2杯目 珈琲探偵、鹿野透

「よろしくお願いします。」


気づけば差し出された手を握ってしまっていた。それはつまり。


「じゃあ、透くんはこれから後輩店員ってことだよね。」


「教育は任せたぞ、高円。」


「せっかくの人手ですし、店長がやってみては?」


「…………確かに。」


「あ、あの!」


やっぱり断っておかないと。言おうとした言葉は目の前に差し出された透の手によって遮られる。


「答えはもう一杯飲んでから聞こう。」


「は、はぁ。」


「店長のコーヒーは美味しいって評判なんですよ。それに………。」


何かを言いかけて押し黙った高円の横で透はテキパキとコーヒーを淹れる準備を進めていく。一切の微笑も浮かんでいない顔を見ながら待っていると、透が口を開いた。


「神崎 凛、高校3年生。家はならまち周辺、学校もこの辺りだ。塾には通っていない、成績は良い方だろう。それに今の部活は運動部ではない。」


「はい?」


「どうだ、当たってるか?」


「当たってますけど。」


コーヒーがカップに注がれていく。名前はまだしも他の事は何も言っていない。どうして分かったのだろうか。というか何の意味があるのか。


「どうして、分かったんですか?」


「店長は謎を解くのが得意なんですよ。」


「ま、趣味程度だ。それに今の位、見れば分かる。君は今手ぶら、奈良公園に気晴らしに来る人間はそういない、つまり君はここからそう遠くない所に住んでいて、しかも何か気が滅入る事をしている。それに履いている靴、底の減りが見た目の劣化に比べて少ない。なら、君の生活圏内はこの辺りで完結しているはず。塾に関しては、そうだね。ならまち付近に大手の塾は無い、だが、君の手、その手には中指の第一関節の辺りにペンだこがある。それだけで成績の判断はし難いけれど、要領が悪いタイプには見えない。最後に君の身体、筋肉のつき方に左右でバラつきがある。昔鍛えていたけど、今やめているから歪な形になっているんだろう。…………まぁ、こんな所だね。」


「す、凄い……。」


今、会った瞬間だけでそこまで分析していたのか。感心していると、透は恥ずかしさを誤魔化す様にカップを前に突き出した。


「あまり、こういうことは柄じゃないんだがね。それよりも2杯目が入った。飲んでみたらどうなんだ? 」


「じゃあ、いただきます。」


仄かに広がる酸味と後から広がる苦味、両方の良さが引き立つ絶妙な均衡が取られた一杯、今まで飲んだことのあるコーヒーとは比べものにならない程の味だ。


「……美味しいですね。」


「いい顔をしている。やはり、凛、ここで働かないか?先の推理どおりならここは君にうってつけの場所だ。」


緩んでいた顔を整え、透の言葉を聞く。


「塾に通っていない君には自習する場所が必要だろう。ならここを使ってくれて構わない。それに高円も私も君に勉強を教えられる程度の学力はある。息抜きに奈良公園に来るなら、ここに来たまえ。息抜きと刺激になるはずだ。」


「うーん……。」


確かに学校はあまり自習には向いてないし、家での自習にも飽きが来ていた。丁度いいといった所だが、決めかねる。すると、耳元でいつの間にか客席側に回ってきた高円が囁いた。


「店長はかなり変り者ですけど、美人です。そんな人と一緒に働けて美味しいコーヒーも飲める。どうですか?」


「……………っ。」


確かに美人の店長に美味しいコーヒーまで付いてくるのは高待遇。でもやっぱり断ろう─その意志は高円の次の言葉によって打ち砕かれた。


「それに、店長はコーヒーを入れている間に事件を解決するから『珈琲探偵』なんて呼ばれているんです。試しに働いてみて、店長の推理見てみませんか?」



「ご来店ありがとうございました。」


勧誘を受けた次の週、土曜日から試しに働く事になった。小説は好きだし、中でもミステリーは読んでいて楽しくなる。小さい頃は名探偵に憧れたものだ。だから、店長が探偵と呼ばれるという事実がダメ押しになった。


「お疲れ様、凛。」


「店長こそお疲れ様です。ピークを過ぎると静かですね。」


「氷室神社や東大寺は朝から昼までに訪れる客が多いからな。夕方から夜にかけてはこの辺りに客が居なくなる。」


「じゃあ、何で閉めないんですか?」


今だって客が全くいない。それにこの辺りだと学生客も拾いにくい。夜まで開けておくメリットが見つからない。それを聞いた透は聞かれるのが想定内、とでも言いたげに不敵に微笑んだ。


「客も一種類じゃない、凛は高円から聞いてなかったか?」


「何をですか?」


「私が『珈琲探偵』と呼ばれてることだよ。」


「あぁ、それなら聞いたことありますけど。それとこれはどういう…」


来店を知らせる鐘が鳴る。


「そら、客が来たぞ。」


入ってきたのは初老の男だった。くたびれたスーツに死んだ目、こんな時間に喫茶店に入ってくるタイプには見えない。男は透を見つけると目を鋭く光らせ、口を開いた。


「マスター、鹿野珈琲特別セット1つ。」


それだけ言うとこちらにずかずかと歩いてくる。よくわからないが、透は了解したらしくさっさっと珈琲を淹れる準備をし始めた。

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