第4章 氏族士官養成女学院

「ん~~~」

デッキブラシを擦る手を止めて、

コマは大きく伸びをする。


磨りガラスの窓から差し込む朝日が、

磨いたばかりのタイルに反射していた。


この時間の光は、単に浴場を明るく見せるだけではない。

壁のペンキ絵も鮮やかさが増し、

何とも言い難い開放的な気持ちを味わえる。

コマが一番好きな時間だった。


「くーねえ、終わったよー」


女湯の掃除を終わらせたホタルと

連れ立ってホールに出てみると、

二人の盟姉あねは、

開店準備の手を休め、

何やら難しい表情で宙に目を彷徨わせていた。


「どうしたのルミ盟姉ねえさん?」


のっぴきならぬ盟姉あねの表情に、

ホタルも只事でないと思ったようだ。


「今日のかわら版なんだけどな…」


ねこねこネットワーク《NNN》経由で配布されている、

タブロイド紙の可視化キーを、

ルミが指で弾いてよこした。


BB弾くらいの光球を、

指先で受け止めたコマとホタルは、

それを額に付ける。


視界に新聞風のデザイン処理を施した

テキストビューアが広がった。

【大ナナ艦隊壊滅!新種の熾天使、新兵器の前に善戦むなしく相討ち】

という見出しに続き、

ネプチューンの提督と副長が、

相次いで戦死したことが書かれていた。


「こういう稼業だけど、しんどい時はしんどいなあ……」

いつも姉御肌のルミが、ポツリと漏らした。


「お知合いなの?」

というホタルの問いに、黙って頷いてみせる。


「亡くなった副長さんは、

 ルミの氏士女ししじょ時代の同期生なんだって」

クナギがルミの背中を優しく撫でる。


ルミはクナギの肩に顔を埋めると、

何度も鼻をすすりはじめた。

「なあ、氏士女ししじょってなんだろな?」

「しっ…コマくん、空気を読んで」


「……氏族士官養成女学院、

 通称が氏士女ししじょだ。

 十二氏族中から有望株を集めて教育を施す。

 現役の団長や隊長、各氏族の副長も、

 ほとんど氏士女ししじょOGなんだぜ」


目の周りを赤くしたルミが、

気丈にも、いつもの口調で解説を垂れた。


「ルミ…本当に大丈夫なの、お休みにする?」

「いや、今日はこいつらの入学式だし、

 くーが一人で店の切り盛りすることになるだろ。

 告別式だけ……行かせてくれ」


クナギから受け取ったハンカチで、

ルミは、涙を絞りつくそうと目頭を擦っていた。


「「入学式?」」


予想だにしなかったルミの発言で、

コマとホタルは、

仲の良い姉妹のようにハーモニーを奏でる。


「そうなのっ、

 順番待ち長いだろうなって思ってたけど、

 申し込んでスグに入学案内が来たの。

 もう奇跡だよねっ、

 普通は何年か抽選待ちなのに、

 すごいよっ、すごいラッキーなんだからねっ!!」


手を打ち鳴らしたクナギが、

ぴょんぴょん飛び跳ねる。

たふんたふんとダンスを踊る胸部を、

コマがにへら~と頬を緩めて見上げた。


少し機嫌を損ねたらしきホタルが、

すかさずコマのネコ耳をつねりあげた。


「あらら~、いやらしいのはダメだよ」


「くーねえを目の前にして見るなというのは拷問…

 痛いっ。ギブ、ギブッ。

 もっと早く教えてくれたっていいのに。

 俺たち何の準備だってしてないけどいいの?」


コマが耳をかばいながら、最もなことを言った。


「それがねえ…昨晩、急に連絡があったの。

 なんでも1クラス増設したから、

 今なら即入学できますよって」


「今ならってナニ?

 その副業詐欺の広告みたいな文言は怪しすぎるよっ。

 くーねえ、それ騙されてるからね!」


「話が性急な上、

 こっちにとって条件が良すぎたからな、

 ちゃんと学園事務に問い合わせて確認もした。

 念のため他の氏族もあたってみたら、

 ジュピター、ヴァルカン、アルテミスにも、

 この話が来ているらしい」


「勝手に決めてごめんねえ。

 ルミが調べても問題なかったし、

 定員を満たし次第締め切るなんていうから、

 相談しないで申し込んじゃいました。てへっ」


そう言ったクナギは、小さく下を出して、

自分のおでこをコツンと叩いてみせた。


「わぁ、学校だってコマくん。どんな場所なんだろうね」

 いかにも楽しみだと、ホタルは目をキラキラさせている。


「…というわけで、お前らは制服に着替えて、地下基地に集合な」


ルミが仕切る隣で、クナギは何かを思いついたようだった。

なぜだか嫌な予感に襲われたコマは身震いをする。


「俺、地下に続く入り口なんて見たことないけど……」


「隠しているんだよ。

 いつの時代だってヒーローの基地は、

 秘密にしておくものだろ」


そう言ってルミは、不敵に笑ってみせた。


             ※ ※ ※


一旦、二階に上がり、クナギに着替えを手伝ってもらったコマは、

ルミとホタルが待つホールに向かう。


木製磨りガラスの古風な扉には、開店30分前だと言うのに、

早くも常連客の姿が、ぼんやりと透けて見えていた。

談笑する声は店の中にいてもよく聞こえ、どこそこに旅行に行ったとか、

孫がハイハイを卒業したとか、他愛のない話で盛り上がっているようだった。


盟姉あねが着せた制服は、ひだまり湯のメイド服ではなかった。

いつぞや以来の、ディアンドルという民族衣装をベースにした制服だった。

起源は女性労働者のための仕事着だったという。


だが、それをさらにカスタムした『あーみんずろっじ』の制服は、

可愛らしさを強調するために、

胸部や臀部を締めつけているため快適な着心地と言い難い。

きつい締め付けの胴衣の紐を引っ張りながら、コマは文句を漏らした。


「あのさ、くーねえ。

 なんで俺だけ『あーみんず・ろっじ』の制服なの?

 これ意味があるわけ?」

コマの恨みがましい視線を、まったく罪悪感なしに弾き飛ばし、

クナギは即答してのけた。


「意味?それはもう可愛いからかなー。

 集合写真はコマくんだけ切り抜いて、B0《ビーゼロ》に引き伸ばして、

 お盟姉ねえちゃんだけの家宝にするからねっ!」

ふんす!と、鼻息の音も聞こえてきそうな勢いで、クナギが力強く語る。


「いや、そんな事しなくていいから、もっと動きやすい格好がいい……」

もはや無我の境地に達しつつある、諦めの心境でコマがぼやいた。


「校則で制服は、各氏族の仕事着って決まっているの。だから我慢してね」

クナギは何が楽しいのか、ニコニコとコマを舐めるように眺めている。


「我慢しろって…俺が着ているのはアルテミスの制服でしょ?」


「大丈夫よ、メイエンは良いって言ってくれたから」


「持ち主の許可じゃなくて、まず学校に許可をとってくれ。

 他の氏族の制服を着たことで、怒られるの俺なんですけど」


「はっ、なるほど、そうだった。

 お盟姉ねえちゃん、コマくんに論破されちゃった。

 盟妹いもうとが賢くて鼻が高いなあ」


「それは度し難い盟妹馬鹿シスコンじゃないかな……」


「いやぁ、それ程でもぉ」


「言っとくけど俺、褒めてないんですけど?」


階段を降りると、

丁度ホールに差し込む午前の日差しが、ルミとホタルを照らしていた。


ルミは甲斐甲斐しくブラシでホタルのメイド服を払い、

アクセサリとして付けてあるリボンを整えていた。

兄妹の体験しかないコマは、いつも妹を雑に追っ払う自分を棚に上げ、

美しき姉妹愛というのは、本来こうあるべきだと胸を打たれた。


何かもう、盟妹いもうとを着せかえ人形にして喜んでいる

どこかのお盟姉ねえさまに、ルミの爪の垢を煎じて飲ませたくなった。


「ルミ、おまたせー」

そんなコマの心境など知らないクナギが、ひらひらと手を降った。


「お前、本当に着せちゃったのか。なんて恐るべき勇者…いや、なにも言うまい」

ルミがこめかみを押さえ、哀れみの目でコマを見る。

ホタルまでもが、ご冥福をお祈りしますと言うように、合掌してみせた。


「くーねえ、やっぱ俺、今スグ脱ぐから!」


「そんなっ、お盟姉ねえちゃんの一生のお願いだから、

 今日だけこの制服で登校して」

クナギは膝立ちになり、コマと視線の高さを合わせた。

ふわり、石鹸の香りが鼻腔をくすぐり胸が高鳴る。


外見こそ幼児だが、本当は高2男子であるコマにとって、

その距離は、あまりにも近すぎた。


「く、くーねえ近すぎっ、わかったから離れてくれ」

してやったりと、クナギは誇らしげにルミに向かってVサインをする。


「…お前らなあ、入学式に遅れないように地下に行くぞ」

呆れ果てたルミが革靴の音を鳴らし、

普段はバックヤードとして機能している店の裏側へ向かって歩き出した。


こぢんまりとした休憩室に続くドアや、ボイラー室と表札がかかった扉も通り過ぎ、たどり着いたのは、各種備品や掃除道具を格納する場所…つまり倉庫だった。


「ほれ、今日からここ使って登校な」


「着いたって、ここ倉庫じゃん」

コマは改めて倉庫を注意深く観察した。


ボイラー室だけでは収まりきれない熱水を貯めるタンクやパイプが、

倉庫まで張り出していた。

その側には、モップや雑巾がワイヤーで吊るされており、

放射熱で乾かせるようになっている。

しかし、どこからどう見ても倉庫だという結論に至った。


「ええっと、どこから地下に入れるの?」


「そっちじゃねえよ、この中」


ルミが指を指した先には、

個人用ロッカーが並んでいるだけだ。

ちなみに全部で五台あった。


「なあ、ロッカーでどうするんだろ?」

コマの問いにホタルも首を傾げるだけだ。


「こいつは、ロッカーに偽装した一人用シュートだ。

 スライダーで地下基地まで降りられる」

緋色のネコ耳をぴんと立て、得意げにルミが説明した。


「欠点があってね、一度に何十人も使う場合は、

 順番待ちでとっても混むのよねえ」

と、クナギが茶々を入れた。


「それな」

若干、ルミのネコ耳がしおれたように見える。


「降りるのはわかったけれど、

 上に戻りたい時はどうするわけ?」

コマは聞いてみた。


「……延々と梯子を昇り続ける」

今度は確実に、ルミのネコ耳がぺったんこになった。


「……エレベーターとか、ないの?」


「……そんなものはない。

 気にするな些細なことだ、贅沢は敵だ。

 お前たちが頑張れば、いつかエレベーターを導入できるかもしれない。

 それまでの辛抱だ」


「いやいやいやいや、そこは気にする…ふにゃっ!」


ぷらーんと、ルミに襟首を掴まれたコマは、

母猫に強制連行をされた子猫よろしく、

ロッカーの中に突っ込まれた。


その様子を見ていたホタルは、

そつなく自ら進んでロッカーの中に入っていく。


ロッカーに入れられたコマは奇妙な既視感を覚えていた。

なんだろう、

このロッカーの中から覗く世界……どこかで……。

(わかった!これ、殺人鬼から隠れるやつだあ)


そう閃くのと、

「舌はひっこめとけよ」

と、ルミが言うのは同時だった。


突然、コマの足元の板が消えた。


「うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

絶叫スライダーだった。


真っ暗なチューヴだったら、

果てしない落下感覚により

ちびっていたかもしれない。


ありがたいことに、

小さな明かりがチューヴ内を等間隔に灯っており、

感覚を失わずにすんでいた。


ぼっすーん!


ふっかふかのマットが体を受け止め、

コマの絶叫体験は無事に終わった。


コマが出てきたのは『3』と番号が書かれているチューヴ。

『1』と『2』からクナギとルミが、

『4』からホタルが飛び出てきた。


未だにマットにお尻をぺたんとくっつけ、

放心しているホタルに手を貸し、

(コマは小柄すぎて、ほとんど無意味だったが)

二人は地下基地を見渡した。


「真っ暗だね…」

「真っ暗だな…」

シュート出口を灯す照明は、

視界前方に広がる深い闇を払うことができず、

漆黒のとばりを落としたままだった。


「照明、入れるからね」

と、クナギの声と同時に、次々と点灯する照明が闇を払っていく。


「おわぁ」

「うそ…」


そこは、半球型のドーム構造の地下空間だった。

端から端までの幅は400メートルほど。

ドーム頭頂部までの高さは60メートルだろうか。

半球状の外周部から内側に向けて、照明の光が注がれており、

内部をまんべんなく照らすようになっていた。


床は材質不明のツヤ消しグレー。

均一にグリッド線が引かれており、

ところどころに座標を示す英数字が割り振ってあった。


そしてなぜか、学校で見慣れた学習机が二人分。


「くー、座標を教えてくれ。ほら、自分の机を持って動け、動け」

ルミに言われるがまま、コマたちは机を持ち上げる。


だだっ広い地下空間に、二人分の机と椅子。

どうすれば、これが学校になるのか訳がわからなかった。

床に記してある英数字を頼りに、クナギが読み上げる座標に机を設置する。


「あの、俺たち学校にいくんでしょ?ここに机ってどういうこと」


「んふふふっ、直にわかるよ」


「見て驚くなよ」


 クナギとルミは、何か秘密を隠すようにクスクス笑うだけだった。


「ルミ盟姉ねえさん、私も気になる。いったいどうするつもり?」

ホタルも相当、気になっているようだった。


「まあ、もうちょっと待て。くー、準備できてるか」


「もっちろん」


クナギがエプロンのポケットから、

7インチ携帯端末くらいの物体を二枚取り出した。

そのうちの一枚をルミに手渡している。


「ふたりは、机の前に立ってね。まだ座っちゃダメだよ」

クナギに言われるがまま、コマとホタルは机の前に立った。


それぞれの盟姉あねが、向い合せで立つ。

「「入学おめでとう」」


 手渡された物体は、白金に輝く金属プレートだった、


「これは、一体なんなの?」


「これはねコマくん、あなた専用のブレイブギアだよ。

 これを使いこなせば、どんな天使にも負けることはない。

 ううん、もしかしたら神や悪魔をも超える力を手にするかもしれない」


「俺が、神を超える……」


にわかには信じがたい。

手の上に乗っている物体は、どこからどうみても金属の板だった。

鮮やかに輝く光沢からして貴重な金属を素材に使っているかもしれないが、

それでもやはり説得力にかける。


「ルミ盟姉ねえさん、こんな高価そうなもの、頂いちゃって本当にいいの?」

ホタルが、遠慮がちに訪ねた。


「構わないさ、氏士女ししじょ入学祝に、

 盟姉あねからブレイブギアを贈るのが習わしなんだ。

 今頃、よその氏族でも同じことをやってるはずだぜ」


そう言ってルミはホタルの頭を、ぽむぽむ叩く。


「出ておいでー。震電、烈風、出番だよ」

クナギの呼びかけで、何もないはずの空間から二匹の猫が実体化した。


黒猫がコマの机の上に着地し、

緋色の猫がホタルの机にふわりと降り立った。


「黒い子が、コマくんの使い魔、震電だよ」


「緋色の猫は、ホタルの使い魔だ。名を烈風という」


ホタルは目を輝かせ、慣れた手付きで緋色猫を抱っこした。

「わあ、猫だ、お猫様だ。可愛いなあ、よろしくね烈風」


黒猫はコマの顔を値踏みするように、じっと見ていた。

猫を飼育した経験がないコマは、どう触れ合って良いのかわからず固まった。


「どうしたのコマくん?」


「くーねえ、俺、猫を飼ったことがないんだ。

 コイツ引っ掻いてきたりしないよな?」


「大丈夫、すべての使い魔はヘスティアの訓練施設で調整済みだよ。

 名前を呼んであげて」


「う、うん。…震電?」


「みゃあ」


トコトコ近寄って来た黒猫は、抱き上げようとしたコマの腕をくぐり抜け、

ひらりと頭の上に乗っかった。そして満足気に喉を鳴らし始めた。

捕まえて頭上から降ろそうと、コマは腕を伸ばす。

しかし震電は身軽に避けて、触ることすら叶わなかった。


「うわぁ、もうそんなに仲良くなったの。いいなあ」

スキンシップをしていると錯覚したホタルが、羨望の眼差しでコマを見る。


「良くない……。首に負荷がかかって辛い」


はっとした震電が、爪を引っ込めた後ろ足を、コマのうなじにかける。

まるで猫が後頭部にぺたりと付いた様になった。

それは猫のちょんまげ、いやネコウィッグと言った方が正しいかもしれない。


「楽になったけど、震電のお腹の体温で蒸れそう」


そうぼやくコマの頭頂部を、

震電は気にするなと言わんばかりに、肉球で叩いてみせた。


「ねえ烈風、あんな風に私達もしてみない?」


「にゃーん」


緋色の使い魔は、ホタルの左肩に乗ると、頬を擦り寄せた。


「そっかー。それがいいなら、しょうがないね」


その様子を見ていたコマは、震電に呼びかけてみた。


「おい、お前も烈風みたいに肩に乗れよ」


「シャーーッ!!」


唸るが早いが、頭皮に鋭利な猫爪が食い込んだ。


「……気が済むまで、そうしていていいぞ」


震電は満足して喉を鳴らした。


チリン、チリンと可愛く鳴るタイマーを、クナギはポケットから取り出した。


「ルミ、そろそろ時間みたい」


「了解した。フィールドスケールVRを起動させるから、

 今から教えるボイスコマンドを唱えてくれ。

 そうすれば、後は使い魔がユミルに繋いでくれるからな」


ルミが何音節かの単語を発音した。

コマとホタルは何度か復唱し練習する。


猫たちは主人から降り、机の上に乗った。

これから何が起きるのか、万事心得ているみたいだった。


「コマくん準備はいい?」


「俺は大丈夫、いくぞ……せーのっ」


「「リンクコール、NNNヘリオス=レクチャーズスタートッ」」


鮮やかな原色光の奔流がコマを包む。

少し離れて見守っていた盟姉たちの姿が消えた。

視界に映るのは、コマとホタル、二人の学校机、そして使い魔の猫だけだ。


一層の光の奔流がコマを包む。あまりの眩しさに目を閉じた。

まぶたを突き抜けるような光が消失する。


おそるおそる目を開けると……


「は?」

「どこ?」


円柱状の巨大空間にコマとホタルは浮かんでいた。


外周にはネコ耳を生やした少女たちが、

様々なデザインの制服を着こなし、

机と椅子ごと宙に浮かんでいた。


中央に【第658期生 入学式】と書かれた垂れ幕と、

無人の演台が浮かんでいる。


コマの左隣の席に座るホタルが話しかけてきた。


「もっとこぢんまりしている思ったけど入学生の数は多いね。百名ちょっとかな」


「ヘリオスの俺とジュノーンのホタルで2氏族だろ。

 あと10氏族分が入学しているはずだから、

 残りは平均して10名くらい送り出しているんだろうな」


「うう、私たち少数派かあ。

 いじめとか、氏族間の派閥闘争があったらいやだなあ」


「そういう事が頻繁に発生する学校だったら、

 ルミは何か警告してくれるだろうし、

 そもそもくーねえが、俺を入学させようなんて思わないだろ」


「……確かに。コマくんを猫可愛がりしてるクナギ盟姉ねえさんだったら、

 真っ先に気にするだろうね」


「だいたいホタルは、ど安定の成績上位者だったし、

 そこは俺みたいな奴が心配することだ」


「今まで必死に優等生をやっていたから、余計に不安になっちゃうのかな」

そう言ってホタルは苦笑した。


ふとコマは、ホタルの家庭が父親のDVよって、

深く傷ついていることを思い出した。


『お姉ちゃんが、いつも私をかばって…』と、ユイも言っていた。

ひょっとしたら、成績優良の学級委員をやっていたのは、

そう演じないと父親が暴力を振るうからだろうか?


「ホタル、もう頑張りすぎなくていいんだぞ」

「どうしたの急に」

「あ、いや、何となくそう思っただけで、特に根拠はないんだけど」


コマの右隣、空いているスペースに、

まばゆい原色の放射状エフェクトが発生した。


「あぶねー。もうちょっとで遅刻するトコだった」


紫がかったグレーのセミショートから生える三毛の耳。

身につけている服装は、

カーキのツナギの上からチェック柄のパーカーを羽織っている。


快活というよりイタズラ小僧のような目が、コマの視線とクロスした。


「よろしくな、俺、ヴァルカンのモンドっていいます」


ニカッと笑い、爪の間がグリースで真っ黒の手を差し伸べてきた。


「ヘリオスのコマです」


幼女の小さな手が、タコの浮き出た荒れ気味の少女の手に包まれた。


「コマぁ?変なタックネームだな」


「その顔でモンドはないだろ。せっかくだし可愛いの付けとけ」


馴れ馴れしいが、悪いやつじゃなさそうだとコマは思った。


「しょうがねーよ。本名が土井垣主水どいがきもんどだからさ。

 俺の盟姉ねえさんが気に入っちゃって、

 モンドにしろって言うからコレにした」


「いい加減だな」

成り行きで決まった自分を差し置いて、コマは呆れてみせた。


「前の名前よか柔らかくなったからな。これでいいんだよ」


「確かに、土井垣主水どいがきもんど

 …裏稼業で暗殺をやっていそうな名前だ」


「親が何とかっていう時代劇のファンで、そこに出てくる侍から取ったらしい。

 ったく俺はいい迷惑だったね。

 間違っていたらゴメンだけど、コマってモデュレイトなの」


「モデュレイトって何?」


「男から氏族になったヤツのこと。

 逆に女から氏族になったヤツはピュアって言う。

 ほら、♂から♀と、♀から♀だろ」


「ああ、そういうことか」


三毛耳の少女が、コマに顔を寄せてきた。

「で、どうよ?男から美少女なると、いろいろクルもんがあっただろ」


まったく男子ってホントにバカじゃないの、こんなところでエロ話やめてよね!

というホタルの突き刺して抉るような視線が、コマの身体中にバカスカ刺さった。


身の危険を感じたコマは、この話題を好ましく思っていない、

という印象を伝えるため、精一杯に声のトーンを低くして応えた。


「モンド…お前は思い違いをしている。俺の幼児体型でグッと来ると思うか?」


「ハッ、すまん!悪かった。

 モデュレイトの知り合いなんて初めて出来たから、

 嬉しくて舞い上がっていたんだ。あの、俺で良ければオカズに……」


「いや結構だ、絶対結構だ、この話題はやめよう、頼むから止めてください!」


「そうだな、入学式でこの話題はまずいよな。明日から語り合おうぜ」

そう言ってモンドは、ニカッっと笑ってみせた。


ホタルの左隣りから、放射状エフェクトが発光する。


現れたのは白いネコ耳に、

緩やかなウェーブがかったプラチナブロンドの髪、

身長はコマより少し高い位。


お人形のような卵型の顔に、愛らしい顔立ち。

美少女ぞろいの氏族の中にあっても、

後光を放つような清廉な雰囲気は、非常に目立っていた。


ディアンドルを元にした制服のカラーリングは水色の胴衣と、

同色チェックのスカート。

真っ白なブラウスとエプロンが眩しい。


そんな少女が、一人ではなく、双子で登場した。

ピュアであるホタルまでもが見惚れる可憐さだった。


「うわ、アルテミの双星じゃんかよ。あんな規格外が入学したのか……

 頼むからネームドと同じ演習小隊だけには、なりませんように」


モンドが両手を合わせ、ブツブツと祈り始めた。


「ネームドって何だよ」

コマは、モンドを突っついた。


「ホントに何も知らないのか」


「悪かったな、こっちは銭湯の仕事を覚えるので手一杯だ」


「そうか、ヘリオスは壊滅寸前だったから、

 新人教育もままならないんだろうな。

 あのな、それは実力が突出した氏族に与えられる称号みたいなもんだ。

 剣皇けんおうをはじめとした五皇を頂点に、

 聖剣つるぎ乙女おとめとか、御霊奪タマとりとかだな。

 双星そうせいは、あの双子が、

 もはや狙撃とは呼べない次元の高速移動からの長距離射撃で、

 天使を3000キル達成したときに与えられた称号だ」


「詳しいな」


「俺、人間の頃はミリタリー好きだったから、こういうの覚えるのが楽しくてさ」


「ああ、そういう気持ちは俺も理解できる」


「おお、同志コマよ」


「でも俺、アニメとゲームの人だから、そっちの知識ゼロだぞ」


「まあ、確かに実銃のライセンス料が高騰した結果、

 ゲームじゃ架空銃器のモデリングがザラだが、

 アニメは割と実在兵器を下敷きにしているケースが未だ一般的だ。

 コマだって元ネタの兵器を覚えておいて損はないぞ。

 そうだ、試しにヴァルカンで使うガンスミス教育用ライブラリを貸してやる。

 M1ガーランドからAA12まで網羅したヤツだ」


「言っている意味は半分以上わからないが、熱意は伝わってきた。

 ちゃんと見るからな」


などと、モデュレイト同士で意気投合している時にそれは起こった。


「ちょっと、なんでアンタみたいなショボそうなのが、

 メイエンの制服を着ているのっ?」


最初、それはコマに向けられたセリフだと気づかなかった。


故に無視をしたつもりでもなかった。


「……ふっ、いいでしょう。双星そうせいを無視する度胸は評価してあげる」


双子の片方――ホタルの左隣の少女が、音を立て椅子を引き、机の上に乗った。


「ミュー、ユミルに模擬戦申請。

この場の衝突判定コリジョンを演習レベルに引き上げて」


白猫の使い魔に命じた少女は、ダダッと数歩を踏み込むと、

スカートおっぴろげのドロップキックをコマに炸裂させた。


フィールドスケールVRは、接続地からの座標データを元にユミルが演算し、

五感を司る脳の部位に信号を送ることで、仮想世界を誤認させているだけである。


しかし、触覚など再現が苦手な分野もあり、

そういったケースは積層歪曲シールドの原理を応用した反発作用で代用していた。


ドロップキックの威力が反発作用によって再現される。

VRに接続していない第三者から見れば、

コマは突然椅子から浮いて、もんどり打ちながら倒れたように見えただろう。


一方、VR視点では――コマとモンドは仲良く絡まり合い、ふっとばされた。


幸いだったのは、

この円柱状の講堂には落下判定が演算シミュレートされていないことだった。

二人とも見えない床に支えられ、息も絶え絶えに立ち上がる。


この騒ぎに周囲の生徒から悲鳴が上がる…ということは一切なく、

逆に血の気の多いヤジがいくつも飛びかった。


「へえ?、短い助走だったとは言え、

 私のパターダ・ボラドーラを受けて立ち上がれるんだ」


「普通にドロップキックと言え!いや、論点はそこじゃなくて、何しやがるてめえ」


「その制服はアルテミスのものでしょ!

 しかもそれ、メイエン団長限定のカスタムカラーよ。

 あんたのような泥棒ネコが着ていいものじゃないの。

 ここがVRじゃなかったら、半殺しにして剥いでやるところだわ」


「うちのクナギ隊長は、そのメイエンから許可を取ったって聞いてるぞ」


「白々しい嘘で、言い逃れができると思ってるの」


少女は足元で迷惑そうな顔のホタルを省みることなく、

机の上に乗ったまま、腕を組み偉そうな態度をとる。


少女の像が微妙に上下しているのは、

ホタルの机の衝突判定コリジョンに合わせ、

接続元の実体をシールドの反発作用で支えているからだ。


少女のスカートを、双子の片割れが引っ張った。


「ルイウ姉さん、たぶん本当……」


「ど、どういうこと?」


「剣皇とパジャマパーティーしたって。予備の制服、ヘリオスに置きっぱ……」


「ルイセ、そんなの初耳よ!」


「いつも姉さん、お手伝いを逃げる。知らなくて当然……」


このやり取りを聞いたモンドが、コマに耳打ちをした。

二人に邪悪な笑みが浮かび上がる。


「ヘイヘーイ、

 勘違いで無実な人を蹴っちゃってるワケ?

 双星そうせいって野蛮人だったんですねー」

と、モンドが挑発。


「慰謝料とは言わないけど、誠意ある謝罪はしてほしいよな。

 今ここで、入学生が見ているここで。できるよね?」

そう言ってコマがたたみ掛けた。


「ぐっ、くぅ~っ」


俯いたルイウが、机から力なく飛び降りる。

重い足取りで、コマ・モンド両名の前に立つ。

机を挟んだ状態で、少女が顔を上げた。


やや吊目、意思の強そうな翡翠色の瞳は、

縄張りをめぐる山猫のように燃え上がっていた。


「どうも……」

小さな手が、思いもよらぬ腕力を発揮して、コマとモンドの胸ぐらを掴んだ。

「ごめんなさいっ!!」

そのまま引き寄せ、ヘッドバットを決める。


「ぐはっ」モンドの目が裏返った。

「いってぇ…このっ!」

 沈みかけた体を、コマは両手を机に付いて支える。

そして、自分の机が倒れるのも構わず、ルイウに飛びかかった。


ガリッ。ガブッ。ポカッ。パシッ。


小柄な外見同士に相応しい、子供じみたケンカがはじまった。

コマが引っかき、ルイウが噛み付く。

コマが頭を叩けば、ルイウは平手打ちをかました。


「沈めっ!」

コマは右腕の脇を締め一歩踏み込む。間合いを詰め、鋭い右ストレートを撃つ。

「永眠しろっ!」

右ストレートの軌道を弾く勢いで、ルイウは左フックを放った。


ふたりの腕が交差し、拳はお互いの顎を捉える。

両者の目が裏返り、もたれあうように崩れ落ちた。


ギャラリーの入学生から、どよめきが沸き起こった。


「クロスカウンター……だと」

双星そうせいの相手、誰だ?」

「変な色の耳……」

「あいつ、やりやがった…」

「勇者が…誕生したのかもしれん」


冷ややかな目で顛末を見届けた互いの相棒――ホタルとルイセが無言で席を立つ。


「…はぁ」

「…ふぅ」


屍の前で、ふたりは同時にため息を付いた。

そこで、はじめて目が合った。


「大変だね」

「大変でしたね……」


同じ様な労いをかけ合ってしまった。


「ヘリオスのホタルです。うちのコマくん、粘着だからゴメンね」

腰を90度、きちんと曲げて一礼をする。


「アルテミスのルイセ…姉がご迷惑を……」

ちょこんと膝を折ってお辞儀する様は、なかなか堂に入っていた。


引きずった屍を椅子に乗せ、

机に突っ伏すように固定すると、

そのタイミングを見計らっていたかのように学園長の像が演壇に現れた。


…当学園は優れた士官を育成うんぬん。

…よって正式な私闘は推奨されるべきでありうんぬん。


学園長のありがたいお言葉を拝聴している内に、

学園側は決着がつくまで様子を見ていたな、という確信をホタルは持つに至った。


開式の辞やら祝辞やら、

高校入学の頃に体験した退屈なアレコレをすっ飛ばし、

正式な私闘は推奨されるべきと、いきなり演説ときたものだ。


やや順番が狂ったとは言え学園長の演説が終わった後は、

祝辞やら来賓の挨拶が順調に消化されていき、

何とか平穏の範疇で第658期生入学式は幕を閉じた。


フィールドスケールVRが終了し、周囲はドーム状の地下基地の風景に戻る。


「コマくん、ねえコマくん、起きて」


コマは相変わらず気絶したままだった。


「これ、どうやって上に連れていけばいいんだろ?」


途方に暮れるホタルをよそに、

震電がコマの頭の上で丸くなり、大きなあくびをした。

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