モンドさん、ご自分を美少女って思っているんですね。きもーい」
「客観的事実だろ。
しっかしまあ、どうして氏族は女限定で見目麗しいのばっかなんだか」
「あれだろ、ユミル因子は、
男の体細胞に定着しないから、変異のとき性を逆転させちゃうとかなんとか」
コマは転生したばかりの頃の記憶を手繰り寄せ、
クナギやホタルが教えてくれた事を口に出す。
細部はあやふやで、ほとんど覚えていないが、
どうせ試験にでるわけでもないし…と、そのまま聞き流していたのだ。
「どうせ異性転生させるなら、ついでに異世界に飛ばしてくれって俺は思うね」
「ああ、異世界かあ、戻ってこれる前提で、あったら行ってみたいな」
モンドの言葉にコマは同意する。とはいえ条件付きでだが。
「なんで?永住してみてもいいんじゃね」
「魔法科学や科学が、現代かそれ以上ならいいけど。
電気や水道のないところで生きていける自信がねえよ」
「お前ってさ、夏休みはクーラーの効いた部屋から出ないで、
オンラインゲームのイベントを消化してるだろ」
ニヤつきながら言ってくるモンドに対し、
コマは何も言い返すことができなかった。
北岡が
今頃は伝説級レアの
中ボス討伐周回を重ねていたはずだった。
ふいにモンドの右隣のスペースに、原色の光の渦が迸った。
「おい、六人目が今頃きたぞ」
モンドが左端のルイウやルイセたちに向かって声をかけた。
「ここまで遅れて登場って、どんな主人公様だ?」
「コマくん先輩ヅラしないでね、痛いだけだから。
学園規則によると、ベテランでも未就学なら入学を認められるんだからね」
コマの行動を先読みして諌める。
「わたくしたちのように、任務優先で落ち着いた頃に入学ってのも多いのよ。
現役の小隊長やどこかの副長が入学しても驚くことじゃないわ」
ルイウが補足するように、自らの体験を語って聞かせてきた。
「うへえ、そんなのは
光の放射が収まり、黄金に輝く派手な三角耳とシッポの少女が現れた。
ダークブルーのポニーテールに、意思の強そうなキリッとした眼差し。
好奇心に輝く大きな瞳と、整った鼻筋に、ふっくらとした唇は、
肉感的な魅力を醸し出す。
アルテミスの双子が美術品のような美しさなら、
この少女はアイドルみたいな血の通った可愛らしさであろうか。
身に纏う制服は、黒を基調としたブレザーとスカート。
肩の飾り紐や襟章の存在で、どことなく軍隊の制服を連想させた。
その少女を一番間近で見ることになったモンドの顔が赤くなり、
次いで真っ青に変化した。
はぁ?なんで…どうして…と驚愕する声を上げたのは、ルイウだ。
「はじめましてっ、ボク、ジュピターのリオン。
今まで任務が忙しくて入学ができなかったんだけど、
やっと学生になることができたんだっ。どうぞ宜しくお願いしますっ」
椅子を鳴らして立ち上がった少女は、
拡声器でも使っているような大きくよく通る声で、
礼儀正しく直角に腰を曲げ挨拶をした。
回廊講堂に広がって並ぶ、いくつもの小隊からどよめく声が上がる。
各氏族の情勢に疎いコマとホタルは、つられて立ち上がり、
もごもごと「…あぁ、よろしく」「こちらこそよろしくね」などと言いながら、
お辞儀をした。
モンドは机に突っ伏し「この小隊は大穴すぎぃ~」と呻き、
ルイウは端正な顔を歪め「…あう……あううっ」と言葉を失い。
万年仏頂面のルイセですら、翡翠色の瞳を目一杯見開いていた。
「えっと…あのさ、この子、有名な人なの?」
モンド、ルイウ、ルイセの反応に不安を覚えたコマが、
突っ伏したままのモンドの肩を揺すって聞いた。
「…この御方は現役の団長で、
「はいっ、
ジュピター団長を務める
驚かせたくなかったんだけど、やっぱりバレちゃうよねっ。
ゴメンねっ、隠しておくつもりじゃなかったんだっ」
ニコニコと溢れるような笑顔で、あっけらかんと言う。
その朗らかな感じは、くーねえに似ているなとコマは思った。
例えるならクナギは、夜空を優しく照らしだす満月の光で、
リオンはさんさんと降り注ぐ陽光だ。
その陽光の少女は、ニコニコしながらも憧憬の眼差しをコマに向けてくる。
「……あの、何か?」
たまらずコマは声をかけた。
「わあっ、キミが
こうして会えるなんて夢みたいだっ。もう死んでもいいかも、なんちゃってっ」
リオンの映像がコマの腕をとる。
反発シールドで再現された触覚は、
発泡ゴム越しに握られるような奇妙な感じがした。
「そ、それは、どうも……」
「ねえっ、今度ボクと模擬戦やろうよっ!」
「ええぇ…俺なんかで務まるのかな。
もうちょっと、ギアになれたら…やってもいいよ」
キラキラと子猫のような視線で、
お願いをしてくるリオンを断れなかったコマは、
ついつい胡乱にも承諾してしまった。
「やったぁ、どうしよボク、嬉しすぎて寝れないかもっ」
「命知らずめ……」モンドが呻き。
「バカだから怖いもの知らずなのよ……」ルイウが呆れ。
「勇者だからね」ルイセが締めくくった。
回廊講堂は上を見ても、
下に視線を下ろしても、生徒たちの座先が無数に列をなして見えるが、
これはフィールドVR上の演出である。
実際には、各小隊ごとに真正面に教官の描画が出現するため、
サボってやろうと考える不埒な生徒は、
相当な心理的プレッシャーを受けることになる。
実際サボることは不可能であった。
ドーム中に張り巡らされたモーションカメラにより、
随時、生徒の挙動はモニタリングされているため、
不審な挙動をとる生徒は、解析・検出され教官に報告が上がるようになっている。
故にコマは眠気を堪え、粛々とノートを書き続けているのだが、
この新しく入ってきたリオンは、教官に指名されるまでもなく、
自ら挙手して答弁するという積極性の塊のような少女だった。
「ボクたちの因子的な始祖である神代の猫ユミルは、
楽園の追放を受け、天使討伐の任を受けました。
地上に展開する反勢力側の天使を駆逐すれば、
楽園に戻してくれると神属は約束しましたが、
ユミルはその
安らかに寿命を迎えることで、莫大なエントロピーを生産する人界。
人の魂を搾取、資源として消費することで繁栄を続ける楽園。
そのどちらにも嫌気がさしていたユミルは、
第三勢力の立ち上げを模索していました。
最終的にユミルは己の生命を消費し、
NNN《ねこねこネットワーク》の創造と、一部の人類の眷属化に成功します。
今日では、空間転移とNNNの接続能力を駆使するイエネコ一族が天使を監視し、その討滅を我々氏族が行う共同戦線を張っています。
近年は人類国家に対し、我々の軍備を
天使と楽園側に対する包囲網を構築しつつあります」
氏族の起源を述べよと教官が出した問いに対し、
スラスラと諳んじるだけでなく、
教官はリオンの答弁に気を良くして、さらに質問を出し続けた。
「人類史の19世紀頃までは、
量子ポータルによる楽園からの天使顕現が一般的な侵攻手段でした。
ところが20世紀から、
ユミルによる人類の眷属化を模倣した戦略を取るようになっていきます」
びしぃっとリオンが挙手をする。
「キミは一杯答えたからね、ちょっと譲ってあげなさい。
そうだな…リオンくんの近くでノートを一生懸命とっている水色の髪の子…
耳の先が黒い子。うん、キミだ。答えてみなさい」
「えっと、
コマが自信なさげに答えた。
最近、続発する天使がらみと言えば、これしか思い浮かばなかった。
「正解です。
人類に隷属天使化の因子を埋め込んだことで、
人間から無尽蔵に楽園の尖兵を作り出すことができるようになりました。
これにより、戦力増強だけでなく、
人類からの氏族発生を牽制することも可能になってしまったのです。
実はこの解決に向け、ユミル内部では何か作戦を進めているのです。
これはユミルも公表していませんから、正解はまだありません。
みなさんだったら、どんな作戦を立案するか…
今日の講義はそのレポートの提出で締めくくりとしましょう」
ええぇ~っと、講堂全体から発する抗議の叫びを教官は一蹴し、
頭上にタイムリミットを表示してみせた。
与えられた時間は30分。
もうこうなったら、何が何でも提出して単位を稼ぐしか無い。
コマは覚悟を新たに知恵をひねる。
日本だけでなく世界中の氏族を結集して、楽園にゲートを開き侵攻する。
なんかどこかのSF系FPSゲームの設定みたいだ。
そういえば、南極に発生した超空間通路を越えた先にある惑星で、
空戦を繰り広げるSFが面白かったなあ。と、少々脱線してしまう。
(まてよ、戦わずして占領する方法もありえるのでは?)
どうせ正解なんてないのだ。それっぽく、面白そうに書いてやろう。
そう考えると、憂鬱なレポート作成が少しだけ楽しく思えてきた。
滅茶苦茶な発想だったが、筆は進み、残り10分を余らせた所で、
コマはスタイラスペンを置いて送信した。
コマの頭の中は、すでに次の飛行演習でいっぱいである。
今日こそは華麗に飛んでやる、
そう意気込んでいると、教官が感心するような声を上げた。
「空間ゲートをバイパスに見立てた浸透戦術は、
既存のブレイブギア小隊で実行可能な立案ですね。
飛行ギア編隊による兵站改良案も、大変説得力のある立案です。
ですが私はこの作戦に引かれてしまいました。猫による籠絡作戦というものです」
(俺が書いたやつじゃんかぁーっ)
コマは脱力のあまり、額をおもいっきり机にぶつけた。
「概要だけ掻い摘んで読み上げていきましょう。
フェイズ1、猫の空間転移能力を応用して、
楽園の空間防壁を越境し地球上のイエネコを移住させる。
フェイズ2、楽園側はユミルを追放して以来、
一万年以上に及ぶ猫の可愛さと無接触の文化を構築しているはずである。
かつて人類を魅了した手管を使い、神族に猫の世話をさせる。
フェイズ3、最終的に楽園全土を猫の楽園として乗っ通り、
神族は猫の世話に追われ占領された事実にも気づけない。
荒唐無稽ですが、一万年以上続くこの戦いを集結させるには、
一見馬鹿馬鹿しい作戦の方が未来を切り開くのではと、感じ入りました。
この立案をした生徒、着眼点を述べてください」
(言えねー。面白半分で書きましたなんて、絶対言えるかーっ)
コマは早く終了の鐘が鳴りますように…と何度も祈った。
誰も名乗りを上げず、講堂内は少しだけざわついた。
「恥ずかしがらなくてもいいと思いますがね。
みなさんは、今後士官候補として活躍するのですから、
注目になれるのも任務の内だと思います。901小隊のコマ、立ちなさい」
コマの顔が、体中の血が集まったように熱くなった。
これは、面白半分に無責任なことを書いた罰だとでもいうのだろうか。
「あの、俺は…、これを書こうとしたのは……」
だが、最後まで言葉を続けられなかった。
回廊講堂のVR映像に、金色の耳とシッポを持つ、
軍服風のブレザーを着た少女たちが乱入してきたからだ。
「キミたち、講義中ですよ。なんの…」
ひとりの少女が無言でサーベル刀を抜刀した。
ぴゅいっ、鳥の鳴き声のような高く短い音の後に、教官の首が床に転がった。
びしゃっと真っ赤な血潮が撒き散らされた。
「反乱行為だぞ、隊と名を名乗れっ」
リオンが乱暴に立ち上がったため、
見えない床に、机と椅子が音を立てて倒れた。
この状況から推測するに、
教官とリオンは同じ場所からフィールドVRにインしていることになる。
おそらくジュピターの拠点で何かが起こっているのだろう。
「逃げなさいっ、きっとコイツら、あんたへの対策もしてるわっ」
ルイウが鋭い声でリオンに言うのと、
「お覚悟!」とサーベル刀を煌めかせた少女の一団が、
切りかかるのがほぼ同時に行われた。
身構えたリオンが体を沈め…。
突然、VRの映像が途絶え、周囲の光景はヘリオスの地下基地に戻った。
「何が起きたんだ?」
「ジュピターの反乱だ。ありえねえ…ありえねえよ…」
戸惑うコマに、モンドが震える声で応じた。
「メイエン、大変なのよ。ジュピターで反乱が起きているっ」
ルイウが使い魔のミューを介して、
先に帰ったアルテミス団長に連絡を入れようとしていた。
「ルイウ、いいこと。こっちに戻ってきてはダメ。ヘリ…スに……くーちゃま…」
メイエンの声音で白猫が喋りだしたが、声がとても遠い上、途切れて聞こえる。
「ちょっとメイエン、何?聞こえないよっ」
「ルイウ姉さん、これジャミング……」
「くそっ、敵は本当に
何で自分たちの団長を……」
ルイウは下唇を噛みしめる。
「コマくん、
ホタルが蒼白な顔で、コマに訴えかけた。
「ああ、モンド、悪いが俺とホタルを地上までかついでくれ」
ハシゴを登れは十分以上かかる縦穴を、
ヘルファイアを着装したモンドは一分もかけずに
地上にコマとホタルを連れ出した。
次いでカジャスとハルヴァに着装した双子が続く。
普段なら開店準備に精を出しているはずのひだまり湯だが、
今日ばかりは様子が違っていた。
ルミは愛騎、
獄炎を吹き上げる扇は、屋内では燃え移って危ないからか、しまい込んでいた。
「ルミ
目の前で教官の首が落ちるというのは、ホタルにとっても精神的に堪えたらしい。
「くーのヤツが、店の周囲を殺気が囲んでるって…。そっちも何かあったのか?」
「講義中、教官が殺害されたの。金色の耳とシッポを持つ子たちだった」
「なん…だとっ…ジュピターが…いや、でもリオンはそんな下衆ではないはず」
「そのリオンも襲われていたのよっ……」
ホタルはルミに一部始終を話して聞かせた。
「おいっ、くー。事態は深刻かもしれん。
こんな非常時に恥ずかしがる馬鹿がいるかっ」
後ろ頭を掻きながら、ルミが少しイライラした声で言った。
「ばっ、馬鹿でいいもん。
コレ、この
私はっ、爆死しちゃうかもっ」
「今までも、風呂で散々見せびらかしているだろうが……」
ルミが呆れて、投げやりな声を出した。
「ううっ、コマくん、あんまり…見ないで……」
食堂の入り口から、クナギが姿を現した。
男心を惑わすわがままボディに、
セパレートの水着のように色帯が巻き付いている。
だが隠す布地の面積は少なく、胸部は上乳、下乳ともに大部分が丸見え。
腰部に至っては、ローライズのビキニ程度しか隠せていない。
その上から白く透き通る羽衣を纏っていた。
抱え持つのは乳白色に輝く半透明の大太刀。
鞘も刃も鍔と柄までも同質の素材で造られ、
巨大な宝石から削り出したかのような煌めきを放っていた。
「ぐふっ…」
「ぐほっ…」
コマとモンドの視線が、クナギに釘付けになった。
「ちょっと男子、まじめになりなさいっ!」
コマより一足早く
大鎌の刃をじゃきーんと、元男子ふたりの目の前に突き出した。
「ややややっ、やあ、ホタルもう着装したのかっ」
「おおおおっ、おっぱ…いや、俺は何も見てないぜっ」
苦しい言い訳をしつつ、元男子勢はクナギに背を向ける。
コマは、ポケットから
騎銘を唱え着装を完了させた。
「きゃあ、コマくん
先程まで羞恥心に苛んでいたのはどこへやら、
クナギがうっとりとコマを見つめる。
その視線はコマではなく、別の誰かを思い出しているようでもあった。
「
「な、なんでもありません……」
だが、コマの質問にクナギは口ごもったきりになる。
「アルテミス旗下、ルイウとルイセ、非常時編入の許可を願います」
ルイウが澄ました顔でクナギに願い出た、
ついでにヘルファイアの向う脛の装甲を蹴っ飛ばす。
「そうだった、ヴァルカンのモンドっす。同じく編入許可を願います」
「ようこそヘリオスへ。
これであなた達の
クナギはアルテミスとヴァルカンの三人組の額を優しく撫でながら言った。
※ ※ ※
ひだまり湯を見下ろす位置にあるマンションの屋上に、
マットブラックに塗装したブレイブギアの一小隊が潜んでいる。
生暖かい風が西から東へ抜けていくように吹き抜ける。
九州で猛威を奮った台風が、刻一刻とこのエリアに近づいてきている証拠だった。
暴風と雷の音は、ブレイブギア同士の戦闘音を都合よく散らしてくれるだろう。
ターゲットが潜む拠点は『ひだまり湯』という名のボロい銭湯だ。
後は半人前以下の最近つくったばかりらしい
司令からは確実に仕留めろと厳命を受けている。
それ故、たった4人相手に、6小隊も…
ギアの標準編成で言えば中隊規模の部隊を引き連れてきていた。
今回の任務でのコードネームはクロタカだ。
ジュピターの一翼を担う中隊長だったクロタカが、
リオン旗下のジュピターを抜け、
彼女なりに今の氏族のあり方に不満を抱いていたからだ。
かつてのジュピターは
司法の執行や治安の維持に巨大な権力を保有していた。
ところがリオンの代になると、
執行権の裁量を各氏族の長に分割するだけでなく、
ミネルヴァやプロセルピナに警察権や捜査権を移譲したのだ。
この権力分割を残りの11氏族は英断と讃えているようだが、
数十年にわたり憲兵司令も兼任してきたクロタカにとって、
リオンの行動はジュピターへの裏切り行為に思えた。
リオンが『みんなが楽しく暮らすために、12氏族全体で、ちょこっとづつ義務を負っていこう』とジュピター内で演説を
クロタカから言わせれば世迷い言以外なんでもない。
天使との闘争に勝利し、
人類とのパワーバランスにイニシアチブを取り続けるためにも、
強大な権力集中と汚れ仕事を厭わない組織は、
必然として存在しなければならないのだ。
そのために、ジュピター内の良識ある人材が集い、改新への一歩を踏み出した。
リオンの粛清は初まりにすぎない。
何かと影響力を持つ
残りの11氏族を導いていくのだ。
各所に散開した小隊から手信号で配置完了の合図がきた。
視覚強化と全方位視覚のスキルツリー《身体インプラント》を取得しているクロタカは、
ひとつも見落とすことなく把握していった。
背負った
ハードポイントのロック機構と連動した生分解性プラスチック製の
離脱式カバーが外れ、剣の刃がむき出しになる。
暗雲が垂れ込める天に向って、突き刺すように剣を掲げた。
二階のベランダから1小隊、一階の裏口から1小隊が突入していく。
そしてクロタカが率いる隊と、もう1小隊が銭湯の外側に陣取り、
建物から逃げ出した相手を討ち取る作戦だった。
クロタカらが率いる2小隊は一報を待った。
首尾よく
通信封鎖を解除し内部から報告が上がってくる手はずだ。
逆に返り討ちとなれば、
各員に埋め込んだ心拍モニターインプラントが心停止を報せてくる。
その場合は、速やかに周辺エリアごと爆滅する手はずになっていた。
しかし、5分を過ぎても一向に報告がこない。
外部から確認しようにも古びた銭湯のくせに、赤外線・Xレイ・ソナー・電磁波・素粒子ビームに至るまで、あらゆる非破壊スキャンを受け付けず、
銭湯の内部を探る手段はなかった。
仮に迎撃されたとしても、心停止を報せる警報が届くはず。
まさかギアを着装した重武装の2小隊12名全員が、
たかが4人に無力化されたとでもいうのだろうか。
「静かだな、流石はヘリオスか。…どうする?」
クロタカの隣にいる覆面をした
このカラスというコードネームの少女とは、
ジュピターで一番長い付き合いで、
離反を決意したクロタカが副長待遇で真っ先に引き入れた相棒でもあった。
「ここで突入すれば、先に送り込んだ隊と同じ結果になるだろう。上空からN2弾頭を一斉射後、バンカーバスターを打ち込む。それで完了だ」
躊躇うことなく、周囲の被害も顧みない戦術をクロタカは口にした。
「それでは周囲が…いや、本気なんだな」
カラスの指示で、潜んでいた2小隊が音もなく浮上する。
「できれば
クロタカは、抜身の両手剣にカバーも付けず、
背後のハードポイントに固定しながら言う。
「滅多なことをいうな、
もしものことがあったら奥さんと娘さんをどうするつもりだ」
覆面の少女、カラスがたしなめる。
「…戸籍上は死別しているからな。娘は…今の俺と会っても『お姉ちゃん』と言うんだ。俺は…俺は、あの子の父親にもうなれない。俺の居場所はジュピターだけなんだ、この改新に心残りはない」
「…死に急ぐな」
「まだ死ぬわけにはいかないさ」
「この改新、成功しても見せしめの尻尾切りは行われるだろう。一部の過激派が先走って武力行為に奔ったと。正直に言うと司令は為政者の器じゃない。その役はお前がふさわしい、クロタカ、だからお前は死んではいかんのだ」
クロタカは熱く語りかけてきたカラスに何も言い返さず浮かび上がった。
相棒の少女は、小さくかぶりを振ると追いかけるように浮かび、先に上昇していた小隊と合流する。
空中に浮かんだ黒ずくめのギアたちが、静かにレールガンを構えた。
「「「カウッ!」」」
強くなりつつある暴風により、発射音すらかき消される。
タイミングを推し量っていたかのように、
赤い光壁がひだまり湯周囲に張り巡らされた。
さらにその周囲を一回り大きな光壁が取り囲む。
N2弾頭の炸裂による衝撃波は、
二層構造の煙突状の光壁により上空に向かって逸らされた。
ドゴォォォォォォォォォォォォッ!
地響を伴う炸裂音と共に、
銭湯および周囲の建物の窓ガラスが割れ、屋根瓦までもが砕け散った。
そして銭湯上空の雲が吹き飛び、天空の穴から暑い陽光が惜しみなく降り注いだ。
「抜刀!」
クロタカの号令でリニアガンを捨てた一団は、一糸乱れず両手剣に持ち替えた。
集団戦を得意とするジュピターは、
ギアのステータス配分も出力や耐久性を重視している。
軽装に区分される
ジュピター仕様は18層のシールド出力を誇っていた。
これは、不沈と呼ばれていたネプチューン提督の
密集状態でシールドを重ねた場合、
200層以上を誇るジュピターは、
こと集団戦に置いて十二氏族最強と言われていた。
ひだまり湯のベランダから
緩やかなウェーブのかかったプラチナブロンドをなびかせ、
人形のような端正な容貌は合わせ鏡のように瓜二つ。
白い耳とシッポが特徴のルイウとルイセだった。
双子たちは、クロタカの一団が反応するよりも早くリニアガンを構え交互に撃つ。
最初の2秒で裏口側のクロタカ隊に、
次の2秒で玄関側のカラス隊に正確無比の三斉射を浴びせていた。
双子が放った超音速弾体は、
襲撃者側の積層歪曲シールドにより軌道を反らせていく。
しかし、アルテミス
弾頭が炸裂した。
それは派手な煙と微小の雲母片状の結晶を撒き散らし、
一帯の視界と索敵機能を瞬時に奪い去った。
「小癪なっ」
咄嗟の判断でクロタカは握る両手剣に意識を集中させた。
ギアに搭載されている通常技や必殺技とは異なる経路で刃が蒼白く輝く。
高位の剣士が操る剣技の中には、己の闘志を練り武装に付与する技がある。
俗に奥義と呼ばれる練達の剣技だ。
一呼吸の間もおかず、蒼光の両剣を横薙ぎに振るう。
剣閃が空間を
チャフが晴れた向こう側には、既に双子の姿はなかった。
替わりに黒髪をなびかせ、霞のようにも見える羽衣を纏ったクナギが迫っていた。
命じるまでもなく、2名の隊員が両側から迎え撃つ。
そしてクロタカは次の奥義のために闘志を練った。
一人が
しかし、クナギはパリイもドッジすら行わず、
滑らかに身体をひねると、わずかな隙間から風が吹き抜けていくように通り過ぎた。
空振りに終わった隊員は、なんとか対応しようと両手剣の勢いを殺そうとする。
だが、意識が追いついてもできる事には限度がある。
控えていた残り4名の隊員が、迎え討とうと前に出た。
穏やかにも見えるクナギの相貌が、一瞬、冷徹な微笑を浮かべた。
「いかん、引けっ!」
意図を読んだクロタカが、思わず声をあげる。
だが隊員は、それぞれ必殺技モーションに入っており、
キャンセルをかけるには遅すぎた。
ひょい。
戯れるように、クナギは腰に構えたはたきを軽く一閃した。
黒髪の少女を中心に、無数の剣閃が360度球形状に放たれる。
本来なら不可視の斬撃が、
積層歪曲シールドとの反応光により無数の流星のように見えた。
その剣技に、クロタカは一人の剣士として感動にうち震えた。
この技こそ
結局は無駄骨に終わってしまったが。
闘志を練る素振りすら見せず、
ノーモーションで最高難易度の奥義を繰り出すクナギに、
クロタカは戦慄すら覚える。
(だがっ、それが何だというのだっ)
心を奮い立たせ、必要な闘志を練り終わらせた。
そして両手剣に意識を集中する。
黄金に輝く光が両手剣に宿り、刃が一層大きくなった。
旧約聖書のゴリアテですら一刀両断できそうな巨剣だ。
遠当てであっという間に部下を気絶させていく。
重い音を立て住宅の屋根を突き破る。
上空にいても微かに聞こえる住人の悲鳴に、
わずかながらクナギの頬が引きつった。
その隙きをクロタカは逃さなかった。
研鑽を積んだ己を信じ、ただ剣を構え距離を詰める。
クナギは、はたきでパリイを試みた。
絶斬により超強化したはたきが、黄金の光剣を受ける。
切り結び合うこと十数回。
はたきが折れ、得物を失ったクナギは、
首を狙う巨剣を逸らすため剣の側面に素手で掌打を打つ。
光の巨剣が大きく弾かれた。
剣圧によりクナギの左腕は、肘から先を消失した。
「これはぁ、ひさびさのぉ、ピンチかな?」
のほほんと独り言を言ったクナギは、止血も行わずに右手を虚空に突き出した。
ギアのストレージに格納しておいた半透明の大太刀が召喚に応じ手に収まる。
準備の良いことに抜き身であった。
クロタカはむざむざと見ていたわけではない。
剣が弾かれた時、ギアの主要駆動部に一瞬にして数十発の遠当てを食らっていた。
衝撃で鋼製筋肉が痙攣を起こしたため、動くに動けなくなっていたのだ。
リブートにかかった時間は数秒程度だったが、
クナギはその間に真の武装を召喚し終わっている。
歯がゆい思いを押し殺し、
網膜投影ディスプレイに心拍モニターインプラントのステータスを表示した。
どの隊員も心停止を知らせてはいないが非常に弱い、
唯一カラスの心拍が高い状態を保っていた。
向こう側のカラス隊も似たり寄ったりの状況なのだろう。
(流石はヘリオスか…。カラス、お前の見立てはいつも正しいよ)
クナギの大太刀が瞬時にして黄金の光輝を纏う。
両名が使用した奥義は、
剣士の強化系奥義最高位の
それを見たクロタカは、これで武器の条件は五分五分かと思いかけ瞬時に訂正した。
(向こうはかの
散歩でもするような足取りでクナギが動いた。
空中戦でそれをするのは、間合いを崩すための
そう判断したクロタカは、パッシブソナーを起動し相対距離を表示した。
まるでその場に相手がいるかのようにクナギは大太刀を振るう。
本来ならとても届く間合いではないが、クロタカは己の勘に任せ巨剣を動かした。
いきなり激しい斬撃が三度、剣を叩く。
既に背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。
これは
伝承に拠れば、月面にまでその刃は届いたという。
最強格の剣士に、無限といっていい程の間合いを誇る魔剣。
これほど恐ろしい組み合わせはないだろう。
「最強と名高い
クロタカは放つ闘志に殺気を移し、気配の分身を作り出す。
さらにブレイブギアに搭載したホロニックデコイが、
光学分身の
「う~ん。それ、ネオンとかトウカが知ったら、激おこしちゃうよぅ……」
ぼやきながらクナギは真っ向から受けて見せた。
殺気と視覚による
クロタカが両手で握る巨剣の打ち込みを、
右手一本で操る大太刀で軽々とさばいていく。
(高い、コイツは俺より遥かに高い場所にいるっ)
切り結び合いながら、クロタカはクナギの技量を認めざる得なかった。
だが…だからこそ…ジュピターに立ちふさがるこの娘は倒さねばならない。
ギィィィィン!
打ち合う愛剣の音に歪みが交じることに、クロタカは気づいた。
ヴァルカンの刀匠クドウムラマサの作を持ってしても、長くは持たないものらしい。
遂に巨剣が柄から少し先のあたりで折れた。
今度はクナギの大太刀がクロタカの首を狙う。
咄嗟に剣を手放し両手のグローブにシールドを集約。
迫る剣筋を白刃取りで受けた。
もし、クナギが片手でなかったら、結果は違っていたかもしれない。
あるいは、クロタカのギアが膂力に勝る
偶然と幸運が重なり、掌から激しい反応光を発しながらも、
クロタカは受けきった。
殺しきれなかった
ギアのヘルメットを割る。
青みがかった濃いグレーの髪がぱっと広がり、クロタカの素顔が現れた。
冷徹な指揮官にして剣豪の素顔は美しい少女であった。
その澄んだ青い目から発する鋭い眼光を、クナギは穏やかな瞳で受け止め言った。
「すごい、すごーい。これより
氏族中の剣士から、畏怖と尊敬を集める
「身に余る光栄に存じる」
死合う最中に称号を与えるなど、
酔狂か馬鹿にされているように思われたが、
クロタカは素直に受け入れた。
あざとい、年中お花畑、ニセ天然などクナギに関する風評は、
見る目がない者が勝手に決めつけているだけの様に思えた。
全力を尽くしてみれば、なる程、
惹かれつつある気持ちを振り払うように、白刃取りを解き下がる。
クナギも追撃することなく同じ様に下がって見せた。
クロタカの頬が急に赤くなり顔が歪みだす。
桜色の唇が恥じ入るように震える。
羞恥心に耐える様に、自棄っぱちな声で
「ドヴェルクに鍛えられし遺産、ひとたび抜けば血を吸うまで鞘に収まらぬ魔剣、その一閃は的をあやまたず、決して癒えぬ傷を残す。我の召喚に応じよダーインスレイヴッ!」
掲げる両手に、天と地から爆ぜた雷光が収束する。
はっきり言って恥ずかしい。
こんな中二臭い
クロタカは、神話の時代に魔剣を鍛えたドヴェルクたちに毒づいた。
本来なら古ノルド語で語りかけねば応えないが、
魔剣の柄に
日本語での召喚が可能となっていた。
魔剣が内包する魔力を吹き出す。
深紅のエフェクトがじわりと柄から滲み出て、クロタカの全身を覆った。
形容しがたい圧を感じたクナギは、無意識に半歩下がる。
「ふぁっ、そ、それは、ま
さかの
喘ぐような声でクナギが言った。
「とある聖剣使いに対抗するため、
ソロで何年か狭間に潜りドロップしたのだ」
「それってぇ…
罪のない
「奴らは所有物を、死ぬまで手放さないからな」
こともなげに言ってのけたが、
大隊規模のブレイブギアが緻密なヘイト管理をしながら行うものだ。
クナギも
しかし友好エネミーを狩る良心の呵責に加え、
龍が潜む狭間深部までのサバイバルと戦闘、
消耗した状態からの帰還の難しさを考えると、とてもではないが見合わない。
「お喋りはやめようか。待っていくれたのだろう?俺のCTが終わるのを」
「ありゃりゃ、バレてたしぃ~」
疾破系、突進系、連撃系、武装強化系…。
クロタカの脳裏に手札となる奥義が浮かんでは消えていく。
対するクナギは、無造作に大太刀を構えていた。
右腕一本では、やはり重いのか、切っ先が大きく揺れている。
(いや、あれも誘いのひとつかもしれん。ならば、普段どおり行くまでだ)
仕切り直しの初手は、クロタカから仕掛けた。
突進の加速と同時に背部ウェポンベイが開く。
数多のショートジャベリンが、青空を覗かせる曇天目指し、
噴煙を上げ飛び出した。
魔剣と大太刀の打ち込み合いが始まる。
撃剣の音が唸る暴風に紛れていく。
N2弾頭の爆風で散った
いつの間にか塞がりはじめていた。
先程打ち上がったジャベリンが空間推進に切り替わり、
ほぼ一瞬で極超音速に加速し急降下する。
クナギはアイスダンスをするような軌道を描き、
クロタカの斬撃を受け流しながらジャベリンを避ける。
地上の路地に刺さったジャベリンは、
衝撃波で電柱をなぎ倒し、住宅を損壊していく。
遠くからうめき声と、子供の泣く声が聞こえる。
「人間を巻き込んだら、おこだよっ!」
「お前が避けるからだっ」
「うわぁ……ドン引きぃ……」
受け流しながらクナギが大太刀の柄で、クロタカの頭を殴りつけた。
堪らず仰け反ったせいで、攻めの流れを途切れさせてしまう。
頭上のジャベリンが、主を守ろうと自立判断を下し、
クナギ目掛け一斉に極超音速で降下した。
すかさずクナギは大太刀を腰に構え一閃。
降り注ぐショートジャベリンを斬り散らしていく。
クロタカは、今が好機と球形状に放たれた斬撃をものともせずに突っ込んだ。
この
実は居合であることまではクロタカも理解していた。
会得に挫折した年月は無駄ではなかったというわけだ。
一閃した居合の因果を捻じ曲げ、全方位に斬ったことにする。
それがこの奥義の真髄である。
その因果干渉中は、さしもの
おそらく硬直状態になっていると踏んでいた。
魔剣を前に構え、放射する斬撃の奥深くに潜っていく。
ダーインスレイヴの深紅のエフェクトと、積層歪曲シールドは、
居合斬りの嵐をよく防いだ。
だがしかし、80層を誇るシールドも、
じわりと減少を続け遂に消滅してしまう。
途端に剣圧が強まり押し戻されそうになった。
(遠い…届かねば負けるっ)
抵抗するように魔剣から発するエフェクトが強くなる。
それも束の間、エフェクトが明滅を繰り返すようになり、突然消滅した。
ギャリギャリギャリッ。
ギアの装甲を削る耳障りな音が、大音響で鳴り響く。
むき出しの頭部を守るため、
ダーインスレイヴを盾代わりに構えながら突き進む。
装甲が砕け手足や胴体に深い裂傷を負う。
(あの絶斬に対し、身体が消し飛ばないとは、俺も相当のものだ)
益体もないことが頭に浮かんだ。
と、同時に斬撃の嵐が止む。遂に懐に入ったのだ。
推測通り、クナギは大太刀を振り切る姿勢で硬直していた。
どうだ
勝利を確信し、ほくそ笑むクロタカはクナギを真正面から見た。
だが、その表情は悔しがるわけでなく、
無念に打ちひしがれるわけでもなく、
わずかに頬が緩み、口元がほころんでいた。
してやったりという笑みを押し殺すように。
一瞬、取り返しのつかない過ちを犯したのかと、
攻める勢いを止めそうになるほどだった。
「貴様のハッタリは見飽きたぞっ!」
残存するギアのパワーすべてを技の発動に集中させた。
清らかな聖剣であるかのように輝きだした。
これはブレイブギアに搭載してある必殺技、
サンライトディスチャージの発動だ。
ギアのアシスト機能によりクロタカの身体は、
セミオート状態で高速乱撃を繰り出していく。
切り下ろしから斜め上に切り上げ、水平に二度斬りつける。
羽衣は見かけによらず思いの外に頑丈だったが、
斬りつけるうちに千切れ、クナギの滑らかな皮膚に刃が食い込んだ。
血しぶきが剣風により血煙に変わる。
フィニッシュブローの発動に集中するため、
もはやクナギの顔を見る余裕はない。
ここまで切り刻まれても、苦痛に耐える呻きは、
クナギから一言も漏れてこなかった。
さらに五たび切りつけ剣を頭上に振り上げた。
これを振り下ろせばフィニッシュブローが発動する。
「魔剣よ、敵を喰らえっ!」
命ずると同時に練った闘志を剣に流し込むと、柄があざ笑うように振動した。
再び深紅のエフェクトが剣から吹き出す。
その禍々しい光は、刃の周囲に凝縮していく。
ようやく硬直が解けたクナギが、大太刀を水平に振り抜こうとした。
それよりも速くダーインスレイヴを振り下ろす。
一瞬にしてクナギの姿は紅蓮の光の中に消えた。
やや遅れてクロタカの腹部が裂け、腹圧により内蔵が飛び出した。
人間より頑強なクロタカであるが、流石に意識を失いそうになる。
主が出血性ショックを起こさないよう、ギアは薬物を自動注入した。
「はぁ、はぁっ、俺が…やったのか。倒したのか……」
頭蓋に埋め込んだ骨伝導スピーカーから、
バイタル低下のアラームが鳴っていた。
ギリギリの勝利だった。
最後は実力というより、
ダーインスレイヴの力に依るところが大きい。
魔剣がなければ、こちらが胴を真っ二つに切られ、
討ち死にしていただろう。
「くーねえっ、くーねえぇぇっ!」
幼い子供の甲高い金切り声がした。
その声は、どことなく
「
柄にもなく、男だった頃の記憶を思い出し、
つい娘の名前を口に出してしまった。
「ぶっ殺してやる。てめぇは、俺が殺してやるっ!」
コマがスラスターを限界までふかし、肉薄してきていた。
感傷に浸っていたため、クロタカは一瞬反応が遅れた。
蒼光のプラズマ光刃が高ぶった感情に同調するように伸びた。
怒りの刃を迷うことなく振り下ろす。
咄嗟にクロタカは、まだ紅蓮の光を灯す魔剣で受けた。
「っらあぁぁっ!」
光剣を受け止められたコマは、空中で身体をひねると、
大胆にも魔剣の刃の腹を蹴りつけた。
消耗しきっていたクロタカは、容易く剣を跳ね上げられた。
がら空きの胴にコマの光剣が迫る。
「ちぃぃぃっ」
深く切りこまれないよう、身体を引いて致命傷を避けた。
思った以上にこの幼い娘は手練だ。
型は無茶苦茶だが、相手を斬るという行為に関してのセンスが非常にいい。
(こいつが
しっかり指導すれば、将来は素晴らしい剣士になると思われた。
(将来の災厄は、いま潰すまでっ!)
掠れる意識を奮い立たせ、すくい上げるように両手剣を上に払った。
コマは避けようともせず光剣の切っ先を向け突進した。
魔剣の軌道をかいくぐるように、コマは身体をねじる。
それでも回避は不十分で、左腕と左足が切り飛んだ。
「がぁぁぁぁっ!」
コマが吠えた。
怒りのためか、あるいは苦痛への呪詛か。
突き立てた光剣は、クロタカの心臓やや下を貫いた。
あとほんちょっと光刃を上に動かせば、いかに鍛えられた剣士でも絶命する。
だがコマはそうしなかった。剣を突き立てたまま気絶していた。
プラズマ光刃の熱伝導により、クロタカの傷から炎が上がった。
コマを引き剥がそうと腕に力を込めるが、
必殺技でパワーを使い切ったギアは、鋼鉄の拘束具のように重い。
クロタカの全身に広がった炎はコマにまで燃え移り、
空色の髪と耳、ぷにぷにした肌が焼けただれていく。
「は、はなせ…ぐっ」
この時点で、コマを保護するために
プラズマ光刃が消失し、消火装置がコマと、ついでにクロタカを泡まみれにした。
「おの…れ…」
小刻みに震えながらも握り固めた左グローブに、刺突スパイクが飛び出した。
気を失ってなお、離れようとしないコマの横腹をめがけ、
鋭利なスパイクを打ち込もうとする。
肉を抉る感触の代わりに伝わってきたのは、
硬い物質に阻まれる感触と鈍い金属音だった。
スパイクは見えない壁に阻まれたように途中で止まっていた。
「っぶねえ、ギリセーフ」
何者かの声がした。
空間に筋骨隆々のシルエットが浮かぶ。
放電に似たノイズが走ると、
ペールグレーのデジタル迷彩に塗装したブレイブギアが姿を表した。
モンドが着装する
ミスリル複合ハイセラミック製の無骨なグローブが、
間一髪でスパイクを受け止めていた。
ひったくる様にコマをさらったモンドは、遁走しようとクロタカに背を向ける。
剣も満足に振るえない状態とはいえ、相手はクナギを倒した剣豪だ。
コマを確保した今、長居する理由はない。
離脱するべく、重力推進を最大戦速で作動させた。
ヘルファイアの前方に重力場が発生し、
モンドは進行方向に向かって落ちはじめようとした。
「ふんッ!」
逃すまいと残った力をかき集め、クロタカは魔剣を振るう。
しかし、ヘルファイアの尻をわずかに削るだけだった。
直後に骨伝導スピーカからアラームが鳴り響く。
パワーを使い果たしたため、ギアの強制解除を行う警告音だ。
身体にノイズが走り、一瞬で軍服風のブレザーの姿に戻ったクロタカは、
髪をなびかせ真っ逆さまに落ちていく。
「
最愛の娘の名を、震える唇が紡いだ。
地面はすぐ目の前に迫っていた。
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