第6話 未来へ

「そうか……気をつけろよ。逢えるといいな彼女に」

 スバルは僕のヘルメットをポンと叩いて歩き出した。

 明日には火星に帰る準備が始まる。僕も宇宙船に戻る事になる。


「ふぅ」ため息をつき、僕は青い海の彼方を見つめる。

 地球の海は、地上と違い大きな破壊から免れていた。

 僕が立つ砂浜に小さな動く生物たち、甲殻類の蟹が海と地上の渚を走る。

 海は地上の浄化を少しずつ進めていた。

 地球の海は自分を再生し地上に生物を取り戻そうとしていた。


「でも……人はもういない……メロウも」

 二週間、懸命に地球の人々を探したがついに見つける事は出来なかった。

 急に強い寂しさが悲しみが僕を包んだ。

「う、う、うぐぅ」

 僕は泣いた……涙がたくさん出た……悲しかった……寂しかった……。


 強化スーツのヘルメットを外す、涙が止まらないもう前が見えない。

 両手で目を押えて泣き続ける。


 大きな夕日が落ちる海、なにも音がしない静寂の大地。

 僕の涙は海へ落ち、すぐに消えていく。


 10分ほど経った時、チャポン、すぐ近くで水の跳ねる音がした。


「何が悲しいの?…ケイコク」

 その声は僕が待ちわびていたものだった。

 少しカールがかかった翠の長い髪を靡かせる、青金石の瞳が僕を見ていた。

 濡れた緑色の髪は夕日を反射してとても綺麗だった。

「ごめんねケイコク。わたしは自分の姿をあなたに見られたくなかったの」

 水中のメロウの身体は青く輝き、手には水かきと首には水中で呼吸するエラをもっていた。地球の人々は進化したのだ。海で生き延びるために。赤い人と同じ様に。


 メロウは地球の人々が火星の人々を恐れていると話した。

 僕はメロウの言葉に驚き、大きく首を振り誤解だと伝える。

 僕はメロウに懸命に話した。解ってほしかった。

「2億3千万キロメートルを旅してきたんだ。地球の人々……そしてメロウに会うために」

 メロウは、僕の言葉を聞いて顔を上げた。

「うん、解るよケイコク。わたしあなたに逢ってはダメだと言われた。返事もね。でもやっぱり逢いたかったんだ……行こう」


 メロウは静かに僕の手をとった。

「どうしたのメロウ? どこに行くの」

 強化スーツの金属繊維の大きな手を握る小さな手。メロウの行動の真意が分らない止まった僕に、メロウは微笑みかけた。

「行きましょう。わたしたちが住む本当の地球へ。わたしも待っていた……あなたをずっと待っていたの」


 青金石の瞳から涙が落ちる。


 僕は自分のスーツを脱ぎ始めた。彼女が住む世界、今の地球を見るために。海中の成分調査では地上より浄化が進んでおり、人体への影響は無いと報告されていた。


 海の水が届かない場所にスーツを置き、ほんの十メートルくらいの距離を、普段の何倍もの時間をかけて膝をつき四つん這いで進む。


 だがどんなに苦しくても、僕の歩みが止まる事は無かった。

 手のひらをひろげたメロウがいてくれる。

 苦痛と重力に逆らいながら僕は海を目指す。


 大きく波をかぶり、海中に入った瞬間、僕は地上の重力から一気に解放された。

 地球の海の景色が直接的に飛び込んでくる。

 広大で果てのない青と光の世界。

 オレンジ色に輝く太陽の光が海の中を微かに照らし、ゆらめく景色。

 透き通る青い水。肌と目を刺激する塩分。


 海は初めてなのに……その青さと身体を覆う感触が、なぜかとっても懐かしかった。泣きそうなった僕を見て横で笑うメロウ。

「なぜ泣くの? ケイコク」

 頷く僕にメロウは泳ぎ方を教えてくれた。

 ぎこちない泳ぐ姿に笑い出すメロウ。僕もメロウの笑顔を見て一緒に笑った。


 水の中の呼吸は酸素マスクが問題なく使えた。太陽が沈み暗闇に閉ざされた海中を泳ぐ二人。だんだんと暗くなる風景、もう殆ど視界が効かない。でも僕は怖くなかった。

 横を見ればメロウが優しい瞳で僕を見ていてくれる。

 瞳の輝きは消える事なく僕を導いてくれた。


 遠くに光が見えてきた……海の底に透明なお椀を伏せたような巨大なドーム。その中に街並みが見える。

「これが君の生まれた街。そして君が生きる場所なんだね」

 頷いてその瞳を閉じたメロウ。

「そう。ここで生きていくの。いつか地上へ戻れる事を信じて……人間は再び海に帰ったの」


 メロウの涙が海中に流れた……その意味は今でも僕には解らない。



「……ずいぶんと遅かったじゃないか」

 シャトルに戻った僕をスバルが入り口で待っていた。


「ふう~。今日は長かったな。ケイコク、元気がないがどうした?」

 聞こえた可憐な声。ヘルメットをとったスバルは、首を左右に振り髪を振りほどいた。漆黒の長い黒髪に知性を湛えた瞳。その色は百年前の燃える火星の深紅。真っ直ぐに伸びるストレートな髪は、腰のあたりまで伸びている。


 スバルは十五歳、火星で生まれた女の子。


「ねえスバル。もう二度と地球には来れないよね」

 僕の問いにスバルは腕を組みながら考え込んだ。

「確かに現状の火星の力では、定期便どころか、今回の調査だけで終わるかもな」


「そうだよね……それが現実だよね。どんなに会いたい人が居たとしても……でも」

 そのまま黙っている僕にスバルが大きな深紅の瞳を緩ます。


 息を飲むような赤き天使の笑い顔。でも今は僕の表情は緩まなかった。


「大サービスなんだけどな。そうか私の笑顔じゃ駄目か……じゃあ、あれはどうだ?」

 スバルが指さす先、移住室の大型スクリーンに映る地球の海と同じ瞳の少女。

「メロウ!?」


 火星の女神に負けない、地球の妖精が口を開いた。


「わたしは地球のコロニーJに住むメロウです。銀河ネットを経由して地球の代表として赤い人にメッセージを送っています」

 僕が驚くなかでスバルが説明してくれた。

「ケイコクが帰る少し前に、彼女からの初めてのメッセージが届いた。早くおまえに見せたくてシャトルの外で待っていたんだ」


 どこかで諦めかけていた僕の心を「驚きと希望」が満たしていく。

 僕たちに懸命にメッセージを伝えるメロウ、スクリーンの側に立ち、それを聞いているスバル。二人を見て僕は理解した。


 未来は僕たちが造るのだ。


「お帰りなさい赤い人、わたしたちの兄弟そして友人たち」

 メロウの言葉に腕を組みスクリーンを見るスバルが呟いた。

「赤い人に宇宙の友人が出来たわけだ」

 スバルが僕に笑いかける横で、スクリーンのメロウが微笑む。


 僕の心と表情が変わっていく。


 全ては不可能ではない。今始まったのだ。まだ未来は決まっていない。


 そう……未来は僕らの先に有る。


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熒惑(エイコク) こうえつ @pancoo

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