第5章 演習小隊

もうすぐ8月になるというのに、

氏士女ししじょの体育館の窓からは、

こんもりとピンクに茂る桜の樹海を愛でることができた。

これはないな、とコマは思う。


その理由は、第一に今は夏だからであり。

第二に入学式=桜という安直発想が単に嫌であり。

第三に満開の桜で埋め尽くされた樹海は、

実は単一オブジェクトを大量配置しただけの手抜き背景、

という理由からだった。


枝の曲がり方や剥がれた樹皮が寸分違わず同一のため、

一度気になりだすと、次々と手抜きに気づいてしまう。

舞い落ちる桜の花びらは、一見、物理エンジンの演算にみえるが、

ループしたアニメーションを複数重ね合わせ、それっぽく見せたものだった。


氏士女ししじょの授業内容は大別して、座学と演習の2種類に別れている。

座学は、入学式の会場にも使われていた回廊講堂で行う。

演習は地下ドーム全体を使い(VR内では弩級体育館として描画されている)、

6人1組の小隊編成の上、教官が付いて指導するというものだった。


そして今、行われているのは、初回のブレイブギア演習である。

右からコマ、ホタル、モンド、ルイセ、ルイウの順番で一列横隊をつくり

並んでいた。

一名足りないが、とある事情で今は登校できないとのことだ。


ホタルとルイセは、暗黙の内にコマとルイウを近づけないよう気を配っている。

何をするにも小隊単位で行動するため、

二人が争い始めるとカリキュラムが一切進められなくなるからだ。


教官がブレイブギアの起動シーケンスを説明していた。

頭上に手元を拡大表示したスクリーンがポップアップし、

設定手順を実演してみせる。

既に任務でギアを何度も使用しているらしい双星そうせいの双子とモンドは、初っ端から着装を完了させ休めの体勢で待機していた。


ルイウは、カジャスという騎銘のギアを着装している。

上半身は、ドレスを模した装甲にミスリル繊維で織られたドレープと

レースをふんだんに取り入れ、清楚かつ可憐な純白。

下半身のスカート部分は孔雀の羽を織って作り上げたかのような造形と、

瑠璃色に輝く蒼い煌めきを放っていた。

それはまるで歌劇の衣装のような舞踏装束だ。

カテゴリは飛行/甲衣型ドレスであった。


ルイセのギア、ハルヴァは、

姉のギアと見比べると肌の露出が多いのが特徴だった。

中東の踊り子のように、銀糸とビーズを編み込んだエキゾチックなデザイン。

ほっそりしたうなじや、肩、二の腕、鎖骨やおへそまで露出している。

その姿は、サンバカーニバルに出演する小学生ダンサーに見えなくもない。

無愛想な表情と相まって、独特な神秘性を醸し出していた。

カテゴリは飛行/甲衣型ドレスだ。


モンドは、全身をミスリル合金ハイセラミックス複合材の装甲で覆った、

ヘルファイアという騎銘のギアだった。

空戦を意識しているのか、全身ペールグレーのデジタル迷彩を施している。

丸みを帯びた重厚な装甲は古代の闘士を連想させ、

モノアイは赤く輝き、頭頂部には一本のブレードアンテナが付いていた。

カテゴリは飛行/全装甲型フルアーマーだ。


周囲の演習小隊では、設定を完了させた生徒たちがブレイブギアを着装していく。

そんな中でコマとホタルは、早くも落伍しそうになっていた。

やり方が解らないからではない、どうして良いか解らないから焦っていた。


と、いうのも教官が持つギアプレートはタッチスクリーンが付属しているが、

盟姉あねから貰ったギアは、ただの金属の板だった。

これでは既に、スタート地点で挫折したような気分だ。

一体どうすればいいのだろうか。時間だけが無為に過ぎていく。


「それ原器だろ、なんてもの持たせているんだ、お前の盟姉ねえちゃん」

モンドが感心半分、呆れ半分の声を掛けてきた。


「モンド、こいつがなにか解るのか!」


「おうよ、ライブラリのVRでしか触ったことないけどよ、

 黎明期に組み上げられた千年以上前のブレイブギアだ。

 当時は金剛天仙こんごうてんせんと呼ばれていたらしいな」


「教官が持っているのと違いすぎて、わかんないんだ。助けて…欲しい」


「なんて顔しているんだ。教官殿のは第8世代だしな、感応式の原器とじゃ、

 まったく別物だから仕方ねーよ」


見回り中の教官が近づいてきた。

どうやらコマとモンドのことを、サボっていると思ったらしい。

モンドが教官に経緯を説明し、原器の起動をレクチャーすることを志願した。


教官は自身の使い魔を呼び寄せ、どこかと連絡をすると、

一言「許可する」と告げて見回りに戻っていった。


「へへへ、まあ教官殿でも原器を手にしたことがある人は、まずいないだろう」


ホタルも一緒に教えて欲しいと頼み込んできた。

気のいいモンドは二つ返事で応じる。

待機中の双子も気になるのか、

コマとホタルの手元にチラチラと視線を送ってきた。

そのことで、コマは少しだけ得意な気分になった。


「えーと、原器は血の情報を与えて契約を結ぶんだ。

 なんでこんな呪物っぽい仕様なのかというと、

 そもそも金剛天仙こんごうてんせん宝貝パオペエを参考に

 開発されたから…らしい。

 プレートの中央に指を当てて騎銘きめいを呼びかければいいはずだ」


「実は俺たち、騎銘きめいとかいうのを教えてもらっていない……」

コマがしょんぼりと言った。


「ちょっと貸してみ。どこかに記してあるはず…。

 ははーん、エーテルコートで印字してあるな。

 これじゃ肉眼で見えなくて当然だ」


ヘルファイアのモノアイが赤から緑に切り替わった。

非破壊の探査レーザーがコマとホタルのギアプレートをスキャンする。


「いいか、読み上げるぞ。コマのは斑鳩イカルガ

 ホタルは交喙イスカって記してある。これが騎銘きめいのはずだ」


「モンドって、実はすっげえ奴だったんだな」


「本当にありがとう」


「これくらい余裕よゆー。

 なんせヴァルカンは十二氏族と埋葬機関の兵器製造を独占しているからな。

 俺も盟姉ねえさんに、散々しごかれて覚えさせられているんだ」


コマとホタルは埋葬機関の名前を聞いて、表情が暗くなる。

学校で撃たれそうになったことを思い出したからだ。


「コマくん、私たちも起動させよ?」


「だな、周りは殆ど完了しているみたいだし」


気を取り直し、ふたりは神妙にギアプレートの中央に指を当てた。

途端にチクリと指先に針で刺されたような痛みが走る。

思わず指を離すと、小さな血の雫がプレートに落ちた。

その途端、金属の板は心臓そのものであるように脈動を始めた。


「よし、呼びかけるんだ」


モンドが頑張れというように、コマの背中をぽんと叩いた。

コマは一度、ゆっくり息を吸う。そして大きな声で呼びかけた。


斑鳩イカルガッ!」


周囲の小隊が何事かと視線を向けるが、恥ずかしがる余裕なんてなかった。

コマかホタル、どちらかが起動に失敗し続けた場合、

小隊メンバー全員が連帯責任によりカリキュラムを進めることが

できなくなるからだ。

もし、そんな事態になれば、憎たらしいルイウに何を言われるのか、

たまったものではない。


次の瞬間、ずっしりと掌に感じるプレートの重みが消失した。

眩いばかりの光がコマを包む。

メイド服が霧散し、身体にフィットするインナースーツに変わっていく。


ロボットアニメの主人公機みたいな、

スラリとした流線型の部分装甲が腕、胸部、腰、脚部に実体化した。

インナーと装甲は、

白をベースに青系と赤系がアクセントのように配色されている。

ヘルメットは現れず、

代わりにアンテナがついたバイザーっぽい装甲が前頭部に乗っかった。


固定しているわけでもないのに、ズレたり落ちてこない。

最後に翼状のスラスターが背部にマウントし、着装が完了した。

カテゴリは飛行/部分装甲ライトアーマーだった。


「ナニコレ?主人公機ぽくって、かっこいいじゃん」


試しにつま先立ちでくるりと回ってみると、

背部スラスターが勝手に開き、重心が崩れないよう自動調節が働く。


「コマくん、やったじゃない」


ホタルは、自分のことの様に喜んでいた。


「へへ、サンキュ。ホタルもやってみろよ」


「よ、よし、交喙イスカ


コマが光に包まれた着装なら、ホタルは闇の炎に抱かれた着装だった。


闇の炎がギアプレートから吹き出し、ホタルを飲み込む。

メイド服は燃え尽き、真っ白なホタルの髪と皮膚も焼いた。


「きゃぁぁぁぁっ、ってあれ、熱くない?」


真っ黒な灰がホタルの身体にまとわりつき、闇の炎はホタルの両手に凝集する。

それは両手持ちの大鎌に変化し、刃は血を求めるかのように赤く輝いていた。

そして、身体にまとわりついた灰は、衣装の形をとりはじめる。


胸元が大きく開き、

腰部のスカートは股を辛うじて隠す極ミニのゴスロリ衣装だった。

肘まで覆うレース柄の手袋と、黒タイツ、ロングブーツが、

すらりと伸びる手足を覆う。

その上から申し訳程度の面積を覆う胸甲と小手が現れ、着装は完了する。

カテゴリは飛行/甲衣ドレスであった。


「……この格好はエッチすぎじゃない。うわぁ、袖もないから二の腕が丸え…。 もうちょっと私の腕が細かったら、べつに良いんだけど。足だって出し過ぎだし」


頬を染めたホタルが、短すぎるスカートの裾を懸命に伸ばそうとする。

しかし、絹のような手触りのくせに、

まるで鋼鉄で編んだ繊維のようにびくともしなかった。


「いやいやいや~、ゴスロリ似合っているんじゃないかな。な、モンド」


「うんうん、俺、この小隊に入れて幸せ~」


「あなたたちは見なくていいです!」


ホタルの怒気に呼応するかのように、大鎌の刃が不吉な光を強めた。

ゆらり、陽炎の様な漆黒の炎が刃から立ち昇る。


「なんなら、コレの試し切に付き合ってみる?」

コマとモンドは、降参と言わんばかりに両手を上げた。


その様子を冷ややかに見ていたルイウが、手を上げ近くの教官に告げる。


「901演習小隊、着装完了しました」


教官は、機動訓練に移るよう指示を出す。

それを聞いたルイウは、ため息をつく。

ずうっと休めの姿勢で待機していたため、退屈で仕方がなかったのだ。


「姉さん、感じ悪い……」


妹のルイセが、無愛想な表情でたしなめた。

怒っているわけではない、

いつだってルイセは口数が少なく、表情の起伏が乏しい子だった。


「だって待ちくたびれて退屈だったし」


「誰だって最初は大変……」


「あんな化石ギア持ち込んで得意になっているし、

起動を失敗し続けたら、わたくしたちも、とばっちりを貰うところだったのよ?」


ルイセの表情の乏しい瞳がコマを見つめ、微かな明滅を繰り返す。

索敵と分析能力を高めるため、

彼女の両目はカドゥケウス製の魔眼に交換してあった。


こういった技術は、身体インプラント《スキルツリー》と呼ばれている。

――単純な身体能力の向上から特殊な能力の習得まで、体内に装置を埋め込んだり、臓器や組織をつくり変える技術は、十二氏族において一般的に行われていた。


「旧式でも性能面は問題ない…きちんと使いこなせれば……」


「へえ、見るだけで、そんなことも解るんだ」


「量子エネルギーの放射が輝いて見える……」


「ふーん。具体的にはどれくらい強さなの?」


「たぶんパワーだけなら、メイエンの光耀コウヨウと同格……」


「はあ?なんで、あんなド初心者がそんな超級ギアを持ってるのよ」


「私たちも持ってるじゃない。コネで貰った第9世代プロトタイプ……」


「なるほど、あっちも七光ってわけね。

いいわ、どっちが真の実力者かハッキリさせてやるわ」


 拳を握りしめ力強く語る姉を、妹は半眼の目で見つめた。


「張り合わなくていいのに……」


「あいつに恥をかかされたのよ!」


 やれやれ、これは重傷だ。なんで姉さんは、あの子に執着するのだろうか。


「…頑張れソラネコ……」


 特に意識しないまま、ついルイセは口に出してしまった。


「誰よそれ?」


「あの子、頭が空色……」


そう言ってルイセは、コマを指差して見せた。


「ルイセ、まさか…」


ルイウは、ゲテモノ食いを見る目で妹を見る。


「何のこと……」


妹は無表情で小首をかしげてみせた。


当の本人は、ホタルがぶん回す大鎌を避けるのに忙しく、

双子が向ける視線にまったく気づくことはなかった。


                ※ ※ ※


全員が着装完了したことで、

コマたち901演習小隊は、次のカリキュラムに移行することができた。


ブレイブギアは得意とする地形があり、

それぞれ飛行/地上/水上(水中)に区別されている。

どのカテゴリでもギアの推進主機関には重力制御を用いるのが一般的だ。

その中でも、制御が難しいと言われているのが飛行タイプだった。


空中に浮かぶためには、

まず頭上に適度な重力を生み出し、直上に落ちていく必要がある。

さらにこの状態で、進みたい方向に重力を発生させれば、

宙に浮いたまま進行方向に引っ張られ、『飛ぶ』ことができる。


しかし実際は、浮遊・推進の他、

姿勢制御においても複数の重力場を発生・制御しなければならないため、

習熟には訓練が必要だった。


「ひぃぃぃぃ、たすけて~」


コマが、自己発生させた強すぎる重力に引っ張られ、

体育館天上に向かって落ちていった。


「重力制御を切れっ」


見かねたモンドが声を出す。


「んなこと言われたってぇ~、へぶっ!」


天井手前に張り巡らした緩衝シールドに、コマは顔面からぶつかった。

今度はゴムの様な弾力あるフィールド膜に押し戻され、墜落していく。


「ひぃぃぃぃ、たすけてぇぇぇぇっ」


そのまま床の手前に張り巡らした緩衝シールドにぶつかった。

何度かバウンドし、仰向けで失神する。

モンドは「大丈夫か」と降下し、

浮かぶだけで精一杯のホタルは、「きゃぁぁぁコマくん!」と叫ぶ。

双子は8の字や宙返りを軽々決めながら「無様ね」「………」と締めくくった。


周囲の小隊も緩衝シールドに跳ね上げられたり、

床で失神していたりと、コマと大差ない状況だ。


今、体育館に無傷で浮かんでいるのは、

教官と経験者組を除けばホタルだけである。

もともと感応式制御に先天的な適性があるのだろう。

こうしている間にも僅かながら、上昇と下降を行えるようになっていた。


扱いが困難な原器を、

早くも制御下に起きつつあるホタルを見て、

双子たちは声こそ出さないもの、称賛の視線を送った。


                ※ ※ ※


ひだまり湯には、小さな食堂が併設してある。

四人掛けテーブルが六つ。

隅には、磨かれ大切に使われている柱時計が時を刻んでいた。

明治初期、お抱え外国人技師の屋敷だった頃から、

この柱時計は住人たちの為に時を知らせてきた。


ボーン、ボーン。

午後2時を知らせる鐘が鳴った。

ランチタイムが過ぎた小さな食堂は、

コーヒーを手に談笑する常連客が一組いるだけである。


洗い場に溜めておいた食器も洗い終わり、

クナギは角の席で小休憩をしていた。

そろそろ氏士女ししじょから帰ってくる盟妹いもうとたちのために、

昼食をつくろうと腰を上げる。


頭の中で、消費期限が近い食材と余剰食材をリストアップしメニューを考える。

あまった野菜とエビのコンソメ風味スープと、

ミートオムライスが思い浮かんできた。


特注であるアダマンタイト製調理台に、比較的キズが少ないまな板を置く。

冷蔵庫から豚肉を出し、洗った野菜を水切り籠に入れ、調理台に運んだ。


手際よく包丁代わりの新聞紙を丸め、野菜の皮とヘタを取り除く。

トントンと軽妙な音が響き、あっという間にカット済みの野菜と、

手作りミンチが出来上がった。


「ちゃんと包丁使って、食べさせてあげたいなぁ」


クナギは恨めしい目で、調理場の隅にある厳重に施錠された棚を見た。

鎖を巻いた檻の中に、まるで金庫の頑丈そうなガンロッカーが鎮座している。

その中にはクナギが苦労して集めた古今東西の業物包丁が保管してあった。


盗難を恐れ厳重に保管している訳ではない。

とある事故を起こしたことで、所有する包丁類はすべて封印されたのだ。

今となっては、ルミの許しなく包丁を握ることは望めなかった。


「くすん、私って可愛そう……」


スープを注いだ寸胴鍋、ソース用と具材用のフライパン、

そして中華鍋をコンロに乗せて火を入れた。

ほれぼれするような手際でフライパンの具材が熱々のソースに仕上がり、

挽き肉入りケチャップライスを中華鍋に投入し、ふわふわの卵に包んでいく。

寸胴鍋からコンソメと野菜の優しく甘い香りが立ち始めた。

スープは煮込んでおくため、とろ火に落とす。


10分も過ぎない内に、食堂の隅のテーブルは、

二人のためにつくった昼食が並んだ。

料理にラップをかけると、クナギはまた暇になる。


こういう時に限って、包丁を封印したガンロッカーが気になって仕方がない。


「だめ…ダメ絶対。勝手に包丁を使ったら…ルミに、ルミに怒られるから~」


ふるふると胴体ごと首を振ると、長い髪と豊かな胸が生き物のようにうねる。

客は一瞬だけ視線を向けるが、クナギの独り言とあざとい仕草に慣れているため、いつものことだと優しくスルーした。


『お盟姉ねえちゃん大好き』


ふと、クナギの脳内に、ニッコリ天使の笑顔で微笑むコマが浮かび上がる。


実のところコマはクナギのことを『くーねえ』と呼ぶ。

いやクナギからお願いして、そう呼んでもらっているのだが、

シンプルに『お盟姉ねえちゃん』にしておけば良かったと、

最近は後悔するようになっていた。


その為に、包丁を使った料理を食べてもらおう。

そして、もう一度お願いしよう。

『ねえコマくん、お盟姉ねえちゃんって言ってみて』と。

(なんて完璧な作戦。これなら自然な流れで、

さり気なくお願いできるではないか)


包丁を握って料理をつくりたい欲求と、

盟妹いもうとを溺愛する感情で一杯になったクナギは、

熱に浮かされたように厨房に向かう。


震える手で、エプロンのポケットからバターナイフを取り出した。

バターを切り取るための刃のない薄板が、

檻に巻き付いた鋼鉄の鎖をやすやすと切断した。


クナギは一瞬ためらったもの、檻の鍵もナイフで破壊し開く。

そして、バターナイフをガンロッカーに向け、一刀両断に振り下ろす。

ダンボール箱でも切るように、鋼鉄が裂けた。


この切れ味は絶斬ぜつざんによるもの――

十二氏族の中で、クナギだけが持つ天恵アビリティだ。

棒状の物体を握って振った場合に発動する。

ただし、ロープのような物体や、スポンジの様な柔らかすぎる素材では

発動できない。

効果は強力な斬属性の付与。

ただの棒が名刀の如き切れ味を発揮し、

百円均一のカッターナイフが伝説の剣のごとき威力をふるう。

なまじ戦闘で真剣を振れば、空が裂け、ビルが切り飛び、山が割れる。

しかしストローや丸めた新聞紙など元が脆弱な場合は、

そこまで斬属性ブーストの恩恵を受けられず、

せいぜい切れ味の良い刃物止まりである。


この呪いのような天恵アビリティのせいで、

髪をとかすブラシや歯ブラシ等を、わざわざ柄を切り落として使っており、

生活は不便を極めていた。

突き刺す行為では絶斬ぜつざんは発動しないため、

食事は専らフォークか、(めったにやらないが)手づかみである。

戦場では超大物を相手にしない限り、ハタキを持って出ることにしていた。

それ位の得物でないと、うっかり斬りすぎてしまうのだ。

味方とか、野次馬とか、街とかを。


「包丁を使ってコマくんに、お盟姉ねえちゃんって言ってもらうんだ。えへっ、えへへへっ」


クナギは、一番のお気に入りである関の鍛冶師が打った包丁を手にとった。

光にかざし刃文を浮かび上がらせる。

キラリと涼しげに白く輝く様は、波飛沫のようだ。


(加減さえ気をつければ大丈夫、私ならできる。

だって私は、コマくんのお盟姉ねえちゃんだもの!)


破綻した理屈が、根拠のない自信を支えていた。


「くーちゃん、お勘定してねー」


常連客の声が、クナギを現実に引き戻す。


「ひゃっ」


びっくりして、反射的に包丁を隠そうと手が動いてしまった。

乾いた金属質の音を立て、調理台の角に刃が当たる。

超硬を誇るはずのアダマンタイトが、

紙を切り裂くように容易く切れ落ち、厨房の床に傷をつけた。


「ひゃっ、壊したのバレたら、またルミに怒られるぅ……」


クナギのネコ耳がぺたりと平ぺったくなった。


「くーちゃん?おーい、お勘定してよー」


「はっ、はぁーい。いきますー」


気を取り直し、調理台にそっと包丁を置いたクナギは、

パタパタと靴音をたて、常連客が待つレジに向かっていった。


                ※ ※ ※


ひだまり湯の倉庫から、なまめかしい喘ぎ声が漏れていた。しかし、人の気配は見当たらない。

蒸気が通る配管の放射熱で乾き始めたモップの臭いと、

隣接するボイラー室からの低い作動音が微かに響くのみだった。

最初は微かに聞こえた声が、徐々に聞こえるようになってきた。

そう、倉庫の床下からはっきりと、反響音を伴って――


「コマくん、キツイ…お願いだからっ…早く…イッてよ……」


「まって…もう少し…もう少しっ」


「うっ…もう私ツライ…休んでないで…イッて…はやくっ」


「俺もっ……くっ…」


「バカッ、ガマンしてよ…責任とって…くれるの?」


「責任…とれ…ない」


「最…悪…」


「しょうが…ないだろ」


「責任とって…よね…私が落ちたら責任とってね!」


「やなこったっ、くっそぉぉぉっ」


床に偽装した隠しハッチが勢いよく開き、小さな手が突き出た。

疲労困憊というていで、まず最初にコマが這いずり出る。

次いでホタルも息を切らしながら出てくる。

二人は体が汚れるのもかまわずに、倉庫の埃っぽい床に仰向けになった。


「あの飛行演習の後に、このハシゴは地獄すぎる」


「この際だから特訓だと思えば?」


「それ、前向きすぎぃ」


ぐぎゅるるるるるるるっ。

 コマとホタルのお腹が仲良く鳴った。


「…腹減ったな」


「…うん」


 拠点の仕事や任務に支障を来さないよう、

氏士女ししじょの授業は午後2時で終わる。

昼休憩をつくるとカリキュラムを消化しきれないため、

生徒と教官は時間までぶっ通しで授業を続けていた。


一息ついた二人はノロノロと起き上がり、メイド服のホコリを払った。

疲労困憊の足取りでバックヤードの通路を抜け出た。


番台から、「おかえり」と声がかかる。ルミが手招きをしていた。


「「ただいまぁ…」」


二人は仲良し姉妹の様に、きっちりそろって声を出す。

ゾンビみたいな足取りで番台にたどり着くと、

コマとホタルの頬にひんやりとした物体が押し当てられた。

ペットボトルに詰まっているミネラルウォーターは程よく冷えており、

授業とハシゴ昇りで火照った体に、染み入るような冷たさが気持ちよかった。


「いただきます」


「いいの?ありがとう」


コマとホタルは喉を鳴らし、あっというまに飲み干した。


「生き返った……」と、コマがしみじみ言うと。


「水が…水が美味しい」と、ホタルが感動した。


そんな盟妹いもうとたちを見て、ルミの頬が緩む。


「今日は、大変だったみたいだな」


「そうなのルミ盟姉ねえさん、初めて飛んだんだから!」


ルミがホタルの唇に、人差し指を優しく当てた。


「ストップ。お客がびっくりしちゃうから、そういうの夜まで我慢な」


「あ……はーい」


ホタルは会話を続けたそうに、口をアヒルっぽくする。


「わかるよ。あたしも最初はそうだったし」


「ルミ盟姉ねえさんもそうだったの?」


「ああ、もちろんだとも。コマは…その顔じゃ聞くまでもないな」


むくれているコマを見て、ルミは苦笑した。


「コマくんは、大変だったもんね」


「………」


ぐぎゅるるるるるっ。

返事の代わりに、可愛らしいお腹から、思いの他大きな音が鳴る。


「あはははっ、食堂に行って来いよ。くーが何かしら用意しているはずだ。

一息ついたら、汗もながしておけ、臭うから」

ルミのセリフにはっとして、ホタルが自分の腕をスンスンと嗅いだ。


ギャリリリッ、ドッシャァァァァァァン!!


突然、硬質の物体を切り裂く音と、

重量物がひっくり返る重低音が相次いで奏でられた。


「きゃっ!」


「ひぇっ!」


「なんだっ!」


ホタル、コマ、ルミが三者三様の反応を示す。

それどころか、剣呑でない音を聞かされたお客たちが、

女場からタオルを巻いた姿で出てきた。


「ルミちゃん、いったい何があったの?」


「やだ、地震?」


「最近よく起きる、セラなんとかじゃないでしょうね?」


詰め寄るタオルを体に巻いたご年配方で、

番台はたちまち桃色とは言い難い色に染まる。

鬼気迫る雰囲気にコマたちは、ひょぇぇぇぇっと首を縮めネコ耳も倒し、

様子を伺った。


「あっはっはっは、違うって。

うちのくーが、鍋とか食器とかひっくり返したみたい。

危ないことはないから、ゆっくりつかってきてね。

ここで肌を見せると、旦那方が興奮しちゃうよ」


ルミが何でも無いというように笑って切り返す。

それを聞いたご婦人方は、ひとしきり爆笑した後、

オバちゃんトークを撒き散らしながら女湯に戻っていった。


「こんな垂れたのじゃ、男の人は物足りないだろねぇ」


「うちの人なんて、ブルーレイ何枚も隠し持ってるのよ、やーね」


「未だにうちの旦那なんか、財布の中にゴムいれてさ、ったく歳を考えろっての」


あけすけなプライベート暴露しちゃってますトークを聞かされ、

コマとホタルは聞いているだけで、そわそわしてしまった。


「まさか、くーのヤツ……」


靴を履くのももどかしいらしく、

コケティッシュな黒エナメルのパンプスを手に持ったまま、

ルミは番台を飛び出した。

そのまま白いソックスが汚れるのも構わず食堂に駆け込んでいく。

親ガモについていく子ガモみたいにコマたちもくっついていった。


厨房は、無残にもみじん切りになった調理台と、

床に散らばった食材で惨憺たる光景を呈していた。


その惨状の中、クナギは右手に包丁を握ったまま、

何かを切っていた最中の姿勢で固まっていた。

「…どうしよう」「…ルミが」「…隠さなきゃ」

「…ルミが」「……逃げよう」「……ルミが」

尽きることのない独り言の二言につき一回、ルミの名を口にしている。


「あたしがどうしたって?」


ルミの声はクナギの甘いソプラノに比べると、抑えたアルトの声質だった。

感情を抑えようとしているのか、声音がいつもより抑揚に欠けている。

緋色の三角耳は感情を表すようにピンと立ち、シッポの毛も倍に膨らんでいた。


「ひゃいっ、るっ、ルミさん!いつからそこにいらしゃいましたか」


びくーんと反応したクナギが、上目遣いでルミを見た。


「お前が、『どうしよう…ルミが』って言ってるあたりからだな。

女湯のお客さん、びっくりして裸のまま出てきちゃったぞ。

そんなことしたら、どんな事になるか、くーが一番解ってるはずだろ。

なぜ包丁の封印を解いた?」


「コ、コマくんに、お盟姉ちゃんと呼んでもらいたくて……」


「はぁ?」


「…じゃなくて、包丁を使った料理を…コマくんに食べて貰いたかったの……」


おずおずと、クナギが白状をする。


「つまり…渾身の料理を食わせて、コマの胃袋を掴んだ後に、

『これからはお盟姉ねえちゃんと呼んでね』とお願いするつもりだったと」


ルミは頭を抱えながら言った。


「……そんな感じ……ごめん」


すっかり耳とシッポがしおれきったクナギは、

みじん切りになった調理台の残骸の上に、そっと包丁を置いた。

刃こぼれ一つなく、とてもアダマンタイト鋼を切り裂いたとは思えない滑らかな光沢を放っていた。


「ホタル、コマ、お前たちは、あたしの部屋に包丁を全部運んでおいてくれ。

あたしゃ番台に戻らないと。くーは、片付けたらホノカを呼んでおくように。新しい調理台と、ボイラーの水位計を見てほしいって伝えてくれ」


「まってルミ、あ、あのね。

今度はオリハルコン合金製だったら大丈夫な気がするの…」


「高いから却下、なるべく安いステンレス製の中古を探してもらえ、いいな」


「……はぁーい」


しょんぼりとクナギは、床に散らばった食材を、拾いはじめた。


コマとホタルは、無残に破壊されこじ開けられたガンロッカーの中から、

何十本もの包丁を取り出していく。

ホタルが倉庫から空きダンボール箱を持ってきて、二人でせっせと詰め込む。

ときどきクナギは、切なそうにダンボール箱に視線を送っていた。


コマは先に二階に上がり、両手のふさがっているホタルの代わりに、

ルミの部屋のドアを開けて待つことにした。


ベッドと机、クローゼットや姿見は、

コマの部屋と同じものだったが、壁一面を大きな書架が占めている。

その蔵書の量に圧倒され、ぽけーと見とれているうちに、

ダンボールを抱えたホタルが部屋に入ってきた。


「クナギ盟姉ねえさん、ちょっと可愛そうだったね」


「そうだな。しっかし、あの鍛冶にも使えそうな調理台が、

ものの見事にみじん切りとは。本当にあれは包丁一本でやらかしたのか」


「ねえ、覚えてる?学校の屋上で機関の人が発砲したとき、

ハタキの一振りで弾と銃身をバラバラにしちゃったじゃない。

クナギ盟姉ねえさん只者じゃないよね……あざといけど」


「誰にでも玉にきずってのがあるんだろ。

あとレールガンは発砲じゃなくて発射な。

それと発射体と発射体加速装置って名称だから」


「そんなのどうでもいいじゃない。

あの時、盟姉ねえさんたちが来なかったらと思うとぞっとするよ」


ホタルは、邪魔にならないよう部屋の隅にダンボール箱を置いた。


ぐぎゅるるるるるっ。


「くっ、もう俺はダメかもしれない……」


「はやく行こうよ。行き倒れる前に……」


仲良く同時に腹が鳴くと、

もう限界だと言わんばかり二人は食堂に駆け足で向かった。


                ※ ※ ※


電子レンジで温め直したミートオムライスを夢中で頬張っていると、

クナギがスープカップとグラスに注いだアイスコーヒーをトレーに乗せてきた。

表情に少し陰りはあるが、漆黒のネコ耳はピンと立ち、

シッポもくねりくねりと機嫌よく動いている。


「二人ともごめんね、疲れて帰ってきたのに巻き込んじゃって。

はいこれ、まかない風コンソメスープでーす」


たっぷり刻んだ根野菜に、小さめのエビのむき身がぷかりと浮かぶ。

まかない風ということは、消費期限の近い食材や、

端材となった野菜を元につくったからだろうな。

そうコマは思いながら、息を吹きかけ口に含む。


「あ、やさしい味がする」


「本当だ、ファミレスのスープとは違うねえ」


コマの感想に、ホタルも同意した。


「へへへ、そう言ってくれると嬉しいな。

煮干しとえのきで出汁をとって、みりんを加えてあるんだ」


クナギがコマの隣に座ると、

自分の分として持ってきたアイスコーヒーを飲みはじめる。

ストローは使わず、苦味とコクを楽しむかのように、グラスに直接口をつけていた。


「くーねえ、いったい何をやったら、調理台があんな細切れにできるの?」


口の端にミートソースを付けたままコマが聞いた。


「うう、それはそれは、深い事情というものがありまして。デキレバフレナイデ」


クナギは卓上の紙ナプキンを一枚抜き取り、コマの口元を拭いながら言った。


「裏声つかわれても気になるよ。事情ってなに?」


今度は卓上の割り箸入れから一本引き抜くと、

楊枝入れから爪楊枝も一本取り出した。


「それはね…つまり、こういうこと」


左手で持った割り箸目掛け、右手に持った爪楊枝を一閃してみせる。

パシッと乾いた音とともに、割り箸の先がテーブルに転がり落ちた。


「えっと、割り箸を折るマジックとか?」


いまいち状況を飲み込めないコマは、ありきたりな発想を口に出した。


「マジックじゃないと思う。よく見て、割り箸が鋭利な断面で切れてるよ」


ホタルが指摘する通り、

精密切断用のノコギリで切ったよりも鋭い断面になっていた。


「絶斬という天恵アビリティを持つ私は、

棒状の物体を振ると凄まじい切れ味を発揮させちゃうの」


「マジで?」


「超マジなのです」


コマの問いに、クナギは強調して同意した。


「あ、今更だけど、

クナギ盟姉ねえさんって、お箸使っている所を見たことないかも」


「うん、お箸は危ないから、特性のフォークとスプーンを使ってるよ」


「歯を磨く時は?髪はどうしているの?」


歯磨きすらサボることのあるズボラなコマに比べ、

身だしなみに気を使うホタルとしては、気になる話題のようだ。

興味津々で身を乗り出している。

コマはガムシロップのポーションを3つも入れ、

紙ストローでかき混ぜると、美味しそうにアイスコーヒーを飲みだした。


「えっとね、そのままの歯ブラシだと、うっかり口の中を斬っちゃうからね、

指にはめるキャップ歯ブラシを特別に作ってもらっているの。

髪をとかす時もね、

柄を切り落としたブラシを和櫛のように持って使ってるんだー」


いつにもましてニコニコと話す。

苦労していることを聞いてもらえるというのは、クナギにとっても嬉しいらしい。コマも無関心を装っているが、三角の耳はしっかりクナギの方向を向いて、

ピンと立っていた。


「け、結構、大変なんだね」


追従ついしょうではない、本心から大変だとホタルは思った。


「そうなの。丸めた新聞紙でやっと包丁くらいの切れ味だから、

発動条件を満たすことがないよう徹底しようとすると、

生活がとても不自由になっちゃうんだよね。

はぁ、包丁のコレクションは増えていく一方だし、

手に持てば何でも切り裂いちゃうし。

私にとって絶斬ぜつざんは、呪いそのものなんだよ」


よよよと、泣く仕草をしながら、クナギは残りのアイスコーヒーを飲み干した。


「ぷはー。ねえ食堂は一旦、中休みになるの。

これからみんなで、お風呂入らない?」


「えっ、くーねえとお風呂……」


中身は高2の男子であるコマは、つい頭の中で想像が膨らんだ。


「ねぇコマくん、いまエッチなことを考えていたでしょ」


ホタルがイジワルな笑みを浮かべて言った。


「げふっ、しっ、してない、してない」


「へぇ?コマくん、おっぱい星人だし嘘っぽいなあ」


「おい、いつまでそのネタを引っぱ……」


コマが反論しようと口を開いた時、上空から空気を裂く爆音が轟いた。

店中の窓ガラスがビリビリと鳴る。

川を渡った先に航空自衛隊の基地があり、ときおり訓練機T-4戦闘機F-15の飛行音が聞こえてくることはあるが、

ここまで大きな爆音は、コマとホタルは初めてだった。


「おおっ?」


「な、なに、なに?」


「あー、誰かが飛んできたんだねえ」


クナギだけが慌てることもなく、

食べ終わった食器をトレーに乗せながら言った。


「へ、とぶぅ?」


「そう、遠くの拠点の子が、わざわざお風呂に来てくれるんだよー。

ヴァルカンのホノカなんて、ホームが福岡なのに、よく来るんだ。

先に入っておいでよ、後からお盟姉ねえちゃんもいくからね」


食堂を出て女湯に向かう途中、木製の木戸がガラガラと音を立てて開く。

緩やかなウェーブがかったプラチナブロンドの髪と白いネコ耳を持つ、

そっくりな容姿の少女が二人、後ろの人物を守るように入ってきた。


そのディアンドルという民族衣装をベースにした水色制服は、

見間違えようがなかった。


「うげぇ、ルイウじゃん」


「うわサイアク、コマがいるし」


出会ってコンマ5秒で、ぐぎゃるるるっ、

と犬歯をむき出しコマとルイウは威嚇し合った。


「あ、ルイセやっほー」


「こんにちは……」


その横では、ひらひらと手を振ったホタルがにこやかに声をかけ、

ルイセは抑揚のない声で無愛想に応じる。


ルイウとルイセの背後にいた見知らぬ三人目の少女が、

コマと唸り合うルイウの三角耳をつねりあげた。


「あらあらケンカは、めっですよ?」


この少女だけ橙色の制服ディアンドルを着ており、

愛らしい外見に反して、王者のような風格さえ感じられた。


「いたたたっ、しないっ、もうしないから、離してっ」


ルイウが白旗を揚げると、少女はすぐに手を離す。

勝ち気なルイウの手綱を容易くとった少女に、コマは興味が湧いてきた。

思わずじっと見つめ観察してしまう。


「あっ、この人だけカスタムカラーの制服…ひょっとして…」


ホタルは何かに気づいたようだった。


「こっち、アルテミス団長のメイエン……」


ルイセが棒読みの口調で、そっけないくらい簡潔に紹介をした。

慈愛に見落ちた柔和な表情と、腰まで伸ばした淡いグリーンの髪は、

ファンタジーに登場する樹木精霊ドライアードのようだ。


メイエンの身長もコマと似たりよったりのため、

おそらく130センチ前後だろう。

髪の両サイドをペールピンクのリボンで結わえ、房のように垂らしている。

閉じたままの瞳は、

コマが見つめていた限りでは、一度たりとも開くことはなかった。


「わたしの盟妹いもうとたちがお世話になっています」


新緑色の髪を持つ盲目の少女は、

スカートの裾をつまみ流れるような動作で、優雅に膝を折りお辞儀をした。

その立ち居振る舞いがあまりに様になっており、

コマだけではなく、元女子ピュアであるホタルまでもが見惚れてしまう程だった。


「きゃあ、メイエンじゃない。来てくれたの」


コマの背後から黄色い声がした。クナギの声だった。


「くーちゃま、ずっと会えなくて寂しかった!」


盲目とはとても思えない足取りで、

ててて、とメイエンが駆け出し――こてん。見事にすっ転んだ。

宙に浮いた小柄な体をクナギが受け止め、

二人は何年も会っていなかったように抱きしめあった。


「すげえ豹変ぶり…」


「…変わった…団長さんだね」


コマとホタルが唖然と見つめる中、

ルイウがやれやれと言わんばかりにため息をついた。


「先月もパジャマパーティーしたらしいわよ。

事あるごとに、あんたのトコの隊長に会えなくて寂しいだの、

会いたいだの、まったく乳離れ前の子猫かっつーの。

いっそ、ここに住み込んで、あーみんず・ろっじに出勤すればいいのよ」


ひだまり湯に限らず、十二氏族は各自で経済活動を行っており、

アルテミスは再開発化した丘の上で『あーみんず・ろっじ』というパティスリーを運営している。


アルテミスの氏族は、白いネコ耳とシッポ、

平均身長130センチ台という小柄な体躯が特徴だ。

手先が器用で俊敏な身のこなしと銃器の扱いに長けている。

そのため構成メンバーの殆どが狙撃士スナイパー

偵察狙撃士スカウトスナイパーを占めており、

長距離射撃特化の氏族として名を馳せていた。


「そんなことしたら、ルイウ姉さんサボり放題」


無愛想かつジト目でルイセが言った。

姉に対し不満に思っていることは、色々と多そうだ。


「う、うるさいな。ちゃんと今日は護衛しているでしょ」


「ほんとそれ、明日は熾天使が編隊を組んで襲来してきそう……」


そう言いながらルイセはホールのど真ん中で、

ディアンドルの胴衣の紐に手をかけた。

全員がきょとんと見つめる中、胴衣が床に投げだされ、

ブラウスも脱ぎ捨てる。

そしてスリップの肩紐に手をかけると――。


「ちょ、ちょっとストップ!何をしているの」


慌てたルイセが制止に入った。


「何って…お風呂入るから脱ぐ……」


「ここはアルテミスじゃないからねっ、銭湯は脱衣所で脱ぐものなのっ」


ルイウが脱ぎ散らかした衣類を拾い、

上半身はスリップ一枚だけになった妹を促し、

女湯の暖簾をくぐっていく。

『支払い、メイエンやっておいて』と、脱衣所からルイウの声が聞こえてきた。


「あらあら、二人ともマイペースさんねえ。そこが可愛いんですけれど」


のんきな口調でメイエンが言う。

護衛対象を放置して先に風呂にいったことに対し、

特に何も思っていないようだった。


「だよねー。盟妹いもうとって可愛いよねー」


同意するクナギに、メイエンが微笑み、わがままボディの豊かな胸を突っついた。


「くーちゃまが実の盟妹いもうとを作るなんて……。

私だけじゃ、もの足りなくなったのかしら」


「やん、くすぐったい。

コマくんには運命を感じちゃったというか、ビビッと来たものがありましてぇ」


クナギが左右に体を捻じり身悶えをする。


「運命ですか…妬けますわね、今夜は寝かせませんよ?」


「あん、今夜って…明日もお店があるでしょ?

あの子たちだって、氏士女ししじょの授業が……」


「ここから出勤と登校はできますでしょ?そうだ、くーちゃまもお風呂に入りませんこと?よろしかったら盟妹いもうとさんたちもご一緒しましょうよ」


そう言ったメイエンは、愛くるしい笑顔を浮かべてみせた。


             ※ ※ ※


まだ人間だった頃、コマこと佐々木コウマは高校二年生の男子だった。

家族構成は父と母、そして妹がひとり。だんだんと男としての自覚を持つにつれ、母親や妹と風呂に入ることを避けるようになったのだが、

小学校低学年くらいまでは、母や妹と一緒に風呂に入ったものだ。


(はて、いつまで一緒に入ったのだろう)


コマは目の前に広がる肌色成分の洪水に溺れそうになりながら、

現実逃避気味に記憶を手繰り寄せた。


(中学は一人で入っていたから…たぶん小学校四年生までだったか?)


左肘にホタルの腕が触れる。

ぴたりと吸い付きそうな、柔らかな皮膚の感触にパニクりそうになった。

反射的に右側に逃げようとすると、今度はルイセの華奢な骨格が、

コマの右腕に当たった。


(何でこうなっちゃったのかな……)


コマは心の中で自問を繰り返す。


ひだまり湯では、タオルを付けて湯に入るのは厳禁である。

波打つ湯船の水面越しに見えるホタルや、

クナギのまろやかな身体を意識しないよう手早く身体を洗うと、

浴槽の隅っこで浸かったのだ。


だがしかし、元男子モデュレイトのコマに対し、

ホタルは無防備にもコマのすぐ左隣に入ったではないか。

それどころか挟撃するように、右隣をルイセが埋めた。


正面ではクナギとメイエンによる擬似姉妹組が

いちゃこらとスキンシップをしており、これはこれで目に毒だった。

ルイウはそんな状況に置かれたコマを、

ひとり離れた位置で湯に浸かりニヤニヤと眺めている。


顔全体が火を吹き出しそうに熱いのは、

なにも湯に浸かっているせいだけではない筈だ。


「あのさホタル、お客さん殆どいないし、

広々と入ったほうが気持ちよくないかな」


「ええっ、どうしてかなあ。コマくんは私との裸のお付き合いはイヤなの?」


「おまっ、お前なあ、だって俺……」


ちゃぷん、ぴとっ。ぐいぐい。

右腕および右肩にかかる触感的圧力が、

華奢なルイセの存在を盛大に意識させてきた。


「ソラネコのお肌、メイエンより気持ちいい……」


うっとりとした声音でそう言うと、ルイセは寄り添うように体を預けてきた。


「どれどれ、本当だぁ、モチモチすべすべー」


ホタルまでもが、身体を寄せてきた。

ふわりんと、石鹸の香りが両側から漂い、優しい香りに包まれる。


(これが両手に花というヤツか……)


こういうシチュエーションは、

ラブコメかエロゲの中だけと思っていたコマにとって、

いざ当事者になってみれば、

やたらと緊張を強いられるだけの苦行でしかなかった。


(まてまて、女女女でも両手に花と言っていいのだろうか?

でも俺は元男だしなぁ……)


益体やくたいのないことを思いながらも兎に角、

二人には皮膚接触を遠慮してもらおうと考えをまとめる。

この継続的な刺激は、お湯で血の巡りが良くなった鼻腔に大変宜しくない。


「ホ、ホタルさん、ル、ルイセさん、あ、当たっていますよ」


嬉しくないわけではないが、

羞恥心の方が上回り、コマの声はどうしても震えてしまっていた。


「当たるって、なんのことかなー」


「変なソラネコ……」


ホタルはネズミを玩具にするネコの様な目で、

ルイセは無愛想かつ冷静な目でコマを見つめる。

その距離が近すぎて、ますます意識をしてしまい顔面が熱くなっていった。


何でも良いから、世間話か何かで気を紛れさせないと、

脳がオーバーヒートしてしまいそうだった。


「ソ、ソラネコって俺のこと?」


翡翠色の瞳で、じっとコマを見つめるルイセが頷いてみせた。


「うん、あなたの髪と耳は大空の色だから……」


「大空か、ルイセたちは飛ぶの上手いよな。

俺なんて天井にぶつかって、

床にぶつかっての繰り返しで演習が終わっちゃったからなあ」


今日の醜態を思い出すと、

コマの体内の脈打つような鼓動が僅かながら収まってきた。


「ねえ、ルイウは飛ぶの楽しい?私はまだまだだよ。

コマくんみたいに制御不能になるのが怖くてさー」


ホタルにそう聞かれたルイウは、やや俯き無表情で考え込んでいた。

そして口を開く。


「楽しいと思う……」


離れたところで、ゆったり寛ぐ姉を見ながら言葉を繋げていく。


「姉さんと飛ぶのは楽しい……ソラネコと飛ぶことができたら楽しいと思う……」


「ええ~、ルイセ、私はどうなのかな?」


「ん、ホタルと飛ぶのも楽しいと思う……」


「はぁ、良かった。避けられてると思っちゃった」


ホタルが胸に手を当て、芝居がかったため息をついてみせる。


「じゃあさ、モンドはどう?」


コマがルイセにそう聞くと、困ったように首を傾げ考え込んでしまう。

やがて…。


「んー、よくわかんない……」


その無垢な受け答えに、コマとホタルは吹き出した。


「か、可愛そうなヤツ」


「ほら、これから仲良くなっていくんだよ」


コマは三毛耳のヴァルカンの氏族を思い浮かべた。

コマと同じく元男子モデュレイトだというカーキのツナギを着た少女は、

ブレイブギアをはじめとした兵器類の製造を独占的に手掛ける

氏族出身なだけあって、

コマとホタルが持つ原器の起動手順にも精通していた。


「モンド…か、あいつ今頃なにやってるんだろうな」


ホタルが気持ちよさそうに手足を伸ばしながら言った。


「ヴァルカンのお店を手伝っているんだろうねー」


「いや、そうなんだろうけど、どんな店をやってるのかなって」


「違う、店じゃない。あそこは工廠こうしょう……」


ルイセがぽつりと言う。


「えーっとそれってなに?」


ふっくらした唇に指を当てながら、ホタルが知識を披露した。


「コマくん、工廠こうしょうというのは軍需工場のことだと思う。…たぶん」


「うん、それ正解……」


ルイセが無表情で頷いた。


そこから話題は、

アルテミスが経営するパティスリー『あーみんずろっじ』に変わっていった。

出撃待機のない日は、仕込みのため朝早く起きていることや、

1日にどれくらいの菓子を焼いているかなどを

ルイセがぽつりぽつりと話していく。

途中から、メイエンやルイウも加わり、

白いネコ耳氏族であるアルテミスの生活を面白おかしく語ってくれた。


「おーい、くー」


浴場の引き戸を開けてルミが入ってきた。


「どうしたの?」


仲良しのネコのように、

ぴったりとクナギにくっついていたメイエンが、空気を読んで離れる。


「ホノカのやつがさ、もうすぐ届けるって。

今さっき使い魔経由の通信があってさ」


「え……そんなに急いでくれなくても良かったのに」


「うふふふっ、くーちゃまは人気者ですわねえ」


メイエンがにこにこしながら言う。


「そんなもの好きは、メイエンとホノカと後はラミアくらいなもんだ」


「ひどいよルミ、

わたし、あざといって言われているけど、もうちょっと友達はいるよ?」


「ほほう自覚はあったのか。んで、友達って誰だ、言ってみ」


「むぅー。

えっとバッカスのイチカでしょ、ヴィナスのネオン、ヘスティアのリーシャ、

それとジュピターのリオン!」


人差し指から小指までを立てて、びしっと突き出してみせる。


「それ、十二氏族屈指の変なやつらばっかりじゃねえか……」


半眼になってルミは呆れてみせた。


「あらあらルミ、類は友ですのよ」


「ブーメランか…あたしも物好きな変人のひとり、というわけだな」


メイエンの言葉に、ルミは苦笑した。


                ※ ※ ※


風呂から出ると、コマはルミと交代して番台に上がる。

番台は床面より一段と高いブース形状になっており、内部は畳敷きだ。

肘掛けのない高反発マット付きの座椅子が置いてある。


客からは見えない内側の周囲に、

ひげ剃りや小袋詰めのシャンプーなどの商品が入った籠や、

現金を収める手提げ金庫が配置してあった。


食堂から、クナギとメイエンのはしゃぐ声に混じり、

ルイウの不満を上げる声も聞こえてきた。

拠点に帰ろうとする所を引き止められ、

晩の仕込みと夕食づくりを無理やり手伝わされているからだ。


ルイセが乾きかけのシルバーブロンドをゆらし、

もの珍しげに番台の縁から顔をのぞかせる。


「何をやっているの……」


「番台といって、入浴料金を受け取る場所というか役割だな。

ひげ剃りみたいなお風呂グッズの販売もする」


律儀にコマは教える。

フルオートのアサルトライフルの様に、罵詈雑言を浴びせてくる姉に比べ、

妹のルイセは圧倒的に口数が少ない。

やや不思議ちゃんかもしれないが、野生のヤマネコみたいな姉と比べれば、

まるで天使のように可愛らしい。

――いや、氏族にとって天使は仇敵以外の何者でもないのだが。


「つまりレジ係り……」


「そうとも言うな」


ルイセの小さな手が番台の縁をきゅっと掴んだ。


「んっ」


懸垂の要領で体を持ち上げると、コマに向かって倒れ込むようにのしかかる。

ぽふりと、胡座をかいて座るコマの腿に小さな頭が乗っかった。

長い髪が乱れ広がることも気に留めず、頭を動かしコマを上目遣いに見上げた。


「ソラネコの膝枕……」


「おっ、おおぅ?」


ルイセは体を起こすと、強引にコマの右隣に座り込んだ。

いかに小柄な体格同士とはいえ、

幼女ふたりが座ると、肩と肩が押し合うくらいには窮屈になる。


「手伝う、レジ係り……」


「ああ、うん…」


最初こそ、うわぁぁ女の子がくっついてくるぅと、

内心焦りまくっていたコマだった。

しかし、妹のレンカより幼い容姿と背丈のルイセに、

劣情を抱くはずもなく、お客もさっぱり入ってこないため、

要するに退屈しのぎの話し相手になってもらっていた。


「それ、上昇しすぎたら、思い切ってオフにすればいい……」


いつの間にか話題は、ブレイブギアの重力制御に変わった。

コマが微調整がどうしても苦手だと告白したら、

事も無げにルイセは重力をカットしろという。


「あんな高いところから落ちたら危なくない?」


コマが危険性について訪ねてみた。


「100メートルくらい落下しても、ギアが衝撃吸収してくれる。

ちゃんと足から着地できれば……」


「んじゃあ、何かのはずみで頭から落ちたらどうなるんだ?」


「積層歪曲シールドが作動して、落下衝撃の無力化を試みる。

高度400メートル位なら無傷……」


そのシールドというのは敵の攻撃だけでなく、

予期しない衝突などからも身を守ってくれる万能バリアみたいなものだと、

コマは理解した。


「だとすると、成層圏みたいな超高いところから墜落したら命はないわけか」


「ん、その場合はむしろ凶器。墜落したギアは爆弾といってもいい……」


「と、いうと?」


「50キロ上空から落下すると、シールドの反応エネルギーのせいで、

地表に直径500メートルのクレーター……」


「うへぇ」


「だから戦闘中、墜落して規定高度を切ったギアは、容赦なく蒸発。

私の本当の盟姉ねえさんも先の戦闘で蒸発した」


「うっ…ゴメン、悪いこと聞いちゃった」


「実はメイエン、育ての盟姉あね…私たちの生みの盟姉あねはルウ。

いつもニコニコ穏やかな人。

顔は違うけど、どことなくソラネコの盟姉ねえさんと雰囲気が似てるかも」


「そ……そうなんだ」


「だからかな、ソラネコの隣にいると心がぽかぽかする……」


こてん、とルイセの小さな頭が、コマの肩により掛かる。


「ちょ、ルイセさん!近すぎませんかっ」


「ん、こうすると、もっとぽかぽかする……」


うっとりと目を閉じたルイセは、なおもグイグイと、コマにすり寄った。

※6章につづく※

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