3杯目 鹿の目は夜光る
「店長、鹿野珈琲特別セットって?」
「推理一本と珈琲一杯。珈琲が割高になっちまうが、マスターは何でも解いちまうからな。お代が足りねぇくらいだ。」
「私の暇つぶし兼営業と犬野の手柄、お互いの利益の合致。もちろん、犬野以外の依頼も受けているけどね。」
「えぇと。」
「あ、俺は犬野でいい。犬に野原のので犬野だ。坊主こそ、誰だ?見ねぇ顔じゃねぇか。」
「バイトの神崎 凛です。」
透に聞いたつもりだったが、目の前の男、犬野が答えた。よく見れば名前の通り犬に似ている。マルチーズやトイプードルのような可愛さではなく、ドーベルマンのような獰猛さが。
「鹿野珈琲は万年人手不足だからね。で、犬野。事件を持ってきたんだろう?」
「そうだったな。」
「事件……てことは犬野さんは」
「想像通り、刑事だ。」
犬野はそういってニッと笑った。口元から覗く犬歯は鋭く尖り光っていた。
「で、事件の話だが。近々、この辺りのホテルで違法薬物の取引が行われる、っていう情報を本部が掴んでな。飛火野横のホテルに張り込んだ結果、赤坂光男と双葉隆の2人を逮捕した。どっちも暴力団の幹部だ。」
犬野は2枚の写真を取り出す。左の金髪ロン毛の男が赤坂光男、右のスキンヘッドの男が双葉隆らしい。どちらも目つきが悪い。
「でも解決しなかった。」
「そうだ。ブツが見つからなかった。違法薬物ってのはこのラムネみたいなやつなんだが、それが無かった。」
犬野が指し示した写真には◯ーマスラムネのような色とりどりの薬が写っていた。
「肝心の証拠がねぇ、となると捕まえた意味がねぇ。で、マスターんとこで楽しようって魂胆だ。」
「えぇ……。」
刑事なら自力でやって欲しい。というか、そんなちょっと聞いただけで解決出来るわけないじゃないか。
透は犬野が説明する間、豆を挽き、テキパキと準備を進めていく。挽き終わったのか、豆の削られる音が鳴り止んだ。
「その二人は奈良のしかもこの辺りに住んでいるのか?」
「いや、二人とも家も職場も大阪だ。聴取した所、奈良に来たのは初めてらしい。」
注ぎ口の妙に長いドリップポットから、スタンドついたフラスコに水が注がれていく。そして、ビームヒーターと呼ばれる機械でお湯を沸かす。
「ふふ。サイフォン、という淹れ方だよ。淹れる時の演出が一番面白いからね。凛に見せてあげたかったのさ。」
見たことない機械に見惚れていると、透がちょっと誇らしげに答えた。はにかんだ笑みは美しく、神崎凛の思考は動きを止めた。
「んで、マスター。分かったのか?」
「淹れ終えるまで待て。」
「へいへい。」
円形のフィルターに一度お湯を通し、温めてから、乾いた布巾などで水気を切る。そして、フィルターが冷えないうちに、温めておいたロートという円柱型のガラスにセットし、数杯分のコーヒー粉を入れる。
透はロートを完全に差し込む前に、濾過器の先から垂れているボールチェーンをゆっくりお湯に沈めていく。
「そのチェーンって」
「お湯が完全に沸騰し始めると、泡が次々とチェーンを伝って上ってくるんだ。」
「なるほど。」
傍から見ると意味が分からない仕掛けだが、言われてみれば温度は大事だろう。それ以降、お湯がまで沈黙が続く。手を顎で抑え、思考の海に沈み始めた透に声をかけるのは気が引けるので、犬野に話を振る。
「そういえば、鹿せんべい屋のおばさんが元気の無い鹿がいるって言ってたんですよね。心配ですね。」
「そうだな。」
「…………。」
素っ気な返答で心がKOされてしまった。もう、新しい話題を出す勇気が無い。それでも何か探そうとした時、黙りこくっていた透が口を挟んだ。
「それは高円が言っていた奴か。ふ、ふふ。そうか、なるほどな。」
「お、マスター。何か分かったのか?」
「今のと何か関係あるんですか?」
「お湯が沸いた。話は後だ。」
身を乗り出した二人の前に透は手を突き出し、制止する。その後は口を閉ざし、作業を続けていく。
透が沸騰しているお湯が入ったビーカーにロートを差し込む。すると、お湯がロートの方に上昇してきた。それをへらでコーヒーの粉とお湯をなじませるように、素早く円を描くように数回攪拌していく。
そして、ヒーターを弱火にして抽出していく。30秒ほどで火を消すと、上から泡、コーヒーの粉、液体の3層が出来てきた。
「抽出時間は色々だが、長過ぎると不味くなる。一分以内がベスト。」
「は、はい。」
それだけ言うと、もう一度、へらでロートの中を軽くかきまぜ、ロートの中のコーヒー液がフラスコへ落下するのを待つ。完全に落ちきったのを見て、ロートを外し、カップにコーヒーを注いでいく。
「これで、出来上がりだ。ん、凛の分も入れておいた。これを飲んで勉強したまえ。」
「ありがとうございます!」
「で、マスター。解ったのかよ、薬の隠し場所は。」
「もちろん。今回の豆はブルーマウンテン。味わいながら、私の推理を聴くといい。」
淹れ終わったコーヒーが答え、とでも言うように良い香りが店いっぱいに広がるようだった。
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