【12月20日】貨物列車に乗って
王生らてぃ
本文
あまりの寒さに、身体じゅうが震える。
ロンドン行き貨物列車の、揺れる薄暗い貨物室の片隅で、わたしは毛布に身を包んで震えていた。でも、もう少しの辛抱だ。もう少ししたら、今の生活から抜け出せる。
周囲には木箱に入れられた野菜や果物と、そして小麦の袋に囲まれ、窓もない貨車の中で丸くなっていると、自分が人間ではなくなってしまったかのような気分になる。
機関車の汽笛が聞こえる。この貨車を引っ張って、線路の上を一路ロンドンへ向かって走っている機関車だ。もう何時間走っているのだろう。そして、あと何時間走るのだろう。わたしはごとごと揺られながら、駅に着いた時にどうやってここを抜け出そうかと考えていた。そこで見つかってしまったら、警察に逮捕されてしまうだろう。なんとかして荷下ろしの隙をついて、抜け出さなくてはいけない。
ガタン、と列車が揺れる。どこかの分岐点を過ぎたようだ。積み上げられた小麦粉の袋が崩れて、トランプの山が滑り落ちるように倒れた。
わたしはその奥に、なにか黒い布に包まれた塊があることに気がついた。積み上げられた小麦粉の袋の裏にそれは隠れていたのだ。もぞもぞ動いた拍子に、緑色の瞳が見えて、わたしと目が合った。体が強張るのと、相手の体が同じようにびくっと震えるのがわかる。
わたしの他にも、この貨物列車に忍び込んでいたものがいたのだ。わたしたちはお互いに一目でそれを察した。どう見ても駅員には見えないし、なにより互いに互いを警戒していたからだ。奇妙だが、それゆえの信頼関係が一瞬で互いに結ばれた。
お互いに、お互いの事情を深く詮索するべきではないと考え、わたしたちは互いに近寄らず、話もせずにいた。わたしはその間、つぶさに相手を観察してみた。相手もどうやら少女、それもわたしと同じくらいの年頃で、どうやらわたしと同じ境遇なんだろうなと思った。一度、黒い布の中から垂れた小麦色の髪の毛は、締め切った貨車の中でも輝くほどに綺麗だった。彼女はそれを恥ずかしがってすぐにボロ布の中に入れてしまったが、わたしの印象には残った。
「あなたも親に売られたの?」
耳障りな列車の中でも聞こえるくらいの音量でわたしが話しかけると、相手ははっと目をあげて、緑の瞳を大きく見開いた。宝石みたいに綺麗だった。
わたしは、出来るだけ相手を警戒させないように、さっと彼女のすぐ隣に身を寄せた。お互いに凍えるほど体が冷え切っていて、漏れる息がわずかに白かった。
「わたしもなんだ。ロンドンに行くところだったんでしょ」
彼女はしばらく黙っていたが、やがて弱々しく、
「うん」
と、うなずいた。
「でも、売られたんじゃなくて、捨てられた」
「で、逃げ出してきたんだ」
「うん」
「わたしも。同じだね」
◯
女の子はリリアといった。
わたしも自分の名前を名乗って、列車の中で互いに身を寄せ合いながらいろいろな話をした。
一度、列車が停まった時には身を硬くしたが、それはただ単に給水のための停車だったようで一安心した。また列車が走り出したあと、わたしはこっそり貨車の扉を開いてみた。
一面が雪景色で、街や人らしいものは見当たらない。遥か前方には、黒煙を吐き出しながら一路ロンドンへ走り続ける機関車が見える。線路は緩やかにカーブしていて、わたしは怪しまれないようにすぐ扉を閉じた。
「ロンドンに行ったら、仕事があるよ。それに、石造りのあたたかい家にも住まわせてもらえるんだ。あちこちで蒸気ボイラーが焚かれていて、きっと雪もすぐ溶けちゃうくらいあたたかいんだろうな」
わたしの独り言をリリアはじっと聞いていた。猫みたいに目を大きく見開いて、じっとわたしのことを見ていた。
「ねえ、ロンドンに行っても一緒に暮らそうよ、わたしたち。助け合おう。一緒に仕事を探して、それで同じ部屋で暮らすの。いいでしょ」
「でも、わたし、仕事なんて……」
「なんでも出来るよ。ロンドンだもの」
「体を売るくらいしか、思いつかないよ」
「そんなことしちゃダメ。わたしたちは生きていけるよ、強く」
ガタン、と列車が大きく揺れた。そして緩やかに減速していき、停まる。隣の列車から次々に、ガタガタと荷下ろしをする音が聞こえてきた。
「もしかして、ロンドンに着いたのかも」
「ど、どうしよう、見つかったら……」
「大丈夫」
わたしは懐にしまっていたナイフを握りしめて、そっと扉の外の様子を伺った。どうやらたしかに駅に到着したらしいが、幸い荷下ろしをしているのは遠くの貨車からのようだ。
「今のうち」
扉をそっと開き、リリアといっしょにそっと這い出した。わたしたちは駅のホームとは反対側に運良く転がり落ち、そのまま列車を盾にするように線路を歩いてゆく。先頭の機関車が吐き出す煙も、わたしたちを覆い隠すベールになってくれた。
そして先頭の機関車のすぐそばまでやってきた。通り過ぎる時、機関士に見つからないかと不安だったが、彼らは運転室からホームの方を向いてなにか話し込んでいた様子だった。これ幸いと、わたしはリリアの手を引いて踏切の方まで歩いてゆく。
「おい!」
ホームの方で大きな怒号がして、思わず振り返った。見つかったかと思ったが、それはわたしたちとは別の、ぼろぼろの服を着た太った男だった。彼もわたしたちと同じように密航してきたのだろうが、見つかってしまって、駅員たちに取り押さえられていた。
いいチャンスだ。
わたしたちは駅員の目が釘付けになっている間に、一気に駆け抜けて駅から離れた。
「はあ、危なかった」
わたしたちは駅から離れた裏通りで身を寄せ合っていた。機関車のすぐそばを通り抜けたので、身体中がススと煙の臭いに塗れていたが、とりあえず無事だった。
リリアは終始、信じられないものを目にしているかのように怯えた顔をしていた。
「さあ、まずは仕事をどこかで探さないと。その前に食べるものも……とにかく、ロンドンでなら、なんでも出来るはず」
裏通りからでもわかる。
ロンドンはあちこちから蒸気が上がり、その熱がここまで伝わってくるかのようだ。まるで暖炉のそばにいるようにあたたかい。辻道で新聞を配っている少年や、チラシをあちこちに貼っている人、食べ物を売り歩く人……
これが、霧と蒸気のロンドン。
「リリア、とりあえず行こう。まずはなにか、食べるものを……お金持ってる?」
振り返った瞬間に、わたしのお腹になにか冷たいものが突き刺さった。そして傷口がすぐに熱くなって、呻き声が漏れた。
「リリア……」
リリアは手に握っていたナイフをすぐにわたしのお腹の奥に押し込むと、わたしの体を押し倒した。それから、わたしの懐を探ってナイフと、ほんの少しだけ持ってきていたお金とをすぐにポケットに仕舞い込んだ。
「どう、して……」
リリアの、心から笑った顔をその時初めて見た。
驚くほどきれいで、わたしは思わず見惚れてしまったほどだった。しかし、リリアはわたしのほうを振り返らずに、駅とは反対方向の大通りに向けて歩き出していた。
その姿はだんだん白く霞んでいく。
それはロンドンのせいだ。蒸気と霧のせい。雪も降ってきているかもしれない。わたしはもう熱くも寒くもなく、ただものすごく眠かった。
どうして。
わたしは、リリアとお友だちになりたかっただけなのに。
親に売られて、売られた先で酷い目にあって、命からがら逃げ出して、なんとかロンドン行きの貨物の中に紛れ込んで、これからは自分の力で生きるんだって決めたのに。
リリアも同じような目にあったはずだ。そうでなければどうして密航なんかするのだろうか。わたしのお友だちになるはずだったのに。一緒に暮らせると思ったのに。
最後に見た、リリアの笑顔が、とてもきれいだったなあと思った。ロンドンの蒸気はあたたかくて、まるで暖炉のそばにいるみたいだった。目の前が白く煙っていく。
【12月20日】貨物列車に乗って 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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