推理は珈琲を飲みながら

紅りんご

1杯目 鹿と珈琲と高3の春

 奈良公園、人間社会らしい建物は気配を消し、落ち着いた雰囲気と可愛い鹿を求める観光客に人気の名所。かくいう神崎 凛も鹿との触れ合いを求めてやってきた一人だ。高校3年の春、受験に向けた勉強の息抜きにこうして休日の午後は奈良公園を訪れている。そして、訪れたら必ずすることがある。


「鹿せんべい一つください。」


「はいよ。200円。」


 硬貨を手渡し、鹿せんべいを受け取る。幾度となく買っているが、手に持った時にほのかに香る匂い、寄ってくる鹿には毎回ワクワクさせられる。

 鹿せんべいを手に持ったまま想いに耽っていると、横に人の気配がした。自分よりも少し背が高い、180くらいはあるのではないだろうか。


「トミさん、鹿せんべいをお一ついただけるかな?」


「おや、高円さん、一つでいいのかい。」


「ええ。トミさん、あまり買いすぎると、私も食べたくなってしまうので。」


「あんたが言うと冗談に聞こえないねえ。ねぇ、あんたもそう思うだろ?」


 立ち去ろうとした時に声をかけられ、言われるがまま隣の男を見た。そして絶句した。


「…………鹿?」


「ええ、鹿ですとも。」


 あまりの驚きに声も出ないが、かろうじて声を捻り出す。白いワイシャツに緑のエプロン、そこまでは全く問題のない、どちらかというとどこかで見たことのある制服。しかし、問題は首から上に集中していた。高円、という男は頭からすっぽりと鹿の被り物をしていたのだ。

 鹿の被り物をしているだけで全身が異質な雰囲気に包まれている。これなら、おばさんの冗談も真実味を帯びると言うものだ。今まで長い間奈良にいるが、こんな変人は見たことがない。一体何者なのか──そんな疑問に頭が支配され、いつの間にかそこから立ち去る気を失ってしまっていた。


「あぁ、そうだ。高円さん、ちょうどあんたに聞いて欲しいことがあったんだ。」


「お困りごとですか?」


「最近、鹿の調子が悪いんだよ。全部が全部悪い、ってわけでもないんだけどね、何だか食欲がないような気がするんだよ。最近値上げもしたところだからね、せめて鹿には元気でいて欲しいんだ。ねぇ、店長さんに頼んでもらえないかい?」


「そうしたいのは山々なんですが、うちの店、今絶賛人手不足中でして、店長の手がなかなか空きそうにないんですよね……。でも、話だけは通しておきますね。」


「そうなのかい。ありがとう、助かるよ。」


「ふむ、せめて人手さえ…………あのもし?」


 トミさんの礼に手を振り応えると、高円はそのままこちらに振り向き、やがてこちらに目を向けた。

分からない、が何だか嫌な予感がする。でもそれと同時に何故かワクワクしている自分がいることに気づいた。この男の頼みを断れない、そんな確信と共に。


********************


「私と一緒に珈琲でもいかがですか?」

 

 いかにも怪しい鹿頭の男に誘われるまま、奈良公園から登大路三番町を抜け、氷室神社の横、一軒の喫茶店の前に辿り着いた。

 一階部分は白い支柱にガラス張り、屋根を挟んで二階部分は薄茶色のレンガの壁が剥き出しとなっている。そしてその壁から突き出した黒色の丸い看板には『鹿野珈琲』と書かれていた。

 一見、洋風の建物は周囲から浮いてしまうように思えるが、2階部分の素朴さが周囲に溶け込んでおり、目立つが浮きはしない、いいバランスを保っている。


「どうぞ、中に入ってください。」


「……綺麗ですね。」


「そうでしょう、そうでしょう。」


 『CLOSED』と書かれた扉は入店を知らせるベルの音と共に開かれた。入り口左手には4人がけのテーブルが4つ、右手にはカウンター席が用意されている。白い壁には所々絵画や言葉が飾られ、店内にはクラシックであろう音楽が流れているが、それらが何であるかまでは分からない。


「そこにかけてください。今珈琲をお入れしますから。」


「ありがとうございます。」


勧められるまま、カウンター席に座る。席は少し高いが足は空を切らず、地面につく。よく分からないクラシックと珈琲を入れる音、その心地よさに眠くなり始めた頃、こちらにカップが差し出された。


「どうぞ。鹿野珈琲特別ブレンドです。」


「はい、ありがとうございます。………なんだか懐かしい味ですね。」


コーヒーは濃くて苦味が強いイメージがあったけれど、これはスッキリとした飲み心地だ。そこに独特な風味が加わり味に深みを出している。それに、どこか懐かしさを感じさせる

不思議な一杯だった。


「懐かしい……かぁ。それ、実はコピ・アルクが入ってるんです。」

 

そう言った高円はこちらを見て微笑んだ……様に見えた。相変わらずの鹿頭で見えないが。


「コピ・アルク?」


コピ・アルク、どこかで聞いたような気がする。首を傾げる凛を見ながら高円はどこからか出したタオルを二枚広げ始める。そして、一枚を透の座るカウンターに広げ、もう一枚を自分の胸辺り、丁度透の目の前に掲げた。


「ジャコウネコのフンから採れるコーヒーです。」


「へぇ。そうなんですか。」


ここで博識なら、なんだかんだと語れたかもしれない。自分の無知を恥じるばかりだ。赤くなったであろう顔を誤魔化すためにもう一杯を口に運ぶ。


「あれ、えっと。大丈夫、なんですか?」


不思議そうな声を出した高円が問いかけてくる。見れば、掲げたタオルを畳み始めている。


「何がです?」


「いえ、その。これを出して、さっきみたいに種明かしすると吹き出したりする人がいるので予防線を張ってたんですよ。」


「あぁ、そういう。」


確かに飲んでいる時に『それはフンから採れたんですよ。』と言われるのは気分が悪いかもしれない。それにわざわざタオルをしくなら、飲んでいる時に種明かししなくていいじゃないか。そんな疑問めいた視線を感じ取ったのか、高円は慌てて付け足す。


「実はこれ、面接試験なんですよ。」


「は?」


聞き間違いだろうか。そうだ、飲んだ人にコーヒーを吹かせる吹かせないの試験があるはずも無い。そんな希望的観測は高円に粉砕される。


「だから、鹿野珈琲バイトの面接です。貴方の名前は?」


「神崎凛です……けど。」


「じゃあ、凛くん。合格です、貴方は見事鹿野珈琲のバイトに選ばれました。パンパカパーン。」


高円はラッパのつもりか口で真似しながら、手に持ったクラッカーを引く。どうやら自分は置いてけぼりにされてしまっているらしい。それに急に馴れ馴れしい。ここはちゃんと断っておかないと。


「あの、バイトはしませんけど。」


「ふふ、最初は誰だってそう言います。」


言わねーよ、と言いたいところをぐっと堪えて正当な理由を探す。見た目は変な人だが、話を聞く限りはまともな人。話せば分かるはず。人手不足かもしれないが、ここは引き下がって貰うしかない。


「実は高校3年で受験勉強とかがあって、バイトとかはちょっとキツイかなって……。」


申し訳無さそうな顔を全力で作りつつ、相手の様子を伺う。が、鹿頭が邪魔で何を考えているか全く分からない。なぜ、この店はこんな変人を雇っているのか。


「高校3年生なんですか、へぇ。見た目より若いですね。」


「それって褒め言葉じゃないですよね。」


「いえいえ、褒め言葉ですよ。」


高校3年生で見た目より若い。要は童顔ってことだろう。確かに自覚はある。きっと大学生になれば、そんな淡い期待を抱いているのも事実だ。


「はぁ、それよりも……」


脱線した話を元に戻そうとした時、高円の手元にあったアンティークの電話が鳴った。スマホが主流の今、ダイヤル式の電話は中々お目にかかれるものではない。慣れた手つきで高円は受話器をとり、電話の相手に親しく話しかける。


「やっぱり店長ですね。早く来てください。逸材、見つけましたよ!」


店長、確かに鹿せんべいを売っていたおばさんも店長と言っていた。鹿頭の店員を雇う店長、余程の変人に違いない。そんなレベルの高いモンスターと戦えるレベルには達していない。高円が何やら話し込んでいる今のうちに帰ろう────そんな目論見が上手く行くはずも無く、受話器がこちらに向けられた。


「神崎 凛、会いたくなった。今から降りていく。」


凛とした声、鈴のような音色に思わず耳を傾けてしまう。早く帰った方がいい、危機管理を司る頭の部分がそう告げる。しかし、身体は動かない。本能がまだ見ぬ店長との邂逅を待ちわびるように。


「あの、店長さんはどちらに?」


「店長なら二階、スタッフルームから降りてくるのですぐですよ。」


確かに階段を一段ずつ降りてくる音が聞こえる。一段、また一段と。降りてくる音への興味と不安を誤魔化すために、少し残っていたコーヒーを口に運んだ。そして最後の一段から足が離れ、程なくしてカウンター奥の扉が開いた。


「初めまして、神崎 透。私は鹿野 透、鹿野珈琲の店長だ。これからよろしく。」


扉の向こうから現れたのは透明感のある美少女。日本人離れした顔立ちに茶色がかった髪、同じ白いシャツと緑のエプロンを完璧に着こなすその姿に見惚れる他なかった。

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